11.星空を見あげて

 行軍の準備はすぐに整った。第三軍団は二百人ほどしかいなくなってしまったので、逆に機動力は上がっているのだ。

 少しでも王都から離れたところでの戦闘をするため、朝を待たずに出発する。

 いくら松明があるといっても、暗闇の行軍は体力を削られた。


「大丈夫か、エリザ」


 すぐ後ろを歩いていたシルヴィオが、声をかけてくれる。

 死地へと向かうとわかっていて、気にするのもおかしな話だとエリザは少し笑う。


「大丈夫。思ったより、冷静」

「そうみたいだな」

「シルヴィオは?」

「まぁ、覚悟はしてたしな」


 大量の荷物を括り付けられた荷運び用の馬が、隣でぶるんと身を震わせた。

 馬もわかっているのだろうかと、その背中を撫でてやる。

 街道を行っているため足元は悪くないが、視界が開けないというのは心を圧迫されるような狭苦しさを感じた。

 少し前を行っていたロベルトが、歩調を緩めて近づいてくる。


「お前ら、ここで抜けてもいいんだぜ。だーれも責めたりしねぇからよ」

「ばかいえ」

「ばかなこと、いわないでくれる」


 二人で睨むと、ロベルトはギラついた目を見せた。


「じゃあ、俺と一緒に逃げてくれっていったら……来るか、エリザ」


 ばかだなぁ、とエリザはふっと笑う。ロベルトが逃げるという選択肢をしないことは、エリザが一番よくわかっているのだ。ロベルトがそんな発言をした理由はただひとつ。


「私を逃したあとで戦場に戻る気でしょ。そんな手には乗らないんだから」

「お前って、頑固だよなぁ」

「ふふ、バルナバ様にもいわれた」


 くすくすと笑うと、ロベルトとシルヴィオの空気がやわらいだ。そんな二人に、エリザは心からの言葉を紡ぐ。


「残ったみんなは、改宗できるといいね」

「そうだな。うちの者にも、俺が行軍に出たらすぐに改宗するよう伝えてある。とにかく、時間稼ぎしねぇとな。ラゲンツの奴隷なんかにさせてたまるか」


 ラゲンツ国は、元々住んでいた人を一等国民とし、元ルドマイン皇国民を二等国民、そして元 リオレイン王国民を三等国民と位置付けているらしい。

 そしてルドマイン皇国で最後まで抵抗を続けていたものは全員奴隷落ちとなり、国民としてすら認められていなかった。

 奴隷の労働環境は劣悪で、一等国民の玩具となったり、他国へ売り飛ばされて消息が不明になる者が後をたたないという。


 奴隷になるくらいなら、死んだ方がマシだなぁ。

 ここでみんなと死ねるなら、それでもいいや。


 無駄に死ぬなといったジアードの言葉には目を瞑る。

 どう考えたって、奴隷になるより一緒に死んだ方が幸せだ。ここにいる全員が、おそらくそう思っていることだろう。

 どう死のうかと考える者はいても、どう生きようかと考える者は、この中にはいまい。

 負けることがわかりきっているせいなのか、そういう者ばかりが残ったせいなのか、行軍中に重苦しい雰囲気になることはなかった。みんな、ああだったこうだったと昔話をしながら足を動かしている。

 懐かしさに鼻をすすらせるものもいたが、みんなが背中を叩いて笑い飛ばした。


 夜中の三時まで歩き続けると、数名の見張り以外は朝の五時まで仮眠をとる。また朝一から歩き始めれば、夕方にはラゲンツ軍と相対するだろう。

 これが生きている間の最後の眠りになる。そう思っていたのに、なかなか眠気はやってこなかった。

 体はくたくたなのに、どうにも目が冴えてしまっている。

 諦めて腰をあげると、隣にいたシルヴィオを起こしてしまったようだ。


「眠らないと持たないぞ。無理にでも寝るんだ」

「……うん、わかってるんだけどね……」


 立ち上がったばかりのお尻を地につけて、膝を抱えて座り込む。

 焚き火が遠くの方で燃えていて、寝ている仲間たちをかすかに照らした。

 ここにいる全員が今日中に死んでしまうのかと思うと、覚悟しているはずなのにどこか信じられない。誰もいなくなってしまうことが、ひどく悲しい。

 シルヴィオも上体を起こしてエリザの隣に座った。暗がりにかすかにあたる火の灯りは、綺麗なシルヴィオの横顔をよりいっそう引き立たせている。


「シルヴィオは家の人、大丈夫?」

「両親も弟も、俺がいるからとずっと残ってくれていたが……行軍の前に、改宗するよう伝えてからきた。俺は戦地で死ぬからと」

「……そっか」


 家族のいる人は大変だ。エリザは孤児だから、そういうことを心配しなくてすむのはよかったかもしれないと息を吐き出した。


「ここにいるみんなの家族の改宗する時間を、与えてあげなくちゃね。私も、死ぬまで戦うよ」


 エリザに家族はいなくとも、気持ちはシルヴィオたちと同じつもりだ。

 騎士を志願したからには王族を、そして国民を守る。命をしてでも。

 気持ちを再確認すると、エリザの頭に温かい手が置かれた。そしてそのまま、逆の手で体を押されて倒される。

 手で守られた頭は打ち付けることなく、ゆっくりと地に転がった。


「シルヴィオ……」

「星がきれいだな」


 シルヴィオもそのままゴロンと転がり、ともに夜空を見上げた。首に敷かれたシルヴィオの腕が、とても心地いい。

 星空は地上の争いごとなど無関心に、キラキラと瞬いている。


「ほんっと、きれい……」


 心が洗われるような風景に、ほっとため息が漏れる。

 シルヴィオと一緒にこの光景を見られてよかったと、エリザは心から思うと同時に、ある疑問が頭をもたげた。


「そういえば……シルヴィオは、好きな人とはどうなったの?」


 聞くつもりはなかったが、最後なのだしかまわないだろう。

 旅の恥はかき捨てならぬ、死の間際の恥はかき捨ててくれるかもしれない。

 心配と少しの好奇心。どうせいわないのだろうなと思ったが、意外にもシルヴィオは口を開いた。


「どうともなってない。関係は変わらないままだった」

「ばかだなぁ、告白すればよかったのに。もしも生き延びたら、ちゃんといってあげなよ?」

「……そうだな。互いに生き延びることができたら……」


 おそらくシルヴィオは、いえなかったのではなく、いわなかったのだろう。

 シルヴィオは生きる可能性を自分で潰してしまっているし、死にゆく人に告白されても相手の迷惑になると思ったに違いない。


 シルヴィオは生き延びて、その人と幸せに暮らせたらいいのにな……。


 エリザは落ちてきそうな星空を眺めながら、シルヴィオの腕の中で眠った。

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