第7話 私の願い、彼の願い


 翌日、 熱が下がり、体も楽になった礼子が目覚めるとシンの姿はどこにもなかった。

(あれは、夢だったの……?)

 けれど、ぐっすりと寝付くまでの間、シンの気配を感じてとても心地よかったことは覚えていた。

 

(シンは、どこへ行ってしまったんだろう?)

 ぼんやりと部屋を見渡すと彼女の視界に、何かが映った。


 ―――― リンゴ……?


 それは、皿に盛られたリンゴだった。

 傍には、ゆるやかな曲線を描く赤いリボン。

 丁寧に剥かれたリンゴの皮だ。


「えええっ!? シンが剥いたの?」


 その重大さに気づいた礼子は、飛び起き皿を手にとる。

 八つに切られたリンゴは、食べてくれといわんばかりに盛られてあった。

 

 「どうして、急に出来るようになったのよ!?」


 リンゴの色は、まだ変わってなかった。

(そんなに時間がたってないはずなのに、シンはどこにいっちゃったのよ!)


 苛立ちが隠せずに、頬を膨らましたがとりあえずシンの好意をいただくことにした。

 

 高性能な人工頭脳が搭載された機械人形アンドロイドのはずなのに、シンは礼子と出会ってからまともにリンゴの皮すら剥くことができなかった。

 半分にもたどり着かない間に、力加減がうまくいかず握りつぶしてしまっていた。

 それは、決して苛立ちからではない。

 たぶん、焦り……。

 アンドロイドの彼にそんな気持ちがあるかどうかはわからないが、礼子はそんな風に感じていた。

 介助用という名目で礼子のそばにいるというのに、力の調節が出来ないばかりに触れることもできない。

 昨日も、礼子の額を拭うことさえ躊躇った。

 それらを思い出すと、このリンゴは奇跡だ。


 礼子は、震える手でリンゴを口に運ぶ。



 ――― シャリリ。


 気持ちの良い音と共に、リンゴの甘く、瑞々しい香りが口の中に広がった。

 乾いた喉が満たされてゆく。


 「おいしい……」


 礼子は、自分が今まで食べたリンゴの中で一番おいしいと思った。

 不器用なアンドロイドのシンが、自分のために一生懸命に剥いてくれたリンゴ。

 

 食の細い礼子だったが、うれしさのあまりもう一口食べた。

 すると、今度はしょっぱかった。

 それは、自分の涙のせいだと分かったが、礼子は気が付かない振りをした。

 そして、大声で独り言をいう。

「シンの馬鹿。なんでこんな大事なときにそばにいないのよぉ!!」

 泣くのは弱い証拠だと思っている彼女は、人前はもちろんひとりのときでも涙を流したくなかった。

  まして、うれしいときに泣くなどありえない。

 うれしいときには笑うものだ。

 そう思っていたが、礼子はうれし涙を止めることができない。

 自分が泣いていることを認めたくないため、礼子は怒った風を装った。



 礼子は、室内の映像電話V.Pのスイッチを乱暴に叩く。

「お父さん!!」

「どうした礼子!? 具合が悪いのか??」

 別階にある智の仕事場の映像電話V.Pから、音が割れるほど礼子の声が響き渡った。

 父親は娘の剣幕に驚き、工具で摘んでいた部品を取り落とした。

 画面に映し出されるそんな父の姿もお構いなしに礼子は話を続ける。

「わたしは大丈夫よ。それより、そっちにシン行ってない?」

「今日は、ルーカス先生のところに行っているよ」

「アンドロイドのメンテをどうして病院でやるのよ?」

「そ、その、メンタルなメンテは医師じゃないとできないんだ……なぁ」

(アンドロイドに、精神的なメンテ?

 語尾が小さくなってるのは何なのよぉ)

 多少、疑問に思ったもののシンがルーカス医師のところにいることが分かれば十分だった彼女は、それ以上気にしなかった。

「まあいいわ、ありがとう」

 ぷちっと切れる映像電話V.P

「れっ、れいこぉ~?」

 取り残された智はしばし呆然と映像電話V.Pの画面を見つめていた。




 映像電話V.Pを切ると、礼子は腕にはめている銀の生体管理端末バイタルリングを叩いた。

 小型の通信機器でもあり映像電話V.Pが内蔵されている。

 叩かなくても通信のスイッチは入るのだが、礼子はとにかくシンと話がしたかった。生体管理端末バイタルリングは、患者の状態を病院へ定期的に送信する機能のほかに、緊急時に病院に直通で連絡が出来る。

 

 銀の腕輪から中空に画面がポップアップする。

 すると、すかさずメディカルセンターの看護師の声がした。

「こちらレクス記念病院です。救急ですか?」

「ええ『急々』よ。ルーカス先生につないで」

「わかりました」

 落ち着いた様子のオペレーターは、素早くルーカス医師の診察室へ電話を繋ぐ。


 ルーカスのデスクの映像電話V.Pが緊急を知らせるアラームが鳴ったが、映し出されたのは見慣れた長い黒髪の少女だった。

「せんせーい! シン、そこにいる?」

 突然の電話にルーカスが緑の目を瞬きし驚く。

 礼子が、積極的に他の者にかかわりを持とうとするのを初めて見たからだ。

 それに、表情が明るい。

 ルーカスの知っている礼子は、病気に怯えそれでも父に心配をかけたくないために、その気持ちすら我慢しようとする健気で内向的な少女だった。

 父親の智やルーカスの前では、それを悟られないように我侭とも思えるような言動をすることもあったが、こんな奔放な行動を起こす気配はなかった。

(なんとまあ、変わったものだ。

 お互いえいい影響があったということか?)

 ルーカスは、手で口元覆い笑いをこらえた。

「命令よ。シン。直ちにもどりなさーい!」

 目の前の画面の少女は今まで見たことがないような生き生きとした顔をし、聞いたこともないような大声を上げている。

 ルーカスは、礼子の気持ちがこれだけ上向いてきているのなら手術はうまくいくだろうと手ごたえを感じた。


 礼子の腕の生体管理端末バイタルリングの上部には、映像が上がっている。

 そこには、あっけにとられたルーカスの顔しか映っていなかったが、シンが近くにいると礼子は確信していた。

 案の定、次の瞬間、涼しげなシンの顔が映った。

「レイコ。これは緊急回線だ。私用なら、別の回線で連絡を……」

「やっぱりいた! もう、手間かけさせないでよ」

 ぷちっと、一方的に生体管理端末バイタルリングの通信が切れる。

 小さな嵐に、ルーカスは腹を抱えて笑い出した。

 そして、ニヤニヤとシンを小突く。

「かわいいマスターの命令は聞かないといけないなぁ。

 今日の検査はこれで十分だから、早く行ってあげなさい」

 シンはその意味を図りかねて、憮然とした顔で通信画面があった空間を見つめていた。



  ★



 シンが戻ってくる間、礼子は時間が止まっているのではないかと思い、何度か時計を叩いた。

 もちろん時計が壊れているわけもなく三十分ほどでシンは帰ってきた。

「遅い!!」 

「そんなことはないだろう?」

 怒る礼子に、シンは冷静に答える。

 彼は、自分がどのくらいの時間で戻ってきたのか把握していたからだ。

「わたしが、遅いと思ったら遅いの!」

 礼子は理不尽なことを言っているうちに、本当にシンに言わなければいけないことを思い出した。

「それより、リンゴよ!

 やったじゃない!!」

 礼子は、喜びが抑えきれずシンの首に飛びついた。

「おい、レイコ!?」

「きゃ!?」

 ベッドに座っていた礼子が予想もつかない行動に出たため、シンは礼子を支えきれずベッドから落ちた彼女に押し倒されるように床にひっくりかえった。

 腕を使うことに自信のないシンは抱きとめたというカッコいい状態ではなかった。

 本当に下敷きになっただけだ。

「もう、ちゃんと抱きとめてよ」

 シンの膝に乗るような型になったまま、礼子はいたずらっ子のようにシンを見上げて言う。

 彼はそんな礼子を見て、小さくため息を吐いた。

「あまり無茶をするな。手術前にケガをしたらどうする?」

 礼子は、シンの言葉で我に返った。


(そうよ、もうすぐ手術を受けなければいけない。それは避けられないんだ……)


 いつ死ぬかわからない……。

 その思いは、2年前に心臓の病を発病してからずっと礼子を縛り付けていた。

 胸の苦しみを感じるたび、病を恨み。

 手術の不安を感じるたび、死を恐れた。

 病気に縛られ、思いをあきらめていくうちに人にも物にも次第に執着しなくなった。

 

 大切なもの、大好きなもの、すべてに別れを告げ手放さなければならない時が、そう遠くない将来くると思うと、強い想いを抱くことが怖くてたまらなくなった。

 


「シン……。わたし、お願いがあるの」

 かすれて消え入りそうな声で、礼子は話し出す。

機械人形アンドロイドの命は永遠でしょ。

わたしがいなくなっても、父さんがいなくなってもずっとシンは生き続けるのよね。

だから、お願い。

わたしのことを忘れないで……」

返事を待つ彼女の肩は、震えていた。

シンは、その肩に触れようとし、自分にはその資格がないことに気が付いた。

 礼子になんと言えば伝わるのだろう。

「俺は、思い出と共に生きることはできない」

「わたしは手術が失敗したら、死んでしまうのよ……。慰めも言ってくれないの?」

「あきらめる前に、賭けてみようとは思わないのか?」

機械人形アンドロイドは賭けなんかしないじゃない!

 なのに、どうしてそんなことを言うの!?」

 礼子は、不安な気持ちが一気に爆発し、苛立ちで声が大きくなる。

 しかし、それは怒声ではなく泣き叫んでいるようにも聞こえた。

 



「……そうだな。俺は諦めて賭けすらしなかった」

シンの静かすぎる声に、礼子は我に返った。

あまりにも、感情が見えないその声は、逆に何か強い思いを押し殺しているように彼女には聞こえた。

「俺は、ここにいない存在だ。今でもそう思っている。

 だから、俺には世界は薄い膜が張ったようにぼんやりとしか映らない。

ここにあるのは残像で抜け殻。残りかすだ」

「シン……?」

礼子には、シンの言っている意味が少しもわからなかったが、彼が今の自分を好きではないということだけは良くわかった気がした。

「希望を捨てるということは、自分自身を殺してしまうことだ。

レイコは、自分を殺そうとしてないか?」

「わたしは、そんなことして……」


『していない』と言おうとした。

 けれど、言えなかった。シンの言ったことはあたっている。



「お前の病気はルーカス先生が治してくれる。だからもっと望んでいいんだ……」

その言葉に、礼子はシンの胸に抱きつき、堰を切ったように泣き出した。

「じゃあ、シンの言っていた緑のあるところに連れて行ってと、言ってもいいの?」

「ああ、もちろんだ」

「いっぱい、いっぱい、好きなものを増やしていいの?」

「ああ、そうだ」

 

 シンの胸は、温かだった。

そして、なぜか礼子が頬を押し当てるシンの胸からは鼓動が聞こえた。


 規則正しい命の音。


 けど、そんなことあるわけない。

 だって、彼はアンドロイド…機械なのだから。


 心臓の音など聞こえないし、この胸の温もりだってまがい物だ。


 きっとこれはわたしの願望なんだ。

 シンが、人間だったらいいなと思う、わたしの幻想。


 それでも、いい……。


 今、とても幸せな気持ちだから。

 もう、手術は怖くない。

わたしは、シンと一緒に歩いて行くのだから。



  ★


涙が止まるころ、礼子は大事なことを思い出した。

(私のお願いを言ってどうするの……。シンの願いを聞くために呼んだのに)

 礼子は、手で涙を拭い恥ずかしそうに苦笑した。

「急に泣いてごめんなさい。

 その……リンゴがむけるようになったら、シンの願いを聞く約束だったよね……決まってる?」

「俺は生きてないから、願いもない」

「わからないわ。だって、あなたはここにいるのに……?」

 シンは、自分でもよくわからなくなり眉根を寄せてうつむいた。

「そんなに苦しそうな顔をしておいて、生きてないと言うの?

人間でも、機械でも悩み苦しむのなら生きてるって言っていいじゃない?」

 礼子は、シンの腕の中で彼を見上げた。

「本当は人間になりたいんでしょ?

 なら、我慢しないで楽しみも喜びも感じないと。あなたが今わたしに教えてくれたじゃない!」

 シンの瞳が真っ直ぐに、礼子を見つめ返す。


「……礼子」


シンが彼女の名前を呼んだ。


それはいつもと違う、特別な響きに聞こえた。


 そして、搾り出すように言う。


「俺は、人間になりたいのかもしれない……。

 心を取り戻したい」



 世界に色を取り戻したい。

 人間になりたい……。


 それが、今まで彼自身も気がつかなかった願い。


「礼子、俺を探してくれるか?」


シンの言葉に、礼子は力強く頷いた。



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