第5話 降雨日は雨音に耳を澄ませ

 窓を濡らす水滴がゆっくり落ちてゆく。

 礼子が、シンとケンカした翌日。

 月都市のドーム内は、降雨日こううびだった。

 銀糸の雨のしずくは、単なるドーム内の塵落としの意味でしかなかったが、礼子は割と気に入っていた。

 しかし、彼女は朝からそのことに気づいてはいない。


(体が重い……。胸が苦しい……)


 ぼんやりとする頭でベッドに横たわりながら目を開けると、そこには心配そうに彼女を覗き込む父と往診に来ていた医師、そしてシンの姿が見えた。

 シンは、自分の居場所がないかのように医師と父のずっと後方、部屋の隅にたたずんでいる。



「わたし……どうしたの?」

 礼子は力なく、白衣の男性に尋ねた。

 赤いくせ毛の壮年の医師は、礼子の主治医ルーカス・レクスだ。

 おじさんと呼ぶには申し訳ないが、お兄さんと呼べるほど若くもない。

 背が高くとても気さくな口ぶりの為、白衣を着てなければ医師とは思われないだろう。

 これでも世界一の製薬会社フジックスを興したレクス一族の御曹司である。

 机に座っているだけで莫大な収入が入ってくるが、医療の現場で命を救うことがルーカスの生きがいであった。

 礼子は、そんな医師を快く思っていた。


「発作ではないけれども、熱が出ているね。疲れが溜まっていたのだろう。今日はゆっくり休みなさい」

 ルーカス医師は、心配しなくていいよと笑顔で礼子の細い腕に薬を打つ。

(動けないと思ったら、熱のせいだったのね……)

 そんなことを考えながら、礼子は素直に頷いた。

「レイコちゃん、手術前の大事な時期だからあんまり無理をしてはダメだよ。体に不調があるときは、腕の生体管理端末バイタルリングが病院に知らせてくれるけれど、心の中までは伝えてくれない。何か不安なことがあったらいつでも呼んでいいんだよ?」

 生体管理端末バイタルリングとは、礼子の左腕にある幅1センチほどの銀色の腕輪ブレスレットのことで、血圧・心拍、体温などを病院メディカルセンターへ送信する携帯装置だ。

 他に、身体に異常があった場合に医師が駆けつけられるように、緊急呼び出しや位置確認装置GPSが装備されている。


(先生は、手術を怖がってる弱気なわたしの気持ちなんてお見通しなんだ……)

 医師が知っているということは、父にもシンにも自分の臆病な気持ちが知れていると思った礼子は、急に恥ずかしくなり布団を顔まで引き上げた。

 医師は、ポンポンと子供をあやすように礼子の布団を軽く叩くと、お大事にと言葉を残して部屋を後にした。



 ★



 智とシンも医師を見送るため部屋を出た。

「ありがとうございます。ルーカス先生」

 深々と頭を下げる智に、医師は礼子の容態を説明する。

「発作ではないので心配はないでしょう。それに、低重力調整がしてある月の環境は彼女の心臓への負担を軽くしています。多少、無理して月に来たかいはあったと思いますよ。今回の熱は環境が変化したためだと思われます」

 環境の変化……それが、自分をさす言葉だとシンには分かった。

(役立たずの自分が、どうしてここにいるのかとシンは考えたが、辛いとも悲しいとも感じはしなかった。

 ただ、もうここには、礼子の傍にはいられないだろうと思った。



「手術を受けることを礼子は、とても不安に思っているようなんです」

 礼子の父、智にとって、それが一番の気がかりなことであった。

 娘が、手術を受けるのは彼がそう望んでいるからであって、礼子自身は手術など本当は受けたくない。逃げ出したいという気持ちでいっぱいだとわかっていたからだ。

 命に関わる手術を怖くない人間などいない。

(あの子は何も言わないが、時折、声を抑え泣いていることも知っている)

 しかし、父親である自分に一番知られたくないと見ないふりをしていた。

 妻が死んでからは、父一人子一人。

 心配をかけたくないという礼子の気持ちを知りすぎている智だったが、手術を受けなくてもよいと言うことはできなかった。

 決して失いたくはない、大切な一人娘だ。

 手術をして元気になってほしい。

「不安を取り除くことができれば、手術の成功率も高くなりますし、術後の経過もよくなるでしょう。ただ、月での環境に慣れすぎると体力が落ちてきます。時期を引き延ばすのは彼女の体には良くない。」

「そうですね……あの子を信じるしかないですね」

「篠原氏の娘さんだ、大丈夫ですよ。きっと勇気を出してくれると思います」

 明るいルーカス医師の言葉に、智は救われる気がした。


 ルーカスは、シンにも声をかけた。

「シン、君の調子の方はどうなんだい? 君も私の患者なのだからいつでも『メンテ』に来ていいんだよ」

 からかうような口調だったが、医師のまなざしは真剣だった。

 篠原博士だけでなく、ルーカスもまたシンを助けたいと思う協力者であった。

「不調はありません。それにメンテは篠原博士がしてくれます」

 返事をするシンはマネキン人形よりも表情が硬かった。

「それでも、君は痛みを感じにくいところがある。明日には、私の病院へ来るように」

 シンは、黙ってうなずいた。

「それと『心』の方はどうなんだい?」

 ルーカス医師は、シンの胸を軽く小突いた。

「……何も変わらない」

 シンは思いつめたように暗い声で答える。

 その声を聞いて、篠原博士もルーカス医師はシンの様子が今までと違うことに気がついた。

 無表情ではあったがシンの声は明らかに落ち込んでいる。

 礼子のことを心配しているかのようた。

 あの事故以来、シンが他者に関心を寄せる姿を二人は知らない。

「そんなことはないだろう? カワイイからな~、レイコちゃん☆ ドキドキしないか?」

 ルーカス医師は豪快に笑い、気合を入れるかのように思い切りシンの背中を叩いた。

 シンの変化をうれしく思ったのだ。

「シン、君が来てから娘は明るくなった。ありがとう」

 智は心からそう思っていた。

 思いつきでシンに礼子の相手をしてもらっていたが、思った以上に礼子にもシンにも良い影響を与えているように見えた。

 殻に閉じこもりがちの二人が、お互いの存在を認め合おうとしている様子は微笑ましい。

 礼子が笑い転げる姿を見たのは久しぶりだし、声を荒げて怒る姿など今まで父親である智も見たことがなかった。

 けれども、シンは礼子が寝込んだのは自分の存在が彼女の生活を変えてしまったことにあるという考えが拭えなかった。

「いや、俺はレイコの役に立ってない。

 俺は、欠けているから……」

 礼子の役に立てないという言葉は、礼子の役に立ちたいという意味にもとれる。

(こいつは、ずいぶんと変わったな。いい方向へ)

 ルーカスは満足そうにシンを見た。

「まあ、シンの影響がないとは言わないが、環境が変わるときはこういうことはあるもんだ。

 気に病むことではないよ。なぁ、篠原氏?」

「私がシンにお願いして来て貰っているんだから、なにも気にしないで。娘の面倒を見てもらって安心しているんだよ。これからも傍にいてやってくれるかな?」

 シンは、しばし考え込んだ後うなずき部屋を後にした。



 ★



 智もルーカスも、シンの背を笑顔で見送る。

「しかし、篠原氏も思い切りましたね。かわいい娘のそばに男を置くなんて」

「月都市では、礼子と同じ年頃の子はそういないですから」

「それにしたって、男親だ。『ボーイフレンドなど許さん!』とか『娘を嫁になどやらん!』とか言わないのですか?」

「シンくんは、真面目でいい子ですし」

「おお、寛容な父親だね~」

 ルーカスはニヤリと笑うとあごを撫でた。


 智は窓の外へ目を移し、口を開く。


「二人なら魔法が使えると思うんですよ。ピノキオが眠り姫の魔法を解き、眠り姫がピノキオに人間になる魔法をかける。……そんな奇跡が起こると信じているんです」


 雨はまだ降っていたが、明るい日差しが見え出しそろそろ止むように見えた。

 キラキラした雨粒はゆっくりと地表を潤している。



 ★



 父たちが部屋を出て行ってから、礼子は窓の外に思いを寄せ、耳を澄ました

 目を閉じると雨音が、静かな曲を奏でている。

 月都市では雨も人工頭脳に管理され降る日が決まっている。

(けど、降雨日は特別な日みたいで、嫌いじゃない……)

 水の中を漂っているような浮遊感があるのは、きっと薬と熱のせいだろう。

 周りの景色も、ぼんやりとしか見えずいつもとは違って見えた。

(わたし、自分では気がつかなかったけどはしゃいでいたのね……)

 礼子は、シンが来てからの数日を振り返った。




 月都市はまだ、研究者が中心の街。

 自分と同じ歳の子らと仲良くするためには、月大学アカデミア・ルナか宙軍士官学校にでも行くしかない。

 しかし、心臓に持病のある礼子にはどちらも無理な話であった。

 地球にいた頃、友達がいなかったわけではない。

 学校に通っていたこともあるし、少ないながらも友はいた。

 ただ、弱っていく自分をどうしても見せたくなかった。

 意地を張って、本当のことを何も告げず、昨日、シンと喧嘩したときと同じようにキツイ言葉を投げつけ、そのまま逃げるように月に来てしまった。

(けど、そうやって地球に居づらくならなかったら、わたしは月に来ることも決められなかった)

 礼子は、月に来たことは後悔していなかったが、もしも手術が失敗したらと思うとたまらなく怖くなった。

(あんなに友達を傷つけ、ケンカ別れが最後かもしれないなんて……)

 せめて、シンにはあやまりたい。

 わたしには、時間がないのだから。

 彼女は、機械人形アンドロイドが来ると聞いたとき手術の日まで暇潰しができるだろう程度にしか考えていなかった。

 けれど、父が連れてきた機械人形アンドロイドは歳も礼子とさほど変わらないと思うような青年。

(父さんは『わたしの心臓を壊したいの!?』と思うくらいびっくりしたわ)

 熱に浮かされながら、礼子は力なく笑った。

(人形になんか負けない。そう思っていたはずなのに……いつのまにか、シンのことを応援していた。シンが人間のようになればいいのに、そんな奇跡がおきれば勇気を出して手術ができるかもしれないと思ったから)

 シンが毎日部屋に来ることは、口で言うほど嫌ではなかった。

 別に何を語りあうわけでもなかったが、シンは黙って礼子のそばに居てくれた。

 それが例え命令だったからにしても、いつ発作で倒れるかわからない礼子にとってはとても安心できた。

 リンゴの皮剥きなのか、リンゴ潰しなのか分からない不器用な練習も見ていて飽きなかった。




 それに、彼の表情を見て放っておくことができなかった。

 他人から見れば、シンはただ無表情に見えるだけだろう。

 けれど、それが自分の無力さに打ちひしがれた、何もかも諦めた顔だと礼子にだけは分かっていた。

 あんな顔を自分はよく知っている。


 ――― 鏡の中の自分だ。


 自分のことすら満足にできない。

 父の仕事の足手まといな自分。

 無力で何も出来ない。


 嫌だった。

 消えてしまいたい。

 自分なんか必要ないと思っていた。


 けれど、死にたくない。

 かといって、自分から手術を受けると言えるほども勇気もなかった。


 ――― 自分が嫌いだった……。




 機械人形アンドロイドなのに、なぜシンが自分と同じ表情をするか興味があったし、何とかしてあげたいと思った。


 機械人形アンドロイドなのにひどく不器用。

 緑と鳥のレアリテを展開していたときに、一緒に外へ行こうと言ってくれた。

 不安からやつあたりしてしまったけれど、その言葉は礼子が一番求めていた言葉。

(機械だけど、やさしい人だ……

 外に連れて行ってくれる。緑を見せてくれると、わたしが一番望んでいたことをしてくれると言ったのに……)

 自分が意気地なしだっただけなのに、彼に八つ当たりしてしまった。


 この熱は、シンを傷付けてしまったことと自分の気持ちにウソをついたことの罰なのかもしれない。


「ごめんね……。シン」


 声を出すと息が熱い。

 それを冷やすかのように、涙が目の脇を滑り落ちた。


 

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