3-4 世界はそのままじゃいられないから
迎え盆の日の、昼下がり。
あたし、パパ、
「え、あいつの奥さん出てっちゃったの!」
「そうそう。なんで
「会議で大揉めしてから気まずくて連絡取ってないんだよ……工場女性陣のネットワークの方がそういう話は早いって、咲ちゃんも分かるっしょ?」
パパと咲子さんは会社の知り合いについて話している。助手席のあたしは目についた車のナンバーで10パズルにトライしていたし、仁輔は黙々と握力を鍛えている。二人だけでゲームしていたときはともかく、親の前では過ごし方に迷ってしまうのだ。親たちもそれを察しているのか、こちらに突っ込んではこない。
咲子さんと仁輔は、午前のうちに
なお、ママの遺骨は実家の
九郷家の墓は、山の麓のお寺にある。墓へと続く長い石段、幼いあたしと仁輔は駆け足で競走して叱られたものだ……いや、あたしが転んで懲りたんだったか?
余所の人から見たら一家集合に見えるだろう、パパと咲子さんが夫婦であたしと仁輔が兄妹。今でも、それはそんなに嫌じゃない。パパと咲子さんは夫婦でもないのに気まずいはずで、けどいつも自然そうだ。この二人の独特の間合いは今でも不思議になる。
お墓の前へ。花を供え、迎え火を焚く。父方の祖父は十年ほど前に、祖母は一昨年に亡くなった。
打ち解けきれないまま、おじいちゃんに会えなくなってしまったことも。いつも私を可愛がってくれたおばあちゃんが、私との思い出を忘れて怒りっぽくなっていくことも。
悲しいだけじゃなく、寂しいだけじゃなく、大人になるために必要なことなんだろうと感じさせる何かがあった――ある年齢以上を過ぎた大人を「大人」と思えなくなっていく、それに気づくことが一種の通過儀礼なのだろうと。
けど、確かに会った記憶のある祖父母よりも。
「……久しぶり、ママ」
亡くなったのは、あたしを産んで退院した直後だという。
何も知らないなりに、たまに思う。
あたしを身ごもって産んだせいで、どこか体を悪くしたんじゃないか、とか。
あたしがあまりにも手をかけさせたせいで、疲れをためてしまったんじゃないか、とか。
濡れた路面で自転車のタイヤが滑り、頭を強く打った――不慮の事故としか言えない亡くなり方だったそうだけど。あたしだって少なからず、理由を背負っているように考えてしまうのだ。
パパが墓前で手を合わせる。妻を喪った悲しみを、パパはあたしに向けたことはない。あたしを褒めるときにママに言及することはあっても、叱るときにママを引き合いに出すことはない。夜中に一人で泣いているところは何度も見たけれど。
パパも、咲子さんも、何度も話してくれた。
ママはあたしの妊娠をすごく喜んでいた、産み育てることをずっと楽しみにしていた、と。だから義花は胸を張って元気に生きるんだよ、と。
パパが立ち上がり、あたしの番。合掌して目を閉じる。
まずは祖父母へ、平和で豊かな今を生きられることへの感謝を。
そして、ママへ。
元気で大きくなったよ――毎年、そう伝えてきた。
けど今日は、どうしても迷ってしまう。
ねえママ、咲子さんに恋しちゃってるよあたし。
さすがにママも困るでしょ、こんなの。気まずいでしょ、天国で。
なんとか卒業するから、力貸してよママ。
あたしが立ち上がると、仁輔が歩み出る。仁輔にとっては他人ばかりだが、丁寧な所作で合掌。
最後に、咲子さんの番。
咲子さんは手を合わせてから、そっと墓石に触れる。
肩が震える、ハンカチで口元を押さえて咽ぶ。
中学で出会ってから十年近く、ママと咲子さんはずっと一緒に生きていた。ママが生きていたら今だって、変わらず最高の親友だった。その絆の深さは、きっとパパだって量りきれない。量りきれないことを知りながら、パパは黙って咲子さんの背中をさすっている。
仁輔に小声で言われる。
「ちょっと、話いいか」
咲子さんは数分は泣き止まないだろう。頷いて、パパに声をかけてから墓前を離れる。少し歩くと、街を一望できる場所があるのだ。
「どうしたの、このタイミングで」
仁輔に訊く。家に戻ってからだって、いくらでも時間なら合うのに。
「なんか……母さんが泣いてるの、見てられないんだよ」
是非はともかく、納得である。母親のむき出しの悲痛、息子にとっても苦しいだろう。
「で、話とは」
「ああ……色々考えたんだけどさ」
今日の仁輔は、まっすぐあたしを見ている。
「やっぱり俺は、普通の恋人とか夫婦らしくなくても、義花と一緒がいい」
「うん……その方向があり得ることは分かる、分かるけど。結論に行くの早くない?」
仁輔との付き合い方。こちらはやっと整理が始まったところだというのに、いきなりゴールに行かれても。
「早いのは分かる、俺だってきっちり整理がついてるわけじゃない」
「じゃあもう少し悩んでいいじゃん」
「悩むにしても、行くべき方向は決めたいんだよ。じゃないと本当に、どうしたらいいか分からなくてキツい」
仁輔の意図が分かってくる。今を整理して未来の目標がどちらかを比べるより、未来の目標に向けて今を整理していく方が、仁輔にはフィットするのだろう。そして仁輔の目標は変わらず、あたしと生きていくことなのだろう。
では、あたしの目標は?
夢を語ってもいいなら咲子さんへの恋を叶えたいけど、現実的には無理。
しかし、咲子さんとの縁が切れるのも耐えられない。この前にやらかしたとき、その怖さだって思い知った。
……やっぱり、仁輔と結婚して、咲子さんとは義理の親子になるのが最適解だろう。検討しなおしても、その答えに詰まっていく。
「あたしもね。行くべき方向はそっちだって、仁と一緒の人生だって、理屈では分かるんだよ」
「感情が納得しない?」
「そ、納得しない自分にも納得できてないけどね」
仁輔の体とあたしの心は、あんなにも致命的に合わない。
セックスがパートナーシップの全てじゃないとしても、無視できはしない。お互いの欲を封じながら長い時間を過ごすのは、きっとそんなに簡単じゃない。
「だって仁もさ、真っ当な恋愛したいでしょ? 心も体も好きになってくれる女と、いちゃついてエッチもしてさ」
「……そういうのができない関係だって、真っ当な恋だとは思うけど」
「それはそうだ、今のは失言。けど願望はあるって、自分で言ってたじゃん」
「願望はあるけどさ。そういう相性が合う綺麗な人だったとしても、義花の代わりじゃないんだよ」
ともすれば口説き文句になりそうなフレーズなのに、甘さは皆無である。このカラっとしたストレートさがあたしには合っている、その合い方だって明確だけれど。
「それとも義花、実は好きな女性が」
「いないよ」
咲子さんとのことがバレるのが怖くて、食い気味に返してしまった。仁輔も戸惑っているが、ひと呼吸おいてから話を続けた。
「……いま恋してる女性もいないし、これからできたとしても一緒に暮らそうとまで思うかは分かんない。ただ、仁と一緒の方が色々上手くいくってのは分かる。それでもさ、今からお互いの可能性を閉じちゃうの、怖くないかな」
仁輔はお墓の方、亡きママへの想いを分け合っている親たちへ視線を移す。
「……俺はだけどさ。母さんたちが一番安心できる可能性を固めておきたいって思う」
咲子さんが心配性なのはあたしもよく知っている、だから仁輔の気持ちは分かる。
分かる、けど。
「仁はさ、もうちょっと世界を広く見てもいいんじゃない? あたしらまだ高2よ?」
そんなに急いで人生の色々を決める必要もない、と思ったのだが。
「世界は広いんだろうけど、昔思ってたよりはずっと夢のない場所だって、俺は思ってる……だから狭くてもいいから、近くの人とちゃんと一緒にいたい」
やっと、仁輔と感覚がすり合わされてきた。決断を先延ばしにしているうちに悪いことが起こるのを恐れているのだ。
あたしたちは生まれた頃に世界不況が起こり、物心つく頃に震災があり、中学になる頃にコロナがあり海外で戦争があり……などなど、ニュースを見れば暗いことばかりな時代を生きていた。かといってあたしたちの日常までずっと暗かったわけではないし、大人たちに心配されるよりはよほど楽しく生きてきた気でいるのだが。
日常とは突然に変わってしまうものである、それを肌で知っているのは確かだ。ならすぐそばにいる大切な人との絆を確かなものにしたい、そう仁輔が考えるのは分かる。
判断の先延ばしは、お互いのためにならない。
「……じゃあ仁、こうしよう」
「おう」
「別に好きな人ができたらそっちに乗り換えてよし。しかしそうでない限りは、将来結婚することを前提としておく。付き合い方については従来の……仁が告白してくる前の間合いを目指す。
恋人になるのかどうかみたいな話は観念的すぎて埒あかないから、具体的に。これでどう?」
仁輔はあたしの言葉を反芻してから、ふっと笑いを零す。
「なによ」
「恋人か否かって前提から崩してくるの、義花らしいなと思ったんだよ」
「そりゃ、そこにこだわっても意味ないからなあ」
前に趣味垢の相互さんに「ギバンナちゃんみたいに理詰めで考えられる人ばっかでもないんだよ」と言われたことはあるし、友達に「相談ってまずは気持ちを汲んでほしいんだよ」と突っ込まれたこともある。けどあたしはずっとこんな思考だから、そこについてきてくれる仁輔がパートナーとして適しているのだ。
「義花の案、俺もそれでいいと……それしかないだろうって思う。そうしようぜ、仲直りしたって親にも言うし」
「無理してない?」
「我慢はしてるけど無理じゃない」
「……そっか、ありがとう」
じゃあ、あたしも我慢しないとな。咲子さんに恋する感情。
咲子さんは思いっきり泣いてスッキリしたようだし、あたしと仁輔も踏ん切りがついた。帰りの車中では、生前のママとの楽しい話をたくさん聞かせてもらった。あたしたちが仲直りしたことを話したら、凄く安心してくれたようだった。
あたしたちはこれでいい、これしかない……と考えながら。
やっぱり何か、大事なこと見落としてないだろうか、そんな違和感がずっと拭えなかった。出先のトイレに石鹸がなくて水だけで手を洗って済ませたときみたいな気持ち悪さが、どうにも胸から離れてくれない。
そんな折。あたしと仁輔が揉めていることなど何も知らない結華梨からお誘いがあった。曰く、あたしたちと一緒に観たい映画があるという。これはリハビリにちょうど良さそうだ。
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