2-6 Time To Face Myself

 仁輔じんすけもあたしも外出の用がなく、親は揃って仕事……という日だった。


「ん、いいじゃん」

 今日の昼食当番は仁輔、メインはトマトソースパスタ。味が濃すぎるとか炒め具合がイマイチといった彼の課題が見事にクリアされている。

「なら良かった、これ覚えとく」

 と言いつつ、仁輔はタバスコとパルメザンチーズを投入している。自分の味の好みはそのまま、あたしに合わせようとしてくれているらしい……あたしらはずっとこんな感じなのだろうか、それともこれから似てくるのだろうか。まあ、どっちでも大丈夫だろう。


「仁は宿題の進捗どうよ?」

「予定よりは順調だけど」

「じゃあご飯終わったら何か遊ぼうぜ、今日はそっちの気分」

「いいけど……出かけるのは無えよな、この雨だし」

「そうさな……そうだ、アオキミ観ようよ」

「えらく懐かしいの出てきたな」


『アオハルは君の色』という、数年前の恋愛映画である。内容から雰囲気までその手の邦画にありがちな、あたしの好みからは外れた作品なのだが。


「久しぶりに双流ソウルを観たからさ、雅斗まさとくんとりんちゃんの演技また観たいなって」

『ペルソナイト双流ソウル』の主演コンビのブレイク作なのだ。あの二人の掛け合いがまた観たい、そう喜んでダブル親子で映画館に見にいった……のだが、ぶっちゃけあまり楽しくなかった。

「けど義花よしか、あれ苦手だったじゃん」

「彼氏できた今なら新しい発見もあるかなって……あの頃のあたしは恋愛が他人事すぎてつまらなかった説あるじゃん」


 観たのは小学四年生あたりだったか。咲子さきこさんはえらく気に入っており、「仁も義花も大きくなれば分かるよ」と言っていたのだ。答え合わせには良いタイミングだろう……そういえば結華梨ゆかりは好きだったはずだ、今度話してみよう。


「……だな、どこで配信してるかね」

「邦画だしユニストじゃね……うん、あったあった」

 ということで、おうち鑑賞会である。



『アオキミ』はスタンダードな青春恋愛物である、原作は少女漫画だったか。

 地味で平凡(という設定の美少女)な女子高生であるヒロインのクラスに、転校生の男子がやってくる。彼は、中学の頃はバスケの俊英として有名だったものの、怪我により競技を退いていた。そして、転校前の学校では暴力騒ぎを起こしたという噂も流れていた。


 密かに彼に憧れていた主人公は、人と距離を置きたがる彼に近づこうとする。あれこれと世話を焼くうちに惹かれあったり、前の学校で彼はハメられたと分かったり、彼の名誉挽回のために頑張ったり……そして最後にはカップル成立とバスケ復帰、である。


「改めて観るとさ、構成がぎごちないだけで、エンタメ映画としての要素の入れ方は良いんだよね」

 ソファに並んで仁輔の肩に寄りかかりながら、数年越しの発見を呟く。

「中心は恋愛なんだけど、ハヤトくんの過去はサスペンス要素にもなってるし、短いけど試合とかトレーニングでアクション要素もあるし……」

「義花よ」

「ん?」

「俺の耳はそんなに器用じゃない」

「ごめんて」


 台詞をほとんど覚えていたせいで、つい話しすぎてしまった。仁輔にゆっくり観させてやろう。


 要素を詰め込んだ割にどの観点でも浅く、会話も冗長な割に肝心なところでコミュニケーション不足……と、やはりあたしの好みには合わないのだが。

 観たいものを観せる、という意味ではやはり成功しているのだろう。キャストの喜怒哀楽の演技をしっかり引き出す、それらが映えるよう音楽も構図も工夫する。

 後はやはり、女性陣がバキバキに可愛い。やはり可愛さには技術も関わる、結華梨から感じていた知見がまた深まる。ただやっぱり、あたしにとっての凜ちゃんは双流の頭脳派担当であるヒカルの印象が強すぎて、こう……ちょっと天然すぎるヒロインは、なんか違うのだ。


「なんで日本の映像作家はやたらとキャラを走らせたがるんだろうねえ」

「キャストが映えるし……青春には走りたくなるときってあるんだよ、義花以外には」


 仁輔とのツボの合わなさは変わらず、物語は進んでいく。

 クライマックス、彼のバスケ復帰試合をヒロインが応援する……という段になって。隣の仁輔がなんか変だなと思ったら。


「待って仁なんで泣いてんの」

「……いや、その、感情移入?」

「うっそだろお前……」


 燃えるとか萌えるなら分かるが、泣くシーンか……? いや、伏線回収が上手すぎて泣くあたしが言えたことじゃないが。


「柔道やってるとき、義花の応援が嬉しいって話したじゃん」

「したね」

「その義花が、映画の彼女に被って……こう、グッと来たというか」

「ええ……あたしはあんな健気なヒロイン顔してないぞ多分」

「そういうことじゃなくてさ」


 結華梨も仁輔と似たことを言っていた記憶がある、もしかしたら仁輔の方がよっぽど乙女心を解しているのでは……?


 ともかく、試合では彼が大活躍し、ヒロインも幸せそうに見守る。

 その後、夕焼けをバックに睦み合うカップルを映し、キスの後の照れ顔と共に主題歌である。予定調和だが美しい流れ、しかし予定調和すぎるんだよなあ……


 しかし仁輔はいたく感銘を受けたらしい。

「こんないい映画だったんだな……」

「仁に刺さっててビックリだよあたしは」

「恋愛経験すると映画の見方って変わるんだなマジで」

「って言ってたって咲子さんに言っていい?」

「マジで止めてくれ、後生だ」


 心底震えたかのように顔を引きつらせる仁輔が可笑しくて、無性にいじらしくて。

 こいつに何かしてやりたいな、と思って。


 あたしは仁輔の頬に、唇をくっつけてみた。

 この感触は――やっぱり、なんか、違うな。


「――っ!?」

「へへっ」


 ちょっとしたイタズラ、のつもりだったけど。

 仁輔にとって、その意味はとても大きかったらしい。


 戸惑うくらい強く、抱きしめられる。

 言葉を見失った二人の脇で、懐かしのラブソングが響いている。


「……仁、とりあえずテレビ消そ」

「ああ、ごめん」


 身体を離して、テレビを消して、また向き合う。


「どした、仁」

「急にキスとかされたから……好きだって、我慢できなくて」

「純情」

「うるせえ」


 仁輔は突っ込む声にも覇気がない。あたしの肩を抱いたまま、視線が迷子で、唾を呑み込む喉仏が忙しない。


 ……つまりは、そういう気分、なんだろうな。

 あたしはもう少し先だと思っていたが、想定はできていた。


 同時に。仁輔は自分から言い出せない男だろう、とも分かる。仁輔がというより、あたしに対しては。


「いいよ仁、最後まで行っても。今日は身体も大丈夫だし」

「……ほんとに?」

「うん、ゴムは?」

「部屋にある」

「おけ、けどシャワー浴びとこっか」

「だな、先いいよ」


 津嶋家の浴室。こっちで入浴するときは、咲子さんとのお泊まりのときくらいだ。仁輔とセックスするために身体を洗うなんて、少し前までは考えたことなかった。


 しかし彼女とはいえ、好かれているとはいえ。この身体で、仁輔は満足してくれるのだろうか。

 二次元美少女……は非実在だからともかく。実在の女性アイドルの身体を見ても「違う生き物だなあ」となるくらいには、プロポーションには自信がない。バストは人並み以下だし、ウエストまわりも寸胴、手足もそこまで細くない。

 結華梨を愛でたくなるのも、自分にない魅力に触れたいからだ。手間とプライドを天秤にかけて後者を捨てた、けど憧れがないわけでもない。


 幻滅されないといいな、なんて願いながら浴室を出て、仁輔に譲る。


 仁輔の部屋。カーテンを閉め切って、照明も落として、彼のベッドに寝転んで待つ。

 ここであたしのこと妄想してたのかな……とか考え出すと脳がバグりそうだったので中止。

 最も警戒すべきは避妊の失敗である、スマホで手順を復習する。

 

 ……ってか前戯とか色々あるの忘れてた、この辺って仁輔に任せていいのか?

 もしかして普通の女子、結構イメトレしてから臨んでる? あたしが女子の中では外れ値であることはとっくに知っていたけど、ここまで性の諸々を考えてこなかったのは流石におかしいんじゃないのか?


 なんて頭がグルグルしたので終了。


 精神を平常に戻すには素数を数える、定番だが安定である。二桁までは覚えてしまっているので、500から始めてみよう。

 ……なんてハードルを上げて計算に手間取っているうちに、仁輔が浴室から出てきた。


「入るぞ」

「うい」


 ちゃんとアイコンタクトした方がいいんだろうと思いつつ、どうにも目を合わせられない。

「こっち来なよ、仁」

「ああ」


 ベッドの上、あたしの隣に仁輔が寝そべる。構図としては小さかった頃と同じなのに、ニュアンスが全く違う。

「緊張してんね仁」

「義花もだろ」

「実はね……なんか詠唱しとくか」

「なんでだよ」

「おんあぼきゃべいろしゃのう」

「バチ当たるぞやめとけ」


 急に真言を唱えだすあたしにそう突っ込むの、やっぱり仁輔は分かってるよなあと笑ってしまう。オッケー、いつもの感じが戻ってきた。


 とりあえず服を脱いだ方がいいか……脱ぐのか、脱がせるのか。あたしから行くか、うん行ってみよう。

 仁輔のTシャツの下に右手を滑らせ、脇腹を撫でる……やっぱり相当に鍛えてるんだよなこいつ。努力の成果に触れている気分だ。


 応えるように、仁輔の手があたしの脇腹を撫でる。慣れない刺激に肌が粟立つ……これが気持ちいいってこと、なのか? 違和感は止まらないが、仁輔の触れ方は十分に優しい。つまり、あたしがストップをかける理由はない……理由はないぞ……


「……脱がす、ぞ?」

「いいよ」


 身体を起こしてバンザイ、仁輔があたしのキャミソールを脱がす。勢いで短パンも脱ぐ。ブラとショーツだけになったあたしの隣、仁輔も半裸になる。


 ゆっくりと抱きしめられる、少しずつ力が強まる。仁輔の肌、体温、鼓動、それらがあたしの肌に伝わる。

 いつの間にか、仁輔は全然違う存在になっていた。思春期を経て男と女に分かれていったあたしたちの違いが、文字通りの肌感覚で分かる。


「義花、」

「うん」

「大好き、だよ」


 耳元で囁かれる愛、その裏にある十数年ぶんの記憶。

 裏切りたくなかった、応えたかった。


 しばらく無言のまま、互いの心音を確かめるかのように抱きしめあって。やがて仁輔の指がブラのホックに掛かる。彼の胸元でこくりと頷く……普段はスポーツブラなのだが付き合い始めてからは避けていた、こんなに早く回収されるフラグだとも思っていなかったが。


「……なに手間取ってんの」

「いや、マジで脱がせていいのか迷って」

「あたしの裸なら昔も見てたじゃん」

「あれをカウントするなよ頼むから」


 保育園の間は一緒に風呂に入ったこともあったのだ、咲子さんと三人で。

 ……水鉄砲で仁輔の股間を狙って怒られたことあったな、何してんだよ年中のあたし。そしてなんで思い出すんだよ今のあたしも。


「変な笑い方するなよ義花……」

「ごめんごめん、さあ来いって」


 意を決して仁輔がブラを脱がせ、あたしの上半身が裸になる。さすがに反射的に腕で隠してしまったが、深呼吸してから仁輔に見せる。


「はい。貧相で恐縮だけど」

「……綺麗、だぞ?」

「……そりゃ、どうも?」


 自分からゴーサインを出しておいてなんだが、物凄く落ち着かない。

 いくら考えても仁輔に非はないのに、この状況に対する違和感が止まらない……これはもう、強引にでも自分を慣らしていくしかないだろう。


 俯くと、仁輔の下半身に視線が行く。短パン越しにも分かるくらい固くなっているそれをを見て……え?


 これが、入ってくるのか? あたしの中に?

 知識としては小学校の頃に知っていたのに、目の前にすると途端に混乱してきた。


 あたしはこいつと、そうしたいのか? スキンシップの先、ガチの性行為を?


 その混乱が言葉にならないうちに、仁輔にグッと抱き寄せられ、下半身が触れ合って。

 あたしたちがこれからやろうとする、その行為のイメージが鮮烈に浮かんで。


「――ぎゃっ」


 気づいたらあたしは仁輔を押しのけ、ベッドから転げ落ちていた。


「――義花、」

「待って」

 助け起こそうとする仁輔を制止して、この声じゃ煽ってるみたいだと思い直す。

「ガチで待てガチで!」


 通じた。仁輔はしばらく止まった後、服を着直した――という気配がした。


「……着ろって義花も」

「ああ、うん」


 背を向けたまま服を身につけ、元の格好に戻る。仁輔と背を向け合ったまま、雨音がいやに大きく響く。


「ごめん、仁」

「じゃなくて……義花、本当に俺とヤりたい?」

「……その、ね」


 ちゃんと想像する。仁輔の男性器に触れること、それがあたしの中に入ってくること。それをあたしが、どう感じるかということ。


 もっと考える。そもそもあたしにとって、男性との性行為とは。

 ――ああ、失敗した、本当にダメなことをした。

 本気で考えれば分かったはずなのに、考えようとしてこなかった。考えて分かってしまうのが怖くて、どこかで避けていた。


「……ねえ、仁」

「ああ」

「多分、あたしはね、」


 明確に言葉にしたら、もう戻れない気がした。

 それが仁輔を傷つけるのも間違いなかった。

 けど、ここで誤魔化すのは、もっと彼に悪い。


「仁と、そもそも男と。セックス、したくないっぽい」

「……そっか、分かった」


 長い溜息をついてから、仁輔は続ける。


「義花、今夜は母さんと津嶋家こっちにいろよ。俺が九郷家あっちに行くってやすさんにも言っとくから」

「え、でも」

「俺と一緒は嫌だろ、しばらく」

「待って、仁が嫌いって訳じゃないの」


「そういう問題じゃねえよ」


 仁輔の声には、どうしようもない苛立ちと、涙が滲んでいた。


「俺が耐えられないんだよ。今の義花といるの、苦しいんだよ」


 遅れて実感が追いついてくる。

 あたしは仁輔を裏切った。あたし自身のことをちゃんと分かっていないせいで、ひどく傷つけた。


 あたしが言葉を探しているうちに、仁輔は手早く外出の支度をしていた。

「どこ行くの」

「その辺。ゲーセンでも図書館でもいいし、雨凌げりゃどこでも」


 それが気遣いだということは分かった。けど、ここで仲直りしないと、ずっとすれ違う気がした。


「仁、帰ったら……明日、ちゃんと話させて。あたしも考えまとめとくから」

「悪い、今は仲直りの保証できない」


 足早に仁輔は玄関を出て行った。向こうから、鍵のかかる音がした。


「……聞いてよ、仁」


 悪いのは、あたしだ。


 恋人の誘いに乗ったのも、セックスを持ちかけたのも、それをひっくり返したのも、あたしだ。女子としてというか人として、あまりにも間違っている。


 なのに、どうして。あたしが傷ついたみたいに、こんなに泣いているんだ。

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