1-4 Light the Fire Up in My Heart!

義花よしか!」

「ああミユカ、お疲れ」

 あたしたちが高校の体育館に戻ると、ダンス部の練習を終えた結華梨ゆかりがやってきた。箕輪みのわ結華梨、中学以来の友人である。出会ったときのクラスにユカリちゃんが二人いたので、区別するために名字の頭をくっつけてミユカちゃんになった。


津嶋つしまくんのリベンジ、これからだよね?」

「うん、これから例のライバルと。ここまでは勝ってる」

「良かった、楽しみ!」


 結華梨は仁輔じんすけのファンを自称している。彼の柔道のファン、というだけでなく。

「……けどみんな迫力すごいなあ、アガッってくるよ」

 彼女はアスリート好き、もっと言うと間口の広い肉体美フェチである。筋骨隆々は勿論、走りやジャンプに特化した細身のも好み、男女も問わない。方向性は逆に思えるが、モデルやアイドルのような体型にも憧れている。格闘家の腹筋とグラドルのくびれを並べて「どっちも最高」と熱弁する女子である。なおあたしはいずれも持ち合わせていないが、それはそれで愛着を持ってくれたらしい。


「おっ、久しぶりミユカちゃん」

津嶋つしまさんこんにちは!」

 咲子さんにも声をかけられ、結華梨も挨拶を返す。「津嶋くん頑張っていますね」などど清楚そうに答えているが、あたしと二人きりのときはもっとフリーダムである。投げるときのこの構図がエモいとか、道着がはだけるとどう燃えるとか、本人には聞かせられないネタをハイテンションに。

 あんまり熱く語るから「もしかして仁と付き合ってみたい?」と聞いたこともあったが、そういう感情はないらしい。身近だろうと、推しと恋を明確に分けているようだった。


「ミユカちゃんも柔道は詳しいんだっけ?」

「いえ、スポーツ全般のミーハーって感じです……けど最近は柔道アツくて!」

 とはいえ、その母親を前に「息子さんの筋肉に燃えるんです」などとは言いにくいだろう、結華梨は女子柔道の推し選手について語っていた。


 その結華梨も綺麗な体つきである。アイドル然とした細い線、柔らかそうな雰囲気と、ダンスで鍛えた体幹とスタミナ。そもそもシンプルに顔も仕草も可愛い、定期的に抱きしめたくなる。今もポニテをいじると「めっ」とおでこを小突かれた、可愛い。



 午前から行われていたリーグ戦は終わり、雪坂高校は4校中の3位だった。正直、雪坂に仁輔以外にあまり強い人がいるイメージはない。

 ここからは各校の上位者による模範試合だ。そこで仁輔と対戦するのが、リーグ戦トップだった嵐岳らんがく農業高校の千波ちば凌太りょうたくん。仁輔とは年も階級も同じ、積年のライバルだ。詳しく数えてはいないが、トータルでの勝敗は五分五分だろう。


 先日のインハイ県予選にて、仁輔は千波に敗北、惜しくも次への切符を逃した。部にとっても期待のかかる試合だったため、彼の悔しさも相当だった。練習試合でも負ければ悔しい、部活を背負っていれば尚更である。

 それから自分の弱点を克服するべく練習を重ね、今日に至る。公式戦でも何でもないが、仁輔にとっては大事な一番だ。


 彼の出番がやってくる。

「「頑張れ仁!!」」


 咲子さんと声を揃え、さらにあたしからもう一声。

「信じて行け!!」


 やや強ばっていた仁輔の横顔が、平常に戻る。

 隣の結華梨は、祈るように手を合わせて視線を注いでいた。


 試合が始まる。仁輔と千波は円を描くように間合いを測りつつ、つかみ合いの応酬が続く。互いの癖を知っているからか、自分に有利な組み方に持ち込もうと真剣だ。

 組み手が定まったと思ったら、一転して硬直した戦いになる。二人とも腰を引き、崩し合いながら相手の隙を探り合う。


 仁輔が仕掛けた。踏み込みつつ千波の襟を釣り上げる、投げようとしたのだろう。しかし踏み込んだ仁輔の足を千波が刈ったのか、二人して倒れ込む。寝技の掛け合いになるかと思ったが、千波が立ち上がって審判の「待て」が掛かった。


 二人が道着の乱れを直す間、結華梨に訊く。

「仁がカウンター食らった感じかな?」

「どうだろ……千波くんの反撃に、さらに津嶋くんが返したように見えた」

 あたしはそれなりに柔道の試合を見ているが、展開のスピードに目は追いつかないままだ。速い動きに慣れている結華梨の目の方が当てになるだろう。


 試合再開。

 激しい組み合いを経て、仁輔が千波の足を払う。しかし決まらず、千波と共に仁輔の姿勢も崩れる。再び仕切り直し……ではあるのだが。


 仁輔の表情を見て、あたしの中で嫌な予感が湧き上がる。あの焦った顔のとき、仁輔は大体うまくいかない。冷静な判断ができず相手に狩られるパターンだ。そう悟った瞬間、大きく息を吸い込む。


「仁、焦んな!!」


 ――喉が痛い。大声を出し慣れていないから、すぐに声帯に悪い発声になってしまう。

 とはいえ、仁輔にも届いたのが横顔で分かった。


 三たび組み合う。千波が仁輔を引きつけ、二人の足が畳を激しく打ち鳴らす。その一瞬の隙、仁輔の左足が千波の右足を刈る――これはあたしも見覚えがある、小外刈だろう。

 千波が倒れ込み、すかさず仁輔は抑え込みに掛かる。審判から抑え込みの宣言。


「仁、いけるよ!!」

 咲子さんも声を張り上げる、しかしすぐに千波は仁輔の拘束をこじ開け、体を回転させた。二人の上下が入れ替わる。


 仁輔は固められつつ、千波の圧から逃れる術を探る。ここまで来るとどんな応酬になっているかあたしには分からない、応援しかできない。


「やれっぞ仁、負けんな!!」

 痛い喉で構わず叫ぶ。この勝負に仁輔がどれだけこだわっているか知っているから、彼自身の敗北をどれだけ責めるか知っているから。あいつは、負ける自分自身が大嫌いで――その頑固さが、あたしには眩しい。


 そして、仁輔の逆転が始まる。

 仁輔は下半身の自由をもぎ取ってから、両足で千波の首と肩を固めにロックにかかる。千波も逃れようとするが、仁輔の三角絞めが完成する方が早かった。

 さっきの相手は腕を極められたら降参していたが、千波は歪んだ表情のまま粘る。この瞬間、仁輔の胸も痛んでいると知っている――痛いなら早く降参してくれと願いながら、諦めたくない意地も理解している。


「そこまで!」

 審判より、一本勝ちの宣告。


「やった!」

 咲子さんは歓声を上げてあたしに抱きついてくる――やっぱりこれだ。仁輔が勝って咲子さんが喜ぶ、この瞬間が好きだ。あたし一人じゃ掴めない喜びの味だ。


 ただ、畳の上の仁輔の表情はやや曇っていた。千波のダメージが心配なのだろう。

 礼をして畳から捌けてから、千波が仁輔にゼスチャーを送っているのが見えた。多分、言葉にするなら「こっちは大丈夫だ、やるじゃん」という感じの仕草。


 そこでやっと仁輔の表情が晴れる。千波への敬意と達成感を、やっと噛みしめられる――あいつは優しいんだよな、やっぱり。

 昔の仁輔は、敵だと思った奴には容赦しなかったけど。

 将来、敵と戦うかもしれない仕事を選ぼうとしているけど。


 柔道に関しては、仁輔の中に敵はいないはずだ。どこまでいっても、尊敬するライバル。そんな世界観であろうことが、あたしも嬉しい。



 他の試合が終わり、部員たちが客席へ挨拶に来る。


「おめでとう~~良かったよ!!」

 咲子さんが満面の笑みで仁輔を迎えた。母のテンションに圧されてか、仁輔の重心がやや背中に傾く。

「ありがとう……母さんたちのおかげだから」

 こういうこと言えるのも仁輔の良いところだと思う。お世辞は苦手だが、言うべきときに逃げない。

「千波くんに一本勝ちするなんて久しぶりじゃない」

「うん、この後の反省会も盛り上がりそう」


 敵味方関係なく試合について検討する、それも交流戦の大事な意義だという。


「仁くんお疲れ様、今日も格好良かったよ!」

 結華梨もストレートに褒める。声も台詞も表情もめちゃくちゃ可愛い、こんなの向けられたら大体の男子は堕ちるんじゃないだろうか。実際、仁輔はとっくに結華梨に惚れていてもおかしくないとあたしは思うのだが。


「ああ、箕輪さんもありがとう……部活終わり?」

「うん、昼まで踊ってた!」

「そっか、そっちもお疲れ」


 仁輔は結華梨から目をそらし気味だ。彼はあたし以外の女子と接するのにあまり慣れていないし、結華梨の存在感は眩しすぎるのだろう。さっさと解放してやるのが良さそうだ。


「ミユカは今日も可愛いよ~!」

「唐突な百合営業で草なの~」

 ミユカとじゃれつつ、仁輔に「おめでと」とだけ声をかける。

「おう……途中ありがとな」

「途中?」

「焦るなって、言ったのお前だろ」

「ああ、聞こえてたんだ」

「ちょうどヒートアップしてたから助かった……じゃあ俺、戻るから」


 仁輔は部員の集まりに戻っていく、その背中は久しぶりに軽そうだった。彼なりの解放感だろう。

「私も先生に挨拶してくるね」

 咲子さんも仁輔を追っていった。


「義花、暑い」

「はいはい」

 あたしから解放された結華梨は、仁輔の背中を見つめる。彼女の仁輔への視線は、間近だとクラっとするくらい眩しい。

「やっぱり格好いいなあ津嶋くんは、すぐ会える推しって最高」

「推しかはともかく、尊敬はしてるよあたしも。すごい努力家だし」

「でしょ……ウチも残ろっかな」

「自主練?」

「うん。津嶋くん見てたらやる気出てきた」


 たまに限界ファンのようではあるが。結華梨が仁輔に抱いているのは、異分野で努力する人へのリスペクトでもある。そして多分、仁輔にとっての結華梨も。


「分かった、じゃあまた学校でね」

「うん!」


 結華梨が立ち去り、咲子さんが戻ってくる。

「先生も仁のこと褒めてて良かった~!」

「岳志さんにもいい報告できるね」

「うんうん、今日の夕飯なににしてあげよっか」


 楽しげに献立に悩む咲子さんと並んで歩きながら。


 いずれあたしもこうやって、誰かのために頑張る仁輔を支える、それも悪くない気がした。悪くはないんだけど、どこか気分に馴染まない気もした。


 ……そろそろ、仁輔とちゃんと話した方がいいかもしれない。これから夏休みだし、ゆっくり時間も取れるだろう。


 なんて気長に考えていた翌日のこと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る