第9話 決めた道

ベルマさんに会ったのはいつの日のことだったかなんて覚えていない。

それくらい前から私は育児院で暮らしていた。

私が初めて立ったとき、初めて言葉を口にしたとき、初めて編み物をしたとき、ベルマさんはいつも傍にいた。私の初めてにはいつもベルマさんがいた。

私が転べば立たせてくれるし、泣けば背中を撫でてくれる。そんな優しい人だ。なんで転んだのかも泣いていたのかも覚えてはいないが、その優しさから感じられる暖かさだけははっきりと覚えていた。

いつでもそんな雰囲気を纏った人だから必死に声を張り上げているところなんて初めて見た。


「なにかの間違えではありませんか?その……。ディアナがソフリム様の遣いだというのは……。」

「いいえ、間違えではありません。その理由に、ここにはディアナさんがいました。先日、私の夢の中のソフリム様より託宣を賜ったのです。ここに住む赤い髪の少女に力を授けたと、彼女を勇者として迎え魔王を討ちなさいと。そうでなければ私は彼女のことを知ることもないでしょう?」


あれからベルマはディアナを連れ去ろうとした男と応接室で話はじめた。

議題はディアナの今後を左右するものであるが、ベルマに追い出され今は応接室前の廊下で聞き耳を立てることになっていた。

ベルマはこの男の突然の訪問と尊大な態度に苛立ちを覚えたようであるが、話はじめて三十分たった今は一切変わることのない考えと口調に諦めを覚え始めていた。


「しかし、ここまで長い時間お話をしましたが、私には貴方が何に対して怒っているのかを理解できません。」

「……。」

「そうでしょう?私はディアナさんを子にもらいたいと思いお話をしています。貴方が何を思おうと一番重要なのはディアナさんの意志ではありませんか?だからこのお話はいつまでたっても進まないのでしょう。なにせこの話の中心である人物がこの場にいないのですから」


これに関してはベルマの考え方も同じであった。今までに何人もの子を送り出した孤児院であるが送り出す際に子供は必ず里親と会話をする。

会話をする理由というのは単純に相性の問題である。子供といってもそれぞれに考えがあるとベルマは思っている。

特にここに暮らす子達には本来存在するはずである親がいない。自分の未来の筋を作ってくれるはずの人がいないのだ。

農家であれば農家の子供、騎士であれば騎士の子供、子がどう思うなど関係ならず親が持っている知識や生き方というものを見ることができる。

子供が大人になるためには土台となるものが必要で、それは親から学ぶことができる。

それを学ぶことができない子供というのは土台を自分で作るしかない。

見たこともないものを作るのだ、当然に歪んでしまうしズレてしまうだろう。

そして、それが彼らの今の状態だ。歪な土台に時間を重ねてしまっている。

だからこそ相性というものが必要になってくるのだ

自身が受け入れることのできる相手からならばそれに対する自信のズレも認められるだろう。土台を作り直し新しい生活を始められることだろう。

それが、ベルマがたどり着いた考え方だ。

だから彼は黙った。いや、言葉にできなかった。

今の自分は私情と先入観でディアナを追い出してしまっている。


「どうしますか、やはりディアナさんも同席したほうがよろしいのではないですか?」

「それは……。違います。」

「はい?」

「失礼な物言いですが、私は貴方をディアナの親にはしたくありません。貴方はディアナを道具だと思っている節があります。」

「それは……。どういう意味ですか?」


二人の間に今まではなかった緊張感が構築される。

言葉を選ばなければ間違いなく良い結末にはなりえない。

ベルマは大きく息を吸い気持ちを落ち着かせる。


「ソフリム様からの託宣で来たとあなたは言いました。そこにあなたの気持ちは存在しない、無関心と同じことです。責任もなにもあったものではない。」

「責任とはどういう意味ですか?私は彼女に対して見捨てたり、辛く当たろうなど微塵も考えていません。それどころか、ここよりも良い生活を彼女にさせることを約束します。何一つとして不自由などさせません。ソフリム様に誓います。」


違う、


だから、


そんなことだからこの人は苦手なんだ。

言葉や思想が通じない相手にベルマは内心で歯を噛みしめた。

相手はまるで話にならないといった風に興味なさげに部屋を眺めながらこちらの言葉を待っている。

なんとか言葉を探そうとするが見つけることができない。

当然だ。はじめから、この話には何の意味もない。ただ、それらしい言葉を並べているだけ

言うならばベルマのわがままであった。

それが余計に悔しく思える。

守りたかった。彼女のことを、そのためにこの場所をつくった。

守りたかった。いつかの約束をそのために捨ててきた。

しかし、最後には何も残りそうにない。悔しさから目頭が熱くなる。

俯きがちになり両手を今までにないくらいに強く握りしめる。

自分にできることはもうなかった。

「すみません、私にもお話を聞かせてくれませんか?」

後ろから聞き慣れた声が聞こえた。


―― ――


話し合いが終わると男は帰っていった。

結果から言ってしまうとディアナは男の養子となることになった。


「いい区切りだったのかもしれません。」


馬車が村から出ていくのを見送りながらディアナはそんなことを言った。


「私をもらってくれる人なんてあの人ぐらいだと思いますし、この機会を逃す手はないと思います。よかったです。廊下で話を聞いていましたがベルマさんの知り合いなら安心できると思います。」


ポジティブな表現を並べるディアナだが脚は震え、心臓はうるさい。想像もできない、これからの生活に恐怖していた。

 ベルマに心配をかけないように、自分の震えを止めるために


「それに、私、今すごくドキドキしています。なぜなのかは、わからないんですけど、あの人はこの場所しか知らなかった私にいろんなものを見せてくれると気がするんです。ここから出ていくとき、みんなもこんな気持ちだったんだろうなって……。」


言葉巧みに自分の気持ちを塗り替える。

だが、ベルマは「少し一人にしてほしい」と言い残し、何も言わずにベルマは自室に戻っていってしまった。

立ち去る後ろ姿はディアナにはとても寂しそうに見えた。

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