3話 来襲、不思議ちゃん

振り向くと多喜たきさんが立っていた。


いつものように長いくせ毛をふわふと漂わせ、いつものように髪の毛の延長のようなひらひらワンピースを纏い、右手にはいつものようにミニカーを握っている。


「あ、こんにちはです。多喜さん。もう昼ですよ」

「お昼だねー」

 緩やかな笑顔を浮かべながらゆらゆらと頭を左右に揺らす多喜さんは、風にそよぐタンポポのように見えた。この先輩とも出会ってもう一年になる。


「今日もミニカー持ってるんですね」

「持ってるよー。車好きだからねー、わたし」

 なるほど、車が好きなのか。

「何の車のミニカーなんですか、それ」

「はははは」

「多喜さん?」

海堂かいどうくんはいきなり変なこと聞くねー」

 絶対会話の流れに沿った質問だと思うけどな。

「で、なんのミニカーなんですか?」

「さー、よく知らないー」

 なるほど、車が好きなのか。

「でも、多分ポルシェですよね。エンブレム的に」

「エンブレムって何?」

「マークっていうか、目印っていうか。ついてるでしょ、ここ。ボンネットのところ」

「ボンボンボン! ネット!」

 多喜さん、指差してるんだから右手のミニカー動かさないで。

「ボンネットって何?」

 なるほど、車が好きなのか。

「ボンネットはここですよ。車の前の方のエンジンが入ってる部分で――」

「ねえねえ、海堂くんは今日もマフィン買ったの?」

 多喜さん、説明してるんだから右手のミニカーポケットにしまわないで。


「買った? 海堂くん」

「ええっとー、はい。買いました、南の売店で。クリームチーズです」

「いやん、クリームチーズ。当たりだねー」

 多喜さんが甘えるような声を上げる。

「多喜さんも買いました?」

「買ったよー。西で。またダブルチョコレートだった」

「おおー、多喜さんこそ大当たりじゃないですか。これで何回連続でしたっけ」

「んー…………一カ月くらい?」

「すごっ!」

 我関せずとばかりに下を向いていた森田先輩が、堪え切れないといったふうに声を漏らした。


「当たり過ぎでしょ。なんでいっつもダブルチョコレートばっかり当たるんですか?」

「もう食べて飽きて歯が茶色くなりそうだよー。海堂くん、お願いがあるんだけど」

「交換ですね、いいですよ」

 みなまで言うなとばかりに僕は手つかずのクリームチーズを差し出した。

「やったー。ありがとー。おーはよー」 

「痛い痛い。ミニカーぶつけんのやめてくださいよ」

「んー。じゃあ、こっちにする?」

 そう言って多喜さんは左手を持ち上げた。


 ……ああ、そっちはもっといいです。


あえてずっと見ないようにしていたんだ、多喜さんの左手は。

なんかもう、ワサワサしてるから。

多喜さんの左手でワサワサしているのは瑞々しく葉っぱの茂った………枝? 

小枝だよな、これ?


「どうしたんですか、その枝。もぎ取ってきたんですか?」

「そんな可哀想なことしないよー。落ちてたの、道に。今日風強いでしょ、折れたんだと思う。だから拾ってきた」

だからの意味がちょっとわかんないんですけど。


「見て見て、これはいい枝だよ」

「ちょっと、近い近い」

「この枝は使えるよ、見ててね」

 多喜さんは僕の眼前でワサつかせていた小枝を翻し、神社の巫女のように厳粛な顔で天に掲げると、

「やあ!」 

 突然駆け出した。

落ち着かない人だな、まったく。多喜さんはポルシェも真っ青な快速で中庭を突っ切ると―――あ、坂本いるじゃん。


「坂本ちゃん、おーはよー」

「きゃあ、びっくりしたあ。もう、多喜先輩止めて――って、枝? え、なんで枝?」

 同じ演劇部の後輩の太腿を小枝で後ろから強襲した。

 なるほど、あれがいい枝の使い道か。

確かに後輩を驚かすにはもってこいかもしれないな。何と言うか、今日も今日とて多喜さんは―――アレだな。


「今日も今日とて不思議ちゃん爆裂だな、角丸かどまるは」

 多喜さんの来襲以来頑なに口を閉じていた森田先輩が、ようやく息をつけるとばかりに顔を上げた。

「ちょっと、不思議ちゃんって言わないでくださいよ。本人嫌がるんですから」

「知らねーよ。どう見たって不思議ちゃんじゃねーか、あんなもん。お前よく喋ってられるな、あんなド級の不思議ちゃんとよ。横で聞いてたけど一個も会話成立してなかったぞ」

「まあ、同じ部の先輩ですしね。もう慣れました。後、マフィン交換してくれますから」

 多喜さんが届けてくれた待望のダブルチョコレートに齧りつく。美味しい。やっぱりこれが最高だ。噛むたびに二種類の甘みと苦みが交互に口の中に広がって――。

「じゃあ、お前ら付き合えよ」


「ごほっごほっ! ちょっと、なんですか」

 先輩の一言のおかげで、三種類目の酸味が胃の奥からこみあげてきた。

「やめてくださいよ。いきなり変なこと言うの」

「なんでだよ。お前、あいつにめっちゃ気に入られてるじゃん」

「どこをどう見たらそう思うんですか」

「んー、ミニカーとか?」

 ミニカー?

「アピールして来てんじゃん。あれ、完全に誘ってんだろ」

 ミニカーで? 誘う? 

「不思議ちゃんならではのやつだよ。不思議ちゃんなりに爪痕残そうとしてんだよ」

 そうかなあ。だいたいいつもあんな感じだけどな、あの人は。


改めて多喜さんの姿を目で追ってみる。

飽きもせず、また別の後輩を見つけては小枝でガサガサとやっていた。

楽しそうで何よりだ。

あ、こっち見た。あ、目が合っちゃった。

あ、またこっちに走ってくる。

なんですか、多喜さん。もう見ましたよ、その枝は。僕はもう驚かないですよ。やめてください、食事中ですよ。

「おーはよー」

「いたいいたいいたい!」 

 やっぱり僕にはミニカーのようだ。


ポルシェのタイヤでこめかみをジョリっとやられた。やっぱり森田先輩の言うことはあてならない。こんなものが好意の発露であってたまるものか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る