2話 導入部です。お付き合いください
一話から一年後。
「お待たせしました。只今より本日の限定マフィンの販売を開始しまーす」
パン屋の店員さんの、どこか誇らしげな宣言と同時に、「クリームチーズだ」という声が行列の先頭から伝言ゲームのように流れて来た。
それを追いかけるように、
「クリームチーズかあ」、
「うー、残念」
「まあ、好きだけどね」
と悔しさを滲ませる言葉も届いてくる。
「くそ、南はクリームチーズだったか。すまん、
一緒にパン屋の行列に並んでいた森田先輩も悔しそうに天を仰ぐ。
が、
「そんな気はしてたんだよなあ。万馬券取った時もそうだったわ。思い出すなー、あの時はギリギリで違う馬に変えたんだよ。そしたらまさかの大当たり。いやー、あれはすごかった」
そのまま流れるように競馬の自慢話へと移行できるからこの人は心が強い。
競馬と煙草をこよなく愛する
あの日だけで三回聞いたこの話を、まさか一年後も同じペースで聞くことになるとは思わなかった。
「おい、聞いてんのか、
「はいはい、聞いてますって、ちゃんと」
僕は少し感慨深い思いで、聞きなれた先輩の自慢話を聞き流した。
僕らの通う王城寺学院大学は歴史と伝統のある大学だが、ネームバリューだけで少子化の波に抗おうとする程おごり高ぶっているわけではなく、積極的に学生集めの戦略を打ち出していた。その一つがパティスリーTSUBAKIの招聘である。
都内の一流ホテルにもパンを卸している有名パン屋が一大学の売店に入るというインパクトは狙い通り世間の耳目を集め、目玉商品のマフィンは一時期学外からも購入者が殺到するほどの人気を博した。
今では混乱を避けるため、抹茶あずき・ダブルチョコレート・トリプルベリー・クリームチーズの四種類のマフィンを東西南北四つの売店でランダムに一種類ずつ売り出す方法が採られるようになり、学生達は一番人気のダブルチョコレートを求めて昼休みの度に己の運を試す日々を送っている。
「うまい! 久しぶりに食うとクリームチーズもうまいな」
中庭のカフェテラスで、森田先輩は満足げに焼き立てのマフィンに歯を立てた。
「美味しいですよね、クリームチーズ。僕、ダブルチョコレートの次に好きですよ」
ふかふかとした卵色のマフィンを眺めながら、僕も缶コーヒーのプルタブを立てる。
「俺は抹茶あずき派だな。クリームチーズは三位」
「あー、あずき……は、ちょっと苦手かも」
チーク材のガーデンテーブルの木目を指で擦りつつ微糖の缶コーヒーを一口啜った。
「でも、焼き立て限定ならクリームチーズもいい勝負をする」
「そう、焼き立て! そこが重要なんです。焼き立てのクリームチーズはダブルチョコレートとも争えますよ」
一刻も早く相槌を打ちたい一心で味わう間もなくコーヒーを飲み下し、僕は改めてクリームチーズマフィンを眺めた。
「いや、眺めてないでさっさと食えよ。どんどん焼き立てから遠ざかってるぞ、それ」
ええ、まあ。ご指摘はもっともなんですが……。
「あ、そっか。今日は月曜日か、ヤバっ」
僕の表情から何かを察したふうに森田先輩が目を見開いた。
「あいつが来襲する日じゃねーか」
「いや、来襲って」
山賊じゃないんだから、そう付け加えようとした直前で独特のイントネーションと共に肩を小突かれた。
「おーはよー」
もちろん、ミニカーで。
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