働く魔王
◆働く魔王
ボクはミニベロに乗れないことが発覚した。
何度やっても転んでしまう。たまに乗っているレンタルの自転車との差に慣れなかった。前輪が左右にぶれやすく、バランスがとれない。こぎだして、ペダルが3回も回らないうちに足をついてしまう。
「ゴメン……。時間ないから今日は走っていくね」
憧れの自転車通勤を断念。信じられるのは己の脚だけだと駆けていく。特訓の成果もあり、バテずに走れた。でも加減を間違えてフードデリバリーの自転車を追い越したり、50m近く離れた点滅中の青信号に間に合ってしまったり。
常識から外れることは控えなければ。
「おはようございます!」
遅刻せずに職場に着いた。井荻さん、龍田さん、それからニンジャの……いわゆるオツボネである泉さんが同時にボクを振り返る。
なにかあったなと理解した。
マイコの開店準備にとりかかる。「これくらいでいいや」と井荻さんに言われると、ボクはニンジャのお店へと歩き出した。
なんでも、本来お店を回すのに6人は必要なのだけど、今日は2人のバイトが病欠みたいで。
ニンジャのスタッフは基本的に能力が高いとはいえ、さすがに4人でお店を回すのはキツい。せめてもう1人、もう1人どこかから引っ張ってこられないか。
「白羽の矢が当たったってコト」
ありがたく思えよ、ぐらいのニュアンスで泉さんは指をさした。
ありていに言うと彼女は「使えないやつ」が嫌いだ。ボクがニンジャにいた頃は、よく舌打ちをされたし、すれ違いざまに肩をぶつけられたり、「大学出てんだろ」と毒づかれたりした。
ボクは学校に行ったことがない。
勉強は春先や年末年始に紙ゴミとして出される古い教科書を使って、自分でなんとかした。
もちろん限界はあった。数学は分数の割り算でつまずいたままだし、英語は『I was born.』という一文に違和感を覚えたまま止まっている。
だけどボクは、白羽の矢は当たるのではなく、立つのだと知っているし、その言葉の意味には生贄や犠牲といった意味があることも知っている。ともかく、大学を出てる出てないで人を判断するのは良くないことだと思っていて……。
だからでもないけど、ボクは社長と同じで泉さんにも苦手意識を持っていた。彼女の前だとこの上なく無駄に萎縮することを強いられてしまうのだ。
ヒジョーに重たい気分でニンジャの扉をくぐる。マイコとは違うスパイスの香りが過去の嫌な記憶と結びつき、ボクは早くも口の中が緊張で乾いた。
さて、開店。
自転車のことと、ニンジャの白羽の矢に続き、前代未聞の大繁盛という不幸が起こった。
地獄のランチタイム、3時間半、210分の終わりをどれほど望んだことか。
休憩時間となる。
「ワタヌキさん、まかないはどのカレーにする?」
井荻さんがボクに聞いた。ボクがカラカラの喉から答えをしぼり出す代わりに、
「働かざる者食うべからずって言葉知らないの?」
泉さんが強烈な一言をお見舞いしてきた。
「あっ、いや……」
たしかにさ、よっぽどボクは使えない人間だったよ。ほとんど役に立たなかったよ。でもそんな言い方はないって。
休憩中、ボクは鉛のように重たいご飯を食べた。
ディナータイムはどうなるのだろうか。マイコに戻してください。服の中で痛くなってきたお腹を尻尾でさすり続ける。
こんな時は猫の動画でも見なきゃダメだと、お店のワイファイを使ってスマホを開くと、あー子やミワさんからLIMEのメッセージや電話が何件も入ってきた。
「うそだ……」
ボクの誕生日後は悪いことが起こると決まっているのだろうか。
お店を飛び出す。
「キルコ様ッ!」
すぐにやべこと鉢合わせになった。
「メールは読まれましたか?!」
「うん」
やべこは深刻な顔で言った。
「メルさんがさらわれました」
ああ、メッセージの読み間違いでも、聞き間違いでもなかった。
メルが連れ去られた。
「なんで……」
「王冠が目的です。人質にされたのです。事が起こったのはおよそ1時間前」
「あー子は?」
「無事です。同じ泥棒に出し抜かれたと大変荒れています」
お店であたふたとしているうちにそんなことになっていたなんて。
「これが敵の書状です」やべこは一枚のカードをボクに差し出した。
絹繭メルは預かった
一週間は客としてもてなす
それ以降の命の保証はしない
一週間……。
「現世はあー子に探らせていますが。キルコ様、私を聖神世界に送ってください!」
「うん……でも――――」
「ワタヌキさん。はやく開店準備はじめてくれる?」
背後で泉さんがお店から顔だけ出して言った。
「お店に戻らないと」
聖神世界に行くには、起動したゲームからたどって、正確な座標を把握しないとならない。イワフネには送れる。でもイワフネは聖神世界と同じ軸にあるけど、それが実際に聖神世界と地続きの場所とは限らない。安全に聖神世界に行き来するには、部屋に戻らないといけない。
「仕事は……たしかに大事ですが」
やべこの顔が曇る。
ボクは顔が熱くなった。
「わかってるよ! でも仕事は大事なんだ、ボクがこの世界で生きるには仕事がいるんだ」
最低だ。
こんな形で友達を裏切るだなんて。
でも、だって、だけど、お金を稼ぐ仕事がなきゃ、お金がなきゃ、不確かな存在のボクはこの世界で簡単に消えてしまうんだ。
「キルコ様……」
「そんな責める必要もないでしょ~、やべこ」
あー子が建物の上から飛び降りてきた。
「あー子さん」
「人質ってのは分かってんだしぃ? 一週間は無事じゃん」
「あなたねぇ――――」
「あーしが思うに、闇黒三美神がクビ切られて、現場指揮が変わったんだよ。これまでは一応、部外者はまきこまないってスタンスだったじゃん。ま~、そこをつかれたってハナシぃ? やべこだってキロピードの魔力に陽動されてたし、あーしも護衛に失敗した。つまりあれだ、ほんとゴメン」
あー子が頭を下げた。
「ワタヌキさーん?」
また泉さんだ。
「今行きます」
「今って……」彼女はぶつぶつ言いながら中へ戻った。
「まーこれでぇ? メンドーなフォローも言い訳もおしま~い」
あー子はボクに背を向けた。「ゴメン」と2人にボクは呟く。
「こんなの魔王じゃない。分かってるけど……でも、こわいんだ」
ボクはお店へ戻った。
ゴメンね、メル。
人質なら当面のところは無事でいられるかもしれない。でもメルはきっと怖い思いをしている。こんな時にすぐいけなくて、本当にゴメン。
情けない。
ディナータイムが始まった。アルバイトの子が1人やってきたけど、それでもボクが使えないばかりにお店はてんてこ舞いだった。
「これ運んで、はやく」
泉さんに言われるがまま動く。
靴を脱いで座る小上がりの席にスープカレーを運んでいく。そこには「絶対にそこの席がいい」と余計に待ち続けた人が通されている。
「お待たせいたしました」
その人は1人客だった。
「待つよ。でも1週間だけだ」
おかしなセリフに、しょぼくれてうつむいていたボクは顔を上げた。
「ワタベさん……」
そこにはメルの部屋で会った男、ワタベさんが座っていた。
「ここの席さ、僕の大好きなアイドルが座った席なんだよ。お昼の番組でこの店に来て。いやぁ感激だなぁ」
ワタベさんはカレーを食べ始める。
「おっ、うまい! 君の友達のメルだけどね、心配しないでいい。ゴートマ様が直々にお客としてもてなしているよ。大事な交換材料だからね。今頃向こうも夕食だろうな。時間に正確なお方でね。その後はミニュチュアタートルの甲羅の岩盤浴だ。ほう、ゴボウは揚げているのか」
「なんであなたが」
「キロピード様は実に優れたお方だ。前任とは大違いだよ」
キッチンの方から声がする。料理ができたので運んでという旨の掛け声。
「ほら、君も仕事をしろよ。フリーターの魔王さま」
ぎりりりッ。
歯を噛み締める音がした。ボクの口の中からだ。
彼をどうこうしてやりたい気持ちに駆られる。でもワタベさんはメルの学生時代からの知り合いだ。聖神由来でない人に攻撃するのは気が引けるし、それにここはお店の中。
「ごゆっくりどうぞ」店員として頭を下げた。
「ははっ。ゆっくりできるのは客である間だけだな。メルもしかりだ」
小上がりの席から、つっかけを履いて戻ろうとして、ふと……ひっかかった。
メル…………?
「誰って言いました?」
「え? メルだよ。絹繭メル。君の友達。僕の友達のさ」
「あなた、勇者ですね?」
「え? なんで? 証拠は?」
こんなはしたないことしたくなかったけれど、仕方ない。
周りから見えないように尻尾を出した。
「ちょ、キルコさん?」
尻尾の一撃をお見舞いした。
ワタベさんはメルをやべこと呼ぶ。
こいつは変装した勇者、怪盗職の刺客だ。盗みと変装のスキルを持った職。攻略本を読み込んでいてよかった。
引き抜いた尻尾に「ルピン」という名前が付いていた。それから胸ポケットに入っていたらしい、しわくちゃな一枚のカード。キッチンの方に戻りながら内容を確かめる。
本日 貴方を 盗みに まいります
月夜の怪盗 ルピン・ザ・サード より
いわゆる予告状というものだった。
自分の部屋に帰ったメルはこれを見た。そしてさらわれた。ワタベさんの格好をした怪盗に。ただ盗まれるだけのメルじゃない。ボクへの走り書きのメッセージが予告状の裏にあった。
ついにゲームへ凸
イソがなくておけ
ワクワク
あんなに大好きな聖神をモデルにした異世界、聖神世界に入るのを拒んでいたメルだ。こんな風に書いてくれることが、彼女の図太さと、身勝手さ、それから優しさを表していた。
とりあえずだ。ボクは今日のイレギュラーのお仕事を必死に片付けた。
メルにはちょっと待ってもらおう。
ごめんね。ありがとうメル。
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