明けない夜はない

梨木みん之助

第1話

「そう、どんなに長い夜でも、明けない夜は無いんだ!

大事なのは、自分自身を信じる事。 それから、どんな小さな事でもいい。何か不安があったら、すぐに俺に相談してくれ!」


冴羽は中学校の教諭。

この時間は、各クラスで一斉に「自殺およびイジメ防止の指導」を行っている。

彼がこの言葉で授業を終ろうとした時、一人の男子生徒が手を挙げた。


「おっ!何だ? 瀧岡?」

「先生、月の裏側は見えないって知ってますよね?」

「もちろんだとも、俺は理科の教員だからな!」

「宇宙には、沢山の星があります。月が地球の周りを一周する間に ちょうど1回自転するように、恒星の周りを公転・自転 同一周期で回る惑星があったら、その星の半分には朝が来ないんじゃないですか?」

「うーん・・・確かにそうだな! さすがだ! 瀧岡!」

「よしっ、じゃぁ さっきの言葉は、『地球上では、明けない夜はない。』に訂正しよう! みんな、瀧岡に拍手~っ・・。」


瀧岡は 何か拍子抜けしたような顔をした。


職員室に帰ると、冴羽のクラスの国語を担当する 女性教諭の大塚が、厳しい口調で冴羽に言った。

「先生のクラスの瀧岡!

この頃、私の言葉の上げ足を取ってばかりいるのよ。

担任として、しっかり注意してくださいな!」

「えっ! どんな事を言ったんですか?」

「昨日は、井の中の蛙の話をしたら、『先生もカエルですよね。

だって、学生時代から定年までずっと学校の中でしょ?』 って言われたわ。」


冴羽は、パチンと手を叩いて笑った。

「なぁるほどっ! そりゃあ 一本取らましたね。」

「何言ってるんですか? あなたがそんな風だからあんな生意気な・・。」

「そりゃあ 失礼しました。 厳しく注意しておきますよ。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

放課後、冴羽は ほとんど使われることのない、

職員室から遠く離れた 第3理科室に瀧岡を呼び出した。


「瀧岡、お前・・」

冴羽は 声を潜めて言った。

「大塚センセイに、カエルって言ったんだって?」

「すみませんでした。先生にまで、迷惑をかけて・・」

「いや、別に謝らなくていいぞ! ホントの事だから。」

「はぁ・・?」

「この間、大塚先生が、10年続けて学級通信を100号書いて、表彰されただろ。」

「はい、新聞で読みました。」

「実は、家事は全て旦那のお母さんに任せっきりで、家に帰ったら部屋には誰も入れずに、ひたすらそれを書き続けているんだと!」

「家の中の事には、興味がないんですね・・」

「そう、まさにカエルの中のカエルだ!」


「ハハハっ・・・。」

緊張していた瀧岡の顔に 少年らしさが戻った。

「先生~。 俺はてっきり怒られるかと・・。」

「怒ったぞ。 怒られた事にしてもらわなきゃー困る。」

「よーく わかりました。」


瀧岡は一旦、唇を噛みしめると、

冴羽から目を逸らして、気まずそうに言った。

「先生、すみません。 オレ この頃、イライラしていて・・」

「ん、何か理由があるのか?」

「実は、母さんの命がもう長くないんです。」

「あっ! 確か 難病指定を受けているんだったな。」

「そうなんです。俺が小さい頃に 父さんが亡くなってから、

母さんは、調子が悪くても医者にも行かずに働き続けました。

そして、気付いた時には あんな難病に・・。

 俺が中学を出て 働けるまで、あと少しだったのに・・。」

「そうだったのか・・・。」

「母さんが ずっと行きたがっていたディズニーランドに、

連れて行ってあげたかった・・。」


冴羽が 次の言葉を探していると、瀧岡が 彼の顔を覗き込みながら 低い声で尋ねた。

「なあ、先生・・本当に明けない夜って無いのかなぁ・・?」

「ああ。 少なくとも地球上には・・無い。・・無いと信じたい。」

冴羽は そう答えるだけで 精一杯だった。


翌日、冴羽は 瀧岡の母が入院している病院に 見舞いに行った。

瀧岡の母は痩せ衰えていて、見ているだけで 胸が苦しくなった。

こんなに厳しい状況を、14歳の少年が一人で耐え抜いてきたのだ。

教師の上げ足を取るぐらいで済んでいたのが不思議なくらいだ。


瀧岡の母は、冴羽に言った。

「先生、あの子は頭のいい子なんです。 大学まで行かせてあげたかった・・

私の力が及ばなかったばっかりに・・。」

「大丈夫ですよ、お母さん。 大事なのは治ると信じる事です。

今の医学は 進歩しているんですから・・。」


ガラガラガラ・・・ 病室の扉が開いた。

入って来たのは 学校帰りの瀧岡だった。

「あっ! 先生・・ お見舞いに来てくれたんですね。 ありがとうございます。」

瀧岡は、学校では見せた事もない 明るい笑顔を振りまいた。

痛い程 気丈に振る舞う瀧岡に、冴羽の胸はキリキリと締め付けられた。


「母さん。 先生の言う通りだよ。 明けない夜は無いんだ! 今は苦しいけど、

いつかは 治るから大丈夫!」

冴羽は病室で嘘をついた。もちろん瀧岡も知っていた。 この難病の治療法は、現在 どの大学病院でも見つかっていない。


冴羽と瀧岡は、無言で病院の屋上へと移動した。

瀧岡は 目をカッと見開いたまま、唇を噛みしめ 涙をこらえている。

時折ブルブルと震える肩を、冴羽は 後ろから支えるようにして、

「瀧岡 ・・。 おまえ ・・ 男だなぁ。」と言った。

もちろん、冴羽自身も涙を 精一杯こらえていた。 いつもなら 既に大泣きしているところだが、 今ここで泣いては 瀧岡に失礼だと思ったからだ。


その翌日、冴羽は 自習教材の準備を済ませると、一週間の休暇を取った。

人里離れた 竜爪山という山に登る為である。

そこには、不老不死の仙人が住んでいると聞く。

医学でダメなら、たとえ噂でも それに縋るしかなかった。


山頂に辿り着いたのは 2日目の朝だった。

仙人は 意外な程あっさりと見つかった。 山頂のお堂に 普通に住んでいたのだ。

「ほう・・。 ワシが見えるヤツが来るとは・・ 何十年ぶりかのぉ?」

「いえいえ、 あまりに普通のお姿なので、仙人様と聞いて ビックリしちゃいましたよ。」

「そなたは、よほど ピュアな心を持っているようじゃのお。」


「さっそくですが、お願いがあります。」

「本当にさっそくだな。 まあよい。 何じゃ?」

「生徒のお母さんの 難病を治したいのです。」


「まあ、出来んこともないが・・。」

「が・・ 何でしょうか?」

「人の寿命というのは、始めから決まっておる。

病気が治っても、別の理由で 死は訪れるぞよ。」


「その寿命を 延す事は、出来ないのですか?」


「まあ、出来んこともないが・・。」

「が・・ ですか?」

「わしの様に不老不死になるには 200年の修行が必要じゃ。

その覚悟はあるかのう?」


「それはムリです。 3日で何とかなる方法を・・。」

「まあ、出来んこともないが・・・。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一週間後、真っ黒に日焼けした冴羽が、瀧岡の母の入院する病室に現れた。

瀧岡が見守る中、冴羽が彼女の背中に手を当てると、その周りが白く穏やかに

光り始めた。


「ああ。 温かい・・。」

瀧岡の母の顔に みるみると 生気が蘇った。


冴羽は、屋上で 瀧岡に こっそりと話した。

「お前の母さんの寿命を、10年延ばしておいたぞ。

その間に、親孝行をし尽くしておくんだんな。」

「先生・・。 本当に・・本当にありがとうございます。」

「もう いいって! 『手当て』しただけさ。」

「でも 先生、よく一週間で あんな大技を身に付けましたね。」

「身に付けた訳じゃない。 習得には 200年もかかるんだと。」

「じゃあ、なんで・・?」

「これには カラクリがあるのさ。 秘密だけどな。」

「教えてくださいよぉ。 俺も覚えて 人を救いたい。」

「やめとけ! お薦めしないから 教えられん。」

「じゃあ、ヒントだけでも!」

「そうだなぁ・・ 地球上では 明けない夜は無い。

しかし、同時に昼から夜になる地域もあるわけだ・・。」

「まるで、陰陽道ですね。」

「うまいこと言うなぁ! そこに弟子入りした訳じゃないがな。」


「先生・・、『地球上では』はもう 止めましょうよ。」

「なんで?」

「あれは、俺が先生を からかった時の話でしょ?」

「えっ! 何だそりゃ? 全然 気が付かんかったぞ!」

「いやぁーっ! 天然だなー・・ 先生らしい。」


その後、全快した滝岡の母は、体への負担が少なく、条件の良い職場に

再就職する事ができた。どうやら、前の会社は 相当「ブラック」だったらしい。


瀧岡は 定時制高校に進学し、昼に働いたお金で、早々に母をディズニーランドに連れてゆく事が出来た。 高校での成績が評価され、特待生として大学に進むと、 大学も優秀な成績で卒業し、母の願いを全て叶えた。

孝行し尽くした後に、母は安らかに息を引き取った。

瀧岡は 今も冴羽と懇意であり、そして 感謝し続けている。


母の四十九日が終わり、一段落がついた瀧岡は、あらためて 冴羽の家にお礼に行った。

しかし、そこに 冴羽の姿は無かった。

近所の人の話では、数日前に入院したと言う。


「はっ・・!」

10年前の冴羽との会話を思い出して、瀧岡の背筋は凍りついた。

まさか、冴羽が母に与えた10年間の寿命とは・・?


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