第39話「〈時のうねり〉の中で」

 ヨルワタリが飛び込んだ先は、ねじれた空間としか呼べないものだった。


 宇宙のごとき、無限に広がる空間。その中であらゆる人、場所、時間を写し取った年代物のテープのようなものが連なっている。絶え間なく、渦を描くように動いている。そのテープが四方八方、どこを見渡しても連綿れんめんと続いているのだ。一体どこへ向かうのか、カメラで最大望遠にしてみても、終着点はまるで見えなかった。


「これは、一体……」

「通称、〈時のうねり〉と呼ばれているものよ。先生」


 モニターの正面にはいつの間にかオウマ――黒乃くろのがいた。彼女が自ら穴を開いて入ってくることは予想できていたが、今はなぜかコアから出て、オウマの手に乗っている。


 この空間を見せびらかすように、黒乃はすうっと手を動かした。


「ここには何千何万……いえ、何十億もの人々の生きてきた軌跡があるの。過去、現在、未来——それらが大いなるうねりの一部になっている。果たしてこんな空間の中で、あの子を見つけられると思う?」

「…………」

「不可能よ、決して。今ならまだ引き返せるわ」

「……ヨルワタリ、ハッチを開けてくれ」

『でも……』

「大丈夫だ。今はな」

『……わかったわ』


 ヨルワタリのコクピットハッチが開き、光一は〈時のうねり〉の中で身をさらした。瞬間、体にノイズが一瞬走る。この空間の影響だろう——スーツを着ていなければどんな影響が出てくるか、わかったものではない。


 手のひらに走ったノイズを無視し、光一は訊ねた。


「訊きたいことがある」

「質問によるけど……何かしら?」

「俺がこの中であの子を見つけることができるはずがないと思っているのなら、なぜ俺を追ってきた? 放っておくこともできたはずだ」

「万一の事態に備えてのことよ。当てずっぽうで、他人の歴史に介入したら困るから」

「違うな」

「なんですって?」

「さっき、君は俺に言った。『今なら引き返せる』と。それは俺を心配してのことだろう?」

「…………」

「気になっていたんだよ、ずっと。もしかしたら君は今、〈リライト〉の使命とか思惑とかから外れているんじゃないのか? ベゼルを始末したのがその証拠だ」

「カマをかけているつもりですか?」

「理解したいだけだ。養護教諭としての立場と、責任があるからな」


 黒乃の顔はヘルメットに包まれていて、表情がわからない。


 それでも、彼女が光一に失望していると思えた。どこまでも突き放し、どこまでも一線を画する。そういう発言だからだ。


「……あくまでも、自分の立場を私に突きつけるんですね」

「そうだ」

「残酷ですよ、それって」

「そうだな。否定はしない。君のやったことは許せないが、その前に俺は君の想いに応えられなかったからな」

「……もういいです。さっきの問いに答えるつもりはありません。私の最後の忠告も、あなたという人は聞く気がないんでしょう?」

「そうだ」

「——オウマ」


 黒乃は後ろに飛び、コアに入り込んだ。


 一拍遅れて光一もコクピットに戻る。ベルトを締めながらヨルワタリを飛ばすと、今までいた位置に——足底に放熱板がぎりぎりかすめた。


 スピードが増している。


〈時のうねり〉に入る前は、黒乃にとっては遊びだったということだ。


 オウマの手を前にかざし、黒乃が告げてくる。


『そんな前時代的なロボットなどで、このオウマを倒せるとでも?』

「——なんてことを言われてるぞ、ヨルワタリ」

『心外ね』


 飛び回りながら、光一は背部モニターを確認した。放熱板がテープに直撃していたが、ダメージを受けた様子はない。おそらくテープの中に介入するためには、なんらかの手順か装備かが必要になるのだろう。ヨルワタリのブーステッドシステムⅢのように。


 ということは、思いきり暴れても問題ないということだ。


「ワイヤーランス射出!」


 両翼から合計二十本の、槍つきのワイヤーが飛び出す。


『こざかしいッ!』


 オウマが両手を動かし、放熱板を巧みに操る。ワイヤーはすべて断ち切られたが、その間に光一はオウマ目がけて接近し、片膝を曲げた。


「ニーランス、射出ッ!」


 膝から槍が三本、オウマに向けて放たれる。放熱板の隙間を狙い、射出したそれはオウマの脚部に突き刺さり——さらに爆発を起こした。オウマの脚部が千切れかけたのを見てとった光一はすぐさまその場から移動。放熱板の動きは止まっておらず、あくまでも光一とヨルワタリを追撃してくる。


「ブーステッドシステムⅠと同時、チャフを出せッ!」

『承知!』


 ブーステッドシステムⅠを発動。武装が限られるものの、この形態の方が放熱板のスピードよりも速い。翼に隠れたヨルワタリの脚部から銀色の粒子がまき散らされ、放熱板の動きがでたらめになった。お互いに衝突を繰り返し、自ら爆発を繰り返す。


(いけるか? これなら——)


 その時、操縦桿を握る手がこわばった。


 ヨルワタリのすぐ後ろに、オウマがぴったりとついてきている。放熱板をスラスター代わりにして加速しているのだと気づいた時には、オウマの蹴りが放たれた。


「——くそッ!」


 バランスが乱れたが、どうにか立て直す。しかし次の瞬間には、全方位が放熱板によって囲まれていた。まったく同時にレーザー光が飛び出し、とっさに回避運動を取ったものの——二本、直撃した。


 翼が焼け、スピードが落ちる。


 放熱板がオウマの元に戻り、光一とヨルワタリを見下ろしていた。


『理解しましたか、先生?』

「…………」


 光一は機体を元に戻し、ダメージの確認を後回しにして、オウマと——黒乃を見上げた。


 せせら笑うような黒乃の声。


『どんなに頑張っても、抗おうとしても、無駄なことなんですよ。あの子は死ぬ。そういう運命なんです。そんなロボットで何をしようとも……このオウマには敵わない』

「…………」


 だから諦めて。


 もう止めて。


 光一には、黒乃がそう言っているように聞こえた。


 笑っているのは、ただの演技。本当は——


 光一は振り切るように、頭を左右に揺らした。一瞬でも黒乃の言葉を聞き入れようとした自分に恥じ入り、怒りすら覚えた。


 背部から大槍をスライド、両手に持つ。


『まだ、やるのですか?』


 呆れを通り越し、もはや哀れみすら感じさせる声音。


 だが——その声は今、光一の耳には届いていなかった。


「……ヨルワタリ、ブーステッドシステムⅡを発動」

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