第26話「光一と夢月とヨルワタリ」

 小さな公園の真ん中で、光一と夢月むづきは並んで立っていた。


 夢月はパイロットスーツに着替えていて、ヘルメットを小脇に抱えている。その場で跳ねて喜びかねないほどに、彼女の顔は喜色満面だった。


 周囲に人影はない。人に見られたとしても、すぐに飛べばいいと夢月は平然と答えた。


「さ、おじさん。ヨルワタリを呼んでみて!」

「え、いきなりか!? しかも俺が!?」

「うん。ヨルワタリにはわたしとおじさんの声を登録してあるから。だからおじさんにだって呼べるはずだよ」

「そんなことを言われても……」

「まぁまぁそう言わずに、やってみて!」


 どん、と背中を押される。


 光一は半信半疑で、自分の手のひらを見つめた。夢月がやっていた時のことを思い出し——ひとまず手を、頭上に掲げてみせる。


(来るわけ、ないよな……)


 これで来なかったら恥ずかしい。諦念ていねんと、羞恥しゅうちと、わずかな期待がない交ぜの心境で、光一はその名を呼んだ。


「——来い、ヨルワタリ」


 しん、と公園内は静まり返っていた。自分の放った声がどこかの壁に反響して聞こえるんじゃないかと思うぐらいだった。


「…………」


 やはり無理に決まっている——


 そう思い、振り返ったところで、光一は目を見張った。


 何もない空間に巨大な縦筋の線が走り、ぐぐっと左右に開いていく。特徴的なくちばしのついた頭部が先に出て、それから胸部、畳んだ翼、腕部に脚部とあらわになる。


 ヨルワタリが膝をついて着地した時、光一はぽかんと口を開けていた。その様子が面白かったのか、夢月は腹を抱え、声を押し殺している。


 ヨルワタリの両目がこちらを見下ろし、AIの音声が軽やかに響く。


『光一様、お呼びかしら?』

「あ、えっと……」

「ほらほら、やっぱり出てきたじゃない!」


 夢月が光一に飛びついてくる。自分がロボットを呼べたというのが信じられず、されるがままに体を揺さぶられていた。


「じゃ、乗ろっか!」

「え!?」

「ヨルワタリ、コクピット開けてー」

『わかったわ』


 胸部が上下に開き、タラップが下りてくる。


「先にわたしから行くね!」


 そう言って真っ先に、夢月は乗り込んだ。彼女の姿が見えなくなると、再度タラップが下りてくる。


 ごくりと唾を呑み込んで、光一も上がっていく。


 内部を見て、驚いた。


 なぜか前後に分かれた複座式になっていること以外は、操縦桿やレバーやスイッチ、モニター、ペダルなど——普段から遊んでいるシミュレーションゲームの疑似ぎじコクピットそのままの外見、配置だったのだ。


 ひとまずシートに腰かけてみる。ゲームのとは比べ物にならないほど、座り心地がいい。ひとしきり視線を巡らし、「なんでこうなってるんだ……?」


「おじさんがこういう設計にしてくれって言ってたらしいよ」


 後部シートの夢月がにやにやしながら答える。彼女の周辺には小型のサブモニターが配置されていた。


「俺が?」

「使い慣れてる方がいいって、メカニックの人を困らせてたっけ。あとね、わたし、おじさんと一緒にシミュレーションやったことあるの。でも、全然敵わなかった。百回やって、一回も勝てなかった。だからおじさんなら、わたしよりヨルワタリを上手く扱えると思うよ!」


 十代特有の弾んだ声に、光一は内心で安堵する。


 同時、これでいいのだろうかと不安にもなった。街でショッピングとか、食べ歩きとか、年頃の少女がするような楽しみでなくていいのだろうか、と。


 だが、これで少しでも気晴らしになるのなら——


「でもなぁ、本物のロボットを動かすのは初めてだぞ?」

「だから今やってみるんじゃない。……ヨルワタリ、閉めてー」

『承知したわ』


 夢月の声に応え、ハッチが閉まり——一瞬だけ視界が真っ黒になる。すぐにいくつものモニターに明かりがつき、周囲の鮮明な風景が映し出された。モニター下部には様々な数字や文字が表記されている。


「じゃ、飛ばしてみよう!」

「いきなりか!?」

「時には歩くより、飛んでみる方が大事なんだよー」

「文字通り、飛躍が過ぎるぞ……」


 光一は恐る恐る、左右の操縦桿を握った。


 もし——本当にこのヨルワタリの操縦系統があのゲームと同一ならば、フットペダルを軽く踏み込むだけで立ち上がれるはず。


 慎重に、初めて車を走らせる時のように、ペダルをゆっくりと踏み込んでいく。


 果たして——ヨルワタリは光一の思う通りに、膝立ちからゆっくりと体を起こした。翼か機体のどこかが触れたらしく、ばさばさと木々が揺れ、鳥が飛んでいく。近くの住居に傷をつけていたらと思うと、ぞっとする。


 ぴゅう、と夢月が口笛を吹いた。


「上手いねぇ、おじさん。初めてなのに、加減がわかってる」

「そりゃまぁ、な……」


 ゲームで転倒した機体を立ち上がらせるなど、基本中の基本だ。


 だが、ゲームとは違ってこのヨルワタリは重力に逆らい、機体そのものの重量と、立ち上がらせた振動とをダイレクトに感じさせる。今、自分はロボットを動かしているのだという高揚感こそはあるが、下手に動かしたらまずいのではないかという焦燥と恐怖もある。


 だが、構わず夢月は続けて指示を下す。


「じゃ、今度は翼を開いて! スラスターを噴かして、飛んでみて!」

「一気に言うな!」


 とはいえ、光一はすでにやり方はわかっていた。もちろんゲーム内での話だが。


 翼を持つタイプのロボットを操った経験をもとに、右側のタッチパネルを操作、広げすぎないように翼の角度を調整。一番端にあるフットペダルで両翼を徐々に展開し、コクピット上部のスイッチを次々とオンにして、いつでも背部、脚部スラスターを噴かせる状態にする。


 後は——ペダルを踏むだけ。


 何度もゲームでやっているとはいえ、実際に自ら空を飛ぶなど初めてだ。


「おじさん」

「うん?」

「大丈夫。大丈夫だからね」


 いつかどこかで聞いたような——

 

 いや、これはいつも、自分が夢月に元気づけるために言っている言葉だ。


 ふっ、と肩の力が抜けた。元気づけるつもりが、まさか逆に元気づけられるとは。


 光一は一瞬だけ目を閉じて——ゆっくりと開いてから、フットペダルを踏み込んだ。


 ぐん、と体全体に重圧がかかる。


 モニター下部を見てみれば公園が——いや、住宅街がどんどん小さくなっていく。


 足の裏に重力が溜まるような感覚を覚えつつも、翼を全開。空を切り、そのまま雲の中に突っ込んだ。モニター越しにヨルワタリの右手側を見てみると、翼が雲を切り裂いていて、ぞくっと快感じみたものが肌を走った。


 やがて——眼下に雲海が広がる。月も、星も、この手に掴めるのではないかと錯覚するほどの近さ。街の中からでは決して見えない、澄み切った夜空に不覚にも感動してしまった。


 初めてヨルワタリの手にしがみついていた時とはまったく違う、感触。


「……すごいな」

「すごいのはおじさんの方だよ! ヨルワタリの扱い方がわかってる感じがする」

「そうかもしれないな。ゲームやっていたからというのもあるが、なんだかまるで……初めて乗ったとは思えないぐらいだ」


 雲海の上を滑り、ぐるりと旋回し、空中でいったん停止し——すぐ急降下、のちに急上昇などを試してみる。


 遮るものがひとつもない空間で、機体を躍らせる。


 それに心を弾ませているのは、光一だけではなかった。


「やっぱり、すごい。すごいよ、おじさん!」


 夢月は嬉しそうにはしゃいでいた。これまでの不安など杞憂に過ぎなかったといえる明るさが、光一の口角を無意識に上げていた。


 ふと、左側のタッチパネルが目に入る。ヨルワタリの武器が表示されており、光一は一瞬にしてこれらの武器の特性を理解していた。いや、知っていた。リスクの伴うブーステッドシステムのことも。


 武器をはじめ、このヨルワタリは子供の頃の自分が考えたもの。


 ただ、頭の中で考えた武器を実際に使うのとはまた別だ。ブーステッドシステムの危険性も、自分の体で知る必要があるのではないか。


「武器も試してみたいところだが……」

「えー? 敵もいないのに?」

「冗談だ、冗談。……今は空を飛んでいるだけで——ああ、十分だな」


 しばらく、横切るように空を飛んで——


「おじさん、楽しい?」

「ああ、楽しいな。……君はどうだ?」

「うん、わたしも楽しい。わたし、おじさんとこんな風に一緒に空を飛びたかったんだ」

「……それは——」


 言いかけ、光一は口を閉ざした。


 未来で、一緒に空を飛ぶ余裕などなかっただろうから。


 飛行速度を下げ、雲海の上をゆっくりと泳ぐ。


 ぽつり、と光一がつぶやいた。


「もうすぐ誕生日だな」

「え?」

「夢月と、君のだ。六月六日。同じ日だろ?」

「あ……」


 声の調子から、すっかり忘れていたらしい。もしくは——光一が、自分を未来から来た姪であると認めたことへの驚きだろうか。


「今度で五歳と、十七歳か。何がいいかな」

「あ、五歳の誕生日の時は……」

「言わなくていい。ちゃんと考えて決めたいんだ」

「……うん」

「というか、五歳の頃なんて覚えてるのか?」

「覚えてるよ、ちゃんと。記憶力はお父さん譲りだもん。さすがに一歳か二歳の時は、おじさんの日記を読んで思い出したけれど」

「そうか……」

「毎年、誕生日の時もクリスマスの時も、プレゼントをくれた。仕事で来れないこともあったけど、そういう時はお休みの日に祝いに来てくれた。でもね、ちょっとだけ不思議だった」

「何がだ?」

「どうしておじさん、そこまでわたしのためにしてくれるのかなって」

「…………」


 光一は操縦桿を握る手から力を緩めた。


「俺の日記、読んであるんだろう?」

「うん、隠れてこっそり。全部読むのは大変だったけど……でも、それでわかった。おじさんがどれだけ、わたしのことを大切に想ってくれていたか」

「人の日記を読むとは、いけない子だな」

「……ごめんなさい」

「まぁ、いいさ」


 半ば観念したように、光一は言った。


「説明の手間が省けると思えばいいか。……そうだよ、俺は夢月のことが大切だし、愛している。この命を懸けてもいいと思えるぐらいに」


 夢月からの返事はなかった。


 肩越しに振り返ると、彼女はうつむいていて——「そんなこと言わないでよ」


 か細い声だった。


「わたしのために命を懸けるなんて、もう嫌だ。お願いだから、そんなこと言わないで」


 ぐす、と涙ぐんでいる。


 うかつだったな——


 光一は口を滑らせた自分を呪う。未来の自分は夢月をかばって死んだのだから、夢月には本気としか聞こえなかっただろう。


 何か取りつくろわなくては、と考えている内に——突然、画面が赤く点滅した。


 同時、アラームが鳴る。パネルの時刻表示が大きくなり、カウントダウンが始まった。

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