第23話「流の解釈」

 放課後——光一は夢月むづきと共に、図書室に向かっていた。


 彼女の表情がやや暗いのが気にかかるものの、話を訊くタイミングをうかがっている内に、図書室に着いてしまった。


 ながれはすでに準備を終えていた。表面をコーティングされているのは図書室の本、そして流の私物と思しき資料がある。タイムトラベルを扱ったマンガ、小説、果てはライトノベルまでもある。よくもまぁ、短時間でここまで集めたものだと呆れると同時に、感心した。


「お、来ましたね。お二方」

「すみません、無理を言って時間を取らせてしまって」

「いえいえー。……ところで、夢月さんが先ほどからこちらを睨んできているのですが」


 夢月は光一の背後で、顔だけ出して「うぅ」と唸り声を上げていた。教師に対しても人見知りスキルが発動しているようだが、悪印象なので止めてほしい。


 ふと、夢月が何かに気づいたように「あ」と声を上げた。視線は流の左手に留まっている。薬指に指輪がはまっているのを見つけたらしい。


「その、流先生……もしかして、ご結婚を?」

「え? ああ、そうですね。もう三年目になるかしら?」

「あ、そうなんですか!」


 ぱぁっと顔を輝かせる。


 どうやら夢月は、流のことをお邪魔虫か何かだと勘違いしていたらしい。


 光一はため息をつき——流は何か察したらしく、微妙な笑みを浮かべていた。


 気を取り直し、光一はテーブルに並べられた資料の数々をざっと見る。


「これ全部、タイムトラベルに関する本なんですか?」

「そうですね。大型書店に行けばもっとあると思うんですが……ここではこれが限界ですね。最新の知識もあった方がいいんですけど」

「ふむ……」

「まぁ、まずは座って座って。ほらほら、夢月さんも」


 促されるまま、二人と流は椅子に座った。


 流は手元の資料を広げつつ、軽い口調で問いかけた。


「それで、どんなことをお聞きしたいんですか?」

「そうですね……」

「未来から来た人が、それまでの歴史を変えたりしたらどうなるか、それを訊きたいです」


 真っ先に夢月が訊ねた。まるで台本を読んでいるかのような流暢さで。


「うん、なるほど。王道の問いですね」


 流は驚きもせず、うなずいた。


 論文を記載した、いくつかの本を広げる。ふせんを貼ったページを開くと、真一文字に口を結んで険しい顔をしている学者の顔写真が目に入った。その横の論文——黄色のマーカーでまっすぐ線を引いた箇所かしょを指さす。


「答えとしては……仮にタイムトラベルができたとしても、歴史を変えることはできない、というのが多くの科学者の共通の見解となっているんですね」

「なんでですか? たとえば、Aさんが交通事故に遭うという事実を知っていたら、助けたりできるんじゃないですか?」

「そうなると、Aさんが『交通事故に遭う』という事実がなくなりますよね? 代わりに何らかの力が働いて、結局Aさんがダメージを負うことになるんです。交通事故で足をケガしたとしたら、別の要因でやっぱり足をケガする、というように。歴史のつじつま合わせとでもいいますか……どんなに歴史を変えようとしても、すでに未来は、決まっている事実は変えられない。Aさんは必ず交通事故に遭うか、それと同等のダメージを負うか……その事実に向かっていくんです。どんな人間でも、必ず死に向かっていくように」

「……なるほど」


 光一は腕を組み、夢月は口をきゅっと結んだ。


 流の言葉をそっくりそのまま信じれば、千晴ちはる悟郎ごろうがあの日に死ぬという運命を変えることはできたが、その先までは保証できない。結局二人は死に、そして光一は夢月を引き取る――その未来に向かっていくということになりかねないのだ。


 そして自分が死ぬことも。


「ただし」と流が指を一本立てた。


「未来はひとつじゃない、という考え方もあるんですよね」

「……? それは、どういう意味ですか?」


 怪訝そうな夢月を前に、流は別の資料を彼女の前に滑らせた。先ほどの論文を記載したものとは違い、ややビビッドな色使いの本だ。表紙からして怪しい。


「まぁ、話半分に聞いてほしいんですけれど」


 そう前置きしてくるということは、一流の学者が考えたような内容ではないのだろう。


 流が二本の人差し指で、それぞれくるりと円を描いた。


「パラレルワールド。誰もが一度ぐらいは聞いたことがあると思います」


 当たり前のように言うので、光一も夢月も一瞬反応に遅れた。


 構わず、流は指をくるくると回す。


「先ほどの夢月さんのたとえ……Aさんは交通事故に遭うけれど、未来人によってその事実を避けられたとしましょう。その時、歴史のつじつま合わせが起こるとしましょう。それも避けられたら? 未来人が次から次へとそのつじつま合わせをはねのけたとしたら? Aさんがケガをするか、死んでしまうかという運命の時を通り過ぎてしまった時、時の流れは二分化するのではないか……そういう考え方を持っている人もいるんですよ」

「交通事故に遭うはずだった未来と、遭わなかった未来の二つに分かれる……?」

「その通りです。それがパラレルワールドのひとつの考え方。しかし、この考えには危険と疑問がつきまといます。そんなことが許されるとしたら、人の数だけパラレルワールドがあることになり、際限がなくなる。それを包括ほうかつする宇宙の質量を超え、限界を超え、破裂するのではないか……と」

「……なんだか話が大きくなってるような」

「まぁ、時間というものはそれぐらい扱うのが難しい問題なんです。これらの本だけでも、人によって意見や内容が異なる部分があったりするんです。そこが面白いんですけどね」


 光一はうつむき、あごに手を添えた。


 パラレルワールド。その可能性は大いに考えられることだ。


 千晴や悟郎と、自分が死ぬ未来。誰も死なない未来。


 自分が夢月を引き取る未来と、引き取ることなく千晴と悟郎の元で育つ未来。


 そして——夢月がロボットに乗る未来と、乗らない未来。


 戦わなくて済む未来——


「もし……」と光一がとっさに口を開く。


「もし、未来人が現在に来て、それまでの歴史を変えようとした場合。特に、自分に関係のある人を死なせたくなくて、その事実を変えた場合。その未来人にとってのそれまでの歴史——過去はどうなるんでしょうか?」

「なかなか難しい問いですね」


 流は額に指を当てながら、慎重深く答えた。


「その未来人にとっての過去は……そのままのものになると思います。仮にですが、未来人がタイムマシンで今この時代にやってきて、未来人にとってのそれまでの事実……過去を変えたとしましょう。ですが、その先の未来——未来人にとっての過去——を変えたということは、本来の未来と事実として残っているはずの過去が消滅したということと同義で、もしかしたら未来人自身も消滅するかもしれません。なぜなら、すでに現在にはもう一人の自分がいて、同じ時代に同一人物が存在するというのはあり得ないのですから」

「……そう、なのですか?」

「ただし。ここでパラレルワールドの可能性が出てきます。未来人と現在の自分とは別々の人間となる可能性もあり得ます。なぜならば未来人にとっての過去を変えたのだから、現在の自分は未来人とは違う道を——まったく別の未来を歩むことになるのではないでしょうか。……まぁ、あくまで推測ですけどね」


 光一は横目で夢月の様子を窺った。彼女は固い表情で、膝の上で両手を握り締めている。


 今、かけるべき言葉が思いつかず——光一は流に視線を向けた。


「流先生、どうしてもお聞きしたいことがあります」

「なんでしょう?」

「もし、未来人が日記など、記録をつけているとします。そして現在の日記と未来の日記が同一であるとします。そこで、現在の日記にまったく別の未来のことを書いたとしたら……その未来は実現するのでしょうか?」


 流は腕を組みかけ——「いや」と否定した。


「それはないと思います」

「なぜです?」

「これは私の解釈ですが……未来人のつけた日記があり、それを現在の自分が読んだとしましょう。未来の日記にはすでにもう変えられない事実が記載してあって、その事実を変えようとしても——結果は、先ほどお話した通りになるのです。たとえ空白のページに『これから起こること』を書いたところで、それは展望に過ぎません。未来は真っ白という言葉がありますが、それはタイムマシンがない場合の話です。本当にタイムマシンがあれば、未来は真っ白どころか真っ黒になりかねないものになるでしょうね」

「…………」


「まぁ」と流は本の上に手を置いた。


「長々と話してしまいましたけれど、やっぱりタイムトラベルなんて夢物語ですから。理論づけようとすればいくらでもできるし、推論を立てようとすればいくらでもできます。専門家をうたっているわけではないので、私の言ったことはあくまで話半分に受け取ってくれればと思います。……狭間先生、夢月さん、大丈夫ですか?」


 光一は無理に口を笑みの形に作り、「大丈夫ですよ」と言った。


「とても参考になりました。さすが化学科を担当しているだけのことはありますね」

「関係あるかはさておき……こう見えても私、大学では化学専攻でしたから」


 心もち鼻を高くしてから——夢月を見やる。


「夢月さん、こんな話は退屈でしたか?」


 はっと顔を上げた夢月はぶんぶんと両手を振って、「そんなことないです!」


「とても、とても参考になりました! その、ありがとうございます」


 深々と、テーブルにつきそうなぐらいに頭を下げる。数秒そうしていたかと思うと、ゆっくりと、おそるおそる頭を上げる。


「あの、流先生……」

「ん、なんでしょうか?」

「もしも、もしもなんですけど。タイムマシンが本当にあったら、先生はそれを使って……過去に行きますか?」


 すると流は、ふっと遠い目になり——「どうかな」


「確かに、変えたい過去はありますよ。でも、その過去があっての今の自分ですから。……なんて、ね。私もそろそろいい歳だから、そういう風に思えるようになっただけです。もう少し若かったら、きっとタイムマシンに乗ることを決めていたでしょうね」


 流はギリギリ二十代のはずだが、光一はあえて言及しなかった。


 流は掛け時計を見、「もうこんな時間」


「すみません、そろそろ……」

「いえ、こちらこそすみません。本は僕たちの方で戻しておきますので、先生は自分のを」

「ああ、すみません。助かります」


 それぞれ本や資料を手に持ち、流は自分のものを抱えつつ、「貸しひとつ、ですね」


「後で返して下さいよ、狭間先生?」

「はは、忘れないでおきます」


 いたずらっぽく笑う流に、光一は肩をすくめつつ苦笑した。

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