第二章「修正機関〈リライト〉」

第15話「時を超えた攻防」

 空に浮かぶ〈クロック〉は、ここ——千晴ちはるの家からでは三つほど見える。もしかしたらそれ以上いる可能性もある。


〈ウォッチ〉を起動し、液晶画面に映るスーツのパネルをタップ。液晶画面から眩い筋状の光が何本も夢月むづきの体を照らし、その光の筋がパイロットスーツを形作っていく。最後に夢月の頭部を包むヘルメットが構成され、スーツに不備がないことを確認すると——後ろから激しい足音が聞こえてきた。


 振り向くと、光一が息を切らして、アパートから出てきたところだった。


 バイザーを上げることもできたが、あえてそうしなかった。


 そんな不安げな顔をされると、戦意が鈍ってしまう——


 だが一方で、嬉しく感じている自分がいる。これから戦いに行くことを案じてくれている人がいるというのは、こんなにも嬉しいものだったのか。


 光一が張りつめた顔で訊ねてくる。


「行くのか」

「……うん」

「どうするつもりだ?」

「…………」


 夢月には、光一の問いの意味がわかっていた。今もまだ、気持ちが揺れている。


 けれど、誰も死なせたくなかった。


 お父さんとお母さんが、小さなわたしを温かな愛情で包んでくれている。そしておじさんがたまに困り顔になりつつも、小さなわたしの遊び相手になってくれる。


 あの光景を奪われることなど、あってはいけない。


 それが未来を変え、〈リライト〉の逆鱗げきりんに触れることになろうとも――

「お父さんとお母さんと、子供のわたし、よろしくね」

「おい……!」


 光一の言葉を遮るように、夢月は手のひらを頭上に向けた。


「——おいで、ヨルワタリ」


 夢月の後ろの空間に、ぴしっ、と縦状の黒い筋が走った。


 千晴の住むアパートの全高よりも長く、細いその筋は大きく左右に分かれていく。機体を収納するための亜空間——〈トリカゴ〉から出てきたヨルワタリは、翼を折り畳んだ状態で、地面に両足を沈ませた。


 胸部からのタラップに掴み、足をかけてコクピットへと上がっていく。


 複座式コクピットの前のシートに座る。素早くベルトを巻き、モニターを起動し、各スイッチをぱちぱちと小気味よく鳴らす。


『機体状態、オールグリーン。いつでも行けるわ、夢月』

「行くよ、ヨルワタリ」

『喜んで』


 家屋を傷つけないよう、両翼を徐々に展開。スラスターを最小限に噴かし、機体がゆっくりと宙に浮かび上がっていく。意味のない行為だと知りつつも——光一が映っている下部モニターを、そっと指で撫でた。


(行ってくるね、おじさん――)


 操縦桿を前に倒し、駅方面へ飛ばす。


〈リライト〉は駅周辺に巨人の部隊を展開していた。光一に再会した夜、彼を襲った地上戦仕様の五分針の巨人と、足のない空中戦仕様の十分針。それぞれ五体ずついるということは、〈クロック〉は五つあるということになる。


〈クロック〉は——夢月の記憶が確かならば——五分につき、一体の巨人を生み出す。〈クロック〉がある限り、時間が味方する限り、いくらでも巨人を生み出せる。しかも時間をかければかけるほど、より強い巨人が生まれる。最優先で壊すべきは〈クロック〉だが、当然、敵はそれを承知しているはず。


「ヨルワタリ。〈クロック〉の数は?」

『現時点で、四つしか確認できないわ』

「ひとつ、隠れてるってことね……!」


 ヨルワタリのセンサーから逃れている、ということはセンサーの範囲外にいるか、あるいは何らかの特別な機能が備わっているか。


(——考えるのは後!)


 背部からスライドした大槍を両手に構える。


 一番近い位置にあるデパート上空の〈クロック〉を攻め立てんとしたが、下方からいくつものレーザー光が放たれ、とっさに回避。加えて、空中戦仕様の十分針がヨルワタリを包囲し、かつ〈クロック〉の前に立ちふさがるようにしていた。


「そう簡単にはいかないか……!」


 十分針の、背部の細い放射板からのレーザー光が射出される。


 ヨルワタリは高度を下げ、地上からも放たれる光線を回避した後は身をひるがえし、ビルの上空を滑っていく。避難しようとしている人々が悲鳴を上げていたが——今は、それに気を取られている場合ではない。



 地上の五分針のコア目がけて、腕部の〈ヤリダマ〉を連射。


 二体のコアに命中し、消し飛ばすことはできたが、喜ぶ暇などない。


 ビルすれすれの飛行から大きく上に旋回。十分針が五体とも追ってくる。どの〈クロック〉に狙いを定めたとしても、盾として機能するつもりだろう。


 地上からも赤いレーザー光が放たれた。鈍重な五分針のものだが、放っておくと面倒だ。


「——だったらッ!」


 空中で向きを変え、ヨルワタリの翼が左右に大きく広がる。先端から、小型の槍つきのワイヤーが発射された。合計二十本、高速で飛ぶそれは十分針の二体と、地上にいる二体のコアを刺し貫く。残る一体の五分針だけは、コアへの狙いがそれた。


 反撃とばかりに、三体の十分針が襲い来る。


 ヨルワタリはワイヤーを引き戻し、コアを外した五分針を、盾代わりにした。十分針のレーザー光によってコアをしたたかに撃たれた五分針は、金色の粒子となって消滅する。


 五分針はこれで全滅。


 十分針の陣形が乱れたのが、夢月の目に取れた。


「今ッ!」


 腰から中型の槍をラックからスライド、それぞれ両手に持つ。大槍と比べて半分程度の長さしかないが——取り回しが効きやすいのが特徴だ。


 十分針の斉射。射線の隙間を飛び、すれ違いざまに一体墜とす。


 十分針はあと二体残っているが、今は〈クロック〉を破壊することを優先。両手の槍のひとつを、〈クロック〉目がけて全力で投げつけた。とっさに十分針の一体が盾になろうと飛んでいったが——もう遅い。


〈クロック〉を裏から貫き通し、大粒の粒子が弾けた。これでひとつ。


「ヨルワタリ、時間はッ!?」

『十五分まで、あと一分十秒!』


 それまでにできる限り、〈クロック〉を減らさないといけない。


 投擲とうてきした槍をワイヤーで絡めて回収しつつ、夢月はモニターに目を走らせた。


 他の〈クロック〉は面倒なことに、三方に分かれていた。だが、別々の方角にあるということは、それだけ守るのが難しいということにもなる。


 追撃してくる十分針に振り向きざま、〈ヤリダマ〉を連続で撃ち込む。一体はとっさに上昇したが、別の一体にはコアに突き刺さり、爆発。


 これで十分針は残り一体。


 身を翻し、十分針を置き去りにして、街と街の境目に浮かぶ〈クロック〉の二つ目も撃破。


「残り、三つ!」


 アラームが鳴る。〈クロック〉のカウントダウンが始まったのだ。


 夢月は歯噛みした。せめてもうひとつ破壊しないと、こちらが不利に傾く。三つ目と四つ目との距離はさほど違いはないが、ひとつは山に近い場所に、もうひとつは街の上空にある。


『三十秒!』

「わかってるッ!」


 残る一体が追ってくる。放熱板からレーザー光をあらん限りに撃ってくる。


 だが、構っている暇はない。


「——ヨルワタリ、ブーステッドシステムⅠを発動!」

『このタイミングで?』

「ひとつだけでも、〈クロック〉を破壊する!」

『承知したわ!』


 腕部を万歳するように持ち上げ、脚部を折り畳み、両翼が機体を包む。背部の大槍を先端としたヨルワタリの形状は、それ自体が巨大な槍と化していた。


「スラスター全開ッ!」


 翼の内側——背部、脚部から噴射。ヨルワタリは音速に近い速度で空を切り裂き——そのついでのように、たやすく十分針の、残る一体を撃破した。〈クロック〉はその場から離れようとする動きを見せたが、今の夢月にはあまりにも鈍く見えた。


 三つ目を無慈悲に突き刺す。


 同時、アラームが鳴り終わった。


 山の中腹にあった〈クロック〉から光が放射。さらに――デパートの屋上に陣取るように、それぞれ二体の巨人が着地した。外見としては五分針とそう変わらないが、より体格が大きくなり、目にはゴーグル形状のもの、背面にはガトリング砲、そして両手には長距離砲を構えている。見覚えのあるタイプの巨人だった。


「十五分針……面倒だね」

『長距離射撃タイプよ。もしも、光一様たちのいるところを狙われたりしたら――』

「わかってる!」


 生まれたのは二体。だが、一体だけでも残すわけにはいかない。


 幸い、〈クロック〉が次に生み出す巨人は約五分後。それまでにすべての巨人と〈クロック〉を片づければ事は済む。


『どうするの、夢月?』

「まず、山の〈クロック〉と十五分針を——」


 どぉん、と機体が揺さぶられる。街のデパートの屋上に膝をついていた十五分針が、こちらに砲口を向けていた。とっさに回避運動しなければ、まともに喰らっていたことだろう。


 しかし、翼の一部が焼け焦げている。


 コントロールパネルでは、ダメージは軽微とある。


 だが——


「……よくも」


 全身の筋肉がこわばっている。奥歯を噛み締め――夢月は叫んだ。


「よくも、おじさんのヨルワタリを傷つけたなッ!」


 四つ目の〈クロック〉を無視し、街のデパートの——十五分針の巨人目がけて突っ込む。


『落ち着いて、夢月! 〈クロック〉が先よ!』

「やぁああああッ!」


 十五分針が背面から肩部へとガトリング砲を展開し、絶え間ない射撃が迫る。だが、今は巨大な槍と化し、加速度を増しているヨルワタリは銃弾をことごとく弾いた。


 そして——そのまま、十五分針のコアを貫いた。


「はぁッ、はぁッ……!」


 モニターを確認。四つ目の〈クロック〉と十五分針は、ほぼ同じ位置にある。気にかかるのは姿を現さない五つ目の〈クロック〉だが、今は敵の数を減らしていくしかない。


「——ッ!?」


 腹部の奥から吐き気がこみ上げてくる。無茶な飛行をした反動だ。血を吐かなかっただけ、まだましかもしれない。


『夢月、システムの解除を勧めるわ!』

「……わかった。解除」


 ヨルワタリの翼が開かれ、腕部と脚部が元通りになる。


 残りは二つの〈クロック〉と、十五分針の一体のみ――


 だが、夢月の目の前で不可思議な光景が展開されていた。


 残った十五分針が、夢月とヨルワタリを無視するように、でたらめとしか思えない方角に砲撃している。その先には橋があり、街があり、山もある。千晴と悟郎ごろうの家も、あの方角だ。


「——まさか?」

『夢月、あの方角には光一様が!』

「やらせないッ!」


 とっさにヨルワタリを飛ばす。


〈ヤリダマ〉で牽制し、狙いをこちらに変えさせた。十五分針が、ガトリング砲で火花と薬莢をまき散らし、無数の弾丸を浴びせかけてくる。


 ヨルワタリは射線から大きく逃れ、中型の槍を投げつけた。ガトリング砲に命中し、肩部で爆発を起こす。体勢が崩れ、すぐさまもうひとつの槍を両手に持ち、頭部からコアにかけて貫き通す。光の残滓など気にする間もなく、さらに上空で漂っているだけの四つ目の〈クロック〉にも、同じように槍を投げつけて破壊。


「これで、四つ目……」


 肩で息をしながらつぶやき、十五分針が砲弾を撃ち込んだ方向を見る。光一たちの安否が心配だったが——その不安をかき消すように、アラームが鳴った。


『あと二分三十秒で次の巨人が生まれるわ!』

「——でもッ! 一体、どこに!?」


 周囲を見回しても、センサーにも引っかからない。


 いや、と夢月は思い返していた。確か十五分針の一体は、デパートの屋上に陣取っていた。ということは空から落下してきたのではないか?


 ——これは賭けだ。


「ヨルワタリ、もう一回ブーステッドシステムⅠをッ!」

『——危険よ! これ以上はあなたの体に支障が——』

「わたしの体なんか、どうだっていい! おじさんを、みんなを守れるんだったら!」


 フットペダルを踏み込み、上昇。


「ヨルワタリ!」

『——承知したわ』


 先ほどのように両腕を上へ、足を折り畳み、翼で全身を包む。大槍が空気を、雲を、大気を貫きながら真上へ。太陽が見える高さに届いても、まだ止まらない。


 空気が薄くなる。息が苦しくなり、ヘルメットの口元が白く染まりかける。星が瞬き、宇宙との境目ともいえる高さに——それはあった。


『——センサーに反応! 五つ目の〈クロック〉よ! でも、この距離からじゃ——』

「ブーステッドシステムⅡ、発動!」

『夢月、それは——』

「いいから、急いでッ!」

『——わかったわ!』


 アラームの音が大きくなる。残り、三十秒。


 シートの後ろから何本ものチューブが飛び出し、スーツ越しに首筋から背中——脊髄せきずい近くに次々と接続される。視界が赤くなり、掴んだ操縦桿が軋み、体が震える。


 同時、ヨルワタリのコクピット周辺——胸部が赤く発光し出した。赤い光の線は腕、足、翼、目の周辺と、さながら人間の血脈のごとく走っていく。飛行していく内から赤い光が残光となって、空にひとつの線を作った。


「やぁあああああああああッ!」


 ブーステッドシステムⅡ。それは搭乗者の——怒り、憎しみ、悲しみといった——感情を刺激し、強制的に昂ぶらせる。引き出された爆発的な感情を、そのまま機体のエネルギーにダイレクトに反映していくシステム。


〈リライト〉は敵。


 わたしからすべてを奪った存在。


〈クロック〉も、巨人も全部破壊する。


 みんなを傷つける存在を、破壊する。


 その衝動の槍先は、五つ目の〈クロック〉をたやすく突き破り、黄金の粒子を散らせた。


 大気に混ざって消えていくそれを、朦朧とした意識で眺める。


「……ブーステッドシステムⅠ、Ⅱを解除……」

『承知したわ。……無理をし過ぎよ』


 視界が揺れる。今、自分が吐き出したばかりのものが胃液なのか血液なのかどうかも判別がつかない。無理をし過ぎたなんて、言われるまでもなかった。


 でも、それでも――


 モニターに映っているのは、ほんのわずかにデブリが浮いている黒々とした宇宙と、地表からでは見えない強い輝きを放つ月と星だ。

「…………」


 夢月。夢の月。


 月は夢のように遠いけど、必ず辿り着ける。そんな力強さと夢を持つ子に育ってほしい。


 わたしにそう、名づけてくれたのは誰だっただろう。


 お父さん? お母さん? それとも——おじさん?


 機体が傾いている。コクピット内の熱が上昇していく。落下しているのだ、と理解はしていたが、手足がうまく動かせない。


『夢月、自動操縦に切り替えるわ。少し休んでて』

「……ありがと、ヨルワタリ」

『いいの。あなたはよくやったわ』


 ふと、目の端が濡れていることに気づいた。


 なんで泣いているんだろうと考えてみて——そうだ、ヨルワタリを傷つけてしまったんだということに思い至った。


 おじさんが何年も、それこそ命すらも懸けて造ったヨルワタリを。


(——ごめんなさい)


 ヨルワタリにも聞かれたくなくて、混濁した意識の中で、夢月は口中につぶやいた。

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