ダム

滝川創

ダム

「今日は涼しいですね」

「え?」

「夏の夕方にしては、過ごしやすくないですか?」

「はあ……」

「……」

「……」

「何してるんですか?」

「……」

「夕暮れにひとり、手ぶらでダムを覗き込んで」

「ちょっと……色々あって、気がついたらここにいました」

「……何もかもが嫌になったときに見る、ここの景色って綺麗ですよね」

「…………あなたもですか?」

「死にたいんじゃなくて、生きることができそうにないんですよね」

「……そうかもしれないです」

「せっかくだし、散歩でもしませんか?」

「……まあ、そうですね」

「この近くの遊歩道、私のお気に入りでよく散歩してるんです。良ければ案内しますよ」

「じゃあ、はい。お願いします」

「……」

「……」

「ここの近くの人?」

「いや、都心から来ました」

「わざわざ遠くから?」

「はい。ネットで自殺スポットを調べたら、ここが有名だとわかって」

「うん」

「それで、死を目の前にする気持ちを体験すれば、今、自分がどうしたいのかわかるかなあと」

「なるほど」

「それで、観光するような気持ちでここまできちゃいました。なんか、死のうと思えばすぐに死ねるもんなんだな、と思いました」

「人間ってあっさり死んじゃうんですね」

「そうですね」

「あ、綺麗な花が咲いてますよ。ほら、この道の先、ちょっと離れたところに花畑があるんです」

「そうなんですね。本当だ。木の隙間から見えました」

「今日は、ヒグラシの声がすごいなあ。都心はどうですか? 蝉、鳴いてますか?」

「そうですね……俺の住んでる地域では、昼間に聞こえますが、夜になってくるとあまりかもしれないです。ただ、俺が家をあまり出ないから、知らないだけかもしれませんが」

「そうなんですね。いつか、東京に行ってみたかったんですけどね。都会の蝉の声を聞くことはできそうにないです」

「あんな場所、良い所じゃないですよ。喧噪と雑踏にまみれた世界ですよ」

「そんな人々の音に飛び込んでみたいんです。生まれてからずっとここに住んでいるので、そんな、騒がしい世界を見てみたいんです」

「俺はこの静けさの方がずっと良いと思いますけどね。でも、行きたいなら、行ってみればいいんじゃないですか」

「私、体が弱くて、小さい頃からあまり遠くに行かせてもらえなかったんです。だから、中々勇気が出ないんですよね」

「そうだったんですか……大変ですね」

「ほら、どうです? とても綺麗な花畑でしょう」

「色々な花が咲いていますね」

「季節によって景色が変わるんですよ。いつ来ても、違う表情が見れます」

「へえ」

「あ、鳥がいる」

「どこですか」

「あの紫の花が咲いているあたりです」

「んー。お、本当だ。鮮やかな緑色ですね」

「あの鳥、たまにここで見かけるんです。あの鳥にとってもお気に入りの場所なのかもしれないですね」

「お気に入りですか」

「いいですよね」

「どこからか水の音が聞こえてきますね」

「こっちに行きましょう」

「え、そっちは遊歩道から外れてますよ?」

「見せたいものがあるんです」

「ここは、だいぶ草が湿ってますね」

「浅い川を渡るので、靴を……よいしょっと、脱いで、ください」

「川に入るんですか」

「川といっても、ちょっとした小川みたいな感じですけど、靴で入ると濡れちゃうので」

「脱ぎました」

「じゃあ、滑らないように私の手を掴んで」

「では、お言葉に甘えて、失礼します」

「そこの石の上を踏んでください」

「っと、けっこう滑りますね」

「気をつけて。そこの地面は踏むと沈むので、こっちです。ここですね」

「渡りきりましたね。いやあ、こんなことをしたのは子供の頃以来です」

「ふふふ、落ちるぎりぎりでしたね」

「大学を卒業してから、五、六年は運動していなかったので、体が思ったように動かないです」

「え! 失礼ですが、今、おいくつですか?」

「二十七です」

「お若く見えますねー。私、二十二なんですけど、同い年くらいだと思ってました」

「そうですかね。全然、気とか使わなくて良いですよ」

「わかりました。じゃあ、今まで通りの感じで行かせてもらいます」

「水の音が大きくなってきましたね」

「こっちです。ここも滑りやすいので気をつけて」

「ここもよく来るんですか」

「はい。この先に、私だけの秘密の場所があるんです」

「秘密の場所」

「はい」

「秘密の場所って、おっとーー」

「大丈夫ですか?」

「はい、あー、そういえばお名前聞いてなかったですね。俺は有一ゆういちっていいます」

美希みきです」

「美希さんは、運動神経が良いですね」

「そうですか? いつも来てるからこの道に慣れてるのかもしれないです」

「見えてきましたよ」

「おお……」

「……」

「……」

「どうです? 綺麗でしょう」

「こんな大きな滝を間近で見たのは初めてかもしれません」

「ここは数十メートルはあるのに、全然知られていないし、整備もされていないから観光客とか来ませんからね」

「生きている滝って感じですね」

「水しぶきが気持ちいいでしょう。夏になると、ここによく休みに来るんです」

「素晴らしいですね。この迫力が独り占めできるなんて」

「この場所は、遠くに行けない私の特等席なのかもしれないです」

「流れに吸い込まれそうな気持ちになりますね。水と一緒になってどこかへ流れて行けたらいいのに」

「それ、私もよく思ってます」

「仲間ですね」

「……では、そろそろ行きましょうか」

「はい」

「戻りは、こっちの崖を降りるとはやいんです」

「崖……? それって、大丈夫なんですか? さっきの道に戻った方が良いのでは?」

「大丈夫です。しょっちゅう降りてますから。登りは厳しいんですけど、降りるのはこっちの方が断然便利です」

「冒険家ですね」

「ふふふ。庭から出られない冒険家なんです」

「そこ、降りるんですか。だいぶ角度きつい斜面に見えますが……。二メートル以上ありますし」

「この突き出た岩に足を引っかけて、そこからあの垂れた木の根を伝って降りるんです」

「大丈夫ですか、怪我しないでくださいよ」

「次にやってもらうのでっ、ふんっ、ちゃんと見ててください……よっと」

「ヒヤヒヤします」

「ここまで降りれたら、後は飛び降ります。えいっ。さあ有一さんも」

「ここに足をかけて、それからこれを、こう、ぐっと」

「そうです。いい感じです」

「つか……んで、えいっ」

「そこまで来れたら後はこっちに飛び降りて」

「行きます。はっ、ぐっ」

「お疲れさまです」

「ふう……スリルがありました」

「では、こっちに」

「はい」

「このまま行くと家が並ぶ通りに出て、そこからダムに戻る道があるんです。暗くなってきましたし、ちょっと急ぎましょう」

「別に急がなくても大丈夫ですよ」

「いえ、もう一つ見せたいものがあるんです」

「そういうことなら」

「こっちの道に入ります」

「はい。この道。古い家が並んでいて、趣ありますね」

「言われてみればそうですね。あ、ほら見て、あの向日葵が咲いている家。二階の窓」

「んー。あ、カーテンから猫が覗いてますね」

「あの猫、滅多に顔を出さないんですよ。有一さん、ラッキーですよ」

「ラッキー、か」

「……」

「だいぶ暗くなってきましたね」

「この坂道上ります」

「ここも中々険しいですね」

「ここを上ったら、すぐにダムです」

「了解です」

「間に合うかな。ちょっと走りますか」

「間に合わせましょう。足には自信あります」

「ほら、あそこ、はあ……、見てください」

「おー。燃えるような太陽って、まさにこんな感じですね」

「もっとこっちまで、はあ……、来て」

「はい」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「沈みましたね」

「ケホッ、これを見て欲しかったんです……はあ」

「とても綺麗でした。ダムの水面に沈んでいく夕陽」

「コホ、ケホッ」

「大丈夫ですか」

「ちょっと、ゲホ、はしゃぎすぎました、ゴホッ」

「え、血が」

「……」

「本当に大丈夫ですか? そんなに体が悪かったなんて。無理させてしまってすみません」

「いえ、勝手に走ったのは私ですから、有一さんは悪くないですし。それに、きっとすぐこんなこともできなくなってしまうので、できなくなる前に思い切りやってみたかったんです」

「……」

「有一さんは気にしないでください」

「もしかして、美希さんは、死にたいんじゃなくて……?」

「ごめんなさい。黙ってて」

「いや、まあ……」

「もう、余命が無いんです」

「え……」

「今日が余命宣告をされた、最期の日だったんです。だから、私、もういつ死んでもおかしくないんです」

「そんな……ご家族は?」

「家族は誰もいません」

「すみません」

「謝らないでください。私がいなくなっても悲しむ人がいないってことですから。そんな悲しいことでも、ないですよ」

「……」

「誰もが死に向かって生きているのに、最期が近づいてくる、と感じた途端、この景色はずっと綺麗に見えるようになったんですよね」

「……」

「ごめんなさい、こんな語っちゃって。私はここで死を待つだけの人間なんです」

「綺麗です」

「え?」

「美希さんはとっても綺麗です」

「……」

「絵にしたいくらい」

「ふふ、突然何ですか、照れちゃいます」

「自分勝手な願いですが、描かせてもらえませんかね。美希さんを」

「有一さんは絵を描かれるんですか?」

「一応、砂絵作家なんです」

「砂絵……面白そうですね、是非、描いてください」

「今は道具がないので、スケッチさせてもらっても?」

「どうぞ」

「ありがとうございます」

「では、そこに座ってもらって」

「こんな感じですか?」

「はい、もうちょっと右を見て、OKです」

「……あの、私からもお願いがあるんですけど」

「はい」

「もし良ければ、一緒に旅に出てくれませんか?」

「え? 旅に」

「どうせ死んでしまうなら、夢を叶えながら死にたいなーと」

「……それで、どこへ?」

「まずは、東京。それから後は、気の向くままに!」

「あはは、急に無鉄砲ですね」

「ここにいても死んでしまうなら、冒険して死んでしまっても後悔はしないですから! 有一さんも、色々な場所での私が描けますよ」

「そうですね。美希さんのお願いを前に、死にたいなんて言えなくなっちゃいましたよ」

「それはOKってことですよね?」

「そうです」

「楽しみ! やっと夢が叶う!」

「……」

「……」

「日が沈んでも、綺麗ですね」

「もう死を待つのはやめたけど、それでも綺麗です」

「そうですね」

「有一さんは、なぜここへやってきたんですか?」

「……ずっと一緒にいた親友が死んでしまったんです。あの、小さい頃から家族みたいな存在で、つい最近も一緒に仕事をして、順調にうまくいっていたんです。それなのに、この前、急に交通事故で彼が死んでしまって……。それから、何もやる気がでなくなって、自分は何のために生きているんだろう、と思うようになって。それで、気がついたらここにいました」

「そうだったんですね」

「その先で、生きる理由を見つけて、こんな景色が見えるなんて、思いもしませんでしたよ」

「私も、有一さんも、絶望の向こうに見える景色を見ていたのは、同じなのかも」

「そうですね」

「……」

「……」

「声、かけてくれて、ありがとうございました」

「そんな言葉が聞けて、良かったです」

「あなたが生きている限り、俺も生きようと思います」

「私がいなくなっても生きてくださいよ。私が生きていたことをこの世に刻んでください」

「急に大きな課題だ」

「私も生きている限り、忘れられないようにあなたの中に傷跡をつけるので」

「まだまだ、元気そうに見えてきました」

「私はまだまだ元気です!」

「一緒に、全力で逃げてやりましょう」

「私、死に追いつかれないように歩き続けます。これでもかというくらいに生きてやります」

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ダム 滝川創 @rooman

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