夏のいたずら

ふるえもん

夏のいたずら

 いつからだろうか。



 夜の駅の向かい側のホーム、スーツをきた彼女は佇んでいた。


 帰り、なんとなくスマホを眺め、なんとなく選んだ乗車待ちの列に並ぶ。

 先頭に並ぶと向かい側のホームと目が合うので、なんとなく先頭は避けて、もう列が出来ている列を選ぶ。


 何もない日常。


 そんな日常に変化が起きたのはいつだったか。


 暑い夏、彼女は駅の向かい側のホームに、赤く腫らした目を伏せて佇んでいた。ともすれば、そのままいなくなってしまいそうな、ふらふらとした足取り。

 

 何故か私は彼女から目を離せなくなった。

 その日から私は、無意識ではあったが、消え入りそうな彼女を目で追うために、列の先頭に並ぶようになった。



「すみません。」

いつも通りに列に並んでいると、他の客と肩がぶつかった。


「おや………。ああ。こちらこそ申し訳ない。」

すっかり髪の毛を真っ白に染めた、おじいさんがこちらを振り返る。


 いつもであればそこで終わるだろう会話は、不思議と今日は続いた。


「どうして君はここにいるんだい?」

ボケているのだろうか………。


「どうして……ですか。電車を待っているんです。」


「………………そうかい。そうじゃったの」

おじいさんは、何かを考え込むように頬を掻く。



おじいさんは優しい顔で笑うと、今度会ったら話そう、と言い残して人混みの中へ消えていった。


 変なおじいさんだったな………。



 それからというもの、その変なおじいさんは、ときどきホームに現れるようになった。


「今回も先頭に並んでいるのかい?」


「はい。」


「それはどうして?」

応えに詰まる質問だった。私は思わず向かい側の彼女をちらりと見る。


 相変わらず暗い表情だったが、少し元気になっている気がする。その様子を見た私は、何故か心が晴れてゆく。


「先頭の方が席に座りやすいですから。」


「……なるほど。そうかい。」

そうつぶやいたおじいさんは、満足したのか、私に別れを告げて去ってゆく。


 不思議なおじいさんだ。毎回少しの会話で去ってゆく。







 それから、向かいのホームの彼女は、少しずつ元気を取り戻し、今では初めて見たときのような危なっかしさは無くなっていた。

 彼女はいったい何のせいでそんなに落ち込んでいたのだろうか。


私は元気そうな彼女を見ると、どこか心の奥底に鎮座している悪いものが溶けてゆくような感覚になっていた。







 今日は彼女がホームで他の客とぶつかっていた。

華奢な彼女は思わずよろけ、いつの間にか伸びていた彼女の髪の毛が揺れる。


 私の心はどうしようもなく揺れた。大丈夫だろうか。彼女を心配する気持ちがこみあげてくる。

 思わず長いこと見てしまったが、あちらがこちらに気づく様子はない。


「どうしたのかな?」

いつものおじいさんだ。

「いえ。」

私は少し冷静を取り戻した。


彼女とは知り合いでもない。そんな私が突然話しかければ、不審がられて、気味悪がられてしまうだろう。



 どうせ話しかけるのなら、きっぱりと、一目惚れだと言った方がまだいいのかもしれない。それで断られればそれまで。



「何か決心したような表情じゃね?」


「はい………」

おじいさんはなかなかに勘が良いようだ。

「そうかい………。それは良かった」

おじさんはほっとした顔を浮かべてつぶやく。



 明日、私は彼女に話しかける。あちらのホームにわたって、この気持ちを告げようと思う。

 ナンパだと思われるかもしれない。変な人だと思われるかもしれない。でも、私の心が、大げさに言えば魂が、それをしたいと言っている気がしたのだ。







 私はいつものホームにいた。いつもの癖で自分の方のホームに一度来てしまった。これから彼女に思いを告げようと思う。


 ホームから降りて、駅の改札を通り駅から出る。夏の暑い空気が私を迎える。


 彼女は信号待ちをしていた。明るさを取り戻した顔は、私の心を照らす。

これで私が話しかければやっぱりナンパのようじゃないか。


 私の決心は揺らいだ。それに、なんだか話しかけるのは今日ではない気がする。


 そうこうしているうちにも、彼女は信号を渡って近づいてきてしまうだろう。そもそも、なんと言って話しかければ良いのだろうか。


「すみません、少し良いですか?」だろうか?

私はもっとふさわしい言葉があるような気がして、なんとなく顔をしかめた。




その日、私は彼女に話しかけることができなかった。




「どうしたんじゃ?」

いつものおじいさんが話しかけてくる。


「いえ………」


「そうか? 何か悩んでおるように見えたが」


そこはさすがと言うべきか、こういう洞察力では人生の先輩には敵わないらしい。

私はおじいさんに相談するのも悪くない、と思った。


「実は……」

私は全てを話した。どうしてそこまでおじいさんに話す気になったのかは分からない。


おじいさんは少し考え込むと、「絶対に後悔だけはしないように。あと、未練が残らないようにしなさい」と言って微笑んだ。



なんだか少し勇気づけられた気がした。おじいさんは、なぜかいつも持ち歩いている茄子を私に渡すと、手を振って帰っていった。







「今日は絶対に話しかけよう」

私は決心して街を進む。


彼女を見つけた。また信号待ちをしていた。スマホを見ながら、買い物袋を手から下げている。


私は襟を整えて、話しかけようと彼女に近寄った。


そのとき、私たちが停まっている信号に向かって、一台のトラックがふらふらと向かってきているのが見えた。


私が不審に思い、トラックの中を覗くと、なんと運転手が居眠りをしている。

このままでは彼女にぶつかってしまう。




「危ない!!」


 まるでそうすることがあらかじめ決まっていたかのように、私の体は勝手に動いた。気がつくと彼女のそばで、服を引っ張っていた。


彼女はようやくトラックに気づき、私に引っ張られて軽く転倒する。


トラックは彼女のすぐそばの電柱にぶつかった。


私は彼女を心配して、駆け寄る。周囲の人も彼女に駆け寄る。

私が彼女に手を貸すために近づいても、彼女は一向に気づかない。


彼女は、大きく目を見開いて周りを見回す。


私が声をかけても、まだショックから立ち直っていないのか、一向に気づく気配がない。


心配になった私は、彼女に近づき、肩に触れようとした。

だが、私は彼女の肩に触れることは出来なかった。


私の手が彼女の体をすり抜ける。





私は、全てを思い出した。





ビルのガラスに映る彼女の姿を確認する。


ガラスに反射して彼女は写っていたが、私の姿は写っていなかった。


私は彼女に近づいて、そして、抱きしめた。

私の手が彼女に触れることはないけれど、彼女は何かを感じとったように涙を流した。



気がつくと、私はいつもの駅のホームにいた。おじいさんが隣に立っていた。


「終わったかい?」


「はい。終わりました。ありがとうございます」

おじいさんからもらった茄子が、私のポケットから無くなっていた。


「いいよ。私はもう一つあったから」


おじいさんは笑うと、「今回は一緒にのろか?」と言って電車の中に進む。


私はおじいさんと共に、電車の椅子に腰掛けた。


「ちなみに、あなたはどうしてここに?」

私は隣に座るおじいさんに聞いた。


「そりゃあ、ひ孫の顔を見るためじゃよ。」


おじいさんは、膨らんだポケットから胡瓜きゅうりを取り出して微笑んだ。











 彼女は私の妻だった。心から愛していた。


 話しかけようとして言葉が見つからなかったあの時、本当は「おかえり」と言いたかった。


 やっぱり君を残して先に行ってしまうのは心苦しいけれど、最期に君を助ける事ができたのは、神様のいたずらなのかもしれない。





夏のいたずら 了

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