第46話 敵は閉じ込めて放置すると亡くなります


 迷宮を出て管理参事会にやってきました。

 わたくしたちをご覧になった書記官さまは、険しい顔つきで人をお呼びになりました。

 30日以内にお金を支払う契約を結んでおりましたが、予定期間を1日過ぎているので仕方ありません。

  

 刑罰の危機ですわ。

 ですが回避する方法がありますので、抵抗せずにおとなしく待ちます。

 しばらくすると衛兵のかたがいらして、わたくしたちを取り囲みました。


「もうよろしくて? お金をお支払いしにまいりました」

「きみは事態を飲み込めていないようだな。契約に従って奴隷になってもらう」

「やむにやまれぬ事情がありましたの。お金はお支払いいたしますので、どうか目をつぶってくださいませ」

「そんな段階はもう過ぎてる」

「こちらをお納めしても、無理でして?」

「なんだこれは? 薬か? 何の薬だ」 

「金貨1万枚のお薬ですわ」

「……あんた、これ……まさか! いや、まさかな……」


 書記官さまにお薬の詰まった瓶を手渡しますと、すぐに人を読んで鑑定のスクロールを取りに向かわれました。

 わたくしたちを囲んだ兵隊さまたちも、お顔を見合わせて事態の推移を見守っていらっしゃいます。


「どうぞ」

「ああ……」


 鑑定のスクロールが青い文様を宙に浮かべました。

 クリスタルの瓶を持つ書記官さまの手が、ブルブルとお震えになりました。

 とてつもない怪異を目にしたかのように、目を見開かれて、釘付けになっております。


「まさか……ほんとうに……」


 そのままの姿勢で固まられて、現実に認識が追いついていらっしゃいません。


「もし、お気を確かにお持ちください」

「これは……霊薬じゃないか!」

「なにっ」

「霊薬だと!?」


 周囲の兵隊さまもざわつかれます。人の輪が縮まって、カウンターの上に瓶に視線が集中いたしました。


「お望みの霊薬ですわ。これを慎重に運びましたので、余分な日数がかかってしまいました。ですから罰はご勘弁をお願いしますわ」

「あっ、ああ……ああ……! もちろんだよ。誰が文句を言うものか! ちょっとまってろ。王宮にも連絡するからな! ここにいてくれ!」

「ええ」


 賞賛の視線にさらされたまま、しばらく参事会館に留め置かれました。

 高圧的だった兵隊さまが恐る恐る話しかけていらしたのが愉快でしたの。


 しばらく待つと迎えのかたがいらっしゃいました。

 都市の中心部にある建物に案内されます。

 半裸の近衛兵さまが左右に並んだ謁見の間で、真緑の髪色をしたおひげの族長さまが骨造の玉座に座られました。


 侍従のかたが入出時にお名前を読み上げられました。

 この地域を支配するキワイ氏族の族長さまのお名前は、ガリバル17世だそうです。

 蛮族のかたにも、長く続いている家系があったとは存じませんでした。

 暴力で王位を奪って一代限りでの断絶を繰り返しているものだとばかり想像しておりましたの。


「ようやった。異邦人など取るに足らぬ生き物だと思っておったが、そなたらの働きは賞賛に値する。名前を名乗るがよい」

「アテンノルン・メリテビエ・セスオレギーゼと申します」

「数十年ぶりの快挙故、そなたらを祝うことやぶさかではない。望みの褒美を言うがよい」

「それならば──」

 

 ベルナールさまの村と自由な交易をできる権利をご提案しました。

 法律により国境より先に行けないのであらば、こちらからの商人を自由に行き来させてほしい、と。

 

 それに加えてメルクルディさまに促され、ローカル暗黒神フィリーエリの教義を布教の是非をおたずねしました。


「かまわぬ」

「ありがとう存じます。協調と融和が果たせれば、望外の幸せですわ」


 ガリバル17世さまは、どれも二つ返事で了承してくださいます。


 関所を守る隊長さまたちは東側は禁域だと畏怖していらっしゃいましたが、支配層のかたには形骸化した風習に過ぎないと感じます。

 知識階層と庶民の意識が乖離しておりますわ。


 最後に契約期間を一日過ぎてしまった問題も不問に処されて、わたくしたちは謁見の間を退出いたしました。


 帰りがてら、大臣さまのおひとりから話しかけられ、未婚の王族のご子息と婚礼を進められたのは閉口しましたが……。

 さすがにお相手が9歳では困ります。


 氏族長さまからは逗留を望まれましたが、月桂樹騎士団がもう一本の霊薬を持って帰られるまえに街を出たかったので、祝宴もそこそこ足早に退出しました。

 

   ###


 わたくしたちが痛飲していた夜、街が騒がしくなりました。

 ダンジョンの出入り口付近で赤い炎があがり、喧噪が聞こえます。

 屈曲部にある宿の窓からお外を眺めますと、戦闘音は市門まで達して、小爆発やら角笛の音やら、たいそう賑やかでいらっしゃいます。


「メルクルディさまご覧ください。戦いですわ」

「んぅぅ……魔物が入ってきたのでしょうかぁ?」

「いえ、内側から外に向かって火事が続いております。おそらくですが、迷宮内でお会いしたかたがたが、突破を図っていらっしゃいます」

「うわぁ、頭がおかしいですぅ」

「どちらがきっかけが存じませんが、平和的なお話し合いは始まりませんでしたの。思い違いでしたわ」


 みなさまが霊薬を持てば、このような品物に権威を見出さずに、建設的な合意を目指した会合が持たれると想像しましたが、その段階に至る前に小競り合いがはじまりました。

 仕方のないひとたちです。


「あれほど内密にとお頼みしましたのに、お我慢がおできにならないのかしら?」

「アテンノルンさまが言っていた正当性がぁ、みんなが自分にあるって思っちゃったのかもしれませんねぇ」

「そこで踏みとどまると存じましたが、踏み出してしまわれましたの。無益な対立よりも融和のほうがお金がもうかると存じますが、武力は手っ取り早いですものね」


 迷宮から出てきた3つのパーティに、すでに霊薬が手に入っているとお話が届いた場合、キワイ氏族の月桂樹騎士団も含めて、一日にして神秘的な霊薬の価値が暴落ですわ。


「止めに行きますぅ?」

「いえ、この街中で革命家のかたと南進蛮族のかたをお諫めしますと、捕まって処刑される可能性がありますわ。少々の手助けなら可能ですが、自力で脱出していただきましょう」


 街は騒然となり、非常線が張られます。

 市門に何かが叩きつけられる音がして、パッとまぶしい光を発し、めりめりと音を立てて外側に倒れました。戦いの音が一層激しくなります。


「メルクルディさま、わたくしたちもこの騒ぎに便乗して街を出ようと考えますが、いかがでして?」

「やっぱりめちゃくちゃになったですぅ。たまには静かに街から出発したいですよぉ」

「わたくしたちは霊薬を6本持っているではありませんか。もう3本ほど追加で納めてみれば、この騒動も治まるかもしれませんわ」

「本気で言ってますぅ?」

「いえ、むしろ投獄される可能性が高いと存じますわ。やはり余計な騒動に巻き込まれてしまうまえに、ベルナールさまの村に戻りましょう」

「わかりましたぁ……」


 霊薬をお渡しするアイディアを実現するために、わたくしたちは迷宮の中枢に引き返し、火災が収まり復元しつつある古木のそばに残った、新緑多頭竜ディープグリーンハイドラの心臓に霊薬を振りかけました。


 果たして新緑多頭竜ディープグリーンハイドラは復活し、わたくしたちは討伐を繰り返し、魔力の消費が供給を上回るまで倒し続けました。 

 その結果、余分な霊薬を6本も備蓄できました。


「お世話になりました」


 坂にできた蛮族の都市に一礼します。

 お顔に消耗がうかがえるメルクルディさまを励まして、宿から出立いたしました。

 

 蛮族都市のあちらこちらにはかがり火が輝き、長弓を構えた兵隊さまが要所要所で警戒していらっしゃいます。

 

 宿の裏口からこっそりと出発したわたくちたちは、足音を消す魔法を使って建物の陰に溶け込みます。

 

普通ならば都市の入り口は最も警備されているため、脱出は難しかったでしょうが、ある方法を使えば簡単でした。


「さすがわたしの見込んだニンゲンね。森の食骨猿ボーンバイトエイプみたい!」

「次からは別の例にしなさい」

「思いついたらね!」 


 妖精に不本意な言葉を投げられつつ、街道に戻って関所を目指しました。

 2日後、関所にたどり着いたわたくしたちは、一月ぶりにであった隊長さまたちにご挨拶しました。


「もう戻ってきたのか。首都はどうだった?」

「ダンジョンはわたくしたちを成長させてくださる糧になりました。いろいろ珍しい経験もできましたわ」

「そうか、よかったな」

「首都でお話を聞きましたが、街道を使った交易が復活するそうですの。この関所を通るかたも増えますわ」

「そうか、そうか! ようやくここもやりがいのある仕事場になるのか! 狩りで無聊を慰める必要もなくなるな──よい知らせを持て来てくれた。感謝するぞ」

「喜んでいただけて何よりですわ。それでは失礼いたします」

「ああ、また来てくれ」


 小さく手を振ってお暇します。

 関所に早馬が来ていなくてよかったですわ。


   ###


 帰り道、蜂の巣を埋め立てた場所を通りかかりました。

 巨大なミツバチが出てくる穴を見つけたので塞いだのですが、1か月以上経っても、まだ岩は崩落して埋まったままでした。

 虫一匹、はい出た様子はありません。


「中はどうなっているのでしょうか? 寄り道してみてゆきませんこと?」

「はいですぅ」

 

 ここだけしか入り口がなければ、内部は酸鼻極まる状態でしょう。

 飢餓がひろがった地域ではありがちですが、同族を食べて飢えをしのいでいるかもしれません。


「あなた、そのあたりはどうでして?」

「なんでわたしに聞いたの?」


 妖精が首をかしげます。 

 魔物と生態は違うようですわ。


「この岩、斜めに引っ張れば動きそうですぅ」


 尖った岩の頂点にロープをかけて引っ張りました。

 力を加えるとじわじわと浮き上がり、骨が軋むような音を経てて、ゴロリと一息に転がりました。

 岩の粉が舞い上がります。


 瓦礫が崩れ、黒々とした通路が道を開きました。

 太陽光で照らされた通路には、出口まで来た蜂と思わしき殻の残骸がいくつか転がっております。

 状態はバラバラで、殻の中身はなくなって空洞です。

 すさまじい腐臭が奥から漂ってきました。


「全滅してますわ」

「油断せずに進みましょう」


 洞窟は大人一人が立って通れるほど幅があり、光の精霊魔法で照らされた側面の岩肌は、地衣類がたくさん生えております。

 どれも乾ききっており、触れると乾いた粉がこぼれました。


 坂道を下ってゆくと腐臭が強くなります。

 今まで見かけた死骸には生の部分がありませんでした。

 きれいに内部を食べられて、奇妙な黒い液体がこびりついております。


 何度かの分かれ道にマーキングして進み、分岐路の行き止まりにゴミ捨て場を見つけました。

 深い盾穴の底に、動物や人間の骨や衣服、装備が投げ込まれております。

 降りて調べて見ますと、蛮族製の不気味な像や金のトルクなどを見つけました。どれも損傷が激しく価値はなさそうです。


 ゴミ捨て場の反対側は下に降りる坂です。

 らせん状にくだってゆく道が闇に続いております。

 内側の壁面からは蝋でできた黄色いハニカム構造が露出しておりました。


 人間の赤子がすっぽりと入りそうな六角形の部屋はどれも空洞。

 内部には乾いた壁があるだけで、幼虫や蜜はまったくありません。

 坂に沿って円柱状の巣は続いておりますが、すべて空、空、空で生き物がおりません。

 あまりの寂れ具合に、無人化した都市を想像してしまいましたわ。


「一匹もいませんわ」

「たぶん共食いしたからですぅ。魔物の中には同族を食べるために頭が大きくなったり、弱った仲間を選んで襲いはじめる魔物もいますぅ」

「恐ろしいお話ですこと」


 人間が同じ状態になったとき、倫理と道徳と宗教の歯止めがなければ、この蜂たちと同じ行為をするでしょうか? 

 極限状態の心理を想像しますと、背中がうすら寒くなります。この状態を作り出したのはわたくしたちですが、自分に置き換えますと酷いお話ですわ。


 じゃりじゃりとした殻を踏みつけて下ります。

 インクをこぼしたような闇が渦巻いておりますわ。

 闇の通路の心細さを思い出して、灰黒狐を抱き上げてしまいました。


「どうしましたぁ?」

「闇の中をずっと歩いた出来事を思い出しましたの。少々お待ちください。すぐに立ち直りますわ」

「素敵な経験ですねぇ。私も深い闇の底でフィリーエリさまにお会いしたいですぅ」

「そういうお考えもありますのね」

「はいですぅ」


 闇に親和性のあるかたが多いですわ。

 坂を下った最深部はドーム状の部屋になっておりました。

 乾いたハチの巣が壊れたシャンデリアのように中央部からぶら下がり、丸みのある先端が地面に到達しております。


 周囲には大量のハチの残骸。

 すべて空洞で頭の殻だけが積みあがっている場所もあります。

 腐臭はこの部屋が一番強く、入り口近くにまで漂っていたにおいの原因はここです。


(まあ)


 お口を塞いでいるので声には出ませんでしたが、巨大な魔物の死骸がありました。 

 丸みを帯びた長いお腹。

 人間ほどの大きさがある頭と顎。

 丸まって眠る犬のようなポーズで、わたくしより5倍は大きい女王蜂が朽ちておりました。


 この死体だけは妙にみずみずしく、砕けた関節からは腐った体液が流れ出しております。

 お腹も大きく割れて、ですが中身がからっぽです。

 周りには大量の殻。


「他の蜂が女王を生かすために、巣の中の生き物を食べさせたと存じますが、この巨体でも飢餓には耐えられませんでしたの」

「うーん、そんなに簡単に死ぬとは思えないですけどぉ」

「くゃ」


 闇の中、灰黒狐が女王の背後の空間に飛び込んでゆきました。何かを砕く音がして、盛んに吠えております。


「闇のケモノが何か見つけたわ」


 妖精に続いて行ってみます。

 残骸の奥にあったのは、真っ赤なまゆです。

 子供ほどの大きさをした楕円形の、深紅のぶよぶよしたまゆです。

 中身はまだ生きているのか、表面が脈動しております。 


「これは未来の女王蜂でして?」

「たぶんそうですぅ。次の世代を残すために一匹に力を集中させて産んだのですぅ」

「放置しては禍根が残りますし、開いてみましょう」

「今開けたら死にますよぉ」

「おっしゃる通りですわ」


 琥珀の短剣でまゆに切り込みを入れます。蜘蛛の巣に似たねっとりとした斬り心地です。


 なかにはすでに形が完成している蜂の女王が──女王と呼ぶにはいささか幼い外見をしておりますが、半透明の殻とゼラチン質の膜に包まれております。

 外気に触れると開けるとわずかに脚が動きました。

 急速に全体が黒ずんでゆきます。明らかに死につつあります。


 たかが魔物の幼虫ですが、何も成し遂げずにうしなわれてゆく命に対して、同情を覚えなくもありません。

 せめて良い気分で死になさい。

 お酒の入った革袋を傾けて、ドクンドクンと蛮地の地酒が露出した牙と牙のあいだに流れ込みました。


「まあ! メルクルディさまご覧ください。黒ずみが消えてゆきます」

「ほんとですぅ。代わりに緑色になってゆきますぅ」


 お酒の力で壊死が止められるとは存じませんでしたわ。

 ほかの液体でも同じ効果があるのかしら? お水は使いたくありませんし、そうですわ!


「昔、お屋敷にいらした魔物使役兵ビーストコマンドのかたが、弱らせた魔物に自分に血肉を与えて手懐けていらっしゃいました。わたくしもできるか試してみましょう」


 短剣で肘の裏側を一直線に傷を付けます。

 痛いですわ。

 すぐにあふれ出した血が、死にかけている蜂のお口にこぼれました。ハチの羽が持ち上がりました。大きな頭がぐらぐらと揺れ、6本の脚をまっすぐに広げました。

 がくがくと小刻みに震えだしました。


 口元よりひろがった赤いよどみが、水のなかにこぼした血液のように、緑がかった透明な蜂の体内に広がります。

 赤いもやはおしりの針の先までしみわたりました。

 幼虫はのけぞり、ピンと脚先を伸ばし、震え、緊張と内圧が高まってゆくすがたが見てとれます。


 限界までのけぞった頭が、パキリと音を立ててもげました。

 脚がわしゃわしゃと中空を掻きましたが、やがてとまりました。


「……」


 地面に頭が転がります。

 頭部を失った幼虫のお腹の中に、体内を巡った赤色がまとまりました。

 ほかの部位は黒ずんで固まります。やがで一か所に集まった赤色が球体となり、心臓のごとく明滅して球形に固まりました。

 蜂はそのまま、ぴくりとも動きません。


「亡くなりましたの」

「……死んだですぅ」


 支配実験は失敗ですわ。

 この巣穴の中でただ一匹、他の蜂が身命を賭して生き残らせた成果も、今や物言わぬ屍になりました。

 残念ですこと。


 お気の毒ですが私見を申しますと、最後の一匹を倒して巣穴を掃討できましたので、かわいそうですが上出来の部類ですわ。


「平和になってよかったですわ」

「う、う、う……」

「何の音でしょう?」

「ぐあー!」


 蜂の外骨格が飛び散りました。そのなかから両手をあげて、ひとりの魔物が立ちあがりました。

 みるみる質量を増し、わたくしの腰よりも高くなりました。

 不意打ちかと魔法を撃ちこみかけましたが、魔物は胸を押さえて苦し気にせき込みます。


「けほっ、こほっ、げぇぇぇ」


 ふわふわしたくせ毛はほとんど白に近い黄色い髪です。

 赤い眼は兎のよう。

 そして身体を覆う甲殻。手足はニンゲンと同じ数ですが、関節部分は節で区切られ、指先は尖った爪になっております。


「亡くなった魔物が復活して、人間に擬態しましたわ」

「血、血を飲ませたからですぅ。魔力の濃い血のおかげで、元気になったのですよぉ」

「わたくし生命を弄んでしまいましたわ……魔物使役兵ビーストコマンドさまでもありませんのに、異形の存在を作り出してしまいましたの」

「けほっ、けほっ」


 球体関節を持った小さな子供が、せき込んでおります。


「生み出した責任は、わたくしが手を下すべきですわ。あなた、動いてはいけません」

「アテンノルンさま! まずは命令を聞くか試してみてください。いきなり殺してはかわいそうですぅ」

「それもそうですわ。あなた、そこに座りなさい」

「うー」

 

 座りましたの。両足を前に投げ出して、手を膝の上に置いております。 


「立ちなさい」


 言い終わるまえに立ちあがりました。

 従順ですわ。

 生まれたばかりですのに、わたくしの要求を理解して、それを実行する知能を持っております。


「もう一度、すわ──」

「うぅう」


 判断が早いですわ。

 立て、座れ、立て、座れと退屈な繰り返しても、迅速に実行します。

 困りましたわ。

 命令を聞いてしまう相手を作り出してしまいました。もう処分なんてできません。約束を破っては信義に反します。


「あなた、こちらにきなさい」

「うー」

 

 蜂の成分が混ざった子供は、わたくしのメタルブーツに抱き着きました。

 こうしてみると関節以外はほぼ人間ですわ。

 罪深い亜人デミです。


「アテンノルンさま……」

「仕方ありません。連れてゆきましょう」


 わたくしがやってしまったのですから、責任をとるのもわたくしです。

 それに、邪悪な魔物の遺児ですが命令すれば、見境なく人間を襲ったりはしないでしょう。

 

「あなた、ほかのひとを襲ってはいけません」

「うがー」


 外骨格がカチリと硬い音を立てました。

 よじ登られてお腹に抱き着かれました。

 引きはがしますと、うるんだ瞳でわたくしを見ます。

 なんですの? 憐憫を誘う表情をしても、わたくしには通じません。ですが溜まった涙に甘い香りを感じます。


 妙ですわ。どこか惹きつけられるような、何としても守りたくなるような、庇護欲が呼び起こされます。


 わたくしだけが覚えた感情なのかと、ほかのかたのご様子をうかがいますが、妖精は飛んでいるだけ、灰黒狐は興味なし、メルクルディさまは、上気したお顔で熱い吐息を吐いていらっしゃいます。


 サウナで我慢なさっていたときのご表情に似ております。この涙に乗った香りは、心を惑わせる効果があるのかもしれません。


「この魔物は誘惑効果のある香りを使っていると存じますが、メルクルディさま、今どのようなご気分でして?」

「ドキドキしてますぅ」

「もう少々お詳しくご説明ください」

「うぅー、魔物のせいだから勘違いですけどぉ、この子をすごく守りたくなりましたぁ。それと、それとぉ……」

「お続けください」

「抱き着きたくなったですぅ。たぶん一番守りやすい態勢だと思うんですけど強く抱きしめたくなったですぅ」

「まあ、情熱的ですこと」

「違いますぅ! これは誘惑効果だから勘違いって言ってるですぅ!」

「さようでございますか」


 メルクルディさまがたかが人型の昆虫に惑わされるはずがありませんし、それほど効果はないと存じます。 

 球体関節は連れ歩くには目立ちますが、マントで覆えばただの子供です。これが育てば将来の女王蜂になると考えますと、巨大はミツバチを操れるかもしれません。


「ううう、とんでもない魔物ですねぇ」

「メルクルディさま落ち着いてくださいませ。蜜を取る仕事をさせられるかも知れません。まだ生かして置きましょう」

「誰も殺すなんて言ってないですぅ」

 

 ちょうどよい労働場所もありますわ。

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