第43話 支配の魔法ですわ
二つの池を越えた南の通路には、黄色くなった根で覆われた広い空洞がありました。
根の迷路の奥に、上のフロアに続く階段が小さく見えます。
「ここを通るのは難儀しそうですわ」
「ねえねえヘビがいる。あそこ」
妖精が指さした先、ふとくねじれた黄変した根の末端を、目を細めて見ます。
色が同化していて気づきませんでしたが、根に下半身を巻き付けてうずくまった魔物の姿が見えました。
よく見るとしなやかな人間の部位が確認できます。
曲がった槍や楯さえも、枝葉をまとって擬態されております。
上半身は人間、下半身はなめらかな鱗をもった、
「見えました。見事な擬態ですの」
「ヘビニンゲンだよ」
「
一度理解できますと、他の場所にも擬態したナーガたちのすがたが見えました。近接武器だけでなく、弓矢を背負っていたり、魔法の杖らしきものも認められます。
このまま進めば、三次元的な攻撃にさらされますわ。
すべりやすそうな根の上で
この場所は乾いておりますし……そうですわ!
「メルクルディさま提案があります。このまま進んでは手間がかかりますし、焼き払ってから進むのはいかがでしょうか?」
「火をつけるですかぁ!? この根は枯れているように見えますけどぉ、中は弾力のある
メイスではじけた根の中には、新鮮な繊維が見えました。
「熱し続ければ燃えませんこと?」
「あうう、それはわからないですけどぉ……どうして燃やしたいのですぅ?」
「正直に申しますと、危険な場所で戦いたくないからですわ。浮葬洞を歩いて登ったときもそうですが、足場が悪いと一方的な不利を押し付けられます。それが気に入らないのでみなさまの安全のためにも、不利な条件を排除して進みたいと存じます」
「わぁ、そういわれるとやってほしくなりますぅ」
「ふふふ、失敗したらまっとうに進みましょう」
「なに? もやすの? わたしが風であおってあげる」
「お願いしますわ」
そして1分後。
猛烈な火事が根の通路で巻き起こりました。
炎をまとった火炎旋風が2階の階段を駆け登ってゆきます。
金属がねじ曲がるような軋む音と、水分が破裂する爆発音と、すさまじい白煙がフロア全体に充満しております。
「ひぃぃ燃えた蛇が踊っていますぅ!」
「引き返しましょう。この場所にいては窒息死してしまいますわ」
「もえろーもえろー!」
「逃げますわよ!」
「きゅぅぅ」
目も眩むほどの熱さです。離れていても皮膚が痛いです。
煙に巻かれない通路まで逃げました。
根が燃える音は滝の音に似ておりました。
煙は上の階に逃げておりますが、予定範囲外まで炭にならないといいのですが。
1時間ほどで火事は収まりました。
根の迷路はほとんどが炭化し、黒と灰のコントラストでつくられただだっ広い玄室になっておりました。
根に埋もれていた石が一本の道として続いております。
一部の壁に穴が開いて空が見えておりますが、はたして外の光景なのか、空っぽく見えているだけの別世界なのかわかりません。
「ダンジョンの内部を破壊した場合は、そのままになるのでしょうか?」
「ここは密閉型のダンジョンだから、しばらくたてば元の形に戻りますぅ」
「まあ、では今のうちに通るのがよさそうですわ」
根に絡まって保持されていた天井や石壁が崩れて、燃えカスのなかに浮島のごとく点在しております。
炭と灰の海に落ちたら焼け死にそうですが、あれに飛び移ってゆけば階段まで安全にたどり着けます。
飛び移っている途中、灰の中にきらめく何かを見つけました。
ほとんど灰に埋もれたそれは、琥珀色をした滑らかな曲線を持った、薄い刃に見えます。
「
「うーん、かぎ爪のついたロープかフック付きの棒でもないと拾えません。それより早く渡らないと、足の裏が熱いですぅ」
「あなた。あそこに──」
「いや」
「では仕方がありません。ゆきましょう」
「くぁぁ!」
無視するなと言わんばかりに、灰黒狐が叫びをあげて、斜めになった元天井の足場を駆け下りました。
熱を持った炭に脚をうずめ、かがやく先端を牙で咥えて戻ってきました。
琥珀色の刃をした短剣です。受け取ると灰にまみれた柄から熱が伝わってきました。
「あなた熱くありませんの?」
「あゃん!」
「色が似てるから効かないんだよ。ね?」
「くぁぁ」
「そうですのね。よくやりました」
理屈は分かりませんが、そうならばそうなのでしょう。わたくしたちは崩落した足場を乗り継いで、火災跡を越えました。
石の階段を上がった先、花咲く野原に巨人が倒れておりました。
身長はわたくしの4倍ほど、筋肉の盛り上がった赤茶けた身体は、あちこちに緑の苔が生えております。
胸から上は露出しておりますが、お腹から下は木の幹をはがして作ったウッドアーマーをツタのロープで身体に縛り付けております。
静かな呼吸音でかろうじて生きていると分かります。
おそらく階段を守っているとき、煙を吸い込んで意識を失ったのでしょう。
身体が水に濡れておりますし、もしかしたらこの巨人は消火活動をしたのかもしれません。
「とどめを──いえ、メルクルディさま、魔法をお使いになってはいかがでしょうか? この前お聞きした降伏した相手を支配する魔法です」
「降伏とひん死は違うと思いますけどぉ、やってみますぅ」
メルクルディさまが両手を巨人の額にかざしました。黒いもやが手のひらからあふれ出して、皮膚から吸い込まれてゆきます。
「うーん、拒絶が強いですぅ。もっと精神を弱らせないと、支配できません」
「魔物に通じるかわかりませんが、試してみましょう」
さきほど灰黒狐がとってくださった琥珀のナイフを手に持って、巨人の手のそばにゆきます。
指の一本一本がわたくしの腕くらいふとく、爪は猛禽類のくちばしのごとく鋭くとがってます。頑丈そうですわ。
「メルクルディさま、始めますわー」
「はーいですぅ」
「ねえ、なにするの?」
「何って、痛みを与えるだけですの」
肉と爪のあいだに刃をこじりいれて、ぐりぐりと動かします。
貝の蓋を開ける作業に似ておりますが、これは爪と爪の下の敏感な肉を傷つけるためですので、爪と肉の分離は重視しておりません。
最初の数枚は痛めつけるためだけの、いうなれば下ごしらえですので、殻をはぐように爪肉にそってナイフを動かしました。
「ヴゥゥ──」
地鳴りのようなうなり声が聞こえました。
意識が朦朧としていても、肉体的な傷に反応しております。
もし琥珀の短剣に沈黙の
痛みを我慢するためには、心に無傷な自分を想像して、沈黙をもって耐えるかたもいらっしゃいますが、声に出されるかたは分かりやすくて助かります。
巨人の爪を4枚はぎ取りました。
残りのひとつは降伏させるためにゆっくりと使います。今度は丁寧に挿し込んて、なかでこじりました。
「いかがでしてー?」
「拒絶がなくなってきましたぁー。もう少しで支配できますぅー」
進捗が良いですわ。
爪のあいだのお肉の、無傷の部分がなくなるまで壊しました。あと一息です。
手足の爪が亡くなってしまいましたので、あまり触れたくはありませんが、巨人の口に手をかけました。虎の牙のようなするどい歯が並んでおります。
その歯と歯茎のつなぎめに、ナイフを差し込みました。
「あっ降伏しそうですぅ。もうちょっとですぅ!」
「承りましたの」
歯根にたどりつくほどナイフを入れて、力いっぱい出し入れします。黒い血があふれて、刃が汚れます。不気味ですわ! 不気味ですわ!
前歯の一本をてこの原理で引き抜いたとき、巨人の身体からすとんと力が抜けました。
何かを焼き付ける音がして、額を見れば、半月刀のような焼き印がついております。
「支配できましたぁ」
「おめでとうございます」
わたくしは巨人の身体でナイフをぬぐい、ついでに自分の装備に飛んだ血をふきました。
硬い両刃の短剣の刺突具合も良いですが、このように曲面に沿って斬りやすい片刃のナイフもいいですわね。綺麗な琥珀色でおもむきがあります。
「この巨人を傷を癒せば、メルクルディさまの使い魔に──どうしまして?」
「血で濡れたアテンノルンさまは素敵でしたぁ」
メルクルディさまはわたくしが望んで残虐行為をしていると勘違いなさっていそうですので、否定しておきましょう。
「ほんとうは言葉だけで降伏させられれば良かったのですが、魔物には言葉が通じませんので、仕方なく行ったのです。血を流さずに征服できれば、お互いに楽でしたのに残念ですわ」
「……そんなことないですぅ。いいと思いますぅ」
「ねえ、あなたはどうしていじめるやりかたをたくさん知ってるの?」
「必要だからしているだけですわ」
「ふーん。あいてがかわいそうって思わないの? すっごく痛いよ? 自分がされたらすっごく痛くて、泣いちゃうかもしれないよ。それをするのは平気なの? なんで?」
「逆にあなたはどうして生き物で遊びますの?」
「おもしろいから!」
「私もそれと似たような感情ですわ」
根源まで考えますと、相手の感じる痛みを想像する思考と、今までの社会生活を営んできた社会倫理の問題ですわ。
なぜ拷問はいけないのか考えますと、この妖精が問うているのは、拷問の有効性ではなく、倫理に属する罪悪感と慈悲のお話ですわ。
「単純なお話にまとめるのでしたら、自分が不利になるよりましだからです。痛みを想像できても、罪悪感を覚えても、行動を止めるほどの抑止力を学んでいないからですわ」
「ふ-ん」
「そうですぅ。酷いことをできるから、より深く愛を持って反省できますぅ」
「入ってこないで。シットニンゲンはわたしのニンゲンに、いつか同じことをしたいだけだでしょ」
「同じことをしますの?」
「──ッ」
「まあ、そうでしたの。メルクルディさまはわたくしに降伏をお求めでして?」
「ち、違いますぅ! 違いますぅ! 妖精のたわごとですぅ」
「ごめんなさい。冗談ですわ」
「……びっくりしましたぁ」
「ほんとなのにー」
メルクルディさまが燃える目で妖精をにらみ、戒めを思い出すように祈りをささげ、深呼吸なさいました。
相変わらず相性がよくありませんわ。
支配した巨人を回復させ、先頭に立たせます。
このフロアは半分が陸地で、もう半分が水没しております。
底光りする透明な水が、浅い池となって奥に続いて遠くに島が見えます。
下のフロアの天井から流れ落ちていた滝は、ここの水がこぼれたものですわ。
島はいくつかあり、ダンジョン内だとは思えない景色です。
遠くには直立した巨人や水中を移動する紫色のワームが見えました。
どれも巨体で遠くからでも見えます。
逆にこちらの動きも、遮蔽物のすくないこの空間では、注意しないとすぐに見つかってしまいます。
「ひとあてしましょう。そこの巨人に石を投げさせてくださいませ」
「わかりましたぁ。いつものおびき寄せですねぇ」
使役巨人が石をつかみ上げ、水辺に立っていた巨人の肩に命中させました。
棍棒を振りかざして巨人がこちらに走ってきます。使役巨人も拳を固めて迎え撃ちました。
地響きがすごいですわ。ゆれにゆれて足を取られます。
「行けぇ殺すですぅ!」
「ぐおっ!」
援護すれば、使役巨人も長持ちするでしょう。そんなふうに考えながら、魔法を作り出しました。
あとはわたくしたちの攻撃が通用するかですわ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます