第10話 お風呂でお肌を落ちつけます


 ふぅ~~~~。

 思わずはしたないお声が出てしまいましたが、湯船につかると疲れが溶けてゆきます。

 宿のかたから公衆浴場の場所を教えていただき、すぐに入りに来ました。

 これからメルクルディさまとお食事ですもの、せめて身ぎれいにしておきたいですわ。


 広々とした浴槽はわたくしのお屋敷にあるものより大きく、たくさんの市民のかたでにぎわっております。

 わたくしが横目に通り過ぎた浴槽では、20人近くのかたが湯船につかっておりましたが、パーソナルスペースを開けてもまだ余裕がありました。


 そのような露店浴場が地下に向けて何段も続いております。

 宿のかたこの街の名物だと仰いましたが、確かに段になった浴槽だけで10はありました。数百人は入れますわ。


 壁際にある蛇の巻き付いた水がめのオブジェから、潤沢なお湯が湧き出ております。

 魔石を利用した温水循環システムだとお聞きしました。

 お外から見た湯屋の建物には煙突がありませんでしたし、熱を放つ火の魔石のそばにパイプを通してお水を温めているのかもしれません。


 火吹き山で見かけた金紅溶岩ルチルマグマスライムを貯水池に放り込んで温水にしているのかもしれませんが。


 ちなみに男女混浴ですが、受付で着用義務のあるアストラル水着をお渡しされますので、比較的心理的な抵抗が薄まります。

 素材は時間制限で消滅するアストラル布だとか。便利なものですこと。


 最下段にある追加料金で入れるプライベート浴槽に到着しました。


「アテンノルンさまぁ! お風呂に来ていたのですね!」


 お声のほうに視線をやると、ユニークな話し方をなさるピンク髪の少女が手を振っておりました。ざぶざぶと湯船を切って、わたくしのおそばにいらっしゃいました。


「メルクルディさま数十分ぶりですわ」

「はいですぅ。冒険のあとのお風呂は気持ちがいいですねぇ!」

「そうですわね」

「広めのお部屋を借りたので、一緒に入りましょう!」


 お返事する前に手を引かれて、10人は足を伸ばせて入れそうな浴槽に案内されました。

 かなり料金がかかると存じますが、何か理由があるのかお尋ねしますと、


「お風呂で瞑想していたんですけど、広いほうがやりやすいですぅ」


 とのことでした。 


 メルクルディさまはわたくしのほど近くに腰を下ろされました。わたくしと身長は同じくらいですが、メリハリのある体形をなさっておいでです。

 肉付きが良いと申しますか、全体的に丸みを帯びた健康美のオーラを余すところなく放射しておいでです。


 湯船につかるとお胸が浮かんでおります。アストラル水着の上からでもくっきりとわかるボリュームです。ダンジョンでご一緒したときは、このように見えませんでしたが、妙ですわね。


「わぁ、たくさん傷跡があるですぅ」

「幼いころから生傷が絶えない生活を送っておりましたの」

「この長い傷は何にやられたですぅ?」


 メルクルディさまが手を伸ばし、鎖骨からわき腹にかけての細い傷跡をなぞりました。くすぐったいですわ。身体を浮かせて距離を取ります。


「お触れにならないでください」

「あっ、ごめんなさいですぅ……」

「これは10歳のころに長爪単眼雪熊スノーフォースベアの爪でひっかかれた傷です。ポーションで治療いたしましたが、完全には消えませんでしたの」

「ふわぁ、生きていてよかったですねぇ。どうしてそんな危ない目にあったのですぅ?」

「……」


 わたくしだって雪山で魔物に会いたくありませんでしたが、わたくしの命を娯楽にしていらっしゃる姉さまたちが、魔物のいるルートにわたくしを単独で送り出しましたの。

 姉様たちの悪辣あくらつさをメルクルディさまにお伝えしてもいいですが、家の醜聞しゅうぶんを広める必要もありません。


 ここは無言で微笑みを返しておきましょう。

 それはともかく、姉さまたちはいっこくもはやくあの世にゆくべきですわ。


「……いろいろありましたの。いつかお金が溜まりましたら、高級回復ポーションで傷跡を消す予定ですわ」

「それがいいですぅ! あのぅ……もし暗黒神フィリーエリさまの信者になったら、第一使途さまが特別に癒してくれますよぉ?」

「まあ。頼りになりますこと」

「はいですぅ。一度だけなら大けがを直してくれますぅ。私のお兄ちゃんも神官をしているので、いつか紹介させてくださいですぅ」

「機会がございましたらね」


 勧誘はスルーですわ。

 悪いかたではないのですが、カルト信者をせん滅した経験がありますので、宗教に対する負い目があります。適度な距離感がよいと存じます。


「傷跡は治せないですけど、疲れを取る方法なら知っています。ちょうどお風呂で身体もほぐれてますし、アテンノルンさまやってみますぅ?」

「マッサージ的な健康法でして?」

「近いですぅ。貴族のかたが従者にやってもらってますけど、あれよりも専門的な治療で身体が楽になりますぅ」

「お嫌じゃなければ、お願いいたします」

「まかせてください!」


 実を言いますと、昨日今日と使い慣れない筋肉を使って鈍痛が内部に残っておりましたの。特に右腕は何度も敵を突き刺しましたので、手のしびれがずっと残っております。


「ほんとは寝転がってほしいですけど、水のなかでも同じ効果は得られますぅ。首からほぐしていきますねぇ」


 マッサージは痛いと気持ちいいの中間くらいの感触でした。

 丹念にもみほくしてくださいまして、逆にメルクルディさまがお疲れになるのではないかと心配しましたの。途中で湯船に仰向けで揺蕩っているとき、思わず眠ってしまいました。

 

 起きたときにメルクルディさまがわたくしを抱きかかえて、ご心配してくださっておりました。

 恥ずかしいですわ。



 お風呂から上がると丁度良い時間でしたので、一緒に宿に戻りました。


 店員さんにお料理を注文します。

 レモンの葉のサラダ、豚肉の魚醬とフルーツジュース煮込み、鶏肉と野菜の和え物、ココナッツ入りの甘いパン、ライトボディの葡萄酒とビール──どれもお味がよくて、お酒が進みました。


 特にメルクルディさまにお勧めしていただいたビールは、飲んだ経験がありませんでしたので、喉を滑り落ちる感覚が楽しかったです。


 葡萄酒は甘い香りと酸味と渋みの強いお味で、あまり質は高くありませんでしたが、一瓶銀貨1枚の葡萄酒に文句をつける気はありません。

 むしろお値段に比べておいしく飲めます。まさに冒険者さま向けの強いお味です。


 メルクルディさまはリラックスされたのか、色づいた頬で陽気にお酒を呑んでいらっしゃいます。


「それでぇ、おまえはパーティから追放だって、いきなり言うんですよぉ……ひどくないですかぁ!」

「穏やかじゃありませんわね」

「ひどいですぅ!」


 ドン、と空になった木製カップをテーブルにたたきつけます。

 中身が空でしたので、わたくしがいただいていた葡萄酒をお注ぎしました。


「もうすぐ街につくからって、私を追放して報酬を増やそうとしたんですよぉ。そこで私はどうしたと思いますぅ?」

「お話しあいをして難を逃れたのでしょうか」

「はずれですぅ。せ・い・か・い・はぁ~、逆に私がパーティを追放した、ですぅ!」

「わたくしには難しいですの」


「簡単ですよぉ。報酬はいらないから、抜けるって言って走って逃げたのですぅ。だから私がパーティを、ぐすっ、追放したんですよぉ、ぐずっ」

「もっとお飲みくださいませ」


 いろいろな事情がありますわね。

 冒険者は助け合いをする規約があるらしいですが、全員が遵守しているわけではありませんの。

 そういえばギルド内ですら、わたくしに因縁をつけてきたかたもいらっしゃいましたし、お人柄によるのでしょう。


「でもアテンノルンさまを見かけて、このかたとパーティを組みたいって思ったですぅ。思った通り素敵なひとでしたぁ。魔物もたくさん倒して、めずらしいアイテムも──」

「メルクルディさまそのお話はわたしくたちだけの秘密ですわ。少なくとも明日までは内緒にできまして?」


「はいですぅ。あれ? アテンノルンさま服が破れているですぅ。私が縫ってあげますよぉ。お裁縫道具を持っているんですぅ」

「……かなりできあがっておりますし、一度わたくしのお部屋に参りましょう。おひとりで立てまして?」

「ふらふらするですぅ……」

「では肩におつかまりください」


 メルクルディさまに肩を貸して、2階のお部屋に戻りました。

 お酒でお口が軽くなっていらっしゃいますし、酔いがさめるまでわたくしの部屋に居ていただいたほうが無難ですわ。

 鍵を開いて中に入ると、灰黒狐が足元に駆け寄ってきました。この子も千鳥足で酔っ払いばかりです。


「上手にお留守番できて?」

「くぁん」

「偉いですわ」


 メルクルディさまにベッドにお座りいただいて、持ってきた蒸留酒の残りをマグカップに注ぎます。

 灰黒狐に飲ませ過ぎかもしれませんが、お留守番をしてくれましたし、獣ですから平気でしょう。


 メルクルディさまの隣に腰かけ、お顔を拝見します。ほほが真っ赤に色づいて、とろりとした目で酔いの深さがわかります。

 このまま宿にお返ししては、追いはぎに襲われても抵抗できません。


「一休みしてから宿にお戻りください」

「ありがとうございますぅ……アテンノルンさまぁ、服をぉ、縫いますよぉ」

「今は換えの服がありませんの。また今度お願いいたしますわ」

「んー?」

「インナーだけになってしまいます」

「脱がなくても縫えますよぉ。えへへ、お裁縫は得意なんですぅ」


 酔われた状態で、はたして精妙な手さばきはできるのでしょうか。もし服と肌が縫い付けられましたら、想像するだけで恐ろしいですの。ここは話を変えましょう。


「ソウルクリスタルをどうするかお決めになりましたの?」

「どう、ですかぁ? うーん、やっぱりアテンノルンさまの言う通り、ひとつだけ売って、あとは山分けがいいですぅ」

「目立つリスクを考えますと、やはりひとつ売るのが無難だと存じます。そういえば、お金は投資に使われるのでしたわね」


「投資……? お金を貸すだけですよぉ。絶対に儲かる商売があるなんて、すごいですぅ」

「……もう何も申しませんが、明日ギルドで換金した後で、新たに借金を申し込まれるかたがいらしても、避けたほうが無難だと存じます」

「すっごく心配してくれるですぅ。お兄ちゃんに似てるですぅ」

「お兄さんは御いくつでいらっしゃるのです?」

「私より6つ上だからぁ、えっとぉ、今年で26歳ですぅ」


 メルクルディさまがわたくしよりも年上だとは存じませんでした。同い年かひとつ下程度に考えていましたの。


「メルクルディさまはわたくしよりも4歳も年上でしたの」

「えへへ、お姉ちゃんって呼んでもいいんですよぉ」

「そういうお考えもありますのね」


 生活環境が容姿に影響を与えるらしいですが、それが真実だと仮定しますと、メルクルディさまはストレスのない環境で暮らしていたと想像できます。


 確かに、人を信じて行動的に飛び込んでゆかれる姿勢は、見習う部分があるのかもしれません。

 逆説的に考えますと、わたくしは16歳なのに大人びて見えるのでしょうか。

 たしかに何度も死にかけましたし、基本的に他人は信用しておりませんし、世界の大半は敵だと考えております。


 その心持が表情に現れているのかもしれません。ああ、嫌ですわ、嫌ですわ!

 わたくしだってメルクルディさまのように天真爛漫に生きたいのです。灰黒狐のように欲望のままにお酒を呑んで過ごしたいのです。

 それらが許されるのでしたら、わたくしは怠惰たいだに過ごしたいのです。


「ぼーっとして、どうしたのですぅ」

「白昼夢を見ておりました。わたくしも少々酔ってしまったのかもしれません」

「おそろいですねぇ。えへへへ」


 メルクルディさまが腰に抱き着いてきました。ふわふわしたピンク色の髪の感触を、お腹で感じます。

 普段のわたくしならば払いのけたでしょうが、酒精にかどわかされている今は、肉体的な接触に寛容になっております。


 実を申しますと、ダンジョンで酷使した身体に、お風呂をいただいて、おいしい食事とおいしいお酒で気分がほぐれ、もう眠気で身体が熱くなっておりました。

 身体が眠れと訴えております。


「暖かいですぅ……すぅー、すぅー……」


 メルクルディさまも抱き着いたまま寝息をたてはじめました。

 ご自分の宿に戻らないといけませんのに、仕方のないかたですわ。


「ふぁ……メルクルディさま、起きてください……ませ……」

 

 お腹に頭の熱を感じながら、わたくしもベッドに倒れてしまいました。

 意志が眠気に負けてゆきます。

 起きないといけません。起きないと……。眠いですわ。眠いですわ。

 手招きするまどろみに身を任せて目を閉じました。


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