第5話 闇と光の恐怖ですの


 妙に甘えてくる灰黒狐をいなしつつ、1時間ほどお休みしました。

 精神の疲労が取れて、元気な肉体に追いつきました。わたくしの足元で丸まっている灰黒狐を足でよけて起き上がります。

 熟慮した結果、やはり進むしかありません。 

 わたくしは闇の入り口の正面に立ちました。


 猛烈な闇ですの。

 何も見えない漆黒がうごめいております。

 クロスボウの先端ですこしだけ触れると、闇の一部がまとわりつきました。腐敗した肉の粘り気に似ております。不気味ですわ。不気味ですわ。


 ランプをかざしても闇に消されて奥まで光が届きません。


『枝道に迷えし魂は、この世のことわりを外れる──探究者でなくば直進せよ。望みの地にたどり着かん』


 入口に書かれたこの文字には、不思議な説得力を感じます。


「まっすぐ進めば、別の場所にゆける──そういう意味だと存じますが、望みの地って何なのかしら?」

「くあ、くあ」

「まさか天国につながっているとは考えられませんが──さあ、確かめにゆきますわよ」

「きゅう」

「ダンジョンをさまようよりも刺激的ですわ。ついておいでなさい」


 一歩を踏み出すと、闇が迎え入れるように足元にまとわりつきました。

 思い切ってもう一歩足を踏み出すと、意外にもしっかりとした地面の感触があります。靴から光の波紋が広がり、周囲をほのかに照らして消えました。


 さらに一歩。

 全身が黒く包まれて、視界が一色に染まりました。

 黒です。

 何も見えませんわ。お酒で気が大きくなっていなければ、とても進めません。


 慎重に一歩一歩足を踏み出します。

 自分の周囲は皮膚感覚で把握できているのですが、足元以外は空に浮かんでいるような頼りなさがありました。


 波紋を浮かべる光だけが闇の中の道標です。ともすれば自分の存在を希薄に感じてしまう漆黒のなかで、確かに進んでいる感覚を与えてくれました。


「はぐれずにいなさい」

「くぁぁ……」


 わたくしたちは歩き続けました。

 時間の感覚が消えてゆきます。延々と道は続き、奥へ奥へと続いてゆきます。わずかな足音と、自分の鼓動だけがみょうにはっきりと聞こえます。


 ゴオオオオオオ──

 

 そのうち、強い風の音が聞こえてきました。

 無風状態ですのに、確かに聞こえます。

 見回してみましたが、音を作り出している存在は見つかりませんでした。風の音は遠ざかったり近くになったり、規則性がなく聞こえます。


 わたくしたちはいったいどこを通っているのでしょう。

 ただの洞窟とは違います。

 

 闇のなかにはときどき青白い光が生まれ、わたくしのそばに落ちて消えます。蛍に似た頼りない光です。

 闇の床に落ちて、明滅して、いなくなります。

 意味不明で気分が落ち込みますわ。


「精霊さま、どうかお守りください」

(明──に向か──がよい)


 また幻聴ですわ。

 わたくしが気弱になると、もうひとりの強いわたくしが叱咤しったしてくださいます。

 それは強い意志を持てる可能性が、わたくしの中にまだ残っている証拠です。


 不確かなものが理解できないのでしたら、足元にある硬質で滑らかな地面の存在と、わたくしの生きているからだと、ときどきしっぽが脚に触れてくる灰黒狐の生命だけを確かなものと信じて、進み続ければよいのです。


「そう、進むだけですわ」

「こゃん!」 


 歩み続けておりますと、遠くに光る都市の幻影が見えました。思いがけない速さでわたくしたちの横に近づきます。


 高くそびえた四角い建物がたくさん並んでおります。

 はじめて見る形の建造物ですわ。塔にしては横幅も高さも大きすぎます。

 同じ形の四角い窓からも光が漏れておりました。

 じっくり見ようと目を凝らしましたが、わずか数歩でわたくしのそばを通りすぎ、後ろに消えてゆきました。


 もし歩みを止めてあちら側に向かって歩けば、都市に入れたのでしょうか? どなたが住んでいて、どのような暮らしをなさっていたのか、拝見したかったですわ。


 まっすぐ歩いているだけですのに、さまざまな幻がそばを通り過ぎてゆきます。

 中空に浮かんだ本を咥えた首のない馬、森にそびえる塔の入り口、大きな貝でできた講堂、明らかにわたくしの住む世界とは違った異次元の光景です。


 赤茶けた空を身体の長い魚が飛び、山ほどもある悪魔がしっぽで釣りをしていました。切なげに目を細める太陽のお顔が醜悪で、山を咀嚼しながら首長竜がわたくしを見ていました。

 ゾワっとしたものが背中を走り抜け、全身が泡立つ感覚がいたしました。


「まっすぐですわよ。ついておいでなさい」


 わたくし自身にも言い聞かせて、垣間見た光景を振り払い、ただ直進します。恐怖をひたすら与えられる空間ですわ。戦って解決したり、どなたかとお話して気晴らしをしたり、そういった対処ができません。

 わたくし自身の内面と向き合いながら、歩くだけしかできません。


 いつしか足が鉛のように重くなり、ゆっくりとしか進めなくなりました。

 川の中に脚をつけて歩いているような、いえもっと重く不確かになってまいりました。

 頭まで水につかって進んでいる感覚です。身体の動きがままなりません。

 ときどき脚に触れてくる灰黒狐のごわごわした毛皮の感覚だけが、現実から切り離されたわたくしに正気を保たせてくれます。


 子供のころに夜の闇が怖かったのは、何か得体のしれない魔物が害するために襲ってくるかもしれないと想像した恐怖でしたの。

 大人になった今では魔物の種類を覚えましたので、闇に潜むやからの対処法を覚えましたが、このような空間では知識と経験が役に立たずに、子供のころの想像力が作り出す恐怖の状態に戻ってしまいますわ。


 ああ、早く元の世界に帰りたいです。どうして進んでしまったのかしら。


「精霊さま、どうかわたくしたちをお導きください」


 わたくしの脚元から青白い光球が、螺旋をえがいて浮上してきました。

 イソギンチャクが触手に絡めた獲物を包み込むように、光の帯が放射状に広がって、わたくしを包んで閉じました。


(ニンゲンだ! うわぁめずらしい!)

(こんなところに来るなんて、きっと巡礼者ね。私たちに祈りを捧げにきたんだよ!)

(闇の獣を連れているし、ただの通りすがりじゃないの?)

(そんなことないよ。だって祈りの声を聴いたもん)

(ニンゲンは私たちのところになんて来れないもんね。やっぱり巡礼だよ)


 また幻聴ですわ。

 以前、教会でお聞きした聖歌隊の少年たちの澄んだお声に似ております。

 これはその時の記憶を思い出した白昼夢ですわね。目を閉じて精霊さまにお祈りをささげましたので、ふいの眠気が訪れたのです。せっかくですので夢のなかでもお祈りいたしましょう。


「精霊さま……わたくしの祈りを聞き届けていただき、ありがとう存じます」


(うん、うんうん、たしかに祈ってるね)

(闇の獣を連れてわたしたちに祈るなんて挑戦的なやつじゃないか。バラバラにしてあげようか?)

(だめ! おもしろいニンゲンだから遊ぶの! よーし、私が加護を授けてあげる!)

(いいの? 短いニンゲンの寿命が、もっと短くなっちゃうよ?)


(わたしたちの加護を受けるんだもん。そのくらいは当然でしょ。でも、わたしは優しいから、500年間だけ守ってあげる。そのあとは知らなーい)

(うわ、かわいそー。うふふふ。せっかく混沌の中に巡礼に来たのに、たった500年だけしか生きられなくするなんて、かわいそうだよ。うふふふふ。だったらわたしは、絶対成功の──)

(じゃあわたしは、死ぬときの苦──、やすらぎの──)

(波と粒子を──)


 声が途切れ途切れになって消えてゆきました。わたくしにまとわついていた光球が離れて、足元にしみこんで消えました。

 にぎやかな幻聴が消えますと、この世界にわたくしひとりが取り残されたような、ものさみしい気持ちになりました。

 広大な闇のなかで寄るものがなく、ぽつんと立っている子供の気分です。泣きそうになりましたが、我慢です。

 貴族のわたくしが無様に感情を現したりはしませんわ。灰黒狐もおりますし一人ではありません。

 歩みを進めます。 


 どれだけ時間が経ったのでしょう。シンとした闇のなかで、雪のように降り注ぐ光の残滓が、いつまでも周囲で青白く輝いておりました。夢か現か、わたくしには──


 わたくしには何もわからなくなってきましたわ。

 空中に浮かんだ白い廃墟を通り過ぎ、おリボンのように長い透明なお魚が並走し、ふたたびゴウゴウと風の音が耳の奥でなっておりました。


 遠くに楕円の光が見え、闇が薄まってきました。

 いつしか風の音も聞こえなくなり、ふわふわとした足取りで光に向かうと、いつのまにかしっかりとした地面の上に立っておりました。


 赤く汚れた鍾乳洞が、巨大生物の口腔内のごとく広がっております。

 足がすくんで戻ろうと振り返ってみますと、奥まった部分に闇の渦巻きが見えました。渦は縮小して、やがてなくなりました。

 わたくしにははっきりと、ここが現実の世界だとわかります。

 五感がそう伝えております。

 

「ようやく出られましたわ!」

「はふ、はふ」

「とはいえまた知らない場所ですの」

「くぅん」


 気味の悪い場所です。 

 ランプで照らされた光の中に映った光景は、赤い水たまり、赤い植物、赤い石、赤い泥。

 肉腫だらけの魔物のお口の中にいる気分です。赤黒い地面を踏みつけるたび、生暖かい泥を踏みつけた感覚がありました。


「奇妙な木もありますし、ほんとうにおかしな場所ですこと」


 わたくしの身長と同じくらいの小木がいくつも生えております。太い茎の先が二又に分かれ、赤い根が地面をつかんでおります。 

 ニンゲンの器官を植物に置き換えたら、このような形になるかもしれません。

 ただ頭に当たる花弁の中には、大きな目玉がひとつだけあるので、そこは違いますわね。


 シュッ!


 な、なんですの。長い茎がしなってわたくしを殴りつけてきました。左手の感覚がありませんわ! 力が入りません! 動きません!

 まるで鞭です。しかも有毒です。


 わたくしの悲鳴にほかの植物も花弁を持ち上げ、大きな目でわたくしを見ました。ひぃぃ……ここは怪植物の群生地ですわ。幸いにも麻痺毒の効果は弱く、2秒もすると手が動き出しました。

 殴られ続けると危険ですが、死に直結しないとわかっただけで十分です。


「やりますわよ。あなたにはつよい毒かもしれませんので、そこで座ってみていなさい」

「くあ!」


 灰黒狐は低い姿勢で敵を威嚇しております。

 動物にわたくしの言葉なんて理解できませんの。

 死なない程度にお気を付けなさい。


 何度も殴られて身体がしびれました。

 目玉を突き刺すと身体が乾いて崩れ落ち、死体が溶けて消えました。またダンジョンですわ! またダンジョンですわ!


 山の洞窟から渦巻きの通路を通って、闇の回廊の次は赤い洞窟です。つくづくダンジョンに縁がありますわね。


 目につく植物はすべて倒しました。

 怪植物の死体が完全に溶けて消えたあとに、ピンク色の花びらが落ちたました。わたくしの手のひら程度の大きさです。

 香りは……形容しがたいですが、新しい本の香りに似ていると存じます。一応、鞄に入れておきましょう。


「くぅぅ」

「あなた無事でしたのね。毒鞭を避けれてえらいですわ」


 洞窟は高低差があります。

 崖を降りたり険しい坂を昇ったり、進む手間がかかりますわ。そのうえ岩陰や亀裂から魔物が襲ってきますので、神経を削られますの。


 そこまで慎重にならなくても大丈夫ではありませんの? 

 警戒し続けていては逆に体力がなくなってしまいますわ。大胆に進む勇気も必要です。


「……!」


 地面が! ありませんわ! 


「こゃん!」


 横から衝撃を受けました。

 ううう、痛いですわ。わたくしのお顔の真横に、尖った鍾乳石が地面から飛び出しております。

 灰黒狐が体当たりしてくれなければ、ちょうど目に突き刺さる位置でした。

 危なかったですわ。

 

 足元を見ますと地面がえぐれて20センチほどの段差ができておりました。あれに踏み込んでしまったのですわ。一歩間違えば死んでおりました。


「──っ!」


 ぞっと鳥肌が立ち、次に汗が全身を濡らしました。


「ありがとう存じます」


 灰黒狐が嬉しそうに尻尾を振ってまとわりついてきましたので、しばらく背中をなでてあげました。お父様は狩りに使う狩猟犬を大切にしておりましたが、そのお気持ちが理解できました。役に立つ子です。


 気を引き締めて進みましょう。

 何本も分かれ道がありましたが、わたくしたちはまっすぐ進みました。直進せよ、とのご忠告でしたものね。指針が何もないのですから、従ってもよいでしょう。


 進み始めて1時間も経ったでしょうか、洞窟の先に人工物でできた通路が見えました。

 灰色の石材が積み重ねられた通路。意地悪くねじまがった洞窟の床と違い、素敵な通路ですわ! 

 鍾乳洞に飽き飽きしていたわたくしは、灰色の床に足を踏み入れました。まっすぐで硬質な感触、素晴らしいです。


「くうぅぅぅ」

「どうしましたの」


 向こう側の闇の中から、上下に揺れる光が近づいてまいりました。人影がみえます。

 簡単な鎧を付けた戦士さまが3人と、軽装のかたが3人、合計で6人のパーティです。暴漢でしょうか。いえ、まだわかりませんわ。

 彼らもわたくしの姿を見ると、一瞬で警戒態勢に入り、武器を向けてきます。


「魔物ではありません。入り口をお尋ねしてもよろしくて?」


 ランプを地面に置いて、クロスボウを天井に向けます。相手は盗賊の可能性もありますが、ひとまず対話してみましょう。わたくしが無抵抗を示していると、目の前の集団も武器を下げてくださいました。


「魔物ではないらしいが……きみひとりでダンジョン探索か?」


 リーダーらしき青年がお声をかけてきました。革製品の鎧に帽子、短い剣。いかにも駆け出し冒険者といった服装ですわね。


「ええ。迷ってしまいましたの。出口がどちらにあるかお教えくださいませ」

「ずいぶん無茶をしているなぁ。こっちに行くと地下6階くらいの敵が出るぞ」

「まあ、知りませんでしたわ」

「奥に行かなくてよかったな」 


 あれらは深い階層の魔物でしたのね。

 麻痺と催眠を駆使して襲ってきた植物や、大きな棍棒で殴ってきた亜人、溶けた人の顔にみえる赤い霧──どれも短剣で刺すと倒せましたが、運よく弱い個体にあたったのかも知れません。危なかったですわ! 危なかったですわ!


「ソロは危ないぞ」

「ご心配くださりありがとう存じます。ですが供がいるので平気ですわ」

「くぁん!」


 存在を忘れるなとでもいう風に、わたくしの足元で灰黒狐が吠えました。

 集団の何人かに驚きの表情が見えました。


魔物使役者ビーストコマンドか。珍しいぜ」

「はじめてみたな」

「いえ、この子は義務を果たしているだけですわ」

「違うのか? なんだかよくわからないが入り口はすぐそこだ。ここから南に進んで、東の通路を壁沿いに進めば出口につくぞ」

「南はこちらの方向でして?」

「逆だ。心配だな……出口まで送ってやろうか?」

「まあ! お願いいたしますわ」


 親切なかたがたで助かりました。このかたたちが領民でしたら1年間は無税にして差し上げたいですわ。

 

「なんだよ。今日は出直しか?」

「戻るのかよ」

「めんどくせえな」

「女ごときに構っている暇はねーよ」


 パーティのかたが不満そうに口をゆがめます。最後のかたが領民でしたら、貴族に対する不敬罪で1年間の苦役を課して差し上げたいですわ。


「道を教えて別れるってわけにもいかないだろ」

「ほっときゃいいじゃねえか」

「困ってる同業者には優しくしろって、ギルド規約に書いてあっただろうが」

「字が読めねえよ」

「俺もだよ」

「じゃ、なんで書いてあるってわかったんだ?」

「ギルドの職員のやつが『リーダーだけでも覚えろ』って無理やり読み聞かせられたんだ。覚えきるまで俺が受講料を払って、だぞ」

「そりゃ災難だ」

「他人事みたいに言いやがる。俺は規約通りに入り口まで送り届ける。俺だけ行ってもいいが魔物に襲われるかもしれないから、全員で移動する。いいな?」

「わかったよ」

「あの、ご迷惑をおかけして、お詫び申し上げます」

「気にするな。でも次からはソロはやめておきな」

「ええ」

「そうだぜ。俺たちがもし盗賊だったら、あんたは今頃ひでえ目にあっているんだからな」

「はい」

「バカ、怖がらせるなよ」

「へっへっへ」

 

 パーティのみなさまとお話しながら出口まで案内していただきました。

 道すがらお聞きしたのですが、彼らは結成して1年の初心者パーティで、村の閉鎖的な暮らしが嫌で逃げ出したのだとおっしゃっいました。


 リーダーのお名前はグローニーさまで、みなさま30戸以下の極小農村出身の冒険者だそうです。夜に集まって全員で村から逃げ出したとき、はじめて自由を理解できたのだとか。

 たしかに逃亡者でも都市で一年過ごせば見逃されますものね。

 いつかダンジョンで強力な魔法の道具マジックアイテムを見つけて一攫千金するのが夢だそうですが、わたくしと目的が同じですわね。


 やはり大きな夢を持っていらっしゃるかたは素敵ですわ。

 お金持ちになられたらみなさまの豪邸に遊びに行かせてくださいと言いましたら、みなさまやる気をだしていらっしゃいました。

 30分程度で昇り階段につきました。廊下でグローニーさまがお別れの手を上げました。


「あとは独りでも大丈夫だ。気を付けて帰りな」

「ありがとう存じます。ところで近くに町はありまして?」

「……出てすぐに街の壁が見えるだろ」

「そうですわ。失念しておりました」

「あんたな、今度はよ、しっかりしたリーダーのパーティに入るんだぞ。そんなんじゃほんとに騙されて殺されちまうぞ」

「ご忠告、感謝いたします」

 

 頭を下げました。

 グローニーさまが呆れた表情で去ってゆかれました。愚かな無能力者に見られるのは意外と傷つきますわね。何も知らないのは間違いありませんが。


 他のパーティのかたがたも、別れを告げてダンジョンに戻ってゆきました。

 わたくしは手を振ってお背中を見送りました。

 灰黒狐も興味深そうに出立を眺めておりました。


 では街に向かいましょう。

 ダンジョンの上部構造は、古い寺院でした。階段の周りに、顔のえぐれた石像が通路を挟んで左右に立ち並んでおります。

 きっと忘れらさられた古い神を祭った寺院です。神をまつった神聖な場所が、魔物の住処になってしまうなんて皮肉な結末ですわ。


 寺院から出ると、黄土色の道が左右に分かれております。

 道の周りは一面、畑で囲まれておりました。なだらかな坂に沿って、耕地から緑色の派が規則正しく並んでおります。

 寺院の前には乾燥した野菜や薬瓶の無人販売所らしき小屋もありますので、比較的治安が良い地域なのでしょうね。


 右の道の先には、高い石造の壁が見えます。

 100メートルも距離がありません。確かに近かったです。ようやく、文明社会に戻れましたわ。

 衛兵さまに挨拶して、街に入ります。冒険者ギルドに行こうかと思いましたが、もうすぐ夜が近いので、さきに宿を取りましょう。


「あなたは街の外寝ますの?」

「くぅー……」


 悲しそうな顔で見ないでくださいませ。

 しかたありませんわ。大きめの宿なら狐の一匹程度なら置いてくださるでしょう。

 節約──放蕩ほうとうな貴族の子供たちはおそらく知らない単語でしょうが、わたくしは伯爵家の10女ですから、否応なく知っております。


 お父様が子供に使われた資金が、下に行くほど目減りして──9回フィルターを通った後の興味と資金が、わたくしに使われましたの。

 つまり平民のかたと同様の生活レベルでしたので、他の貴族よりはお金について大切に考えております。


 今のわたくしは大きな宿に泊まっている余裕はないのですが、供がいるのだから仕方ありません。

 お借りしたブルンヒルド大金貨もありますし、必要経費と考えましょう。一晩金貨2枚の少々高級な宿ですが、ペット持ち込み可能な部屋を取りました。


 宿で紹介していただいた両替商で金貨に換金できました。

 手数料を引いてブルンヒルド大金貨1枚で、共通金貨9枚に変わりました。わたくしは15枚持っておりましたので、合計135枚の金貨が手に入りました。武具一式をそろえるには足りないですが、わたくしひとりでつつましく暮らすならば1年は過ごせる金額です。


 これを使って強くなって、わたくしを陥れたチクロさまに目にものを見せてさしあげましょう!


 でもまずは熱いお風呂に入って、ゆっくりしたいですわ。

 こんなに奇妙な冒険したのははじめてですもの。


 お風呂に入った後、急速に身体が重くなりました。

 お酒も飲まずにベッドに寝転がります。

 掛け布団も薄く、枕は平らに近いですがわたくしには十分です。天井を見つめると、ランプの光に照らされた蛾のシルエットが見えました。


 ──わたくしは、ここから浮き上がれるのでしょうか。

 いえ、かんがえてはいけません。

 不安を頭のなかで反芻しても、何も改善されません。気を紛らわせるために、寝返りを打ちます。


 ベッドのそばでは灰黒狐が丸まって寝ております。手を伸ばして首のあたりをなでてみますと、やはりごわごわでした。

 お風呂のお湯をもらって洗って差し上げたのですが、もともとも髪質が硬質で、期待したほど柔らかくなりませんでした。それも個性ですわね。


 ふああ……明日はギルドに行って情報を集めないといけませんわ……。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る