不安のノイズ

 私は自分が調子に乗っているということに、全く気付いていなかった。

 クラスでも目立たず、ひっそりと息をしている。アプリでちょっと目立つようになったからといって、現実ではそんなことはない。有名人と知り合いになったからって、自分が偉くなる訳でもない。

 私はいわゆる「弁えてます女子」だと、そう思っていた。だから特に説明もしなかったし、言い訳もしなかった。ただ、いつものようにアプリに好きな歌を歌って、それでおしまい。

 特にアプリで【カズスキー】さんとコラボをしたことだって、どうこう言っていなかったのだけれど。

 私は知らず知らずの内に、調子に乗っていたと思い知らされた出来事があった。

 その日も、いつものように教室で急いで荷物をまとめていた。その日も萩本くんと一緒にカラオケで歌の練習をしようと約束をしていた。

 気付けばもうすぐ夏休みで、アプリに懐メロから最新曲までの夏うたが揃ったら素敵だねと、ふたりで懐メロの練習をしようとしていたのだ。動画で何度も何度も確認したから、これで歌えるかなと頭の中でずっと曲をリフレインしているとき。


「ねえねえ、山中さん。今日も掃除替わってくれないの?」


 私がずっと断り続けているのに、未だに顔も名前も覚えていない子たちから声をかけられる。風紀の先生に見つかるか見つからないかわからない程度に薄く施された化粧。汗拭き用ウェットティッシュの匂いだと言い張れば誤魔化しが利くフレグランスの香り。柑橘系。

 何度も断っているんだから、いい加減諦めて欲しいのに。そう思いながら、私はいつものように謝らなくていいのに謝る。


「ごめんね、私。用事があるから……」


 そう言い切って荷物をまとめて教室を出ようとしたときだった。


「萩本と付き合ってるから?」


 思わず止まった。私と萩本くんは、昼休みに人気のない場所で一緒に昼ご飯を食べ、放課後にカラオケに行く。でもそれ以外で、付き合っているというようなことは一切していない。

 そもそも同じクラスなのに、私たちはそれぞれ出席番号から席順までなにもかもが違い過ぎて、特に接点がなかった。

 ……どこで見つかったんだろう。

 ひとりでそう思案している中、クラスの子たちが「なにそれ?」とザワッとし出す。人の恋バナというものは、教室をざわつかせるものだったらしい。初めて知ったし、特に知りたくなかった。


「前に見たよ、皆で抱き合ってるところ」

「え、なにそれ。大人しそうな顔して……」


 私はタクシーから出てきて、久し振りに会った弟分に抱き着いているかなたんさんとマキビシさんのことを思い出した。あれはクリエイター同士のリスペクトであり、全然やましいことなんてないのに。

 思わず俯いている中、その子は次々と暴露していく。


「私も彼氏とデート中だったから、それ以上見なかったけど。そのまんまカラオケ屋に集団で入っていったじゃん。だから掃除してくれないんだ?」

「……あの、本当に」

「なにもやましいことないんだったら、掃除替わってくれてもいいじゃん」


 私は押し黙ってしまった。頭がぐわんぐわんとしてくる。

 やましいことなんて、なにひとつない。

 でも、人の悪意は簡単に、楽しかった思い出に悪気なく押し入って、土足でベタベタと踏んづけていく。いい人たちの仲のよさも、リスペクトも、上っ面だけ拾ってしまえば、途端に卑猥なものにされてしまう。

 そんなんじゃないのに。そんなこと、なにもないのに。

 なにか言わないといけないのに、なにも出てこない。なによりも、クラスの女子と距離を置きたい萩本くんについて、なにをどう言ったら庇えるのかがわからず、私がぐわんぐわんと回る頭をどうにか正常に戻して思考しようとしている中。

 バァーンという音が響いた。クラス委員の帳簿を、思いっきり机に叩き付けたのだ。


「……いい加減、わがままばっかり言うのやめてもらってもいい? 不愉快だから」


 清水さんが、クラスの女子に一喝した。途端に女子が「えぇー……?」という顔をする。


「委員長、それなんか言えるの? だって山中さん、不純異性交遊してるかもなんだよ? それも集団で」

「あなた、論点がずれているから。あなたが彼氏とデートしたいのと、山中さんが誰かと付き合っているののどこの因果関係が、山中さんに当番を押しつけていいって発想になるの? 自分がやられたら嫌なことを、どうして人にするのか訳がわからないから」


 ふたりが言い合いになっている中も、クラスの普通の子たちがさっさとモップを持ってきて床を拭き、ちりとりと箒で埃を集めていた。

 もう本当に不毛な中、舌打ちして彼女はようやく掃除道具入れに手をかけた。


「いい子ちゃんなんだから」

「なんとでも」


 そう言って清水さんは教室を出ようとするので、私は慌て手荷物を持って、彼女についていった。彼女はスタスタと歩いて行く中、私は「あ、あの……!」と彼女に声をかける。彼女は凜とした眼差しでこちらを見てきた。


「なに?」

「あ、ありがとう……なんか、勝手に勘違いされて……私、はどっちでも、いいけど……他の頑張っている人たちのこと、邪魔されたくなかったから……」

「……それ、あの子たちにちゃんと言ったほうがよかったと思うけど?」


 清水さんは呆れたように言った。私もそう思う。考え込み過ぎずに、怖いと思わずに、ちゃんと言えればよかったのに。でも私は、その勇気がなかった。

 私がまた黙り込んでしまったのに、清水さんは「あのね」と続ける。


「うちね、警察家系なの」

「えっと……?」


 一瞬意味がわからず戸惑っていたら、清水さんは続けた。


「だから、やましいことがありそうな人とは、付き合えないの。親族に問題があったら、公務員って出世できないから。だから私はなるべく品行方正でいたいの。今のクラス、割と問題児が多いから、もう仕方ないから友達はつくらない方向で行こうと思っていたけれど、あなたは私が付き合っても大丈夫な人?」


 そう尋ねられて、私は困ってしまった。

 私にさんざん因縁を付けてきた子たちは、彼女視点からは付き合ったらまずい人なんだなと思ったから。自分はどうなんだろうと考えたけれど、やっぱりやましいことはない。

 強いて言うならば。私は困りながら、清水さんに尋ねた。


「やましいことってどういうこと? 特に変なことはしてないし、強いて言うなら、歌を歌うのが好き……くらいしか」

「歌? 山中さんと萩本くんが一緒にいるのって……」

「……なんにもやましいことは、してないよ。ただ、一緒に歌ったら楽しいってだけで」

「そう……」


 清水さんはなんだか柔らかい表情を浮かべていた。普段は冬の桜の木みたいに、なんでもかんでも削ぎ落とした雰囲気を保っているのに、途端に蕾が綻びかけている桜を思わせる様子に変わる。


「なんだかいいね、それは」

「……ありがとう」


 私は清水さんに何度もお礼を言ってから、教室を飛び出した。

 カラオケに行けばいい。それでなにもかもが明るくなる。そう思いながら出かけていったけれど。

 今日はどうにもよくない日が続くみたいだ。


****


 いつも待ち合わせしているカラオケ屋に来たけれど、その日は萩本くんが来てないようだった。既に教室は出ていたはずだし、普段遅刻はしてこない。

 変だなと思ってスマホを漁ると、メッセージが来ていることに気付いた。


【ごめん、今日急に用事が入ったから、行けなくなった】

【明日また一緒に歌おう】

【これ、歌おうと思っていたリスト】

【その中で歌いたい曲ある?】


 萩本くんは謝罪メッセージと一緒に、びっしりと懐メロを上げてくれた。どれもこれも、一度は耳にしたことがあっても、全部歌うとなったら途端にうろ覚えになってしまう曲ばかりだ。

 いつもの萩本くんだ。本当に急な予定だったんだろうな。

 私はほっとしながら【お大事に】とメッセージを送り、歌おうと思っている曲を送信してから、カラオケ屋に入った。もうカラオケのシステムは大分わかったから、ひとりでだってフリータイムを頼むことができる。

 私は借りれた部屋で、曲を何曲が選んでから、イントロの待ち時間になにげなくスマホでアプリを覗いた。ランキングにどんな曲が入っているかなという、ほんのささやかな興味本位だったけれど。


「……ええ?」


 思わずそう呻き声を上げてしまった。


【カイリって歌い手、いきなりぽっと出で出てきたと思ったらカズスキー様と仲良くして、コビ売ってない?】

【カズスキー様、コラボはしてても、基本的に作詞作曲頼むだけだったのに、一緒に同じ歌を歌うとかってなかったよね?】

【なにそれ。匂わし?】

【それかカズスキー様の知名度使ってのし上がろうとか?】

【そんな俳優いたよね? 既婚有名俳優夫妻の知名度使って名前売ろうとした奴】

【まじありえんし】

【コビ売ってるような歌い方とか、本当にクソだわ】


 私のアップした動画のコメント欄が、誹謗中傷で埋め尽くされていた。

 それは実際にあったことに脚色した話から、飛躍し過ぎていったいどこから来たのかわからないことまで、バラエティーに富んでいた。

 ……バラエティーに富むとか、まるで他人事のように言っているけれど。見た途端に心臓がぎゅーっと押し潰されそうになる感覚は、他人事にしてしまわなかったら、カラオケ屋で卒倒して身動き取れないところだった。

 火のないところに煙は立たないと言うけれど、あれって嘘だったんだ。なんにも悪いことしてないのに、勝手に悪いことに仕立て上げられて、火を付けられて、燃えている。

 萩本くんは、今いない。この曲にかかわってきた人たちは今いない。でも、こんなに炎上している中、なにをどう言っても火に油を注ぐだけのような気がして、なにも書くことができない。

 どうしよう、どうしよう。

 私は思わず萩本くんにメッセージを送ろうとして、思わずその手を止めてしまう。

 萩本くんは、【カズスキー】さんは、なんにも悪くないのに。コメント欄の過半数は【カズスキー】さんのファンみたいなのに、その中で萩本くんに誹謗中傷されたと訴えたら、彼が傷付いてしまうかもしれない。彼にそんな目に遭って欲しくはなかった。

 私は一旦外に出た。本当はまだ予約時間は残っているけれど、歌う気にはこれっぽっちもなれなかったから、今は家に帰って自室に避難したかったんだ。

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