私は今度も【カズスキー】さんと【カイリ】のコラボ動画をアプリに上げないかと誘われたものの、「考えさせて欲しい」と保留にしてもらった。


「私の実力とか、全然自惚れてないんですけど……これ以上目立ったら、多分反感が来るかなと思いますので……」


 私はどこかの事務所に所属している訳でもないし、どこかと契約している訳でもない。ただ本当に歌を歌うのが好きでアプリに上げていただけの人間だ。

 人は目立つと、大概おかしな人が引き寄せられてくる。好きな歌い手さんが、おかしな人に絡まれ続けた結果、その対処に追われて歌をアップすることができなくなってしまった例を何件も見ていたら、そろそろ自分も他人事ではないのかもしれないという、怖さのほうが勝ってしまう。

 今まで閲覧数がこれだけ増えたことも、コメント欄にこれだけ感想をもらえたこともなかった私は、なおのこと慎重にことを運ばないと大変なことになると危機感を覚えていた。

 意外なことに、そこで押して「もったいないよ」ということは、ふたりとも言わなかった。


「たしかに、【カズ】くんみたいな怖いもの知らずな子は、今時珍しいもんねえ。【カイリ】さんみたいに用心深い子のほうが多いね」


 かなたんさんは納得するように頷いたら、萩本くんは口を尖らせて最後の一個になった唐揚げを摘まみ上げながら抗議する。


「えー、それだと自分が全然考えなしみたいじゃないですか」

「向こう見ずのほうがなんでもできると思うし、今はブレーキ掛けっぱなしの子が多いから、余計にアクセル駆けっぱなしの子のほうが早く成功できるとは思うけど。でも今ってどういうタイミングで事故が発生できるのか、もう誰も予測できないから、ブレーキ掛けっぱなしの子をあまり責められないんだよね」

「あるあるあるある……」


 かなたんさんのしみじみとした口調に、マキビシさんは大きく頷いた。

 どうもプロとして活動しているふたりは、炎上に対して私以上になにかしら思うところがあるようだった。


「半端な知識の子が、なんでもかんでも盗作だと叫んで炎上したりとかね」

「アイディアやコンセプトが被ったら全部盗作だって思い込んでる子が多くって迷惑してる。なんでもかんでも、思い込みの正義感で走る子多いから。【カズ】くんはその辺りの危機管理、できてるのかできてないのかわかんないしねえ……」

「失礼な。その辺は抜かりなしですし、同業者以外にはなるべく正体明かしたりしてないです」

「まあ、必要最低限の自衛は必要な時代だしねえ」


 こちらが思っているよりもなお、生々しい話が飛び出てしまい、思わず目を白黒とさせてしまっていた。

 私は最初から人の曲を歌っているだけだけれど。作詞や作曲を手がけているかなたんさんもマキビシさんも、あれだけクリエイティブに活動していてもなお、勝手に盗作呼ばわりされてひどい目に遭ったりしているんだと、びっくりしてしまう。

 私は呆気に取られながらお茶を飲んでいたら、隣で萩本くんは「ごめん」と小さく謝ってきた。


「アプリも別に、悪いことばかりじゃないんだよ。ただときどき、羽目を外して悪いことする奴がいるだけでさ」

「……うん。知ってるよ。だから私、ひとりでアプリで遊んでたんだから。でも私、【カズスキー】さんがそこまで用心してたとは知らなかったけど」

「そう? 俺、勝手に周りから難癖付けられて、周りが勝手に喧嘩するから、顔隠してるんだけど」


 そう言っていつも付けてる黒いマスクを見せてくれた。


「……喉を守るためだけじゃなかったんだ?」

「そりゃもう。歌いまくるから喉は大事。あと女子があまりにもやかましいから、距離を置きたかった」


 それは少しだけ納得した。

 萩本くんは、多分マスクを外したらクラスの過半数の女子が放っておかない。幸い体育で男女が被ることはまずないし、体育祭なんかは保健室でサボってしまったら、顔を見られなくって済む。

 女子の嫉妬は正直怖い。それを知っているからこそ顔を隠しているとなったら、納得しかできなかった。


「大変なんだね……」

「……そういえば、【カイリ】さんは全然態度変わらないね」


 そう萩本くんに指摘され、そういえばと私は気付く。


「……一緒に歌っている人に、歌以外を褒めるのって、なんか失礼じゃない? 歌歌っているのに身長が高いねとか、細くていいねとか、全然関係なくないかな?」

「……【カイリ】さんのそういうとこが、なんかほっとする」


 そうしみじみと言われてしまった。

 それは違うよ、萩本くん。私のほうこそ、萩本くんのおかげでちょっとだけ学校生活も楽しくなってきたんだ。

 既にグループが固まってしまっている中に割り込むのって怖いし、そもそも全然しゃべらない人の顔と名前を覚えるには人数が多過ぎるし、クラスメイトの顔と名前が一致しないでずっと一緒にいるのって、本当に苦痛なんだ。

 ひとりでいると勝手に担任に心配されるし、なんだかクラスの子たちにいいように使われてるなあと思うし、クラス委員の清水さんには心配かけ続けているし。

 そんな中で歌を通して萩本くんと知り合って、互いに好きなことを好きなように話せるようになったのは、本当に楽しいんだよ。

 それを、女の子たちに勝手にはしゃがれて、勝手にいがみ合われているのに疲れてしまっている彼には言えなかった。

 私たちが押し黙ってお茶を飲んでいる中、かなたんさんが言った。


「でもとりあえず、もし気が変わったら連絡してね。また【カズ】くんと歌える曲を考えるし、それ以外でも相談があったら乗るからね。それこそ、最近は付け火で炎上ってものすごくあるから、なにかあったら話は聞くよ?」


 そう言われて、かなたんさんとマキビシさんから名刺をもらった。名刺には通信アプリやSNSのアドレスをすぐに確認できるバーコードが付いていた。

 それに何度も何度も「ありがとうございます」と言ってから、その日はお開きになったんだ。


****


 ふたりがタクシーで帰っていくのを見届けてから、私と萩本くんは帰る。最近は日が落ちるのが少し早くなったせいか、家の近くまで萩本くんが送ってくれることが増えた。

 黒マスクを付けていると、周りはびっくりするけれど。それでも萩本くんが制服を着ているおかげで、それは一瞬だけで収まる。


「あのう……萩本くんって中学時代どうだったの?」

「んー? なんか周りの人間関係に疲れて、単位全部取ったあとは、受験勉強って言い訳して、学校に行ってなかった」

「ああ……それって女の子に人気っていう奴?」

「あれって人気っていうよりも、流行りのアクセサリーやネイルの奪い合いみたいな感じで、マンガとかで言う人気者って扱いじゃなかった気がする」


 たしかに戦利品みたいに奪い合われたら、好かれた嬉しいって感覚より先に、怖いのほうが勝ってしまうと思う。


「大変だったんだね……」

「そうかも。しかたないから、アプリで歌歌って、適当に吹き込んでた。歌だけだったら、顔は関係ないし。それで人気が出ても、教室で勝手に奪い合いになるよりも楽だった。そこからプロの音楽家の人たちに声をかけられても、歌以外はとやかく言われなかったから、ああ、顔が必要ない世界ってこんなに楽なんだなあと思いながら続けてた」

「なるほど……」

「そういえば山中さんは? アプリ自体は今年に入ってからみたいだけど」

「うん。歌うのはずっと好きだったよ。ただ、ひとりでカラオケに行く度胸もなくって、中学時代はずっと友達と一緒に行って、一緒に歌ってた。学区が離れちゃったから、今はほとんど疎遠になっちゃったけど」

「ふーん……まあそうだよね。中学と高校だと、なにかと勝手が違うし、学校が変わるとコミュニティーも変わっちゃうしね」

「うん」


 空はすっかりと暗くなり、外灯がポツリポツリとついている。星は見えない夜空を見上げて、萩本くんは続けた。


「学校にないんだったら、他でつくるしかないもんな」

「うん……あのね、萩本くん」

「うん?」

「……ありがとう。私の歌を聴いてくれて」

「俺、なんかしたっけ?」

「したよ。毎日学校行くのがダルいなあと思っていたけれど、学校についたら萩本くんと話ができるし、カラオケで一緒に歌を歌えるし」

「……もうひとりでカラオケに行けない?」

「行き方は教えてもらったけど……誰かに聴いてもらうのって楽しいんだなって、萩本くんがいたから気付けたし。ありがとう」

「ふーん」


 萩本くんの横顔を眺めても、すっぽりと覆われたマスクでは顔はわからない。ただ目を細めていて、それは笑っているのか怒っているのか、悲しんでいるのか悩んでいるのか、横で見ていても判別が難しかった。

 やがて、私の家が見えてきた。ここまで来たら、もう帰れる。


「ありがとう。私はこの辺で」

「じゃあな。また明日」

「うん、また明日」


 そう言いながら、萩本くんは帰って行く。中学時代、私と校区が全く被らなかったから、家はうちから大分離れているはずなのに、「俺が山中さんを誘ったから」と送ってくれるのが嬉しい。

 私は萩本くんが遠くなっていく背中を見送ってから、家に帰っていった。


 今思っても、あのときの私は抜けていた。

 有名人に会えたから。萩本くんと少しだけ胸の内を語り合ったから。話を聞いてもらえたし、聞かせてもらった。

 冴えない私の人生が、少しだけ輝いたように思っていた。

 でも。私は萩本くんと違って、物語の主人公にはなれない。目立ちたいって性分が全然ないから、ただ好きなことをして、たまに好きなことを分かち合えれば、本当にそれでよかったんだ。

 だから、このときにもう少し考えて行動すればよかったのにと、今になって後悔している。

 人の足の引っ張り合いも、人の嫉妬の怖さも、アプリでさんざん見たから弁えていると、そう思い込んでいた。でも、このときの私はなんにもわかってはいなかった。

 ただ見ていて、それを知った気になっていただけで、思い知ってはいなかったんだから。

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