第7話 廃屋

 長野県〇〇村〇〇地区。地元の消防や警察が捜索に当たったが、結局、先生は発見されなかった。


 そして、母親から聞かされた住所にあったのは、小さな廃屋だった。そこは、何十年も前から誰も住んでいなかった。亡くなる直前、倉崎先生は、〇〇村にある唯一の民宿に泊まった。そこで、〇〇地区にある板倉さんの家に行くと言ったが、民宿のおばさんは、そんな人は住んでいないと教えてやった。


 しかし、先生は『多分、世の中に嫌気がさして人目を避けて暮らしているんだろう』と言って聞かなかった。だから、村の若い男を案内に付けてやったが、その男は、行っても無駄だと思って途中で引き返して来たそうだ。その男が一番怪しいのだが、証拠がないので、どこまで送ったかを警察に教えただけで、そのまま返されていた。とにかく、先生の遺体を見付けなくてはいけなかったが、山奥であまりに範囲が広いので見つからなかった。


 先生はその廃屋まではたどり着いたらしかった。草をなぎ倒して、家の方まで歩いて行った形跡があった。

 しかし、帰り道で迷子になってしまったようだった。


 山間部なので携帯は圏外だった。先生が廃屋に向かったのが、三連休の二日目の土曜日。日帰りして日曜日に戻るつもりだった。土曜日に民宿を予約していたが、先生は帰って来なかった。荷物も残されていた。先生は軽装で出かけてしまい、食料などもほとんど持っていなかったようだ。


 ***


 最終的に警察に嘘の情報を教えたことで、板倉さんの奥さんが疑われることになった。

 

 なぜ、嘘の情報を流したのか・・・。その理由は単純だった。

「他人に干渉されたくなかったんで。子どもたちは〇〇市にある〇〇学校に行ってます」

 それは宗教団体主催の寮のある学校だった。文科省から学校と認められているような、一条校ではない。

「旦那さんは?」

「ああ、あの人は・・・マグロ漁船に乗ってます。仕事を首になってしまったので・・・」

「あの長野県の住所は一体何なんですか?」

「あれは・・・私たちは登山が趣味で、たまたまあの辺に行ったことがあったからです。あの辺の土地を買って、住んでみたいなと思っていて」

 警官たちは開いた口が塞がらなかった。


 ***


 倉崎先生は、あの日、村の若い男に案内されて山道を登って行った。若い男と言っても38歳だった。肌は日焼けして黒く、灰色のような農作業用のジャンバーとズボンを履いていた。結婚したくても相手がおらず、フィリピンから嫁を貰ったこともあったが、その人は山村での暮らしに耐えられず逃げてしまった。その男自身も田舎から逃げたいが、学歴もなく、土木作業員などの仕事くらいしかできないから思い止まっていた。


 倉崎先生は男が久しぶりに見た独身の若い女性だった。小柄だが、ぽっちゃりしていて胸が大きかった。後ろを歩いていて、どうしても尻に目が行ってしまった。ズボンの後ろからパンツのラインがくっきりと浮かび上がっていた。そして、歩くたびに皺が尻の形を強調して、まるで女体を見せびらかしているようだった。男は歩きながらずっと、何とか平静を保とうとしていたが、体は正直に反応していた。先生はそれに気が付かなかった。


 男は先生に気に入られるために、田舎の魅力をアピールしたり、面白い話をして笑わせようと頑張った。何の報酬もないのだが、行っても仕方のない廃屋まで連れて行った。


「うぁ・・・これは・・・ひどいなぁ・・・こんなところに住んでいるなんて。うそでしょ?」

「誰も住んでないよ」男は冷静になって答えた。

「でも、ちょっと行ってみていいですか?」 

 男は惚れた弱みで、わざわざ草むらに道を作ってやって、中まで通れるようにした。その姿は野性味に満ちて頼りがいがあった。

「ここって、本当に誰も住んでいないんですか?」

「うん。ここはもう10年以上空き家だと思う。前におじいさんが90くらいまで一人で住んでたけど、気が付いたら中で亡くなってたって聞いたよ。その人がいなくなってからは、ずっと空き家なんじゃないかな?」


 男はその小屋の中には入らなかった。そこは曰くのある場所だったし、そこを尋ねた人は戻って来れないという噂があったからだ。


 倉崎先生は果敢にも一人で中に入って行った。スマホのライトを付けながら、家の中を照らしてみて、子どもたちの痕跡がないか探し始めた。最近まで人が住んでいた気配はまったくなかった。


「先生、大丈夫か?」

 男が呼びかけた。

「大丈夫!」

 馬谷さん。素敵な人・・・独身だって言うし、田舎の人だからもしかしたら・・・自分みたいな愛嬌のない女でも好意を持ってくれるんじゃないか。先生の頭の中は彼のことでいっぱいだった。どうしたら、もっと彼と親しくなれるだろうか・・・家まで入って来てくれたら、きっといい雰囲気になってキスできるんじゃないかしら。想像しただけで顔がにやけてきた。


 でも、馬谷さんは入って来ない。きっと紳士的な人なんだ。そろそろ出よう。帰りの道で思い切って「独身ですか?」と尋ねてみたらいい。旅の恥はかき捨てだっていうじゃない。倉崎先生は笑顔になってしまうのを堪えるのが大変だった。


 ***


 倉崎先生がUターンして戻ろうとした時、いきなり足元が空洞になった。

 

 あ・・・


 頭の中が真っ白になった瞬間、シュッと奈落に落ちた。あまりに急で、先生は声がでなかった。


 ドボン。

 真っ暗な中で、臭い水の中に落ちた。

 上の方には外から漏れる明かりが見えた。でも、かなり上の方にあった。

 先生は必死でもがいた。


「助けて!」

「助けて!!」

「助けて!!!!!!」


 ごぼ・・・ごぼ・・・ごぼ・・・


 先生は水を飲みながら叫んだが、建物の外には聞こえない。

 先生は力尽きて沈んでいった。


 その家は、屋内に井戸があったのだ。

 それは、気の狂ったおじいさんが作った、敵を陥れる仕掛けだったのかもしれない。死ぬ間際になって、廃屋の横にあった井戸を屋根で囲ってしまったようだ。周りに何も目印がないから、ただ、ぽっかりと穴が空いているだけだった。歩いてきた人が誤って落ちて死ぬことはわかっていたに違いない。井戸は深くて、そこから這い上がることは不可能だった。


***


 男は30分して、声を掛けても返事がないから帰ることにした。

 自分は途中で引き返したことにしよう。


 この家でいなくなった人は、これで5人目だ。

 なぜか、毎回いなくなる。

 せっかく若い女性だったのに・・・、惜しいことをした。

 家に入る前に誘ってみればよかった。

 でも、乱暴を働いたら警察に駆け込まれてしまっただろうし・・・。

 あの家に入ったらもう戻っては来れない。

 どっちみち縁がなかったんだ。


 あの家にはどんな仕掛けがあるんだろうか。

 しかし、男にはそれを確かめる勇気も必要もなかった。


 ***


 倉崎先生の一人暮らしの家のポストには、宛先人不明のハガキが入っていた。

 先生が出かけたのとすれ違いに戻って来たものだった。

 しばらく、親族が借りっぱなしにしていたので、そのハガキが戻って来たことはしばらく誰も知らなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

引きこもり 連喜 @toushikibu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ