第20話 暗い工場見学

 目的地の工場は君津駅の反対側、川を一つ渡った先だった。

 木更津のラーメン屋から三〇分程走ったところで、鴇田は「この近くですね」と道路脇に車を停めた。

 カーナビの現在地と目的地の住所とが重なってはいるが、辺りには畑と森が広がっているだけだ。辺りを見回すと道沿いには、それらしい建物は無かったが、側道の入り口にシマダ製機という看板があった。

 看板の指す方角に向かって舗装されていない畑の中をしばらく進むと、やがて道は林に囲まれた登り坂に変わっていった。道の両脇には壊れたバイクや、家具、廃棄缶や電化製品が放置されている。

 なんだかマナーが悪いところだなぁ、と晶子が思っていると急に視界が広がった。

 そこは工場の駐車場のようだった。マイクロバスと、トラック、乗用車が十台程度停まっている。

「ここみたいですね」鴇田は車を停めた。

 三人はしばらく車内から外の様子を伺った。機械音は遠くから聞こえてくるが、駐車場から見える範囲に人影はない。駐車場の端に、四階建て位の古いコンクリート製の建物が立っていた。窓は板で塞がれて見えないようになっており、入り口らしき場所や工場名を示す看板などは無かった。

「多分ここが、シマダ精機のはずなんですが」鴇田も確信がない。

「とにかく、降りて工場に行ってみよう」

 雑な舟橋が勇ましく思える。

 車を降りると、コンクリートで出来た古い建物に近づいていった。一階部分がガレージの入り口のようになっていて、そこにはくすんだ緑色のシャッターで閉じられていた。

 まるで外部侵入者を防ぐ壁のようになっている。

「入り口ここしかないのか? 倉庫みたいだぞ」舟橋が不審げに言った。

「看板から一本道だったんで、ここしかないと思うんですが」

 事前に連絡を取ったはずの鴇田も自信なさそうだった。

「地域課の頃に、巡査はこういう場所を回るんじゃないのか?」

「僕は住宅地の担当なので、ここに来るのは初めてなんです……先輩、すいません!」

 その時、鴇田の話声に反応したのか、シャッターの向こうから急に犬の吠える声がした。

「やっぱりこの中が工場みたいですね。ちょっと入り口探してきます」

 シャッターの壁に沿って鴇田が進むと、三メートル位の高さに監視カメラの付いている場所があり、その下にインターホンがあった。

「押してみろ」

 舟橋が指示すると鴇田は、インターホンのボタンを押した。

 また、犬が騒がしく吠え始めた。

 しばらく待ったがスピーカーからの返事は無い。

 ただ、防犯カメラからは見られている視線のようなものを感じる。

「本当に今日営業してるのか?」

「えぇ、さっき電話した時には、六時までは社長がいると言ってました」

 また吠える犬の声が増えた、あまり聞いたことがない吠え方をしている。

 シャッターの向こうに何匹かいるようで、晶子はちょっと怖くなった。

 鴇田はもう一度インターホンを押した。

「すいませーん。先ほどご連絡しました君津署の鴇田です」さっきより声を張った。

「……ちょっと待って、今行くから」

 スピーカーの向こうから、とても不機嫌そうな声が聞こえた。

「大丈夫ですかね」晶子が不安げに聞いた。

「さっきの電話では普通だったんですが……」

 やがて、ガタガタガタと閉まっていたシャッターが上方に動き始めた。ひんやりとした空気が漏れ出す。

 シャッターが開くと坊主頭の巨漢が立っていた。

 目が細くて神経質そうな感じで、モンゴル出身力士の逸ノ城と似ている。 服装は上下黒いジャージにサンダル履きという、いかにもな輩感。両腕でヨダレを散らして暴れる大きなシェパードと黒ラブラドールの首輪を強引に掴んでいた。

 「静かにしろ」と怒気をはらんだ声を出す。

 犬に言っていると分かっていてもこっちも怯えてしまう。

「さっき、電話してきたのお前か?」巨漢男は警戒した目で、舟橋と鴇田を見ていた。

「はい、先ほどお電話しました、君津署の鴇田です」ポケットから名刺を出した。「こちらは千葉県警の舟橋さんと市川さんです」鴇田は二人を紹介した。

 男は名刺をろくに見ないでズボンのポケットにしまった。

「わざわざ、何しに来たんだ」

 警察官と聞いても横柄な態度のままだった。その様子に、舟橋は小さく舌打ちをしながら男に近づいた。もともと刑事畑の長い舟橋、酸いも甘いも体験してきたベテランだ、こんな輩のカマシごときには、怯まないだろうと晶子は期待した。

「お忙しい時にすいません、県警本部が乗り込んで来たんで心配されているかも知れませんが、近くに来たもんで、ちょっと社長さんにお話しだけでも聞かせていただけないかと思いまして」

 舟橋は営業マンのような低姿勢ですり寄っていった。もっと強気で行ってくれ。

「社長は事務所にいるよ。こっちだ」

 坊主頭の巨漢は吠えまくる二匹の犬を引きずりながら、建物の奥の方に向かっていった。

 建物の中には電気はついておらず、スモークの入ったガラスから差込む薄暗い光が広い倉庫に差し込んでいた。

 三人は色々気がかりを感じながらも、黙って男の後ろについていくしかない。

 壁側には大きな箱が多数積まれていたが、働いている人は見当たらなかった。近くでフォークリフトのエンジン音だけがする。床のコンクリートにはひびが入り、どこから水漏れしているのかじっとりと濡れている。清潔な工場とはいえない。

 突然ドアがしまる音と人の気配がしてので、晶子は敷地内を見回したが誰も見当たらない。舟橋の方を見ると無言で頷くだけ。

 大丈夫かなぁ。晶子は不安しかない。

 犬連れの巨漢男について建物を奥に進んでいくと、変な匂いがしてきた。ツーンとするお酢に似た匂い。


 やがて倉庫の突き当り荷物の切れ間で、男は止まった。

「ちょっと待って」

 その一角にはプレハブの事務所のようなものが建っていた。事務所の外壁には二枚ポスターが貼られていて、満面の笑みの同じ女性が写っていた。

 ポスターには「自然と発展! 名水の町!君津」とキャッチコピーが書かれていた。

 あぁ、この人がペットボトルの水を作った張本人の市長だ。

「社長、警察が来たよ」

 坊主男は事務所のドアの前で声を出した。

 社長とタメ口のこの男の職業は何なのだ、事務職にも作業員にも見えない。

 事務所のドアが開くと、作業服を着た六〇歳位のおじさんが立っていた。

「どうぞ、お待ちしていました」

 オデコが禿げあがっていて目の細い俳優の田山涼成に似た人の良さそうな顔をしていた。

 おじさんの招きに応じて、鴇田と舟橋に続いて晶子も事務所に入った。

「わざわざどうもすいません。ウチの犬が驚かせませんでしたか?」

 事務所中は工場内の暗さに比べると明るくキレイで事務デスクが並んでいた。

 ニコニコと柔和な表情で社長は、奥の応接セットに三人を招いた。高校野球を中継しているテレビのソファーに舟橋と鴇田が、晶子は横の事務椅子に座った。向かい側の一人がけソファーに社長が腰をかけた。

「社長の島田です」

 近くで観察すると社長の作業服は汚れていて顔は不健康そうな赤ら顔だった。笑うと前歯が一本抜けていた。

「亡くなられた森田さんの件でいらっしゃったとか」

「はい、急なご連絡ですいません。君津署の鴇田です。こちらも県警の方です。ご協力ありがとうございます」

 鴇田がまた名刺を渡す。謹慎中なので警察章は署のロッカーに保管されているのだろう。

「森田さん大変でしたね。私も聞いた時はびっくりしましたよ。急に亡くなられたそうですね」

 島田は自然な様子で言った。

「そうなんです。私が通報を受けてホテルの部屋に臨場したのですが、既に亡くなられてまして」

 父親以上に年の離れた相手に鴇田は気後れした様子だった。

 こういう控えめの感じがうちの両親とも上手くやれそうでいいなぁ。と晶子は激辛ラーメンのダメージ後しばらくぶりの妄想に入った。

「急病だったそうですね。木曜日に君津署の刑事さんがいらっしゃって、大体のことはお話しましたが、今日は何か別の要件でもあるんですか」

 体を少しゆすりながら、社長の言葉は穏やかに話しながらも、明らかに不服の意図が込められていた。

「いえ、もしその後何か気づかれたこととかありましたらと思って……ご迷惑おかけします」

 この後、鴇田はもう言葉が出てこなかった。ノープランだったんだなぁ。素朴だなぁ、おバカだなぁ。まぁそんなところが、裏がなさそうでいいけど。

 目の細い社長は癖なのかまた体を揺らした。

「何も、特別変わったことはありませんでしたよ」

 少し強めの声で、さらに迷惑そうな感じを伝えて来る。

「そうですか」鴇田の目が泳いだ。

 その様子を横で舟橋が心配そうに見ている。

 ここで鴇田を助けてこそ先輩だ、なんとか頑張れ舟橋!

「すいません。警察というところはお役所なもので、何事も確認する癖がありましてね、同じことを何回も聞いたり良くするんですよ」

 舟橋はどうでもいいことしか言わなかった。

 確かに助けたが、弱い。

「それは困りますね」社長は苦笑いする余裕を見せた。

 双方、話の切り口を探る、気まずい時間だけが流れる。晶子は舟橋を睨みつけて、話の継続を促した。

 わかってるよ、という顔で舟橋は、「でもね、森田さんはこちらに一時間程度いたみたいなんですが、そんなに長く一体何をしていたんですか?」

 社長の表情が険しくなった。

「ただの、取引先担当の挨拶でしたよ」

「一時間ですよ、他の取引先周って、社長のところだけ随分長いんです。挨拶の他に何か話し合ったんじゃないですか? 例えば何かトラブルでもあったのかと思いまして」

 老練な舟橋は挑発気味にかました。

 社長は動きが止まって、ジーッと舟橋の目を見ている。

 何を探ってるんだ。

「あっ、何も出さすにすいません。桑原さんお客さんに飲み物出して」社長は話をそらした。

 舟橋そこで追撃だぞ。

「いえいえ、すぐ帰りますのでお構いなく」

 普通だ、完全に話がそらされた。

 五〇代位の神経質そうな事務所のおばあさんがお盆に載せて持って来たのは、例の『君津の名水』ペットボトルだった。やっぱりこの工場も市長から押し付けられたのだろう。

「どうぞ、地元の名物、人気の名水です」

 そう社長に言われても、既に知ってる三人は手を出さない。晶子はバッグに一本持っているし、舟橋は味が変だと捨てていた。

「いえいえ、お構いなく」

 せっかくの緊張感が、どうぞといえいえ会話で切れてしまった。

「あのぉ、すいません、ちょっとお手洗いお借りできますか」

 晶子は社長に聞いた。

「どうぞ、桑原さんご案内して」

 社長は、さっきの事務員に声をかけた。

「いえ、場所を教えてもらえれば一人でいけますので大丈夫です」

 晶子は応接セットから立ち上がると、軽く頭を下げて事務員に行き先を確認した。

「おい、お話伺っている途中でトイレって何だよ、すいませんね、実はさっき激辛ラーメンを食べまして、それでお腹の調子が悪くなってると思うんですよ」

 余計な話が後ろから聞こえてくる。

「もしかして木更津の店ですか」

「そうなんです」

 舟橋も鴇田も完全に呑気な地方警察ムードに浸っている。

 このままじゃ、ここでも何の手がかりなしだ。

<p><br /></p>

 無愛想な事務員に教えてもらったトイレは事務所の外にあった。そこまでの途中で三箇所も防犯カメラが設置されていた。カメラのレンズの方向は、外を見張るのではなく、内部を監視しているように晶子は思った。

 嫌な感じだな。

 指示された通り晶子は壁際に沿って工場の隅にあるドアを開けた。すると外を歩いていた作業服の男と目があった。晶子が軽く頭を下げると男は無視して去っていった。

 顔が濃い。ここで働いている人も外国人が多いんだな。日本の製造業も人手不足とテレビでやっていたのを晶子は思い出した。


 工場のトイレはあまりキレイとは言えない、使い込まれた古いものだった。中国語と韓国語、他に東南アジア系の文字で何か注意らしいものが書かれているが、日本語が無いので意味は分からない。晶子は一旦トイレの中に入ったがすぐに出た。

 外に出ると事務所には戻らず、逆の方向に向かった。

 工場の機械稼働音がそちらから聞こえるからだ。

 一体ここは何の工場なんだ。そんな興味と、この工場に漂う暗く重い雰囲気の原因を知りたくなっていた。

 後で付け足されたような壁の一箇所に変なドアがあった。上半分がガラスになっているが、裏から黒い紙で中が見えないように塞がれている。

 晶子はドアノブに手をかけて引くが、重くてなかなか開かない。建物の内部と気圧差があるようだった。両手で握って、足を踏ん張りながら力を込めてドアを開けた。機械音と同時に急に温かい風が吹き込んで、同時に強い刺激臭がした。

 ドアを大きく開いて中に入り、そこの内部を見渡した。

 左右に黒い大型の機械がいくつも並び、そこには作業服に帽子とメガネとマスクをした人が二十人近く働いていた。台車を押してこちらに近づいてきた一人と目があった。

 「お邪魔してます」と晶子が話しかけると、その女性は「シン……ガダイ」というようなことを言って、作業場の奥に消えていった。おそらく彼女も外国人だ。

 どうしようかとしばらく晶子は立ちすくんでいた。

 不意に背後に気配を感じて振り向くと、さっきの坊主頭が立っていた。

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受付の不機嫌な彼女 遊良カフカ @takehiro

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