第14話 大きな煙突の町

 三人は部屋を出るとホテルの廊下を進んでエレベーター前に戻った。舟橋は晶子が渡したタップリ残っているペットボトルをゴミ箱に捨てた。

「もう飲まないんですか?」気になって晶子が訊ねた。

「なんか味変じゃないか? なんか後味苦いわ」舟橋は顔をしかめた。

「ミネラルウォーターはこういう味ですよ」

「何か、俺には合わないわ」舟橋はそのまま到着したエレベーターに乗り込んだ。

 もらったもの目の前で捨てるか? 普通。晶子はムカついた。

 下りのエレベーターで鴇田が、「この後どうします」とポツリと言った。

「事件当時のフロント従業員の人に会って話を聞きたいところですが、もういないんですよね」

「それも念のため確認しておきます。亡くなった森田さんが、他に立ち寄ったのは取引先の工場三箇所と、木更津のラーメン屋さんだけになりますね」

「俺の本命。激辛ラーメンね」まだ舟橋は言っている。

「どこから行きます? 今からだと全部は回るのは厳しいですよ」鴇田が弱々しく聞いてきた。

「一番遠いところはどこだ」

「それはラーメン屋です。ここから三十分弱かかると思います。他の三箇所はすべてこの近くです」

「じゃあ、遠いところから行こうか、その方が帰りは駅に近くていい」

 舟橋なりの方法論で先にラーメン屋に行くことになった。

「でもそのラーメン屋さん、いきなり再捜査ですって私達が行っても対応してくれるんですか? 」

 晶子は心配になって聞いた。被害者との因果関係は不明でも、飲食店にとっては迷惑な出来事のはずだ。

「大丈夫だと思いますよ。今日先輩が来るというのであらかじめ連絡してるんですが、店長は機嫌良く、いつでも来て下さいって言ってましたから」

「ほう手回しがいいね。被害者が直前に何を喰ったか、自分の目で見て確認しないとな。唐辛子の他に何か変な物を入れてないか問い詰めてやる」

 舟橋は激辛ラーメンへのこだわりを再燃させた。

 ロビーに着くと、さっき会ったホテルのフロント責任者の所に挨拶へ寄った。責任者のおばちゃんが出て来て、「何か分かりましたか?」と探るような表情で聞いてきた。

「いえ、必要以上にキレイにクリーニングされていたので、何も見つかりませんでした」

 鴇田は素直に言ったつもりだが、何か因縁つけられたかと思ったのか、おばちゃんは偏屈な顔をした。

「あと、事件当日フロント係だった林さんの連絡先、携帯でもわかりませんかね?」

 舟橋が詰問口調で責任者のおばさんに聞いた。

「先日、君津署の刑事さんにお渡しして、もう調べしているはずですよ」

 責任者はさらに露骨に迷惑そうな表情になった。

「もしかして、その人物に会わせたくない何か理由でもあるんでしょうかね? 姿消したのもホテルの指示だったりして」

 舟橋が声を大きくプレッシャーをかけると、フロアにいた団体客が怪訝な顔で振り向いた。

「静かにしてください、他のお客様に迷惑です。メモしてきますのでちょっとまってください」と言って、責任者は奥に引き込んで行った。

 舟橋は大きく親指を突き出すポーズをした。

 事件直後にすぐ辞めているのは、確かに何かある。


 駐車場に止めた鴇田の赤いアルトの横で晶子は二人の戻りを待った。

 艶の消えたボディとバンパーの擦り傷は、いかにも雑に扱われている印象だが、晶子の経験上、車に金をかける男にろくな奴は今までいないから、これはこれで良い。

 舟橋と鴇田がエントランスから出てきた。二人並ぶと鴇田のスタイルの良さが際立つ。

「ダメだな、電源切られていて繋がらない」舟橋がぼやく。失踪した従業員の携帯はつながらなかったようだ。

「一応、刑事課も自宅に聴取に行ったはずだから、そこにも居なかったってことだろうな。なんで隠れているんだ」

 事件当夜の従業員の件は疑問だが、晶子らには何の権限もない。思いつきの週末日帰り再捜査ではこれ以上、消えた従業員に深入りしている時間はない。

 三人はまた鴇田のアルトに乗り込むと、隣の木更津市にある激辛ラーメンの店を目指して北上した。


 晴天と春の日差しの下、トラックがやたら多い幹線道路。

 工場と緑地帯が交互に続く眺めを、晶子はボーッと眺めながら妄想した。

 鴇田くらい少々おバカな方が女性の言う事を聞くし、彼みたいな人と一緒にいたら明るい家庭になりそうだな。この先、君津に通うことになるかもねとかね。

 『水の都君津』『お土産に君津の名水』という看板を見ても普段なら「他に自慢ないのかよ」とか毒づきたくなるが、妄想中はそれすら素敵な町に思えてくる。閉店したスナック街も、どでかいパチンコ屋も輝いている。

 そんな晶子の妄想をよそに、今回は助手席に座っている舟橋は、鴇田に事件の思い出話を続けている。この舟橋と出会って無理やり再捜査に引っ張り出されてから、実際ろくなことが無かったが、これはきっとこの日の為に神様が仕掛けた前フリだったのだ。

 ヒマな時間にマーダーミステリーや、本格ミステリーを読みふけっていた晶子の非モテな人生も無駄ではなかった。鴇田との出会い。ここにつながっていたのかってね。ニヤニヤが止まらなくなる。

 後部座席で斜め後ろから見る、鴇田の横顔も素晴らしい。

 シャープな顎のライン、整形したかのようなしっかりとした高い鼻。はかなげな目じり。何時間でも鑑賞してられるわ。もうラーメン屋や、工場になんていつまでも着かなくていい。どっかで舟橋を置いてって、二人で海沿いの道をどこまでもドライブしていたい。心の中の声が弾んだ。

「おい、聞いてんのか」

 助手席の舟橋が振り返ってこちらを見ていた。

「はい、何でしょうか? ちょっと考え事してまして」

「激辛ラーメンが原因で死んでいた場合でも、業務上過失致死とかになるよな。前にそんな事件あったような気がする。そうだよな市川」

 ベテラン刑事が刑事訴訟法を、受付派遣社員の晶子に聞いていた。

 面倒な質問に、幸せアドレナリンが急に枯れた。不機嫌になりそうだったが、その隣には鴇田がいる。ここは出来る女アピールをして、加点するターンかも知れない。

「そうですね、それ確かどこかの食べ放題の店でのガス漏れ爆発のことじゃないですか? 飲食店絡みの法律だと管轄は厚生労働省。なので食品衛生法違反くらいしか聞いたことないですね。それも食材が腐っていたとか、衛生面の不良とか、過失による異物混入とか、そんな時の適応だったはずですね」

「詳しいですね市川さんは何でも」運転席の鴇田が感心したようにいった。

「はい、大学で食品衛生と栄養学も受けましたから」

 とにかく加点を、と思い晶子は遠回りに家庭的ですアピールをしたつもりだった。

 もちろん、そんなこと舟橋には関係ない。

「他に、激辛規制法とか、唐辛子入れすぎ違反とかないのかな、何とか逮捕して実績作っておきたいんだよな」

「あほらしい、そんなカラムーチョの宣伝みたいな法律あるわけないでしょ」

 そう言いつつも、舟橋が主張する唐辛子の食べ過ぎが死因という暴論も100%馬鹿には出来ないとは思っていた。

 唐辛子の成分カプサイシンの強い刺激を受けと、胃腸が荒れることは普通に知られている。被害者が胃腸の病気や、手術直後なら可能性はなくはない。ただそんな人が激辛ラーメンを食べるとは考えにくい。

 信号で止まった時、窓からタバコの煙が入って来た。

「臭いなぁ」と外に目をやると、髪を染めた化粧濃い目の女が、運転しながら窓から灰を落としてた。

 不意に思い出した。そうかここは、気志團の街なんだ。


 やがて、大きな団地を過ぎ、下り坂に差し掛かると、本格的な煙突が林立している景色が目のまえに広がった。ちょっと見たことない大きさだ。

「鴇田さん、あれは何の工場ですか?」晶子は尋ねた。

「あれが大日鉄君津工場です。日本が誇る世界に誇る製鉄所ですよ」

 そうか、あれがそうか。小学校の時に聞いたことはあったが、見るのは初めてだ、目の前全部工場というスケール。海側はすべて工場と機械で埋め尽くされているようだった。

「鴇田さんいろいろご存知なんですね」

「君津は鉄の町なんです。市内も大日鉄と取引する業者ばかりです。そうそう、亡くなった森田さんもそこの関連会社の人です。なので、君津は工場建設時に北九州から来た人たちが多いので、この辺の市町村でも、ちょっと異質ですね。労働者が多いので、酔っ払いの事件なんかも付近より多いんです」

 そう聞くと、いろいろ分かってくることがある。

 ロードサイドに沢山ある居酒屋は、彼らの憂さ晴らし先で、君津駅で降りた若い男たちは、工場で働く工員というわけか。晶子の住む千葉市から西の部分。千葉県が推しているマスコットキャラクター『チーバくん』で言う顔の部分は、圧倒的に東京のベッドタウン。お腹の位置にある、ここ君津は工場を中心に動いている。同じ千葉でも随分違う。

 チバディープサウスは軽い気持ちで足を踏み入れるには深すぎる。

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