第12話 学校をサボった日には

 昼前、僕は市内にある、とある総合病院にいた。

 一階にいた、顔馴染みの看護師さんに軽く会釈すると、声をかけられた。


「旭岡くん、今日は学校は?」

「サボりです」

「ひよりちゃんに怒られちゃうわよ?」

「……かもしれませんね」


 僕は苦笑いをしながら、頭をかく。

 看護師さんと別れると、エレベーターで5階に上がった。


 エレベーターを出て、右に歩く。

 何度来ても、この道のりが長く感じる。

 距離にして、10メートルもないのに。


 足取りが重い。息がつまる。

 頭の中では、絶えずあの夏の光景がフラッシュバックする。

 

 彼女の部屋前に辿り着いた。

 しかし、部屋のドアをノックするにも、僕には酷くエネルギーのいる行為だった。


「入っていいよー!」


 病室内から、明るい返事が返ってきた。

 僕は静かにドアを開けた。


「あっ、新世お兄ちゃん、来てくれたの!」


 彼女に会うことが嫌なわけじゃない。

 彼女は、僕と会う度に、とびっきりの笑顔で迎えてくれるからだ。

 

 でも、やはり僕には、彼女に対して後ろめたい気持ちがあった。


 彼女は、僕のことを、本当はどう思っているんだろう?

 本当は、見殺しにしようとした僕を許していないんじゃないか?


 彼女の心は僕にはわからない。

 人付き合いにおいて、ある程度相手の気持ちを察する必要はあるだろう。

 だけど、それはあくまで自分の推論だ。


 相手の気持ちを正確に汲み取ることなんて、誰にもできない。


 僕は病室に入ると、ベッドの側に歩み寄った。


「もしかして、新世お兄ちゃん、学校サボっちゃったの? ダメだよ、サボるなんて」


 そう言って、僕に人差し指を突き刺してきた少女が、桜庭ひよりちゃんだ。

 今年12歳になる、小学6年生。

 春先より少し伸びた黒髪と、つぶらな瞳をしている。


 リクライニング式のベッドの上に横たわるひよりちゃんは、上半身を起こしていた。


「まあ、学校に行きたくない日もあるんだよ……」


 僕は隣にあった椅子に腰をかけながら、言った。


 まさか、浮気していた彼女との修羅場が嫌だから、休んだとは言えない。

 そういう昼ドラみたいな話は、ひよりちゃんにはまだ早い。


「ひよりが学校に行ってた頃は、そんな日は無かったよ?」

「……」


 ひよりちゃんにとっては、何気ない一言だ。

 その何気ない言葉が、僕の脆弱な心を容赦なく抉る。


 以前まで普通だった。当たり前のように毎日、その足で通っていた。

 なのに、あの日を境に、ひよりちゃんはこの部屋に閉じ込められたままだ。


 僕はひよりちゃんを、小さかった頃の美織と重ねていた。

 同時に、あの時と同じ無力感を感じていた。


 昔の僕は、美織に何もしてあげることができなかった。

 ひよりちゃんにだって、今の僕は何もしてあげることができないだろう。


 そもそも僕が、ひよりちゃんを助ける決断を、もう少し早くしていれば──


 そう考えると、時間を巻き戻したくなってしまう。

 過去にした行為は、例えそれが取り返しがつかないことでも、決して取り消すことはできない。


 それがわかっていながらも、人間は間違いを起こし続ける。

 今だって、僕は間違えながら生きているんだろうな。


「──新世お兄ちゃん、どうしたの?」

「……いや、何でもないよ」

「ほんと? 何だか、新世お兄ちゃん、辛そうな顔してたよ?」

「明日、学校をサボったことを、担任に怒られるかなと思って」

「後悔するなら、しなきゃいいと思うよ」

「ひよりちゃんは、手厳しいこと言うなー」


 後悔するなら、しなければいい。

 目に見えて、将来的に後悔するようなことは、大抵の人はわざわざしない。


 先が見えないからこそ、どんな結末が待っているのかわからないまま、選択して後悔する。とは思うけれど、ひよりちゃんに比べて僕は大人だから、先を見通して行動することも大事だ。


 高校生になると、本格的に将来のことを考えなくちゃいけない。

 自分が将来の選択をして、自分がその道を進む。

 そして、その先の後悔も、悩みも、全てが自分に返ってくる。


「そういえば、新世お兄ちゃんに、聞いてもらいたいことがあったの」

「何かな?」

「あのね! この前、クラスの子達が、みんなでお見舞いに来てくれて──」


 ひよりちゃんの話し相手をすること、約一時間。

 話疲れたひよりちゃんは、ぐっすりと眠った。


「また来るからね、ひよりちゃん」


 ひよりちゃんの頭を優しく撫でると、彼女は目を閉じたまま微笑んだ。



⭐︎



 病院から自宅に戻ると、ちょうどお昼だった。

 今日は兄妹揃って、学校をサボっているので、美織の分の昼食も作った。


「兄さん……私の機嫌が、食べ物なんかでよくなると思わないでください」


 何故、美織が不機嫌なのか知らないけど、不満を口にする割には、僕が作ったパスタを黙々と食べているので、まあいいか。


「ねえ、どうして美織は不機嫌なの?」

「さあ、どうしてでしょうかね? 兄さんも、少しは相手の心を読んでみてはいかがですか?」

「人の心がわかれば、苦労しないよ」


 人の心がわかれば、浮気なんてされないだろう。

 人の心がわかった気でいる人間も、それはそれで痛い奴だ。


「兄さんは、以前、ひよりさんは自分の妹のようなものだと言っていましたよね」

「言ったね」


 ひよりちゃんは、僕のことを兄のように慕ってくれる。

 僕からすれば、ひよりちゃんが小さかった頃の美織と被り、妹を相手にしているように感じる。


「いいですか、兄さん。人は、誰かの代わりにはなれないし、誰かと誰かを重ねることもできないんですよ。似た境遇、似た関係、似た立場でも、私は私で、ひよりさんはひよりさんなんです」

「……つまり、何が言いたいの?」

「兄さんの妹は私だけなので、そこのところをくれぐれも勘違いしないでください、ということです」


 何それ? と言いたいところだったけど、美織は至って真剣な顔をしている。

 そんなこと、わかってるんだけど、美織にとっては一々確認するまでのことなのか。

 

「わかった、覚えとくよ」

「わかってくださいましたか。それなら、よかったです」


 要するに、今朝の美織は、ひよりちゃんに嫉妬していたんだな。


「……ところで兄さん、午後はどう過ごすおつもりですか?」

「んー……」


 勉強でもしようかなと思ったけど、せっかく怜奈が手取り足取り教えてくれると言っていたんだから、やめておこう。

 とはいえ、自分で学習することを疎かにしていいわけじゃないけど。


 となると……


「何もやることがないな」

「たまには、私の相手をしてくれてもいいんですよ?」

「別にいいけど……また、ゲームの相手をすればいいの?」

「はい!」


 美織は嬉々として返事をした。


 美織は生粋のゲーマーだ。

 入院生活中、ずっとベッドの上で携帯用ゲームをしていたからだ。

 美織のゲームの腕は、プロゲーマーになれるぐらいは上手い。

 逆に僕は、ゲームをするのは美織と遊ぶ時ぐらいで、腕前は下手だ。


 はっきり言って、美織と対戦型のゲームをすると、僕は相手にもならない。


 でも、実力差があっても、そんなことは関係ない。

 大切なのは、お互いに楽しめるかだ。

 僕は負けるとムキになって美織に何度も挑戦するし、美織は下手な僕とハンデありで戦うのが楽しいらしい。


 兄としては屈辱的だけど、美織に花を持たせるのも大事だ。


「じゃあ、やろっか」


 その後、僕は美織に全敗して、人知れず枕を濡らした。

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