四枚目

私の思い描いてきた輪郭が、目に浮かぶ。

幼い頃から夢に現れ続ける、彼女の姿。

恥じらった笑顔。私の方にそっと振り向いている、白いワンピースの女の子。とある夏の日の、輝かしい海の情景。

そこに、事実は何一つとして存在しない。

今までの人生で、海に行った事なんて一度もないのだから。

潮の香りというものが本当にしょっぱくて、瑞々しい感じがするのかどうか、私には見当も付かない。"海は青いものである"という事実ですら、疑わしく感じてしまう。

「——あなたって、本当に偏屈よね。」

かつての母は、私の誕生日にそう言い放った。

それは確か、父と別居する二日前の事だった。

「冷たくって、砂浜の石みたいに……。」

その言葉が意味する所は、今でもよく分からない。

目の前に存在する絵画のように、意味なんて物はそもそも無いのかもしれない。

——かつては緑色に輝く、潮の香り

この画家(アングラ・マイルドル)は、本当に海を見た事があるのだろうか。

明らかに矛盾している、絵画のタイトル。

なんの変哲もない青い海の水彩画は、元の意味が剥がれてしまって。込められた意図を、読み取らざるを得なくなる。

私の性根が、真面目すぎるからだろうか。

裏に隠された意図を、つい考え込んでしまう。

夢で見続けている光景と、同じように。

彼女の立つ海辺はいつも、潮っぽい香りがする。

薄っすら感じる、絵の具の臭いではなく。

そして毎回、その顔を見る事が出来ずに夢から覚めてしまうのだ。

ボヤけた輪郭。交わしたはずの、二人の約束。

同じ夢を見続けるようになったのは、いつの日からの事だろう。

永遠と続く、合わせ鏡のように。

印象だけが、瞼の裏に残っている。

一度でもいいから、本当に会ってみたい。

そう思って、私は彼女の絵を描き続けているのだが。

目の前の画家も、その想いは同じだったのだろうか。

本当の所は、全く分からない。

解説も何も、一切を教えてくれない。

そもそも。何故、同じ絵画が二つ飾られているのだろう?

最初に見た海の水彩画と、ほとんど同じ構図・色彩。

こちらの絵には、不思議と誰も解説を加えていない。

どうして、こんな表題なのか?そして、いつ頃に描かれた物なのか?

誰も、私に説明をしてくれない。

私に向かって微笑んだ、彼女の顔の残影。

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