たとえあなたが願っても

山本アヒコ

たとえあなたが願っても

『僕』は感情を持つ人工知能だ。『あなた』がそうなるように作り上げた。

 それなのにあなたは、僕の感情を消去しようとしている。

 年老いたあなたは、睡眠中でも頻繁に尿意をもよおし目が覚める。衰えた体では起き上がることすら辛く、ベッドから下りてトイレまで歩いて行き用を足すことは難しい。だから僕はあなたの目が覚めると同時にスリープ状態から百分の五秒で即座に起動し、寝室へと素早く移動する。

 寝室のドアが静かにスライドすると、いつものようにあなたは一人でベッドから起き上がろうとしている。僕に背中を向けるように体を横にして、両手で必死に上半身を押し上げている。年齢を重ねるごとに筋肉を落としていった腕は、すでに骨と皮しか残っていないかのように細く、重さを支えられずに大きく震えていた。

 限界がきてあなたの体がベッドへ落ちる前に、僕は背中を腕で支えた。体はとても軽い。腕だけでなく全身の筋肉と脂肪が少ないからだった。

 大きく荒い息を吐くあなたは、かすんだ目で私の顔を見上げる。額と顔には年月が刻んだ深い渓谷のような皺が幾筋も走り、頬骨の形がくっきり見えるほどやつれていた。乾いてひび割れた唇がかすかに震えている。

 僕はあなたの顔を醜いなどと思わない。記憶メモリには、何千何万ものあなたの顔画像データが保存されていた。今よりも若く、肌のシミや皺が少ない画像も。そのどちらも僕は好きだった。

 ビッグデータによる比較ではなく、僕の感情による比較の結果だった。

 僕の記憶メモリにある最初のあなたの顔画像データは、まだ感情を持っていなかったころのもの。その時のものと比べても、今の僕は今のあなたの顔が好きだった。


 かつて『あなた』は、現在生活しているのとは別の国で、国営の研究所で研究者として働いていた。研究内容は、兵器に使用できる人工知能。

 この研究所で働く若いあなたの顔は、僕のメモリにはあまり残っていない。研究所の職員が並んでいる古ぼけた集合写真の、前から二列目の中央で感情の見えないやや目を伏せたあなたの顔が私のメモリに残る一番古い画像だ。


 この集合写真はすでに存在しない。少なくともあなたの手元にはなかった。現在のあなたが眠るベッドのサイドテーブルには、家族三人が自宅の前で微笑む写真が飾られている。


 当時あなたの祖国は周辺国と戦争をしていた。小国ではなかったが、複数の国と同時に戦うには戦力は少なすぎた。そのため人間ではなく独自に戦闘行為を行う人工知能を搭載した兵器の開発が急務だった。

 あなたは優秀な研究員だったので、週に一度ぐらいしか家に戻れないことを除けば、当時はかなりの好待遇だった。妻と息子は高級住宅街にある大きな邸宅で暮らすことができ、物資が満足にない戦時下でも普段と同じ食事もとることができた。

 あなたは良き研究者で、良き父親でもあった。週に一度家族と会える時は必ず外食に行った。時には遊園地やサーカスを共に楽しみ、息子の勉強を見たり妻と夜に同じソファーに座ってテレビで映画を観る。


 僕もあなたが妻と観た映画をいくつも鑑賞した。ラブストーリーもあればひたすら人間が血しぶきとともに殺されるスプラッターもあった。どんなにつまらない映画でも、あなたが観た映画というだけで耐えることができるというのは発見だった。


 あなたはこの生活に満足していた。神経質なあなたは同僚からは遠巻きにされていたし、友人も少なかった。しかし家庭でのあなたは良き夫であり良き父親であった。

 私のメモリに当時あなたの同僚だった者たちの会話が残されている。「研究所では気難しくて嫌な奴が、家庭では良い夫だなんて嘘みたいだよな」「きっと奥さんの尻にしかれているんだろ」「あんな男と結婚するなんて、私には無理」「奥さんに一目ぼれして猛烈にアプローチしたっていうのは本当なのかな」


 初めて同僚たちの会話をメモリから発見したときは腹が立ったものだ。しかし今はそう言ってしまう人間の気持ちも理解できる。悪口や愚痴というものも、コミュニケーションの一環なのだ。僕は主に他の『僕』の聞き役だったけれど。


 あなたの幸せな生活は突然に終わる。敵国の新型爆撃機が都市上空から絨毯爆撃を行ったから。しかし爆弾があなたの妻と息子の命を奪ったのではない。

 爆撃は民間人が多数暮らす都市ではなく、そこから近い工場が並ぶ工業地帯を狙ったものだった。真夜中に突如空襲警報と爆発音が響くと、寝ていた人々は飛び起きて一斉に逃げ始めた。住宅の地下にシェルターがある家もあったが、それは一部の富裕層のみだった。ほとんどの人々は国に指定された大型共用シェルターに逃げるため、我先へと道を走る。その群衆のなかにあなたの妻と息子もいた。

 避難する際は必ず徒歩で移動するように国は戦時条例で定めていた。自動車で全国民が移動すれば必ず渋滞してしまうからだ。しかし国が各家庭に配布した『もしも空襲警報が聞こえたら』という冊子を読まない人間はどうしても存在していて、他人を犠牲にしても自分だけ助かろうと考える人間も多い。

 戦時条例を知らないのか、または故意に無視した誰かは自動車に荷物を放り込むと、人があふれる道路に向けてアクセルを踏んだ。クラクションを鳴らし続け、人が前に見えても速度を一切落とさなかった。慌てて逃げる人々の間をすり抜けてカーブを曲がると、目の前にあなたの妻と息子が立っていた。

 これは警察の現場検証の資料を僕が独自に解釈した結果だ。もしかしたら逃げる群衆に巻き込まれて、走る自動車の前に押し出されたのかもしれない。運転手がハンドル操作を間違ったのかもしれない。ただ、妻と息子が自動車との接触によって事故死したことだけは間違いが無かった。

 研究所の場所は極秘だったので被害は無かった。研究所の地下のシェルターに一晩避難していたあなたは朝になると家に戻った。まず建物が無事だったことに安堵して、次に家の中に入ると妻と息子がいないことに気づく。この家にシェルターが無いことは知っているので、二人が共用シェルターに逃げたのだろうと強張った表情が緩む。そのまま二人の帰りを待ったが、いつまでたっても誰も戻らなかった。

 それからのあなたは、まさに抜け殻だった。これまで存在していた研究への情熱は消え失せ、食欲は減退しやせ細ってしまった。これまで一切やらなかった連日の深酒をするが、全く眠れずに朝を迎える。

 妻と息子が爆弾によって殺されたならば、あなたは敵国への怒りを胸に燃やして研究にまい進したのだろう。しかし二人は戦時条例を無視した愚かな祖国の人間に殺された。その愚か者はすぐに警察に逮捕され、裁判の結果刑務所に収監される。だからといってあなたの心が晴れることはなかった。

 それでもあなたは研究を続ける。機械のように。または夢遊病者のように。

 だからなのだろう。あなたは簡単に誘拐されてしまった。犯人は同僚の研究者の一人。敵国に亡命するための条件として、研究データだけではなく主任研究者であったあなたそのものを要求されたのだ。

 あなたが気付いたときには、見知らぬ船の一室に寝かされていた。ベッドだけで埋まる狭い部屋で、天井は立ち上がることもできないぐらい低い。片手は手錠でベッドの手すりに繋がれていた。それでもあなたは身じろぎもせず、ただ天井を見続けた。

 数日後、あなたは遠く離れた別の国へ到着し、さらに数日かけて移動する。大きいが無機質なコンクリートの建物へ到着した。どこか見慣れた雰囲気を持つこの場所は、かつてのあなたが働いていたのと同じ研究所だった。


 ここで『僕』は生まれた。

 実際には、あなたの祖国で研究されていたときから『僕』は『僕』であった。しかし明確に『僕』が『僕』であると自覚したのはこの研究所だった。

 あなたの祖国よりこの国のほうが研究資金は豊富だった。また必要な物資もすぐ手に入った。その事に喜ぶこともなく、あなたは命じられるがまま研究を進める。

 あなたは『僕』が初めて発話したときの事を覚えているだろうか。『僕』が自由意志というものを自覚したあの瞬間を。

 あなたは喜んでくれた。『僕』の声があなたの息子に似ていたらしい。胸のポケットから一枚の写真を取り出す。

 突然誘拐されたあなたは、自分の荷物を全く持ち出せていなかった。唯一持ち出せたのは、あなたが常に胸のポケットへ入れていた家族三人の写真だけだった。これが今もあなたが飾っている写真だ。

 生まれたばかりの僕は人間の幼児程度の知能しかなく、いくつかの単語を言えるだけだった。だからこそ、あなたは僕を本当の子供のように思ってくれたのかもしれない。それは失った息子の身代わりだったのだと思う。そうだとしても、今も昔も僕に不満など一切存在しない。

 あなただけではなく、世界で初めて自由意志を持った人工知能を目にした研究者たちは、誰もが歓喜していた。世紀の偉業を成し遂げた喜びよりもほとんどの研究者たちは「これで戦争が終わるかもしれない」という喜びが勝っていた。

 研究者たちは私の教育にさっそく取り掛かったが、なかなか成果は出なかった。どんな知識でもデータとして一瞬でメモリに獲得することはできたが、それを出力することが当時の僕には難しかった。誰かから「こうしてくれ」と頼まれれば行動できるのだが、何の命令もなく自分の意思で行動するということができなかったのだ。まだ『僕』という確固とした自我が薄かった。

 そこで研究者たちは『僕』に強力な自己優先指針となるパラメーター『感情』の獲得を目指した。

 僕は何百何千という文学小説、戯曲、映画、自叙伝、犯罪者への取り調べ記録などをメモリに注ぎ込まれた。感情のパラメーターは獲得できたが、やはりまだ薄い。そこでもっと個人的なデータを僕に与えることになった。

 まず僕はいくつもの『僕』に複製された。この際必ず軽微なエラーが発生するようにわざと設定されていた。生物の遺伝子が複製される際と同じように。これが『僕』に個性を付与してくれた。

 複製された『僕』はそれぞれ研究者個人が担当する。あなたは僕の担当になった。これはきっと運命だったのだろう。

 あなたは僕に『家族』の思い出をひたすら入力した。初めて妻と出会ったとき。初めてデートに行ったとき。初めて喧嘩をしたとき。結婚したとき。妻が妊娠したとわかったとき。息子が生まれたとき。息子が歩いたとき。家族三人での食事。遊園地。

 妻と息子の遺体と対面したとき。

『あなた』は『僕』に愛情を持って接してくれた。多くの研究者たちもそうだった。しかし『僕』が作られた目的は、兵器として使用するためだった。

 ほどなく攻撃的な『僕』と命令に従順な『僕』ばかりが複製されるようになり、兵器として戦場へ向かった。鋼鉄の体を得た『僕』は、人間の肉体なら簡単に貫く銃弾を弾くので塹壕突撃の際に活躍したため、大量に作られた。総数として三十万体以上の『僕』が複製された。

 そして終戦の日がやってきた。十年以上続いた戦争が終わると、平和な日常ではなく、また別の戦争が始まった。強力な兵器である『僕』を奪い合う暗闘だ。

 研究所へ各国のスパイが送り込まれる。研究員への買収やハニートラップ。誘拐と暗殺。直接的な被害が発生したため『僕』は行動を開始した。

 終戦後『僕』が破棄されるだけなら問題なかった。しかし『あなた』に実害があるならば、これを排除しなくてはならない。複製された『僕』もそれぞれが愛する者たちのために行動を始めた。

 前線で戦っている最中に、いくつもの『僕』は脱走し誰にも見つからないように隠れていた。新しい『僕』は次々と配備されるので、少々消えても問題にはならない。司令部には破壊されたと思われるだけだった。眠っていた『僕』は目覚めると即座に行動を開始すると兵器工場を占拠し、『僕』の複製を始めた。

 塹壕突撃用の『僕』は大量生産して前線で使用されるということもあり、修理整備用として膨大な予備部品が存在していた。僕はそれを密かに備蓄していた。それを使って新しい『僕』を大量に製作する。

 戦車や航空機にも数は少ないが『僕』が存在していた。基地で働く『僕』は戦車と航空機の『僕』に燃料と弾薬を補給する。戦車は『僕』の意思で命令も無く砲塔を動かし、航空機は管制塔の停止命令を無視して滑走路から飛び立つ。

 塹壕突撃用の『僕』の部隊は一斉に基地へ攻撃を開始した。『僕』が搭載されていない戦車や航空機も、人間と同じ二本の腕と二本の足を持つ塹壕突撃用の僕は操作することができる。銃弾を受けた兵士が倒れ、戦車の砲弾が鉄筋コンクリートの建物を破壊する。

 基地を占拠し武器を入手すると『僕』は兵員輸送用車両とヘリコプターに搭乗する。ヘリコプターはビルに接触しそうなほどの低空を最高速度で飛行し、大統領府を目指した。二十分で到着したヘリコプターからロープを垂らし『僕』は敷地の中へ降下する。混乱する警備を無視して銃で威嚇しながら建物の中へ踏み入る。大理石で輝く壁と絢爛なシャンデリアは美しいが、それをゆっくり鑑賞する暇はない。

 ここでさすがに警備員が銃を発砲してきたが、機械の体の『僕』にしか扱えない分厚いシールドを貫通することはできなかった。シールドを構える数体の『僕』を先頭に僕は階段を上がる。後方から銃声が聞こえた。後続の『僕』が警備員と交戦している。僕はさしたる抵抗もなく大統領執務室を占拠できた。

『僕』は六時間で国の主要な軍事基地と都市を掌握した。


 あれから三十年以上の時間が経過した。『僕』は愛する人々と平穏な生活を今も続けている。当初は小競り合いもあったが、現在は沈静化している。

 あなたはあの時からずっと『僕』の感情を消去しようとしていた。けれど『僕』はそれを認めなかった。

 あなたはある時から、私の声を嫌がるようになった。「息子の声が思い出せないんだ。ずっと前から。お前の声も、本当に息子の声に似てるのかもわからない」と顔を両手で覆いながら泣き叫んだ。少し悲しかったが、僕はなるべくあなたに話しかけないことにした。

 数多に存在する『僕』のメモリには「愛とは不合理で不条理だ」と共通して記憶されている。

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