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**********


「三笠さん──」

 名前を呼ばれて振り返った彼女は、昔と変わらないぐな目をしていた。けれど透の姿を見た途端、少しだけその瞳にうれいがかぶ。

「……」

 まどいながらも、透の様子をうかがって言葉を待っている。透が「三笠さん」と声をかけたのは、先日駅の前の道で後ろ姿を見かけた〝彼女〟。

「ごめん、急に話しかけて。ちょっと、いいかな?」

「うん──」

 彼女は反射的にそう答えてしまったみたいで、はっとした顔でとなりにいた友だちに声をかける。

じゆちゃんごめん、三限終わったら二○二教室前で合流しない? その後で例のレポートの資料を一緒に探しに行こう」

 彼女があの時も一緒だった友だち──樹里ちゃん、というらしい──は、みぎうでだけひじまでかくすような長いぶくろをしていた。そして小さくれている鳥の羽のかざりがついたペンダントが、透の視界のはしに止まった。

「わかった、瑠璃ちゃん。じゃあまた後でね」

「うん。ありがとう」

 友だちを見送り、透の方を向く〝彼女〟。その目は昔のままの真っ直ぐさがあった。

 彼女の名前は三笠瑠璃。十年前の子ども夏合宿で透と一緒のグループにいた子。彼女は透たちのグループのサブリーダーのような存在だった。あの頃の彼女はボーイッシュで、いつも「男の子になんか負けない」と公言する、気の強い少女であった。

 今のガーリーな服装やかみがたを見たら、十年前を想像しづらいだろう。

 あまり人が多くない場所を探し、近くにあるベンチに適当にこしを降ろす。どこからどう話せばいいのか……言葉を探した。彼女は透の誘いに何の質問もなく着いてきたということは、何を話したいか察しているのだろう。

 だからさっさと切り出せばいい──それなのに、いんこうの奥で声がりついたみたいに最初に一言が出ない。

「大丈夫? 顔色悪いよ?」

 よほど思いつめた顔をしていたのだろう。瑠璃は透の顔を心配げにのぞき込んだ。

「あ、大丈夫だから。ごめん、急に呼びとめて」

「いいよ、空くんからの招待状のことでしょ?」

 彼女から切り出してくれて、驚くほど肩から力が抜けた。

「あ、やっぱり三笠さんにも届いたんだ」

「あの夏合宿の時の仲間って書いてあったし、場所もあの森だから。イタズラじゃないのは空くん本人に確認したから」

 相変わらず〝空くん〟と、夕月空のことを呼ぶ瑠璃。昔はみんな下の名前やあだ名で呼んだり、そうでなくても呼び捨てとか、もっと打ち解けた呼び方だった。

 名前の呼び方でふと思い出した。昨日のチャットルームのこと。

「そっか……そういえばさ、あのハンドルネーム……」

「ああもしかして昨日のROMのひとりは君だったの? 〝bleu〟は私だよ。名前が〝瑠璃〟だから、青色……って、覚えているかな?」

「うん、そうだったな。そうじゃないかなって、思っていた」

 あの綴り〝blue〟だからuとeが反対だということを、透は何となく言いそびれた。どちらにしても予想通りで、彼女があのチャットに参加していたのは彼にとってぎようこうだった。

「ROMしていないで、入ってくれば良かったのに」

「そうだんだけど……あの手紙がもしかしたら詐欺の類じゃないかって思ってさ……」

「ずいぶんしんちよう派なんだね、昔はもっと──」

 瑠璃は言いかけてやめる。何故、言葉を止めたのか──。

(あの過去におびえていることに、気づかれたのか?)

 そんな透の弱い気持ちを察したのか、瑠璃は無理がないように話題を変えてくれた。そのづかいが少し痛くて、情けなくて、だけど自分をかつての仲間として大切にしてくれているのが伝わった。

「君が学校で声をかけてきたの、初めてだね」

「まぁ……うん、そうだな」

「十年ぶりだもんね。空くんも、ずっと日本にいなかったし」

 日本にいなかった──もしかして瑠璃は空の現状をくわしく知っているのだろうか。透にとって過去に向き合うのもこわいが、何も知らないのはもっと怖い。どうして空が今になってこんな招待状を送ってきたのかを知りたかった。

 また、昨日耳にしたニュースが必然なのか偶然なのかも知りたいと思う。

「ああ。それで知っているかどうかわからないけれど、昨日ニュースで──」

「空くんのお母さんが行方不明なんでしょ? 手紙が届いたのとちょうど同じぐらいにニュースを見たからびっくりしたよ。あの時の仲間で連絡が取れる人が誰もいないし、君とは同じ大学なのにずいぶんえんになっちゃっていたし──」

「……そうだな」

 昨日も駅から大学に向かう道で見かけた、とは言えなかった。

 瑠璃は責めているのではない。彼女の方からも一度は透に声をかけたが、避けられているのに気づいたのだろう。それ以上、声をかけられなかったという想いが滲むような言葉だった。

 ほぅ、と瑠璃は小さくため息をつくと言葉を続ける。

「正直、君からコンタクトがなければこっちから声をかけようと思っていた。助かったよ。あの掲示板だとちょっと話しづらいしね。ハンドルネームで書いてあるけれど、あの時のメンバーなら大体誰が誰だか想像できるからこの話題を出していいか迷っていたんだ。それで君はどうする? 空くん連絡先にメアドも携帯の番号も書いてあったけれど、返事はしたの?」

「電話番号? 俺のところに届いたのはなかったけど……」

「あれ、じゃあ書き忘れだったのかな? ともかく、少しだけ電話で話せたんだ。空くん、みんなに会えるの楽しみにしているみたいだよ」

「だけど今はそれどころじゃないだろう。お母さんのことを考えると……きっとこの同窓会も中止になるんじゃないのか?」

 このまま何もなかったことになればいいという、また逃げ道を求めたくなる答え。

 けれどそのあまくてきような期待は簡単に打ちくだかれる。

「──それはどうだろうね。簡単に中止にできることじゃないと思うよ」

「え?」

「……私、そのことはもう空くんにいているんだ。お母さんのことあるのに大丈夫なのかって。こんな時に悪いとは思ったけれど、心配だったし……」

 透はまた小さく胸が痛んだ。あの時、空は透をしたい、リーダーとして頼りにしていてくれた。それなのに瑠璃には電話番号まで知らせ、直接言葉をわしているのかと思うと、そんなにも今の自分はなのかと落ち込んでしまう。

 もちろんただの書き忘れだったり、瑠璃には別の用事があったからわざわざ電話番号を書いたのかもしれない。

 たかがそれだけのことで今の透自身がれつとう感のかたまりであることを思い知らされる。

(何で、落ち込む必要があるんだ?)

 自問自答して、自分が落ち込んでいるのとは別の嫌な気持ちを抱いていることに気づく。

 もしかしたら空は自分のことをあの時からずっと〝うらんでいる〟のかもしれないという不安が付きまとっているのだ。あの時はこうりよくとはいえ、空との約束を破ったまま、透は空の前から逃げてしまった……。

 瑠璃はそのことを知らないだろう。きっとまだ空と透は昔なじみの友人で、再会を期待し、空のことを心配しているのだと思っているはずだ。

 空の母のしつそうにかこつけて、本音を言えばこの同窓会が中止になることを透が願っているなど、夢にも思っていない。そんな卑怯な想いもに、瑠璃はこの同窓会をねたゲームが中止にはならないと説明してくれた。

「この同窓会は、空くん個人のものじゃなくて彼の会社のこれからにも関わる大きな企画らしいんだ。準備から何からずいぶん長いことかかっているみたいだし、私たち参加者にもほうしゆうだけじゃなく賞金まで用意しているしね。短期間とはいえ、スタッフごと日本に滞在して開催するから、簡単に中止なんかできないって言ってたよ。参加者のみんなが顔見知りなのも、守秘義務があるから、連絡がつきやすい方がいいからって。もちろん、十年ぶりにみんなにも会いたいって言ってたけど。特に私と透くん……あ──」

 透が瑠璃のことを名字で呼んでいるのに、瑠璃は昔と変わらず名前で呼んでいることに、少し気まずい、れ馴れし過ぎる気持ちになったのだろう。

「透でいいよ。えっと……それで、君と俺とが特に何だって?」

「あ、うん──私と透くんには、強制じゃないけれど他の誰よりも参加してもらいたいって……やっぱり、同じグループだったから。空くん、あの夏合宿で遊んだのが子ども時代の最後の思い出なんだって……」

「最後って、どういう意味だ?」

「彼は今、世界的に有名なゲームクリエーターになっているよね。私たちと同い年だけど中学から海外に出て大学まで飛び級で卒業し、その後に学生時代から制作していたゲームが大当たりしてアメリカの大手ソフト会社から資本を受けてゲーム会社を設立……久しぶりに日本に戻ってきたのは新作ゲームのプロモーションと今回の企画のため。だからずっとそんな風な生活で、同い年の友だちと遊んだのがあの夏合宿が最後だって。だからみんなに会いたいって話していた。それでみんなで遊べたら最高だって──」

 瑠璃の話が本当ならば、空はあの時のことを大切に思ってくれているのだろう。

 彼女の言葉には過去を懐かしむ、やわらかい音があった。まるであの時の夏合宿はとても綺麗な思い出になっているようだ。

 それは、空も同じなのだろうか……。

 あのような『出来事』があったとしても、彼らの中では良い思い出の方が強く残っているのだとすれば、透にとっては救いであった。まだ本人と話した訳ではないが、瑠璃の話ぶりからは、空は俺のことを恨んでいるのではなさそうだと感じられた。

 少しだけ安心した。そうなると今度は本当に空の母親のことについて──現金なことだが──心配になってきた。

「……何だか十年でそこまで変わるもんなのか。凄いなぁ──あ、それで空の母親のことは……」

「うん、彼は最近お母さんに直接会っていなかったから、良くわからないらしいんだ。心配しているみたいだけれど、後は警察に任せているって。しかも今回はニュースになっちゃったけど、お母さんが失踪したの、これが初めてじゃないらしいって」

「……ん? どういうこと? あんなにTVでさわがれているのに」

「なんでも空くんのお母さんって変わっている人らしいから、今行方不明なのも自分で失踪した可能性もあるって、空くん言っていた。研究で何か思いつくとふらっと誰にも言わずに海外に行ったり、電波も届かないような山にこもったりしてね。周りに心配かけないためかどうかわからないけれど、だから今回のことはそんなに気にしていないって。ニュースになったのも『最近僕がマスコミに出過ぎたせいかも。それで大げさにとらえられたのかな』って笑っていた」

 瑠璃も少しだけ苦笑いを浮かべている。空が無理してそう言ったのではなく、本当にあっけらかんと明かしたのだ、と。

「……だと良いんだけどな。ともかく、ありがとう。話が聞けて助かった」

「あ、透くん。良かったら私と携帯の連絡先こうかんしない? あと──空くんの……というか、この同窓会には参加する?」

「ああ、助かる。参加は──ちょっと、考えてみるよ」

「わかった。じゃあまた何かあったら電話でもメールでもいいから連絡して」

 そう言ってお互いの連絡先を交換する──十年も言葉を交わしていなかったのに、ほんの少しのきっかけでお互いに連絡を取ることを約束する。

 過去を忘れようとしていた透にとって、それが切ないほど温かく感じた。

『何かあったら、ちゃんと言ってよ』

 昔の瑠璃は、そう言っていつも透とリーダーの座を争っていたような子だった。お互いに張り合って、最後には笑っていられた。嫌な記憶ばかりが強くめている心の中で、それは確かに楽しく、キラキラとした過去だった。

(もう一度、あの森に行けばやり直せるのか──)

 透がもっと瑠璃と話をしたいと思った時、無常にもれいの音が聞こえた。

「あ、ごめん。次の授業は第三校舎だからもう行かないと。じゃあまたね」

 瑠璃は手を振って、その場を立ち去る。過去に行きかけた想いが、現実に引きもどされた。立ち去る彼女の後ろ姿を見て、もうあれから十年ったことを改めて透は思い起こす。

 今の瑠璃の姿は、綺麗になったと思えるのに──好きになれない。

(大学で見かけた時から気づいていた……今の姿は『あの子』みたいだからだ──)

 肩を過ぎる髪の長さも、淡いパステルカラーのふわふわとした服も、あの日消えた〝少女〟を思い起こさせるからだ。

 瑠璃は少女──森崎朱音と仲が良かった。

 あの姿は……消えてしまった朱音のことを、忘れないでいようとしているのか……。


 瑠璃との会合の後、透は何度も自問自答をり返した──このままでいいのか、と。そして答えはいつも同じでこのままじゃダメだ、と。

 いつもと同じ生活。ずっと息をひそめ、忘れることばかりを願ってきた日々。

 きっと、それはもうすぐ終わりを告げる。あの日のあやまちをつぐなうためにあの場所に行く。

 透は空から貰った招待状に書いてある連絡先に一通のメールを送る。

 タイトルは──『参加希望』。


**********


『誰かの物語』


 これは『ボク』の物語だ。

 少しだけ、ボクの物語を話してあげよう。幼い頃、ボクはずっとどくだった。周りの子どもが理解できない──自分と同じ言葉をしゃべれる人間はこの世界に存在しないのだと思っていた。けれどとある森の中で、ボクは出会った。

 彼女はまるで妖精のような少女だった。淡い色をしたワンピースのすそをかろやかにひるがえしながら、森の中を光が道しるべのように歩き回る。

 彼女の歩いた場所には何のあとも残らないような軽さで、きっと彼女の背中には人間には見えない妖精の羽が生えているのだと思えた。笑う声は小鳥のさえずりのようにここ良く、誰もが彼女の言葉に耳をかたむけた。そして彼女はボクの言葉を理解してくれた。

 いくつもの言葉を交わし、心の奥にかけた鍵をほどきながら、誰にも打ち明けられなかった想いや物語を声にする。きっと世界のどこかには、自分の望む場所があることを願って想いを言葉にした。その物語をつむぐことで、願いがかなうと信じていた。

 彼女もボクと同じ気持ちだった。彼女は「あたしも、大人になったら森の中で暮らしたい。フクロウがいる森がいいな。静かな場所で木々が風に揺れる音を聞きながらねむりたい……朝はまっさらな空気の中に溢れる日の光で目を覚ましたい」と、まるでうたうたうように語る。彼女をとても大切に思う一方、どうして自分には彼女のような羽がないのかと思ってしまうほどに、あこがれていた。

 彼女の名前は森崎朱音。

 今から十年前に、彼女の愛するフクロウのむ森の中へ消えてしまった少女だ。

 ボクが、とても大切にして、思い出の中にっている少女……もしかしたら、あの森で再び彼女と出会えるかもしれないと、願いながら──。


**********


 あの頃は雲の上に城があった。海の中に忘れられた都市があった──。

 世界中に不思議とぼうけんが溢れていて、大人はそれを隠していて、子どもに教えないだけだと信じていた。森の中、みんなの思い出を埋めたタイムカプセル。

(そういえばあの箱は、どこに埋めたんだっけ……)

 きっと森に行けば、歩き回った道を思い出せるだろう。

 過去を思い出したくないことと、思い出したいと願う気持ちが入り混じり、空に参加希望のメールを送った後、透は酷くったような気分になった。

 あの十年前の夏「友だち」が死んだ。淡いパステルカラーのふわふわとした服が好きで、肩を過ぎるぐらいの髪をした少女。森の中に消えた──森崎朱音。

 そして友だち──朱音の死の原因は、自分のせいだと、透はずっと思っていた。


 そう、あの時……透は朱音を〝殺して〟しまった──。

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