第7話 ヤンデレヤンキー

 香水をつけて以降、のあさんの頭上に浮かぶ好感度は再び120辺りをキープしており、さっきみたいに下がってもすぐに元に戻ってしまう。あの時は周りにクラスメイトもいる上、天使だアイドルだと祭り上げられている彼女から貰った香水を使わないわけにはいかなかった。


(はぁ、早く社会人になりたい。英二くんが私の仕事上の部下になれば、職権濫用していつでもどこでも好き放題出来るのに。英二くんの体に触れても怒られないし、キスだって好きなだけ……ぐへぇ、想像したら興奮してきた)


 いかん、またのあさんの妄想が始まってしまった。

 昼休みが終わり、午後の授業が始まる。先生が教室に入ってきて、教壇に立つ。


「では、授業を始めるぞ。教科書を開け……」


 授業開始に伴い、静まり返る教室の中でも、心の声は騒がしい。とりわけイカれたのあさんの思考回路は余裕で他者の声を押し潰し、クラス中を蹂躙している。


(もちろん彼の言うことには絶対服従。彼の意思が一番優先されるのはこの世で最も素晴らしい事。彼は神様なんだから当然よね。彼に逆らうことは罪。あーあ、早く英二くんと二人でお話ししたい。週末にはそのままどこかに行って……むふっ、むふふ……)


 のあさんは相変わらず一人で盛り上がっているが、ぱっと見は授業に集中しているように映り、普段から垣間見える優秀で実直な態度、行動、発言も相まってクラスメイトや先生の関心を集めている。

 週末にも何か予定を考えなきゃだめかな。妹よりも何をしでかすか分からない彼女とは、できるだけ二人きりの行動は避けたいところだ。

 でも断り続けるとそれはそれで彼女の疑心を買いかねないし、困ったものだ。


「えー、ここテストに出るから覚えておくように」


(あぁ、週末が待ち遠しくて仕方がない。早く来ないかな。英二くんと二人っきりでデートがしたい)


 のあさんの思考がうるさいが、それに辟易している場合ではない。デートのお誘いはやはり受けることにして、とりあえずそこで彼女を萎えさせる手を考える。

 手っ取り早い方法は妹を連れて行って二股を演じるとか。最低な人物になりきり、マゾの妹はともかくのあさんをゲンナリさせることはできるかもしれない。

 それで好感度が下がり切れば自然消滅も狙えるし、のあさんには彼女を気遣ってくれる紳士もたくさんいる。うん、バックアップも加味した素晴らしい案に乾杯だ。


「これで授業を終わるぞ。最後に復習用の宿題のプリントを配るから、各自明日までにやって提出すること。してこなかった奴は宿題倍増だからな」


 そして、あっという間に下校時刻となった。のあさんは予想通りクラスメイトとの談笑を終え、オレの元へ急ぎ駆け寄ってくる。


「ねぇ、今日がダメなら週末に行かない?」

(デート、デート、デート)


 上手く濁しているが、実質的にこれはデートのお誘いであり、彼女は張り切り過ぎているがゆえに脳内がデートのこと一色に染まっている。

 この様子だと断っても狼やらハイエナのようにしつこく食い下がってくるだろうし、やはりここは素直に彼女の提案に乗っておくことにした。


「わかったよ。じゃあ、土曜日の午後でどうかな」

「ありがとう! それじゃあ、土曜日に駅前の時計台前で集合ね」

「了解」

(やったぁ、ついに英二くんと二人っきりで遊べる。絶対に楽しい時間にしてみせるんだから。そのためにもまずは……)


 のあさんは自分の席に戻ると、鞄の中から小さな小包を取り出した。


「英二くん、これあげるね。お友達からのプレゼントだよ。私の大好きなブランドの新作の香水なんだ。私も気分に応じて使ってるから良かったら使ってみてね」

(まだ他の女の臭いが残ってたし、できる限り私が使ってる香水で上書きしといた方がいいと思うんだよねぇ。他にも英二くんに私の匂いが移っちゃうくらいの距離感でお話したり、抱きついたり……むふふ、楽しみぃ……)


 のあさんはそう言ってオレに香水の小瓶を渡してきた。動機はオレから杏里の匂いを少しでも消して自分色にオレを染め上げたいというもので、実に彼女らしい独占欲と嫉妬心に満ち溢れていた。

 オレは受け取った香水を机の中に入れて、カバンにしまう。


「お返しとかした方が良いかな」

「別に要らないよ。私から勝手に渡しただけなんだから」

(ぐへへへ、英二くんが私の香水をもっと使ってくれるの、たのしみだなぁ)


「そっか、ありがと。使わせてもらうよ」


 よし、取っ掛かりはできた。これで少しは好感度を下げられる目処が立ったはず。これからは香水の香りには特に注意しておかないと。のあさんの妄想が強硬な行動にエスカレートする前になんとかしなくちゃだな。

 放課後、オレは宿題をしながら、テニス部の練習をしている杏里を眺めていた。杏里はコートを縦横無尽に駆け巡り、どんな球にも追い付く粘り強さが光るプレイスタイルを披露してくれている。


「いい感じじゃないか」


 練習中の杏里の動きを見て、思わず独り言が漏れてしまうほど、今日の動きはキレがあり、無駄のない動きでボールを捌いている。


「ふーん、あれがお前の妹か」

「美咲さん……」


 いつの間にかオレの隣に、午後の授業をサボっていた橘美咲が来ていたことに気付く。


「なかなかやるじゃねぇの。アタシさ、強え奴が好きでよ。あいつみたいなのは特に好みなんだ。流石お前の妹だな」

(怖がりながらもアタシと対等に渡り合う英二は思った以上に根性あるぜ。好きだなぁ……英二、好き。他の糞みたいな女になんて渡したくねえな。特にあの可愛こぶったブサイク天使にはよ)

「杏里は強いですよ。テニス部では新進気鋭のエースですし」

「敬語は要らねえ」

(なんでなんでなんでなんで、アタシと英二はマブダチだろ? 暴力に訴えることしかできず、孤立しているアタシに逃げずに向き合っているってそういうことじゃねえのか。そんなイカした奴が敬語なんて、全くもって対等じゃねえだろ)


 さっきから美咲の心の声が杏里やのあさんのそれに似ていることに気付き、好感度に着目してみるとなんと『120』の数値を記録していた。


「う、うん、ごめん」


 ヤンデレは思い通りにならないと暴走しがちだ。とりわけ美咲は怒らせたら暴力に走りそうだし、とりあえず彼女の意見に従い敬語を使うのは辞めることにした。


「それで良いんだよ」

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