第一三話 遠くなる優しい笑顔

時は待つことができなかった。

翌日の小百合宅にて達夫は手紙のとおり迎えに行った。



「小百合さん突然だけど出撃日が決まったよ」

「理由があって、もう会うことはできなくなったんだ」

「いつ、出撃するかも残念ながら教えられない」

「最後にお別れに迎えに来たよ」


「やっぱり、嫌です」


「そんな子供みたいなことを言ったら駄目じゃない」

「池の上で言っていたことと違うじゃないか」


「違ってもいいです 」

「子供でもいいです」

「行かないで下さい」

「今度はいつ会えるのですか」

「もう会えないのですか」

「私が渋柿をあげたからですか」


「泣かなくていいよ、小百合さん」

「二つの花はきれいだったね」

「空に行って持って帰りたいくらいかな」


「嫌です」


「駄目だよ、泣いたら」

「子供みたいだね」


「だって子供じゃないですか……」


「そうだね、僕達は子供だよね」

「まだね……」

「子供だけど御国のために……」


「どうしてですか」

「そうですよね……」

「いえ、ごめんなさい」

「本当に、もう今日会えるのが最後ですか……」


「ああ、そうだね……」


「本当に今日が最後ですか」

「私をからかっているのでしょ」


「小百合さん……」


「もう一度いいます」

「いかないでください」

「私を暗闇の中に閉じ込めるつもりですか」

「それでもいかれるのですか」

「達夫さんは空の上にいってしまうじゃないですか」


「小百合さん……」


「私を一人にさせてしまうのですか」


「そうだ、小百合さん 、二人で一緒にピアノを弾こうと約束していたよね」

「近くにねピアノが置いてあるところがあるんだ」

「そこに行こう」

「僕が背負っていくよ」

「ほら、背中に乗せてあげるよ」


「ありがとうございます」


「今、野原を歩いている」


「あの時みたいに夕日が見えますか」


「ああ、あの時と同じだよ」


「なんだか見えるような気がします」


「小百合さんの髪が首にあたって心地よいよ」

「柔らかい」


「ありがとうございます」

「達夫さん、重くないですか」


「大丈夫だよ、小百合さんの体が柔らかくて気持ちがいいよ」


「恥ずかしいです」


「最後に小百合さんの温もりを感じてうれしいよ」

「あの時と同じだね」


「はい」


「どうして泣いているの……」

「どうして……」


「達夫さんこそ、泣いているじゃないですか」

「こんな姿は見せたくありませんでした」

「あの時のように手をつないで歩くことができません」


「僕にはその理由がわからない」

「小百合さんはいつものようにきれいだよ」

「頬を伝わる涙さえ美しく輝いてみえる」

「でも、小百合さんの優しい笑顔がみたいな」


「それは出来ないです」


「どうして」


「だって、達夫さんの顔も見る事が出来ません」


「そうか……」


「ピアノが置いてあるところに着いたよ」

「ここだから」

「ほら、ここに座ろう」

「大丈夫だよ」

「僕が支えているから」


「はい」


「僕も隣に座るよ」

「目の前にはピアノがあるんだ」

「小百合さんと出会えてよかったよ」

「小百合さんの優しい笑顔と声が、僕の頭から離れることができないんだ」

「柔らかい黒髪の香り、白い肌、小百合さんのすべてが」

「どう責任をとってくれるかな」

「小百合さん……」


「そんなことを言わないで下さい」

「もう、今日でお別れなのですか」


「仕方ないじゃないか」

「いつかこの日が来るのはわかっていたじゃないか」

「前に小百合さんが練習していると言っていた」

「ブルグミュラーのゴンドラの船頭歌を一緒に弾こう」

「あの曲は優しいね」

「でも、どうして、今の世界はこんなにも悲しいんだ」

「優しくないじゃないか」

「暗闇に覆われている」


「でも、あの曲は嫌です」

「優しくて美しい曲なのですけど、最後が天使になって消えていくような感じがします」


「それがどうして嫌なの?」


「達夫さんが空に昇って天使になるような感じがして」

「達夫さんが突撃して……」

「そう思うと辛くて」


「それは、最初からわかっていたことじゃないか」

「もう一度言うよ」

「二人で弾こう」

「世界が平和になる事を祈りながら弾こう」

「僕は左のパートを弾くよ」

「小百合さんは右手のメロディを右手で弾いてね」


「じゃあ弾くよ」

「優しくゆっくり」


「そうだよ、優しくね」

「楽しかったね」

「小百合さん幸せだった」

「小百合さん……」


「はい……」


「小百合さんと出会えてよかった」


「はい、達夫さん」


「こんな感じだかな」

「上手く弾けたね」

「でも……」



ガーン バーン



「どうしたのですか、達夫さん」

「急に突然ピアノを打ち鳴らして」


「僕は一人の人殺しになるんだよ」


「どうしてですか?」


「突撃するだろう……」

「米空母に突撃すれば多くのアメリカ兵が死んでいく」

「アメリカ兵にもお母さんがいるじゃないか」

「お父さんも兄弟もいるかもしれない」

「恋人や友達もいあるかもしれない」

「みんな、悲しむだろう」

「このままでいいのだろうか……」

「少なくとも僕は生きて帰れない」


「いやです」

「達夫さん」


「達夫さんは人殺しではありません」

「日本の国を守るために征くのです」


「どうすればいいんだ……」

「わからないんだ。」

「僕には……」


「達夫さん、でも、このままじゃ日本は……」


「だからだよ」

「そうなんだよ、小百合さん」


「でも、私は出撃してほしくありません」

「達夫さんのそばにいつまでもいたいです」

「お願いです」

「私と一緒に逃げて下さい」

「ここから逃げて下さい」


「それはできないよ」

「逃げたからと言って解決するわけではない」

「それに多くの同期の戦友が自らの命を犠牲にしてまで……」

「彼らが尊い想いで国のために征っているのに出来るわけないじゃないか」

「彼らも必死の覚悟で飛び立っていった」

「国のため、家族のため」

「いろいろな想いもあったと思う」

「でも、僕はよくわからないんだよ」

「これでいいのか」

「この方法が正しいのか馬鹿げているのかどうかね」

「わからないんんだ」

「どうすればいいんだ……」


「でも、僕は決めた」

「今、気づいたんだ」

「そうだよ」

「僕が小百合さんの瞳になって、そばにいてあげるよ」

「そのために僕は出撃する」

「小百合さんと交わした赤いスカーフを持っていくよ」


「小さな石が道にあっても僕が気づいてあげる」

「わずかな灯りも僕が気づいてあげる」

「何より君を守ってあげるよ」

「でも、それは本当の答えにはなっていないかもしれない」

「しかし、そう思う事にしたよ」


「小百合さん……」


「達夫さん……」


「ずっと見守っている」

「守ってあげるよ」

「小百合さんをね」

「幸せになれるよ」

「僕がそうさせてあげるよ」

「ほら、僕が背中に乗せてあげるよ」

「帰ろう」


「きっと小百合さんだけじゃなくて」

「世界はいつか平和になれるよ」

「二人で祈りながら帰ろう」


「達夫さん……」


「小百合さん、家まで送るから」


「嫌です」

「もう少し達夫さんの胸に……」


「小百合さん、僕が小百合さんの瞳になると約束するよ」


「無理です」


「いや、空からきっと守ってみせるよ」

「僕が君の瞳になるよ」

「約束は必ず守るから」


「本当ですか」


「ああ、約束するよ」



「達夫さん、お願いがあります」


「どうしたの?」


「達夫さんの顔を触ってもいいですか」


「ああ、もちろんだよ」

「ここだよ」


「はい」



「見えます」

「達夫さんの引き締まった輪郭」

「すっとした高い鼻」

「優しい目元に唇」

「訓練で少し日焼けしましたか」

「達夫さんの優しい顔が見えます」

「最後に私の唇を優しくしてもらえませんか」



「ありがとうございます」

「もう夕日も沈んだ」

「でも、小百合さんを包み込む時くらいはあるよ」



「小百合さん……」


「達夫さん……」



「小百合さんと出会えてよかったよ」

「あの時の柿の味のように甘かった」

「いつも、僕のお世話をしてくれてありがとう」


「私も達夫さんと過ごせて幸せでした」



「そろそろ、帰ろうか」


「はい」



「出撃したら、この家の上を旋回するよ」

「それが最後のお別れかな」

「でも、遠い空からいつも見守っているよ」


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