※ある春の日差し

 ある春の日差しの出来事だった。

 温かい心地よい風は寒い冬の終わりを伝え、それと一緒に太陽が沈む時間は遅くなり、春の訪れを告げていた。

 そんな季節の移り変わりを感じながらディートハルトはレラの父親である国王にレラの魔法指導の進歩報告を終えてレラの魔法座学をするために廊下を歩いていた。


「……春か」


 ふと、歩きを止めて顔をあげて空を眺めてそう呟く。

 外と繋がる廊下を歩いていると温かい太陽の光と春の匂いを感じた。

 そして思い出す。そういえば、レラと初めて出会ったのも春だったな、と。


 レラと出会って八年。

 八年という時は己にとって長くもなければ短くもなければ悪くない日々だったなと思う。

 師によって出会ったレラとはなんだかんだ言いつつも、王宮生活の中で一番長く過ごした相手だった。

 出会った頃は小さくて一生懸命自分の後ろを追いかけてくる子どもだったが、今は自分の隣を歩くようになり、気付けばそれが己の中で当たり前になっていた。

 

「……さて、行くか」


 そろそろ授業の時間だ。遅刻したらレラがうるさいため、足早に勉強部屋であり図書室でもある場所へ向かう。

 そして図書室へたどり着いてドアノブを回転して入室する。


「レラ、待たせたな。授業を始めるか」


 しかし、入室するも返事が返ってこなければ、いつもなら既にいる弟子の姿が見当たらない。


「レラ?」


 再び名を呼ぶも反応はなく、中へ入ると人の気配もなければ教科書もなく、僅かに思案して一つの答えに導く。


「なるほど、遅刻か」


 珍しいなと思う。普段、レラが時間に遅れることは殆どないのに。

 とりあえず、レラを呼ぶかと考えて荷物だけ置いて図書室を出る。

 そして同じ階にあるレラの部屋に立ち止まるとドアをノックした。


「レラ、授業の時間だぞ。早く来い」


 だがいくら待ってもこちらも返事はなく、不思議に思い首を傾げる。

 授業の時間なのに図書室にはおらず、部屋にもいない。ではどこにいるのだろう。


「どこに行ったんだ…?」


 今は他国の使節団が来ておらず、何か大事な用事がなかったはず。

 どこにいるのだろうか、とレラがいそうな場所を思案していると声をかけられた。


「リゼルク様……? どうしましたか…?」

「……お前は」


 名を呼ばれてそちらを向くとそこにはレラ付きの侍女がいて丁度いいと思って尋ねる。


「レラを探している。どこにいるか知らないか?」


 侍女は少し驚いた様子を見せるもディートハルトの質問にすぐに答える。


「姫様ですか? 姫様なら東屋におられましたが…」

「東屋に?」


 東屋ということは庭にいるということだ。

 予想外の言葉にディートハルトが聞き返すと侍女が返事する。


「はい。今日は温かく、花もたくさん咲いているので外で読書すると言ってましたが…姫様が遅れるなんて」

「そうだな」


 珍しいとは思いながらも居場所がわかったためそちらへ向かうかと考える。


「あの、呼びにいきましょうか?」

「いや、いい。呼びに行く。助かった」


 侍女に礼を言うと踵を返して東屋に向かって歩き出す。

 

「そうか、東屋か」


 なるほど、確かにそこならいるかもしれないと考える。

 冬は終わり、初春になっている。花も咲いていることだろう。

 レラがいる東屋は彼女の母親が好んでいた場所だ。

 まだレラが幼かった頃、よくそこで母親と一緒に過ごしていたのを窓から幾度も見たことがある。

 母親は昨年亡くなったが、それ以降もレラは定期的に東屋に足を向けてはそこで読書をしたり自分が作った菓子を食べていたなと思い出す。

 中庭への道はわかっているので一直線に進んでいくと、東屋が見えてきて、ポツンと一人で座るレラを見つけた。

 未だに座っていることから遅刻していることに気付いていないのか、と思いながらレラの元へ歩いて話しかける。

 

「レラ、遅刻だぞ。授業をするぞ」

「…………」

「……レラ?」


 いつもならすぐに明るい声が返ってくるのに、と思って近付いてみると蜂蜜のような琥珀色の瞳は閉じられていて、小さく口を開いてすやすやと規則正しい寝息をしているのに気付いた。


「……寝ているのか?」


 肯定するかのように返事はせず、変わらず小さく寝息を立て続けるレラの顔を見て、今度は視線を下げる。

 膝には読みかけだったのだろう、開いたままの本が風でパラパラと捲れていく。

 すやすやと心地よそうに眠る弟子の姿を見るのは初めてでついじっと見てしまう。

 そして八年間ともにいたが寝顔なんて初めて見たな、と今更ながらに気付いた。


「……それにしても無防備だな」


 呆れた目を向けて、それと一緒に呆れを含んだ声をこぼす。

 愛し子の自分にとっては無意味だが、レラの住む空間は王宮の中でも厳重な警備が施されているのは知っている。

 だが、だからといってこんなところで寝て無防備ではないかと考える。


「それにしても、どうするか」


 眠り続ける弟子を見つめてぼそりと呟く。

 長い金茶色の髪は風で僅かになびいていて、見慣れている顔のはずなのに、眠っているとまるで別の少女に見えて不思議な気分になる。


「……はぁ、仕方ない」


 起こせばいいのだろうが、気持ちよさそうに眠る弟子の寝顔を見て無理に起こすのも気が引ける。

 春にはなったがまだ初春だ。風邪を引かれては困るため膝に置いていた本を取り上げては外套を脱いでそっとレラの上に重ねる。

 本当は抱えて部屋に運べばいいのだろうが勝手に運んで部屋に入れたらあとでレラがうるさそうだなと想像して、外套を乗せて周囲に魔法をかけて温かくする。

 そして空間転移して自室に移動して本棚に手を伸ばす。

 本当は座学の時間だが自分は国王からレラの魔法指導を一任されている。レラは飲み込みが早いから一回分くらいなんとかなるだろうと結論付ける。

 そして数冊の魔導書を手に持ち、再び空間転移をしてレラの隣にそっと腰がける。

 レラを見ると相変わらず寝ていて、その姿につい目を細めるも、魔導書を広げたのだった。




 ***




 時折吹く風の音と魔導書を捲る音だけがディートハルトの耳を通る中、ふと、視界の端が揺れ動いているのに気付いて魔導書から目を離して横を見る。

 見てみるとレラがゆらり、ゆらりと左右に揺れ動いていて、今すぐにでも倒れそうなその動きに不安を覚える。


「……はぁ、倒れるなよ」


 一瞬考えたものの、レラとの間に置いていた距離を縮めて自身の方へ凭れさせる。


「ん…」


 肩に凭れさせ、レラが心地よさそうに眠るのを確認する。

 こんなところでよく寝れるな、と思うも春の光は温かく確かに眠気が誘われるのかもしれないと、考える。


「大きくなったな」


 肩にかかる重さにぼそりと呟く。

 十五歳になったレラは当然ながら七歳の頃と比べて成長して少しばかり大人っぽくなったと思う。

 こうしてみると子どもの成長は早いものだと感慨深く思う。

 しかし、いつまでも寝かせておくわけにはいかないな、と思っていると心地よさそう眠っていたのが一転、今度は眉間に皺を寄せ始めた。


「ん…んん……」

「……起きたか?」


 声をかけるも未だ琥珀色の瞳は閉じられていて、代わりに口をもごもごと動かして何かを話し出した。


「……は、……もの」

「?」


 上手く聞き取れず耳を傾けるとまた何かを言い出した。


「それは…私のケーキ…私の…もの……」

「…………」

「まだ…いける……。まだ食べられるから……!」

「…………」


 先ほどまで心地よさそうに寝ていたのに今度は難しい顔をして寝ている時も感情豊かだと思う。

 誰とどんな話しをしているのかわからないが、必死に話すレラに、ふっ、と顔を緩める。

 依然として難しい顔をして話し続ける弟子の姿に笑いを噛み殺すも、抑えきれずに肩は小さく震えてしまう。


「んっ……?」


 そして肩の振動で起きてしまったのか、美しい琥珀色の瞳がようやく開いてこちらを見る。


「起きたか?」

「…………し、しょう?」


 まだ覚醒していないのか、寝ぼけた顔をして見上げてくる顔はやや幼く見えて、子どもの頃を思い出させる。


「あれ…? なんで……」

「授業の時間なのにいなくて探したらここで昼寝していたんだ。覚えてないか?」

「昼寝……はっ! って、うわっ!?」


 勢いよく立ち上がると自身が乗せた外套が落ちそうになって、それに気付いたレラが慌てて掴み取る。


「あああ……! 師匠の外套が……!!」

「シワくらい気にしないがな」


 そう言ってレラから外套を取り上げるも、レラは納得していないようで反論してくる。


「私が気にします! そ、その……」


 もごもごしながら聞きたそうにするレラにあぁと思う。


「よだれは出てなかったから安心しろ」

「ほ、本当ですか!? あぁ、よかった…!!」


 安心したのか、安堵の表情を浮かべるレラが面白くて小さく笑うと、レラが目尻をきっと吊り上げて抗議してきた。


「笑わないでください! 師匠ったら起こしてくれたらいいのに!」

「気持ちよさそうに寝ていたからだろう。そもそも外で寝る方が悪い」

「そ、それは読書していたら外が温かくてつい眠気が…!」

「はいはい」


 適当に返事すると、それと、とレラが気恥ずかしそうに尋ねてきた。


「なんだ?」

「……その、寝顔…見ましたよね?」

「間抜けではなかったから安心しろ」

「それはよかった…。……って、そんなの聞いてません! 忘れてください! いいですか? ぜっーたいに忘れてください!!」


 どうやら寝顔を見られたことを大分気にしているらしい。念を押すようにレラが頼んでくる。


「いいですか? はいと言ってください!」

「ふむ、じゃあ寝言もか?」

「寝言!? 言ってたんですか!?」

「あぁ、食に関することだな。食い意地張ってるな」

「~~~!! わ、忘れてくださいぃぃ~~!!」


 どうやらこちらも弟子にとっては恥ずかしかったようで、顔を赤らめて悲鳴をあげる弟子に返事する。


「はいはい、わかった」

「ぜ、絶対ですよ?」

「わかったわかった」

「絶対の絶対の絶対ですよ?」

「レラ、ふざけてるのか?」

「師匠が適当に返事するからですよ!」


 頬を膨らませて抗議する弟子を無視して魔導書を持って歩き始める。


「ほら、行くぞ。いつまでもいると風邪引くぞ」

「…はぁーい」


 そしてレラが隣に並ぶのを確認して再び歩き出すと、レラがポツリと呟いた。


「その、すみません。うたた寝して」


 申し訳なさそうな表情を浮かべてレラが小さな声でそう告げる。


「別にいい。気にしていないからな」

「あの、授業はどうしますか? 今からでもやりますか?」

「いや、いいさ。国王に一任されているから今日の分は次の授業でやればいいさ」

「そうですか…」


 そしてそのまま互いに無言になって歩き続ける。

 時間は夕方に近い。どう過ごすかと考えていたらまたレラが話し出した。


「師匠、お時間ありますか?」

「? あるがどうした?」

「…その、ご迷惑おかけしたのでお詫びにお茶を入れたいのですが」

「レラが?」


 珍しいと思う。レラだけではないが王族が自分で茶を入れることは多くないからだ。

 王族自らが入れるのは尊敬する相手のみで、レラも普段は茶を入れない。


「別に迷惑だったとは思っていないが」

「いえ、私のせいで授業なくなったので。……これくらいしかできなくてすみませんが」

「…………」


 しゅん、としているレラの頭を眺める。

 気にするな、と言っても気にしているようなのでここは厚意を受け取るかと判断する。


「いいのか?」

「師匠は私の尊敬する人ですから。当然です」

「なら厚意に甘えるか」

「ではとびきりおいしいお茶を入れますね!」


 提案が受け入れられて嬉しかったのか、ぱぁっと明るく笑う弟子を見てディートハルトもつられて目元を細める。


「なら楽しみにしていよう」

「はい! 楽しみにしてくださいね!」


 そして二人で戻ってレラの入れたおいしい茶を飲んで一時を過ごしたのだった。


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