後日談 三百年越しに叶えよう1

 その日はいつもと変わらぬ平穏な日常で、私は頬杖をしながら雑誌を読んでいると、ある特集に目を止めた。


「……共和国、か」

「……なんだ、突然?」

「…ん?」


 私の独り言を拾った師匠が片眉をあげて尋ね返してくる。はっ、やばい。口に出してた? 出してたんだ。完全に無意識だった。


「い、いえっ! なんでもないです!」


 首をこれでもかというくらい左右にブンブンと振って誤魔化していく。師匠、どうかそのままスルーしてください。

 しかし私の祈りは通じず、師匠が近づいてきた。


「なんでもないなら見てもいいな」

「ダメですー! 忘れてくださいー!」

「気になる」


 雑誌を取ろうとする師匠VS阻止しようとする私の謎の攻防戦が始まる。一体何しているんだ、私たちは。

 しかし、これを見られるわけにはいかない。そのため必死に抵抗する。


「シルヴィア、敬語」

「えっ? あっ」


 師匠に指摘されて今自分が敬語になっていたのを知る。

 以前、師匠に敬語じゃなくて家の中でも普通に話してほしいと頼まれていたんだ。距離感を感じてしまう、と。

 師匠に対して敬語じゃなくて常体で話すなんて恐れ多いとずっと思っていたけどそんな風に言われたら仕方ない。だから家の中でも少しずつ普通に話すようにしていった。

 敬語をやめてからは不思議と私の方も距離感が近くなった気がして敬語をやめてよかったと思っていた。


 それなのに今は敬語で話していたらしい。完全に無意識だった。すみません。


「って、あっー! ダメ! ダメったらダメなのにー!」


 そんな一瞬の隙を突いて私の抵抗はむなしく、師匠はひょいっと私の手から雑誌を取り上げてじっと見た。


「…セーラ共和国か」

「うっ…」


 師匠がそう発したことで私はついに諦めた。

 レラの時代は外に出ることなんてなかったし、公爵令嬢時代の時は馬車の中からしか外を見ることができなかった。

 しかし、婚約破棄されて国外追放後は自由に動くことができた。

 冒険者業をしていたら依頼によってあちこちの地方へ行く。

 それが、私の好奇心を動かしてしまった。


 様々な土地の料理を食べたり、建築物や工芸品を見たり、文化に触れるのが楽しくて、依頼は勿論ちゃんとこなすけど、ついでとして散策していた。

 そしてその好奇心は、他国にまで広がっていった。

 色んな国の文化や料理、特産物や民族衣装とかが載った雑誌を読むのは楽しく、時間とお金があればいつか行ってみたいな、とずっと思っていた。

 そして、お気に入りの雑誌の今月の特集がかつての私──レラの故郷であるセーラ共和国だったのだ。

 

 建国歴は三百年と少し。王国から貴族制を廃止した共和国国家と書かれていて、伝統料理や民族衣装、文化、工芸品などが紹介されていた。

 かつて、私──レラが生まれ育った国。だけど王宮から一歩も出ずに、何も知らずに死んでしまったからか、思うところがあって。

 公爵令嬢シルヴィアが暮らしていたクリスタ王国も、今私たちが住むキエフ王国も王族貴族がいる君主制国家だ。対する今のセーラ共和国は君主がいない共和国制国家で、どんな国なのだろうと気になってしまって。

 そして冒頭の発言をしてしまったのだった。


「共和国か。俺ももうずっと行っていないな」

「あはははっ…。つい懐かしくて…。城下町を下りたことはないけど、それでもレラの生まれ故郷であったのは変わらないし」

「……」


 君主制から共和国制へと大きく変化し、三百年も経ってたら色んなものが変わっているだろう。

 でも、それでも「セーラ」という国は私にとって特別で。


「行きたいのか?」

「まぁ、いつかは行ってみたいとは思うけど」

「ふぅん。なら行くか」

「へっ?」


 師匠の突然の発言に声をあげる。今なんと? 行くと?


「来月に祭りがあるみたいだ。どうせならその時行った方がいいだろう。金は十分あるし、行こうか」

「え、えっと…いいの?」

「? 行きたくないのか?」

「う、ううん、行きたいけど……」


 師匠がまさかこんな簡単に決めるとは。なんか驚きである。


「……レラの時、外の世界に憧れていただろう? なのに一度も外へ連れ出してやることできなかったからな」

「ディートハルト……」

「……三百年越しで随分遅いが、お前の生まれ故郷を一緒に歩こうか」


 目を細めて優しく微笑んで頭を撫でてくれる。


「……なんか、子ども扱いされてる気がする」

「気のせいだ」


 いいえ、気のせいじゃないと思うんです。

 だけど師匠に言われたことが嬉しくて、不思議と胸が温かくなって、つい師匠に抱きついてしまった。


「ありがとう……ディートハルト」


 そして私はニコッと師匠に笑ったのだった。




 ***




 青い海。太陽に反射して輝くキラキラと揺れる波。

 全部新鮮で、ついはしゃいでしまう。


「うわぁっ……!!」


 大きな音をたてることなく進んでいく船。

 だけど魔法鉱石を利用しているから早く進んでいく。時折、魚が海中から飛び出てくる。


「すごい! ディートハルト、見て見て! 魚飛んでる!」

「わかったから幼子のようにはしゃぐな」

「ニャーウッ!!」


 私のはしゃぎっぷりに師匠は溜め息を吐きながら注意する。はい、すみません。でも海なんて初めてなんです!

 それにシロちゃんも嬉しそうにはしゃいで目を輝かせる。

 そんなシロちゃんに師匠が「勝手に魚を捕まえて食うなよ」と言い聞かせていた。シロちゃんから悲鳴のような鳴き声が聞こえた。


 改めて海を眺める。

 誘拐事件で船は乗ったけど、部屋から出ることできなかったし、窓は小さかったから船に乗っている気分になれなかった。

 

 季節は夏。私たちはセーラ共和国に向かう客船に乗っていた。

 師匠は宣言通り旅行に行く手配をして、一ヶ月後にこうして旅行をすることになった。

 私たちと同じようにセーラ共和国へ向かう人たちが客船に乗っている。


「暑くないか?」

「大丈夫だよ。帽子もこの通り、ちゃんと被ってるから!」


 夏のせいで陽射しは強く、デッキに出ているのは私たちくらい。

 師匠も暑いから部屋から出たくないって言っていたから「私一人で行ってくる!」と元気に告げたらなぜかついてきた。私が海に落ちないか不安らしい。大丈夫なのに。過保護である。


「ディートハルトこそ平気? 部屋戻っててもいいよ?」

「自分の周りを冷気を発生させて冷やしているからいい」

「いいなー」


 愛し子でなくなっても全属性使える師匠が羨ましい。今の私は水魔法なんて使えないから。


「…水よ、集え。冷気を発生させて周囲を冷やせ」

「えっ?」


 その瞬間、私の周りの空気が変化して熱気から冷気へと変化していく。ひんやりと涼しくなってきた。


「えっと、ありがとう」

「日射病になったら困るからな」


 なんか保護者みたいな発言だ。でもちょっと嬉しい。


「シロちゃんは平気?」

「ニャッ!」

「平気だ。コイツは風を操れるからな」


 シロちゃんも元気に鳴き声を出してくれる。それなら問題ない。

 二人で旅行に行くのも寂しいし、シロちゃんも連れてきた。シロちゃんも楽しそうにしてくれてるしよかった。


「ディートハルトは海見たことある?」

「あるな」

「きれいだね、透明なのに青く見える」

「そうだな。確か太陽の光のせいだと師匠が言ってたな」

「へぇ~そうなんだ?」


 知らなかった。太陽の光のせいなんだ。長生きしているだけあって大師匠様はやっぱり物知りだ。

 キラキラと輝いててきれいだな。


「楽しそうだな」


 師匠が隣にやって来て話しかけてくる。


「当然、だって師匠と一緒に旅行なんだよ?」


 楽しくて当然だ。師匠との旅行なんて初めてだもの。

 しかも、その初めての旅行先が私たちが出会ったセーラ共和国で、師匠から旅行に誘ってくれたからすごく嬉しかった。


「……そうか、ならいい」


 するとまた目元を優しくして囁いた。

 本当に、優しい表情を浮かべるようになったな、って思う。

 実は、この旅行に関して一つ気になることがあった。

 それは師匠はセーラ共和国に行くことに対して思うことないかな、ってことだ。

 あそこはレラと縁が深すぎるから大丈夫かな、って思っていたから。


「……ディートハルトは、よかったの? セーラは……レラと縁が深すぎるけど……」


 恐る恐る聞いてみる。私のために我慢していないか不安になる。

 師匠は真っ直ぐ前を向きながら少し考える素振りを見せた後、口を開いた。


「……確かに深いな。正直、シルヴィアがレラじゃなかったら頼まれても行くのは難しかったかもな。……だがあの国はレラと出会った場所だ。レラとあの国を歩いてみたいとは思っていたからな。心配するな」

「……ディートハルト」


 スラスラと話していく。嘘はついてなさそうだし、本音だろう。

 ……それならよかった。私のために師匠に我慢してほしくないから安心した。


「それより、港に着いたらどうするか考えとけよ」

「はーい」


 イヴリンには師匠と旅行に行くと伝えといたから大丈夫だ。何かお土産買って帰ろう。

 イヴリンに何贈ろうか考えるだけでちょっとわくわくする。


 港に着くのは夕方に近い予定だ。夏だから夕方はまだ明るいけど早めに宿とってゆっくり休息しようと考える。


「あっ……!」


 びゅっ、と強い風が吹いて帽子が空を舞う。

 やばい、このままじゃ海へ落ちちゃう。

 デッキに前のめりになって手を伸ばそうとしたら腹部に腕が回って強く引き寄せられた。ぐえっ。

 顔を上に向けると師匠と目があった。あ、片眉があがって不機嫌だ。

 師匠の手の方を見ると、手を伸ばしてくれたのか、帽子を掴んでいた。


「あっ…ありがとうございます、師匠」 

「お前なぁ……、前のめりするな! 危ないだろう…!」

「は、はいぃっ…」


 つい師匠呼びしてしまったけど、そんなことに気付いていないのか、師匠が冷えた睨みと声を出して叱ってくる。

 確かに前のめりになってデッキから落ちてたら危なかった。一人でいなくてよかった。


「すみません…」

「……はぁっ。日が暑いからもう客室に戻るぞ。客室からでも海は見れるんだからな」

「はい……」

 

 ここは素直に従おう。師匠を心配させたくないから。

 そして私たちは客室へ戻ったのだった。


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