最終話「温かい水」





「えーっ!?ご両親への挨拶〜!?」


谷口さんはそう叫んで、飲もうとしていた水のコップを慌てて置いた。


「うん、この間ね」


「そっかあ〜」


僕はまだその話をするのはちょっと照れ臭くて、イヘヘ、と変な笑い声が出てしまった。


谷口さんは改めてお水を飲んでいて、僕達が居る中華料理店の、メニューの張り紙を遠目に気にしていた。


店内は話し声や調理の音で大層賑わい、美味しそうな油の匂いがしていて、BGMは無いようだった。


僕達の席は入り口近くで、テーブルは綺麗に磨かれてはいるけど、どこかくすんでいる。僕が座っていた椅子は、コンクリートの床に一本だけ足がつかないのか、カタカタと前後に揺れた。


谷口さんと僕は、たまに仕事終わりに食事を同席して、互いの恋愛話をするようになった。


だけど谷口さんは、なぜか相手の名前や仕事を教えてくれない。だから僕は、“もしや、ホストかなんかにハマってるんじゃ…”なんて心配をしていたりもする。


“でも、彼氏の話する時の谷口さんは楽しそうだし、「あの人優しいから」とか、「相変わらずちょっと恥ずかしがりで」なんて言うから、悪い人じゃないとは思うんだけど…”


そう考えていたあたりで、さっきからカンカンカンと喧しかった、中華鍋とおたまのぶつかり合う音が止んだ。間もなくして、ホールスタッフのお姉さんが、チャーハンとラーメンを運んでくる。


「はいこちら、ラーメンと、チャーハンです。ごゆっくり」


料理を手早くテーブルに置き、伝票立てに会計の紙を差すと、他のテーブルに呼ばれたお姉さんは、ぱたぱたと歩き去って行った。


「いただきまーす!」


谷口さんは、チャーハンを前に嬉しそうにレンゲを手に取った。何はともあれ僕達は食事をして、その後、ビールと軽いおつまみを頼んだのだった。




「へえ…それは、本当に良かったね…」


「うん…なんか、本当に、愛されてるなって、思った…」


僕は、自分の両親に挨拶をしに行った時の様子を話して聴かせて、それから、あの日を思い出して俯いていた。


彼が僕を愛する素直さ、懸命さ。それが僕だけでなく、僕の家族にも届いたのが、とても嬉しかった。それを思い出すと、どうしても俯いてしまうけど、それは僕が、抱え始めた愛の思い出を眺めているからだ。


「ふふ、良かった。もう心配ないですね」


「うん。一応は…」


「一応って?」


「いや、まだ他の親戚には、話してないから…」


僕がそう言うと、谷口さんは、いつも僕を心配する時の、素直に潤んだ目で僕を見つめる。


「そっか…そこは、やっぱり心配…?」


「うん。まあ。でも、母さんが「心配ない、雄一君なら」って、言ってくれたけどね」


「そっかあ…」


そこで会話は一度途切れ、谷口さんも下を向いていた。でも、ちょっとしてから彼女は顔を上げて、僕をちらりと見る。


「どうしたの?」


そう聞くと、谷口さんはなぜか恥ずかしそうに目を逸らし、顔を赤くした。それから、遠慮しているような口ぶりで、こう言う。


「実は…私のとこも、彼が、「ご両親に挨拶したい」って、言ってくれてて…」


その言葉に、僕は胸が沸き立った。自分の事のように嬉しくて、ジョッキグラスを置いてテーブルに身を乗り出す。


「良かったじゃない」


「う、うん…」


その時僕は、何気なくこう言った。


「それにしても、もう教えてくれてもいいんじゃない?彼氏さんどんな人なのかさ」


すると谷口さんはまた気まずそうに俯いてしまい、ビールをグラスの端からちびちびと啜っていた。


“そんなに言いにくい相手なのかな。まさか不倫?でも、それなら両親への挨拶なんてするわけがないし…”


僕がそう考え込んでいると、目の端に、谷口さんのビールグラスが静かに置かれた。


顔を上げると彼女は真面目な顔で俯いたままで、おずおずと口を開きかけていた。


「びっくりしないで下さいね…」


「う、うん…」


どこか緊張している谷口さんの様子に、僕もちょっと身構えながら、“びっくりするような相手なんだろうな”と、頭の裏側で思っていた。


「私の彼氏…鈴木君なんです」


びっくりした。これ以上ない位にびっくりした。だから、僕は叫んだ。


「え、ええええ!?」


僕の様子に、谷口さんは嬉しそうに笑い転げる。


「あははは、やっぱりびっくりしちゃうか〜」


「そりゃ、びっくりするよ!え、本当に!?」


「ほんとほんと」


「え、ど…どんなご縁で…と言っても、職場が同じだからだろうけど…」


驚き過ぎて覚束ないながらもそう聞くと、谷口さんは安心したように微笑んだ。


「実は…私達、「相田さんを幸せにしておく同盟」を組んだ事があったでしょう?」


「あ、う、うん…」


僕は、数年前の事を思い出していた。会社が異常に忙しかったあの頃は、二人によく支えられていた。申し訳ないと思う事もあった。それと、ずっと気になっていた事が一つ。


鈴木君は、僕の事を好きだった時もある。それを谷口さんが知っているのかは、ずっと聞きそびれていた。でも、そんなのは鈴木君にだけであってもはっきりと聞ける事じゃない。


「私達、同じ人を好きになった事があって、それから…「真理さんがいつも相田さんの事で一生懸命なのを見ているのが嬉しくて、そのうちに、真理さんばかり見ているようになった」って、告白されて…」


「へえ…」


確認はしていなかったけど、どうやら二人の間では、お互いの事情を確かめあった上で「同盟」が組まれていたらしい。と、僕はここで初めて知った。


“鈴木君って、男性も女性も好きになるんだな…”


そんな余計な事を考えながらも、僕は谷口さんの話についていった。


「私も、悟が…あ、二人きりの時は、悟って呼んでます…悟がね、とっても真っ直ぐで、すごく恥ずかしがりなのが、可愛くて可愛くて…」


喋りながら、谷口さんは幸せそうにへにゃへにゃと笑っている。僕も、嬉しくて笑っていた。


「そっかあ…なんだぁ、全然気づかなかったよ」


ビールグラスで口元を隠し、こっそりと谷口さんが笑う。


「私達、結構ヒヤヒヤしながら仕事してたんですけどね」


「うふふ、恋だね〜。それで?これからご挨拶、行くの?」


「はい」


そう言った時の谷口さんは、ひたむきにまつ毛を伏せながらも、やっぱり幸せそうに笑っていた。




「ただいま〜」


「おう、おかえり。なんだよ、飲んできたのか?」


僕は家に帰って、仕事鞄をソファの脇に立て掛けたら、雄一にキスをする。


彼はいつも通りに食事が終わっていて、お風呂に入って着替えてくるのを待っている。


布団に入る前に、僕達は短い話をしたり、お菓子の取り合いをしたりする。そうして今日も笑い合う。


それがちっとも当たり前なんかではない事を、それでもきっと崩れないだろう事を、僕達は知っている。


「おやすみ」


「ん、おやすみ」


彼が僕にキスをくれる。少し強く押し当てられる唇に、彼を感じられる。酔いしれていても、もう不安にはならない。



温かい水の底に、淡い光が降る景色が目の裏に浮かんだ。揺れる水面に揉まれた光はきらきらと輝いていて、楽しげに僕達を覗き込んでいる。柔らかい砂のベッドに身を横たえて、くたびれた体を休ませながら、僕達は眠っていた。





End.

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続・嘘つきな僕ら 桐生甘太郎 @lesucre

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