5話「大切な日に」





その日は、僕の誕生日だった。でも、それは3月31日で、もちろん会社は大忙しだ。


その時期には年度ごとの決算が大詰めなので、僕たち事務方も忙しく日々を過ごして、くたくたなのに仕事は終わらず、僕たちは何日も残業をした。


「うあ〜…」


僕のデスクの隣では、谷口さんが、切なそうな泣き声を上げてうつ伏せている。彼女も辛いんだろうと思って僕は席を立ち、備え付けの道具で珈琲を3杯入れた。


「課長、遅くまでお疲れ様です」


「おお、ありがとう」


まずは課長に珈琲を渡したら、僕はデスクに戻って、ずっと机に突っ伏したままの谷口さんの肩を叩く。


彼女はしばらくしてから顔を上げ、「なんですか」とこちらを睨んだ。僕は彼女によく見えるように、プラスチックのカップを目の前に差し出す。そこからは、ほわりほわりと湯気が上がって、珈琲の香りが広がっていた。


谷口さんは泣きそうに顔をくしゃっと歪ませ、カップを受け取る。


「ありがとうございます…」


「一緒に頑張りましょう。今日で終わりですから」


「明日も仕事ですよう…」


頼りなく音を上げる彼女だったけど、珈琲を飲み終わると目が冴えたようで、普段以上の働きを見せてあっという間に業務を片付け、僕の分も手伝ってくれようとした。


「大丈夫です。僕もあと少しだから、自分でやりますよ。もう遅いから、帰った方がいい」


僕がそう言うと、谷口さんは少し遠慮していたけど、嬉しそうに帰って行った。


仕事をしている途中、僕のスマートフォンが鳴ったけど、課長もまだ残っている手前、電話に出る訳にはいかなかった。





僕が家に戻ったのは、深夜1時だった。


地下鉄の最終時刻になんとか間に合わせて飛び乗り、買い物もせずに帰宅した。


家には灯りが点いていて、やっぱり雄一が居てくれた。


「ただいま」


そう言っても彼はしばらくむくれていて、ラップに包まれた食事が並んだテーブルに就き、俯いていた。


「ごめんね、遅くなって」


そう言うと彼はこっちを見たけど、すぐにまた横を向いて顔を隠す。


どうして彼が怒っているのかは知っていたから、僕は急がなかった。


「おめでとう、言ってくれないの?」


甘えてそう言うと、彼はぼそっとつぶやいた。


「ちゃんと、その日に言わせろよ。電話も出ずに…」


“君がすねることじゃないのに、そうなっちゃうのが好き”


「ごめん。だって課長が一緒に仕事してたから」


「ふーん」


彼はあまり納得していないように見えたけど、それも意地を張ってるだけだと分かってたから、僕はこう言った。


「僕、雄一のそういうとこが好き」


「うるせえよ」


「あ、照れてる?」


「いいから。あっためて食うぞ」


「はーい。あ、ねえ、ケーキあるの?」


そう聞くと、やっと雄一は笑顔になって、得意げに笑った。


「ある。すんげえのが」


「すんごいの?」


僕たちは手分けして交互にラップをした料理をレンジに運んで温め、終わったら出してラップを外した。


「まずは、飯食おうぜ」


「うん!作ってくれてありがと!いただきまーす」


テーブルの上には、オムライスと、エビフライ、ポテトサラダ、ローストポークがあった。


「え、うそ!このポテトサラダ、手作りなの!?」


食べてみて、じゃがいもの食感がホクホクで、バラバラに違うポテトサラダに、僕はびっくりした。雄一は「おうよ」と返す。


「ええ〜、ありがたいなあ。ポテトサラダって手がかかるんだよね〜」


調理の手順を調べれば分かるが、ポテトサラダは本当に手数が多い。僕は、それを自分のために費やしてくれる愛情に浸かって、幸福を味わった。


「ローストポークも美味しいー!」


「だろ。今日けっこううまくいったんだぜ」


「えっ、これも手作り!?」


「決まってんだろ。うちさ、マンションに元々オーブン付いてて、それで焼いてから、ここに持ってきた」


「何それ女子力高い〜」


ジューシーな豚肉を噛み締めながら僕がそう言うと、雄一は「変な言い方すんじゃねえよ」と照れていた。


エビフライも二人で「美味しい美味しい」と食べ、最後にオムライスにかかる。


「それにしても、このオムライス、どっちも綺麗…どうやるの?これ」


「どうって、時間が来たらひっくり返すだけだぜ」


そう言って首を傾げる彼。相変わらず、頑張り始めると人の何倍も上手くいくんだから。僕は、学生時代に、勉強を始めた途端に優秀生になってしまった雄一を思い出していた。


「ん、美味しい!」


「へへ、よかった」




食後、雄一は僕の家の冷蔵庫から、白い箱を取り出した。


「灯り、ちょっと暗くできるか?」


「あ、うん」


ロウソクに火を点けるんだなと思ったから、彼がライターを手にするのを確かめてから、僕はリモコンで部屋の照明を何段か落とす。


薄暗くなった中で、雄一は調理台に乗せられたケーキに「2」と「4」の形のロウソクを立て、芯に火を灯した。


それから僕が椅子に座って待っていると、大きな丸いショートケーキが目の前に運ばれてきた。


「誕生日おめでとう、稔」


「ありがとう…」


僕は、ため息を吐いていた。


大きく丸いスポンジは、白い柔らかなクリームに隙間なく包まれ、その上からさらに、ぽんぽんと飾りのようにまたクリームをまとう。そして、贅沢にたくさん苺が乗せられたショートケーキは、とても美味しそうで、可愛かった。


ウエディングドレスのような豪華なケーキにうっとりとしていると、雄一が「早く吹き消せよ」と急かす。


僕はちょっと迷ったけど、こう言ってみた。


「一緒にやらない?」


雄一は驚いたみたいだったけど、嬉しそうに笑ってくれて、「いいぜ」と言った。


「じゃあ、せーの…」


ふうう。二人で息を吹きかけると、あっけなくロウソクの火は消えた。


僕たちはケーキに顔を近づけていたので、闇の中で寄り添っているみたいだった。


彼の目は、熱く僕を見つめていて、それが近づいてくる。


キスをしていると、テーブル越しに雄一が僕の頭を抱え始めたので、僕は焦って彼を押しのけた。それから、リモコンで部屋の灯りを点ける。


「…ダメ。ケーキ食べてからね」


熱くなった頬をなだめて僕がそう言うと、雄一は不機嫌にはならず、包丁を持ってきて、ケーキを切ってくれた。





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