4話「君が居る幸せ」





朝、会社に居る時に、雄一から一度電話があったのは気になっていたし、SNSのメッセージで訳を聞こうとした。でも返信が無かった。


メッセージに既読表示も付かなかったけど、僕は「変わらないな」と思って、無反応のメッセージ画面を閉じる。



夜の地下鉄にくたびれた体を乗り入れて、コンクリートの壁が、スピードも分からなくなるほど速く飛び去るのを、眺めるともなしに眺めていた。



昔から、雄一はメールやメッセージが苦手で、何かあると電話を掛ける方が多かった。彼はちょっと短気なのだ。


“ちょっとどころじゃないかも?”


喧嘩に明け暮れ、通っていた高校に包帯まみれで現れた彼の姿を思い出す。



あの頃は、心配で仕方がなかったものだけど。僕だってびっくりしていたけど。今思い出すと、懐かしい。


雄一は背が高いから、制服のブレザーも僕より丈が長くて。それを着て遊んでいたら、怒って脱がされた。


“恥ずかしがり屋で”


初めてキスしたのは、彼が殴られた傷を手当してあげた、一人暮らしの、彼のアパート。


僕に、「どうしてお前は俺のことが怖くないんだ」と聞いて。


“俺が今からする事も、怖くないか”


そう聞いた彼は、怖がってたんだと思う。


彼が怒って学校から帰ろうとした時についていくと、彼は“うざったい”と拒んだけど。


“怖かっただけなんだ”


だから、なかなか僕に打ち明けられずに、遊園地に誘った時も、もしかしたら、考え続けてくれていたのかもしれない。


“気持ちを、伝えようか、伝えまいか”


雄一が僕のことで迷って、悩んでいたのだとしたら。


“やっぱり、可愛いと思っちゃうなあ”



次々と思い出が浮かぶ中、列車のガラスをちらりと見た。そこには、見事ににやにやと笑った僕が居る。


恥ずかしいし、くたびれた人が多い車内であんまり楽しそうにしていると、申し訳ない気分になってきて、僕は片手で顔を隠した。


“早く帰りたいな、雄一が居るんだ”





僕は、一人向けのパッケージングが多い小さなスーパーで、買い物をする。最近の東京はこういう店が増えて、独り者には有難い。


“でも、今日は雄一が居るし”


大きめの豚小間切れ肉のパックを選んでカゴに入れてみる。


“炒め物、かな…”


めんつゆが切れそうになっていたのを思い出したので、それと、一応みりんも買っておく。


みりんを買う事なんてほとんど無いけど、最近は家で料理をする事が増えた。雄一に美味しい物を食べさせてあげたいし。


色々調べて、まずは味見のために自分で作って食べてから、改良を重ねて、雄一が来た日に作ってあげると、彼は「うまい」と笑ってくれた。


前はお惣菜で済ませていたのに、最近では、ひと手間だけ掛けた簡単な料理が作れるまでになってしまった。


“男の料理は手数が掛かる”


それは、普段あまり料理をしない人が作ろうとすると、大掛かりなメニューをどうしても選んでしまう事になるからだと思っている。


めんつゆで炒めるだけでも美味しい肉野菜炒めは出来るし、そこにオイスターソースを入れれば、中華風味になる。あくまで風味だけど。


材料の取り合わせは考えなくちゃいけないけど、それも、組み合わせ慣れれば、ほぼ千変万化と言っていい。


そんな“料理のコツ”を僕は最近掴んでしまって、それだけで大丈夫かと不安だったけど、雄一はアスパラガスと豚肉のオイスター炒めに、「これうまい!」と叫んでいた。


“今日、帰ったら何作ろうかな”



店を出て、駅前の人ごみを離れて裏道へ入ると、僕の住むマンションはすぐだ。


この沿線で一番家賃の相場が低いこの街は、駅前にパチンコや古い店が多い。


昔からある商店街は、活気を取り戻すために頑張るというよりは、昔からのお客と長話をするために店を建ててあるんじゃないかというくらい、大体いつも常連と店員が店先で話し込んでいる。


“平和だなあ”


僕はそんな喧騒を離れ、住み慣れたマンションに入って、とうに閉まっている管理人室をちらりと見やってから、エレベーターに乗る。


ドキドキ。ドキドキ。鼓動が近づいてくる。


くたびれていた体が息を吹き返し、彼の元に今すぐ飛んで行けるように、足元がふわつく。


「ただいまー」


玄関を開けて奥にそう声を掛けた時、僕は「えっ?」と声を上げてしまった。


家の中に、料理の匂いがする。それもすごく美味しそうな。


びっくりして慌てて靴を脱ぎ、キッチンに急いだ。


「よう、おかえり」


彼がガス台の前で振り向き、僕に得意げに笑って見せる。


「わあ…!」


キッチンのテーブルにはサラダが用意されて、雄一が向かい合っている鍋では、今正に唐揚げがパチパチと跳ねていた。


「唐揚げと、玉子スープ。それで良かったか?」


「料理作ってくれてたんだ」


テーブルの余ったところに買ってきた物を乗せてから、僕は「ありがとう」と言った。


「二度揚げするから、ちっと待ってな」


「手が込んでるね」


「その方がうまいだろ?」


「うん!じゃあ僕、着替えてくる」


「シャワーも浴びてこいよ。今日暑かっただろ」


彼は微笑んで僕を気遣ってから、唐揚げの鍋に戻って、丁寧に一つずつ鶏肉をひっくり返している。


「大丈夫?全部任せちゃうことになるけど…」


「平気、平気」


「じゃあ、お言葉に甘えて、行ってきます」


「こら、その前に」


そう言って彼は僕をもう一度振り向いて、顎を突き出した。僕は「あ」と声を上げる。


ちょこちょこと彼に近寄って、キスをすると、満足そうな顔をする彼。


「おかえり」


「ただいま」



僕はシャワーを浴びて、戻ってくると、お米も炊けて唐揚げは大皿に盛り付けられ、雄一は玉子スープをお椀に注いでいるところだった。


「ありがとう」


「早く食べようぜ」


「うん、いただきまーす」


「はいよ、いただきます」


わくわくして食べた彼の唐揚げは美味しくて、玉子スープは優しい味がした。


「どっちもおいしい」


「へへ」


サラダに、玉子スープと、唐揚げ。体も嬉しい、元気が付くメニューだ。


雄一は唐揚げの最後の一つを譲ってくれて、僕はからっと揚がった鶏肉を頬張った。


“幸せだなあ”


それから二人でビールを飲んで、今日の事なんかを遅くまで話していた。





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