第5話 今日は彼に愛されて魂を貢いじゃう
彼女にしては珍しく、少しだけしょげた顔をして彼のアパートへと向かっていく。
「どうしよっかなぁ。八方塞がりってやつだ。まあ…それならそれでいっか。こんなことでクヨクヨしても意味ないし。よし! 切り替えなきゃ! 頑張れあたし!」
そう言って彼女は彼のアパートの扉を元気よく開ける。
「魂いかがですか~魂の押し売りはいかがですか~、って! なんでまた床で寝てんのよ!」
彼は相も変わらず床で寝ていた、と思ったらムクりと起こして、してやったりと言った顔を彼女に向ける。
「え? 起きてるの…? な、なによその顔は…。あ! もしかしてあたしのこと騙したの!? 寝たふりしてたってわけ!?」
帰りの時間を伝えていたため、どうやら待ち伏せされたらしい。彼女は怒って彼のことをポカポカと叩く。
「なによもぅー。人の心配を余所に笑って。…で、今日は元気なの? 魂の色は…そんなに悪くないわね。仕事のかけ持ち止めたから当然か。ふっふっふ、そろそろあなたの魂も奪い時って感じかしらね」
明かに彼を害する言葉であるにもかかわらず、彼の全く聞く気もない態度に小さなため息が出る。
「あなたって本当に神経が図太いわよね。魂を奪うって言ってるのに、何の気にも留めないって…。さ、どうせ洗濯ものとか溜まってるんでしょ…って、あれ? 全部終わってる。それに、この匂い…ごはん作ってあるの!?」
彼女は驚きで部屋へと駆けこむ。
「カレーだ! すごーい。これ食べていいの? わぁぁ」
彼女は黄色い声を上げながらスプーンを手に取る。
「普通においしいんだけど。ていうかあたしがつくったのより断然おいしいんだけど!? うぅ、なんかちょっと悔しいな。……な、なによ…この前押し倒したお詫び? 別にいいわよ。気にしてないって。私こそ悪かったわよ、勝手に手紙なんか覗いたりして」
少しだけバツが悪そうに彼は謝罪をしてくる。
「……それで、どういうことか話してくれるの?」
そこから、彼はどういう事情なのかを説明してくれた。彼女は相槌だけ打ちながらその話を聞き続けたのだった。
「…やっぱり、その子に送金してたんだ。どおりで働いている割に手持ちが少ないなって思ってたのよ。でも、あの手紙が来たから。もうそれもしなくて良くなったってわけね」
カレーを食べきり彼女はスプーンを置く。
どこか、安堵の想いを持ちながら。
「そしたら、よかったわねって言うべきかしら。浮かない顔をしているハードワーカーのあなたには、残念だったわね、と言うべきかもしれないけど。いいことじゃない」
近ごろ業務量が激減したのは、その必要性がなくなったということだ。もはや体を酷使してまで金を稼ぐ必要がないということなのだろう。
「今日はやることがなくなって珍しく手持ち無沙汰ね。この家に来て初めてだわ…」
「…お前、今日なんか元気ないだろ」
「元気がないって…あなた、エスパーかなにかなの。そんなに顔に出てたかしら? でも、気にしなくて大丈夫よ。今私に元気がないのは大した問題じゃないわ」
彼はサキュバスのことを奇妙なものを見るような目で見つめる。まるで今までただの馬鹿だと思っていた奴にも悩みがあったのかと言わん勢いだ。
「な、なによその顔は。…な!? ば、ばかじゃないわよ私は! 私もいろいろ考えているんだから、しつこく聞いてこないで。隠したいことの一つや二つ私にだってあるの」
そう言って彼女は彼の方へ身を寄せていく。
「さ、今日の貢ぎ物にうつろっか。もちろんまだまだ必要よ。あなたの魂の色はかなり弱弱しいもの。人間は魂を蔑ろにしがちだからね。本人が元気に感じていても魂は弱っているなんてよくあることよ。今日もあなたからして。こうしてわざわざ来てあげたんだから」
「今日はお前からしてくれよ。俺家事いっぱいやったじゃん」
「え? …ま、まあ確かに今日はあなたがいろいろやっていてくれたけど…ってそうじゃない! ここあなたの家よ! あなたがやって当然じゃない!」
笑い声だけを返された。完全にからかわれていたようだ。
「もぅ。そしたら、目を閉じて。…は、恥ずかしいからに決まってるでしょ! サキュバスだって恥ずかしいの。子慣れてなくて悪かったわね」
そう言って彼と唇を合わせる。
「……。キスにもだいぶ慣れてきたわね。いい傾向だわ。こんな生活ももう少しで終わりなんだから。一応ちゃんと言葉にしておくけど、あなたの魂をもらったら終わりって意味だからね。あなたはどうせ動じないんだろうけど」
投げやりな彼女の言葉を、彼はいつも通り気にも留めていなかった。
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