第2話 今日はチューで魂を貢いじゃう

「状況悪化してるし!」


 彼は虚ろな目でベッドにダイブしている。いちおう意識はあるようだが、目を開けながら寝ていると言われてもとくに違和感がない。


「なんで魂がさらに弱ってるのよ! おまけに全然家に帰ってこないし! 毎日見に来てたんだからね! あ! べ、別に心配で見に来てたとかそう言うんじゃないからね! こっちもノルマってのがあるのよ!」


 帰ってきてそのままベッドに寝転んでいた彼は、片手に持ったままのビニール袋をサキュバスに差し出してくる。


「え? プリン買ってきてくれたの? そ、そんなので懐柔しようったってそうはいかないわよ。…ま、まあでも、どうしてもって言うなら食べてあげてもいいわ。あなたの懐柔に敢えてのってあげる」


 そういって彼女は袋を受け取る。


「……ねぇ、これ、いつ買ったのよ。消費期限切れてるし。おまけに常温になってて美味しくなさそう…。はぁ…まあでもいいわ。サキュバスはお腹壊さないから」


 そう言ってサキュバスはプリンを食べだす。


「正直地獄の食べ物っておいしくないのよね。こっちのお菓子は久しぶ……待って。あなたは一体何をしだしているの? なんで家でまで仕事をしようとしているのよ!」


 事もあろうか、彼はノートパソコンを開き、仕事の書類と思われるフォルダをダブルクリックしていた。この様を見てサキュバスは大きなため息を返す。


「あなた…病気だわ。仕事していないと死んじゃう病。根っからの奴隷なのね。なんで企業奴隷になんてなったりするのよ。…あ! ならあたしの奴隷になってよ! もっとホワイトな…それこそ快楽に溺れながら仕事ができるわよ♪」


 彼女は、彼女ができる最大限の魅惑的な声や表情、仕草で彼を魅了しにかかる。

 だが、これに対して彼は即答で否定の言葉を返す。


「なんでノーなのよ! こんな美少女のもとで働きながら死ねるんだったら、今のブラック労働でいつ過労死するかわからない状況より断然いいじゃない!」


 普通の男性であればこの魅惑的提案にのっていたことであろう。だが、彼は拒否の一択しかないと言わん態度でこれに応じている。


「はぁ、疲れる……。で? それいつ終わるのよ! どうせあなたの魂は、今日も蠟燭の火よりもショボいから、どうしようもないんだけどね」


 ならば帰ってほしいという旨を彼は伝えてくる。


「帰れって? 嫌よ。せっかく来たんだからちょっとでもあなたの魂状況を改善してもらわないと。あたしの今後の仕事に差し支えるの。ここらへん勝手に片付けるけどいいわよね」


 そういって彼女は部屋の清掃を開始する。彼は何か言おうかと迷っているようだったが、何も言わずに仕事を再開した。


「あなた、なんでそんなに頑張るの? 独身で、親ももう他界しているし、家族も友達もいない。仕事が忙しすぎて趣味の1つもない。このまま労働だけで人生を染めてくつもり?」


 彼女の言葉には、ただの疑問以上の感情がこもっていた。彼のこの状況に何か思うところがあるのだろう。その色を隠そうとはしているが、にじみ出てしまっているのを彼はどことなく感じ取ってしまう。


「まあ、別にあなたのことだからとやかく言うつもりはないけど、何も残らないわよ。その年ならまだ結婚もアリでしょう。子どもの一人でもいれば、その無口も治るんじゃないかしら」


 彼にこれにも特に何も答えない。答えられないのではなく、答えたくないという方が正しいように見える。


「あたしね、生きていたころは子どもが一人いたの。しょうもない人生だったけど、子どもを見ているときだけは幸せだったわ。…あなたも家族がいたら変われるんじゃない?」


 彼はようやく、心配してくれているのか? という言葉を発してくる。


「べ、別に心配しているわけじゃないわよ。あんまりにも無口の仕事馬鹿だから、ちょっとは変わってもいいんじゃないって思っただけ」


 お前よりは馬鹿じゃないから、と言う言葉を残しながら、彼は再びパソコンに向かっていく。だが、明らかに様子がおかしくなっていく。


「ねぇ、ところで、なんであなたはそんなに冷や汗をたらしているの? 顔も青ざめているし。って! 左胸をおさえてどうしちゃったの!?」


 彼はどうやら急激に体調が悪化しだしているようだ。うずくまりながら息も絶え絶えと言った具合に変容していく。サキュバスは悪魔の目を使って彼の魂を見ると、乏しかった輝きがさらに弱まり今にも消えそうな状態となっていた。


「待って待って、あなた死にそうなの!? えー!! 倒れないでよ! 魂ももう消えちゃいそうじゃない! 救急車!……って悪魔のあたしが呼ぶわけにもいかないし!」


 あたふたしながらも彼の様態を見る。


「えっと、様態は…し、心臓が止まってる!? 呼吸もしてないし!! そしたら…えっと、なんだっけ…そうだ! 心臓マッサージだ! それに人工呼吸!」


 彼女は一瞬躊躇する。突然とは言え、人工呼吸をすると言うことはこの男の唇に自分のものを重ねる必要があるのだ。曲りなりにも彼女は乙女。サキュバスになってまだ一度もしたことがないだけに、大切にしたいという思いも少しはあった。だが、このままにしておくとターゲットは確実に死んでしまう。


「あーもうっ! サキュバスになって初めてのキスが人工呼吸とかっ! ほんっとにこれっきりなんだからねっ!」


 そう言って彼女は蘇生行為を実行していく。




 そうしている内に何とか彼は息を吹き返した。


「はぁ、はぁ、何とか生き返った。ついでにキスしながら私の魂も分けておいて正解だった。というかなんで私は来るたびにこんなに疲れなきゃいけないのよ…」


 彼を再びベッドに寝かせる。


「いいこと! ちゃんと病院に行きなさいよ! 今度こそ本当に死んじゃうからね! ちゃんと元気になってそれから仕事をしなさい! わかった!?」


 今日も彼女は何の成果もなく帰っていくのだった。

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