対価

ミドリ

第1話 対価

 故郷のアークスが抗争状態にある隣国の軍によって焼かれたと聞いたのは、クロエが王都の酒場で酒を呑んでいる時だった。


 戦時下において、女性が安全に働ける場所などたかが知れている。その為、平均よりも背が高く見た目も中性的な容姿であったクロエは、自ら進んで軍属となった。


 どちらにしろ、クロエが行かなければまだ幼さが顔に残る弟のルーカスが徴兵されるだけだ。健康な成人男性をひと家族ひとり出さなければならなかったから、だったら自分が行った方が食い扶持も減り、微量だろうが給金も得られる。家督を継ぐルーカスが残った方が全て丸く収まるから。


 両親は、泣きながらも送り出してくれた。最後まで駄目だと言い張ったのはルーカスだった。自分の犠牲になんてならないで、自分が行くべきなんだと縋る弟のみぞおちを殴って気絶させると、両親にルーカスを渡す。


「生きて帰って来い」


 そう言われ、手を振って答えた。それが最後に会った家族の姿だ。


「おい、アークスが焼かれたというのは本当か」


 日頃殆ど言葉を発しない同僚のクロエが低い声で尋ねてきたので、年若い兵士たちは一瞬ぎょっとする。クロエにギリ、と睨まれると、兵士のひとりが慌てて肯定した。


「そ、そう今日軍団長に聞いたんだよ……そう睨むなって」

「住人は」

「分からないが、全滅って言ってた様な……どうしたんだって」


 クロエは碗に残っていた酒を一気に飲み干すと、立ち上がる。


 情報を与えてくれた同僚の兵士に、伝えた。


「アークスは私の故郷だ。家族もいた」

「あ……」

「先に戻る」


 王城の脇に軍宿舎がある。


 ――全滅。


 なら、何の為に自分はここに来たのか。頭が真っ白になった。真っ白な中、弟が自分を泣いて呼ぶ声が響く。


「ルーカス……!」


 何故、死ぬ気だった自分が生き延びて、生きる筈だったルーカスが死んでしまったのか。


 城門を潜ると、宿舎ではなく城の方へと足早に向かった。


 生きていたら家族と再び過ごせるかもしれない。だから死守してきたモノ。それをに渡せば、この行き場のない想いを晴らせることが出来るだろうか。


 出自が悪くないクロエは、軍に所属してすぐに長が付く立場を与えられた。狭いながらも個室を与えられ、これまで学んできた知識を議論の際に披露すると、段々と重宝される様になってきた。その為、城に部屋を与えられた所謂偉い人たちとも面識がある方だった。


 その内のひとり、魔導軍の四天王と呼ばれるアシェルは、クロエをひと目見て女だと見抜いた。


 それ以来、しつこく纏わりつかれている。


 見た目は優男だが、奴が持つ魔力は甚大だ。


 そして頭から生えている2本の捻れた角が、奴がかつてはこの大陸を支配したとされる悪魔族の末裔であることを表していた。


 奴の部屋は、豪奢な通路の奥にある。敵が侵入しない様結界が張られているが、クロエだけはいつでも大歓迎だとご丁寧にクロエだけが通れる結界にしてしまった為、アシェルの非番の時に奴に用がある者はクロエの元を訪れる様になってしまった。


 青い結界の壁を、難なくすり抜ける。クロエが通った瞬間、アシェルはクロエが来たことを知るのだ。


 案の定、今回も廊下の向こうから軽やかに駆けてくる足音が聞こえる。


 角を曲がった途端、足音の主がクロエに抱きついた。服に染み込んだ上等そうな香の匂いに、思わずむせる。


「クロエ、どうしたの? また誰かに何か頼まれた? 用がなくたっていつでも来ていいんだよ!」

「私自身の用があってきた」

「今回の頼まれものはなに――えっ?」


 アシェルが、端正といってもいいであろう顔に驚きを浮かべた。


「私の故郷、アークスが焼かれたと聞いた」

「あ……あそこってそうだったんだ……」


 アシェルがぽつりと呟く。やはり焼かれたのは事実だったらしい。クロエは、悪魔族の証であるアシェルの赤い瞳を真っ直ぐに見つめた。


「大切な家族がいた。だけどもういない」

「うん……」


 アシェルの手が、慰める様にクロエの頭を撫でる。


「家族に会えるならとお前の要求を呑まずにいたが、お前の望むモノを与えたら私の願いを叶えるという言葉はまだ有効か?」

「クロエ……! それって」


 クロエが重々しく頷いた。


「お前は私の心が欲しいと言ったな。心をなくしては家族と再会しても何も感じられないと思っていたが、その必要もなくなったからな」

「……ええと、あの、クロエ?」


 アシェルが変な笑みを浮かべる。


「故郷を焼いた者を一掃し、家族の墓を作り弔ってやりたい。その為なら、お前に私の心を売ろう」

「そういう意味じゃなかったんだけど……」

「ん?」


 クロエが意味不明とばかりに眉間に皺を寄せると、アシェルは吹き出した。


「全く……! でもいいよ、クロエが願うなら。クロエが俺の隣にこれからずっといてくれるなら、クロエの願いを全て叶えてあげる」

「本当か!?」


 クロエの突然の笑顔に、アシェルは心臓を押さえて幸せそうな笑顔で頷くと、その身から眩くも激しい魔力を放出し始めたのだった。

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