第4話 黒乃瑪瑙

 匣の飛んできた方へ向くと、黒い人形が、大掛かりなクロスボウ状の機材を輸送機の上でパージし、装備を換装し直した。


「人形――黒乃瑪瑙クロノメノウ


 天才の乗る機体だ。


「ガントレットは、新しい装備か?

 らしいっちゃらしいが、……お」


 こちらの身が、背中から引っ張られて軽くなる。

 繭の表面から、ぼろぼろになった緋色の人形が浮く。

 黒いほうからの念動だ。


『舌を噛むなよ』

金紅ルチル

『よく抗体を引き付けてくれた。あとは任せろ』

「――」


 両腕の手甲ガントレットから、先端に備わった三つづつのオニキスが抗体どもへ解き放たれる。

 爪は自在に飛び回り、一度で30体近くを的確に射貫く。

 そう、あれが天才、天縫あまぬい金紅ルチルの異能、あらゆるものを縫う、挙句その性質にかけて、天衣無縫の異能なんて知る人にはちゃっかり呼ばれる。


「選択集中とはいえ、一瞬であれだけを――」


 効率がいい異能の使い方、上手いものだ。


「ちょっと?」


 穴が塞がり、痕跡さえ失せると、抗体どもの動きがぴたりと止まり、繭の表面にやがて溶け込んでいった。


「消えた」

『ひとまずアプローチは間違っていなかったようだ。

 なにもこちらだって危害を加えたいんじゃないと、伝わってくれたかな?』

「だと、いいな」

『水瀬?』

「――……」


 ぼんやり彼の言葉に同意しながら、水瀬の視界は薄く紅く遠のいていく。

 ――集中の糸が、切れた。



 知的な切れ長の目、端美な顔立ち――時折同性であるはずの水瀬でさえ、見入ってしまいそうになる。

 その義母と遺伝的に繋がりはないはずが、くせというか習性というか、同じ場所で過ごして仕事をするうち、似通ってしまったのだろう。

 自信家で、非の打ち所がない誠実な、加えて配慮の行き届いた性格をしており、それが凡人の水瀬には時として近寄りがたさやうざったささえ感じられるが、けして悪いやつではない。天才といっても、単に技量に秀でただけの自信家とは違い、この少年にはなにより徳がある。

 自分の器の伸びしろへの野心を研ぎ澄ませながら、現状の自身を正しく推し測れてしまう。

 天縫金紅あまぬいルチル、天才と呼ばれるのは、異能しか取り柄のない水瀬に較べて、その年にして多くの分野を極めているから。

 知的な営みを最上の喜びとしている。

 そんな彼は治療処置を終えたばかりの水瀬へ、しきりに説いていた。


「異能はもっと自由なんだ。

 お前なら必ず、これまで以上のことができる」


 消耗した水瀬は、乗り気でない。


「……どうしてそんなことを言い切れる。

 本気で俺なんかにできるって、考えてるのか」

「そりゃそうさ。

 お前には、俺と同じ領域ところへ来てもらうんだからな。

 まずは己の在り方を知ることだ」

「そういう観念的なのは、苦手だよ」


 明日学校あるってのに、失血と疲弊でやばい。

 実機に乗るのは初めてだが――、


「この調子で傷だらけは、困るんだが。

 ただでさえ出席数、去年やばかったんだぞ」


 ベッドから身を起こし文句を言う水瀬へ、やけに聡明な目をした彼は穏やかに笑う。


「出動のたび、毎度血だらけで帰ってきそうだな。

 血は足りているか?」

「冗談じゃない……」


 これで金紅の性格が悪ければ、嫉妬のひとつもできたものを、水瀬はつくづく思う。

 観測所での輸血は、自身の血をあらかじめ培養してストックされている。他人の血を入れられるよりは楽だが、これもこれで手法こそ一般化されど、やや金がかかるオーダーメイドな技術だ。

 採血だけなら筋力の一時的な増強、ある種のドーピングに、冷蔵したストックを用いたりするのが昔からあるようだが、培養はようは細胞の部分的なクローン技術の流用になる。

 一度登録すれば、あとは特殊な機材で半自動的に造血するだけだが……、


「見合う成果は出てる。

 あまり金のことばかり気にするな、無事でこそなによりだ」

「――」


 しかし直後、医務室へ入ってきた大人は、水瀬へ対して冷徹だ。


「その金の一部には、国民の血税も使われている自覚をしろ」

「……、はい」


 官僚気質というか神経質一歩手前、そのくせ言っているのは正論なので、言い返すほうが野暮――高圧的な角ばった顔は、しかしやつれ切った水瀬と比べてはほどよい肉付きとくる。この男は肉体管理という点なら、満点取れるのだろう。

 これでもう少し態度の砕けていれば、ともいかない職業柄は、わからないでないのだが……似たような人種の中で、水瀬に対するあたりがとりわけ厳しい。

 桑原の言い分に、水瀬は項垂れ、金紅は肩を竦めた。


「俺の時はなにも言いませんよね?」

「切原水瀬は、職務に対する自覚が足らん。

 初陣を大目に見ても、繭の上に唯一立てる人形を、あれだけぼろぼろにしておいて、今後対処すべきは抗体だけではない。緋々絲アカイイトは、交感ネットワークに対する要となる、今あれが迂闊に失われてはならんのだ。

 これまでそれに乗っていた、君自身わかっていることだろう、既存の繭人形でははなから足らないと」


 金紅は無言で、首を縦に何度か振る。

 それから、


「水瀬はやるべきことを果たしましたよ。

 先に労う言葉があっても、悪くないでしょう?」

「……私の領分ではないな」


 桑原はふたりに背を向け、部屋を出た。

 ねちねち文句言うわり、不要なことまで時間をかけない。言っていたのはすべて正論だ。非常に嫌な奴だが、その合理的な性格は見習っていいのかもしれない。


「いや、お前より人形の心配みたいな言い分されて、どうして怒らないわけ。

 どのみち、緋々絲はお前向きの機体なんだがな」

「装甲の過重量で、ほかの武装を積めないだけでしょ。

 軽量化改修が済めばお前に戻されるだけだ、これまで通りに戻るだけで」

「今回の件も手伝って、かろうじて予算は降りることになったよ、ようやく。とはいえ――緋々絲には、これからもお前が必要だ」

「そうだ、ひさめさんのネーミング、いい加減にどうにかならないの?

 人形に赤い糸とか呼んじゃうセンス、こっぱずかしくて俺には無理」

「まぁロマンチストだよねぇ、我が母」


 交感ネットワークや人形の開発という目的もあるが、義理とはいえ、この母子の仲は良好だ。

 ひさめは水瀬のこともちょくちょく生活面で心配してくれなくないが、彼まで養子にしようとはならない。

 水瀬とてなりたいとも思わないが、母子としてのふたりと自身を比較すれば、当然扱いには差があり、溝がある。


「ずっと待たされるだけだった。

 時間を無駄にしてたように思ってたし、実際待ち時間は無駄だったよ。

 俺は交感ネットになんて、からきしも興味ないし」

「うむ」

「ただ、なぁ金紅。……今日の俺は、お前の役に立てていたかな」

「もちろんだ」


 それが気休めの言葉でも、金紅なら必ず頷いてくれると、水瀬はわかっていた。見込んでいた通りの回答が、即座返ってきたことにすこしだけ安堵する。


「ありがとう。

 それで――お前の言う自由ってやつは、今一つピンとこないんだけど」

「んなの、恋でもすりゃいいんじゃないの」

「イケメンの特権やめろ」



 マグカップの底が横薙ぎに寸断され、シンクの中に落ちる。

 やってしまったと、水瀬は額を押さえ――その場に屈んだ。


「補助脳のフィードバックか、異能の制御が甘い。

 眩暈してきた……」


 一晩明けると、体調がマジにしんどい。

 ひさめは医師免許も持っているので、交感ネットに通ずることもあり、繭人形がらみはあの人の検診が要る。

 観測所に、行かなければならない。

 この体調で、安アパートから外へ出ろと?

 個別の搬送まで面倒を見てくれるはずはないし、自力か、金紅を呼びつけることになろう。

 しかし後者は、彼の貴重な時間を喰ってしまうのでかなり申し訳ない。


「休んでから午後行こう、ひとまず。

 あとで学校とバイト先に今日は休むって、伝えないと――。

 手帳、ない」


 ひとまず学校の連絡先を記載した、生徒手帳が手元にないことに気づいた。観測所に忘れてきたらしい。連絡先だけなら、ネットの公式ページに記載もされてるのだろうが、残念ながらそれをする余力さえ、今や残っていない。



 放課後になって職場に電話をかけた、が。


「クビ? 次回から来なくていいって。

 ……いや、なにを言って」

『きみ、天涯孤独ってのは噓だったのな。

 親御さんに隠して仕事やってたんでしょ。

 ああいうの、ほんと困るんだよねぇ』

「ちょっと待ってください!」


 バイトリーダーはあっさり通話を切り、直後から着信拒否になった。


「親だって――誰がそんなふざけたこと抜かして、まさか」


 心当たりは直後彼女からの着信で的中する。


「……ひさめさん」

『切原君、登校していないでしょう?

 やっぱり体調悪そうね。

 向こう一週間は治療に専念した方がいいんじゃない?』

「なんで、一体なにを考えて、俺のバイト――」

『君は人形に専念すべきよ。

 そのほうが必ず、あなたの身のためになる』

「それを決めるのは、あんたじゃない。

 俺が自分で決めてやってきた仕事だ!」

『あんなもの、まっとうな仕事なんて呼べないわよ。

 チェーン店のホールと厨房? ほかの店ならともかく、少なくともあなたを大切にする職場じゃないでしょ、あの店』

「だからって、ひどいじゃないですか。

 俺だって頑張って」

『頑張った結果が、社会の食い物にされるようじゃ、程度が知れてる』

「ッ――」


 体調の悪さも手伝い、不機嫌が加速する。


『お金が欲しいなら、相談には乗ってあげるから』

「ふざけんな!」


 水瀬は反射的に怒鳴りつける。


「あんたに必要なのは、金紅みたいにできるやつだろ!

 俺には補欠も務まらないってわかってて!」


 携帯の電源を落とした。

 ……もうなにも聞きたくない、あの女に悪意があってしたことじゃないのはわかっているが、その傲岸さが今や許せない。子供を監督したがるくせに、金紅ではない、たったひとりの水瀬の生活に、責任などはなから負うつもりもあるまい、あの大人は。

 あれが社会人から見れば、まともな仕事じゃないという見方、それもまた正しいんだろう。

 でもあれは、ただそれをやめさせれば、俺が人形に依存するしかないとタカを括っている。

 それこそ危険や死と隣り合わせたあんなものが、仕事なものか。

 あの人には、俺が「なにをしたいか」なんてはなからどうでもいいと、わかっていたはずだ。

 こんな強硬な手段に及ぶとわかっていれば、もっと注意したのに。

 あぁ、こっちの見積もりも甘かった。

 だからってこんな――俺は自立しなきゃならないのに。


「……気が立ってるな。

 落ち着け、落ち着かないと」


 自信がない。

 明日からの生活に、今日まで自分が必死で積み上げてきた、自立のために編んだ破れかぶれなパズルさえ、無粋に踏み躙られた気分だ。

 美術のデッサンで、マクロな構図を取るより先、ミクロなパーツへこだわってしまったばかり、後からやり直しさせられる、というかせざるを得なくなるような無為さ。

 ……どのみち俺には、社会のマクロが見えていないということだ。

 でも仕方ないじゃないか。大人は誰も俺のことなんて、振り向かない、顧みない。

 だから一人でやるしか――、


 玄関のチャイムが鳴る。

 ひさめのことだから、きっと金紅を手配したかもしれない。あいつはとうに飛び級で博士号まで持っていて、時間にも多少のルーズが許される――それだけ、彼の仕事と勉学には、並みの人間以上の意義があるのだ。


「出なきゃ、だめか……」


 ゴミみたいな体調だが、出ないともっと厄介なことになろう。

 扉の魚眼レンズを覗くまで、別の誰かなど考えやしなかった。

 来訪者が誰か気づくと彼は見開き、急いで鍵を開く。


「藍野さん!?

 どうしてここに」

「どうして私の名前、知ってるんですか?」

「え?」

「え――」


 目の前のセミロングの少女は、怪訝にして身構えた。

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