混ぜる夫 〜ゆなちゃんとひーちゃん〜

八壁ゆかり

プロローグ

 昔々あるところに、ゆなちゃんという女の子がいました。

 今年で二十六歳になるゆなちゃんは、つい先日、三年間付き合っていた男の子・ひーちゃんと入籍しました。

 そして今日、八月二十三日は二人が愛の巣へと移り住む日です。

 ゆなちゃんは、予定より一時間十六分二十七秒も早く起きてしまいました。


——むしろ眠れた方が奇跡的!


 ゆなちゃんはそう考えていました。

 なぜならゆなちゃんは今日のため、今日からこれから続く日々のために、並々ならぬ努力をしてきたからです。


 大の料理嫌いで包丁を握ったことすらなかったゆなちゃんでしたが、ひーちゃんにプロポーズされた翌日からお母さんに弟子入りし、何度も指を傷つけながら肉や野菜を切る練習をしたり、お母さんの豊富なレシピからできるだけ多くの料理を学びました。

 実際のところ、料理の腕は客観的に見るとひーちゃんの方が巧いのですが、ゆなちゃんは自分が作ったものを愛する人が食べてくれる、そして美味しいと笑ってくれる喜びを知ってから、飽くなき向上心で以て修行してきたのです。


 料理だけではありません。

 ひーちゃんのお仕事は主にワイシャツとスーツを着用して行われるものです。

 ですからゆなちゃんは、これまで視界に入っていながらも存在を認知すらしていなかったアイロンをラグビーボールのようにキャッチし、お父さんのワイシャツを数枚犠牲にしながら、同時に何度か火傷をしながら、これまたお母さんの指示を得ながら鍛錬してきたのです。



 そして、ついに出発の時刻がやってきました。


 大型トランクとボストンバッグは、ゆなちゃんのお父さんが運んでくれました。お母さんはほんの少し俯き気味で、ゆなちゃんが門扉をあげるとすんと鼻を鳴らしました。


——今までお世話になりました。


 一瞬、ゆなちゃんはそう言いかけましたが、踏みとどまりました。もし言ってしまったら、もう二度とこの家に帰ってこられないような、そんな気がしたからでです。


「じゃ、ちょっくら嫁行ってくる!」


 と、空元気で笑顔を作り、努めて脳天気な声でそう言うと、ゆなちゃんはおうちを後にしました。



 今日これからひーちゃんと生活を共にしていくにあたって、何かしら習慣の違いや、軋轢が生まれるかもしれません。でもそれらはおおかた事前に確認済みですし、ゆなちゃんは、『ここだけは絶対に譲らない』という線引きさえしておけば、ある程度折れたり、お互い譲歩し合っていけばきっと二人で楽しい新婚生活を送れると確信していました。

 でも同時に、喧嘩や厳しい状況に置かれることも想定していました。

 決して楽な道のりではないかもしれない、と、強い覚悟もしていました。


——そのはずでした。

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