題名の無い日

桐生甘太郎

題名の無い日





今日は疲れた。そう思いながら、男は車を運転していた。


先ごろ購入した車はハイブリッド車で、アクセルに忠実過ぎるちょっとしたじゃじゃ馬だが、ハンドルが手に馴染む頃には気にならなくなっていた。


“車は乗りこなせるのになぁ”


男はそう思って、乗りこなせないものについて考え続けていた。



父が亡くなった。安らかな最期だった。


父は幸福で、引き止める母の手を握ったまま、静かに逝ってしまった。


男は母を支えるため実家にしばらく泊まったが、仕事のためにはとにかく一度家に戻らなければいけなかった。


母は自分を引き止めず、体を気遣って送り出してくれた。微かな切なさを感じながらも、「連絡するから」と言い置いてきた。



父とは、亡くなる直前に病室に呼ばれて、初めて長話をした。


仕事ばかりで家族とあまり会話をしなかったけど、同じ空間を共有したり、休日に家族を外に連れ出す事が大好きだった父。


“充分優しい、そして家族に尽くした人だった”


そう思って、切なさが込み上げる。


病室から出る時に、「ありがとう」と言いたかったのに、それが最期の別れを意味すると思うと、「父さん」としか言えなかった。



別れは通り過ぎるように急に訪れるのに、胸を離れる事はない。決して。



男は、車を動かしながら、ふと自分の背中を気にしていた。


“父さんは、叱りやしないだろうか”


ぐじぐじと思い出し続けて、男らしいとはとても言えない自分の姿。


でも、過去に「弱虫」とからかわれた事のある自分に、父は同じ事は言わなかった。


ただ黙って西瓜を切ってくれて、「食べろ」と言ってくれた。甘い西瓜はみずみずしくて、傷ついた自分の心を癒してくれた。


それは父の優しさで、大きさだったのだ。


“今になって気づく事ばかりだ”


思わずこぼれる涙で視界が歪み、慌てて男は路肩に車を止める。


そのまましばらくは溢れてくる涙を拭ったが、治まってくると気持ちは楽になっていった。


“何かを決めなきゃいけないと思っていた”


男はだんだんと顔を上げ、前を見つめる。男の車を、邪魔そうに自転車に乗った学生が避けていった。


“走り出そう”


男は黙って車を出し、目を焼く夕陽に苦労しながらも、家への道へ滑り出して行った。





End.

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題名の無い日 桐生甘太郎 @lesucre

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