5話 敏腕手腕のお披露目

「婚約おめでとう。とうとうヴィヴィも結婚ね」

「正式な結婚はまだ先だけどね」


 私が結婚するとの知らせを聞きつけて数日もしないうちにクリスが祝福の言葉を携えて、ヴィルシーナに抱き着いた。いつもの絵を買い取りに来る時に着こんでくるスーツ姿ではなく、爽やかなレモンイエローのワンピースにクロッシェとオシャレな服装。商売ではなく結婚を祝福するために来るための装いだ。


「しかしあの麗しのオブライエン伯爵かぁ。あの人と結ばれるなんて……前途洋々であることを祈りたいわ」

「何か悪い話でもあるの」

「あくまで噂なんだけど。今、伯爵領地の一部に資金を集めて紡績工場などの産業を興しているんだけど、その中にとても人が集まらないような沼地の土地にも金持ちから金を巻き上げているらしいの」

「爵位を利用して詐欺をしているってこと?」

「あくまで噂。その沼地の場所がトラキスという地名なのはわかっているけど、本当にそこに投資を促しているかわからないし、ほかの領主が嫉妬から流したかもしれないし、父の話からだと投資した人たちはちゃんと利息や分配金はちゃんと支払われているみたい」


 指でお金のハンドサインをつくって、メイドが入れてくれたレモンティーに口をつけた。根も葉もない流言であってほしいな。嫁ぎ先が詐欺をしているなんて事態になったら、婚約破棄の流れになるだろうし。それにおじい様の絵を売り払うことを話したときの迫真さ、本当に絵のことが好きな人が悪い人だと思えない。


「ところで、その髪似合っているじゃない。いつも流すか纏めただけのポニーテールで済ませるのに、ハーフアップだなんてオシャレして」

「今日姉の結婚相手が屋敷の新築祝いに行くために仕立ててくれたの。というか、私を不精あつかいしないでよ」

「いやぁ。私の眼からして、ヴィヴィは不精の範疇だね。前に私が来た時、頬に絵具つけて来たことあったし、嫁入りした後もオブライエン伯爵の前でやらかさないか心配だな」

「無用な心配です」


 ツンと唇を尖らせた。あの時は筆が乗っていてクリスが来る時間を忘れかけて慌てて戻ってきただけで、いつもはちゃんとしているし。

 お茶のおかわりをしようとメイドを呼ぼうとした時だった。扉が急に開き、お母様が飛び込んできた。

 

「ヴィヴィ支度はできているわね。馬車が待っているからヴィータのところへ向かいなさい」

「えっ、まだ時間があるはずでは」

「伯爵様がヴィータのところへ一緒に行きたいって参られているの。早く早く」


 慌てるお母様はクリスが目の前にいるのもお構いなしに私の腕を引いて、来賓室から連れ出された。


「ごめんねクリス、また今度お茶の機会もうけるから」


 ちゃんと謝ることもできず、エントランスホールにまで降りると懐中時計を眺めていたオブライエン様が見えた。オブライエン様も私の姿を見ると恭しく頭を下げた。


「突然の訪問申し訳ございません。アルクトゥス子爵からの新築祝いの招待状を受け取っていたので、よろしければ道中ご一緒にと顔を出しただけですのに」

「いえいえ、こちらこそ気が利かなくて申し訳ございません。ほらヴィルシーナ、ご挨拶なさい」


 お母様が私の背中を叩いて、オブライエン様の前に突き出される。「お待たせしまして申し訳ございません」となぜか謝る流れに。すると気を使わせてしまった責任からか、オブライエン様は私の手を取り一礼すると、私を連れて伯爵が乗ってきた馬車に乗せられた。


「改めて突然のご訪問申し訳ございませんでした。実は、新築祝いのため以外の目的があってお迎え上がったのです」

「目的とは?」

「オルファンの絵の売り先でご相談をしたく」


 もう! と心の中で飛び跳ねた。おじい様の絵をどうするかこの間話したばかりなのに。しかしいきなり姉様の嫁ぎ先に売り込みに行くなんて、それに慌てて出てきたものだから絵も持ってきていないし。


「身内のことでこんなこと言うのは憚れますが、アルクトゥス子爵はおじい様の絵を買えるほどの資金はないと思います。屋敷を建てたばかりですし」

「もちろん承知しています。ただし売り方にちょっとしたコツがあります。特に口は出さず見守ってくださいませヴィルシーナ嬢」


 敏腕侯爵と呼ばれる手腕。手ぶらなのにどうやって売るのか、期待と不安交りで、馬車に揺られる。


***


「ヴィヴィ一番乗りね」


 アルクトゥス子爵の新しい屋敷に入ると、扇を携えたヴィータ姉様が一番に出迎えてくれた。もちろん姉様がこの屋敷の主人ではない、本来の主人であるアルクトゥス子爵は姉様の後ろに控えており、私に握手をしようと手を伸ばしているが姉様に邪魔されて届かない。手紙で姉様がアルクトゥス子爵のことを頼りないとかしゃんとしてほしいとか書いていたけど、やっぱり尻に敷いていたんだ。


「どう私たちの新しい愛の巣の香りは、森林浴の中にいるみたいでしょう」


 姉様が仰々しく手を大きく広げながらくるりとその場で一回転する。この屋敷どことなく木漏れ日の下にいるような、いやおじい様のアトリエから放つ木の香りに近く年季の入った優しい香りだ。


「いい香りだろ、大工に頼んで切ったばかりの材木ではなく数年置いた材木を利用するように頼んだからね。新しい木は爽やかな香りが出るが、量が多いと刺激が多く、水分が含んで腐りやすい。数年保管したものならその心配も……」


 ようやく姉様の封鎖からかいくぐったアルクトゥス子爵が前に出てきたが、懇々と屋敷の材料について話し始めた。うんうんと頷いたが、話が全く理解できない。絵のことなら話を理解できるけど、ほかの芸術に関してはさっぱりだ。


「素晴らしいお屋敷だ。使われている建材も素朴というには洗練されているが、シンメトリーを徹底している。この屋敷の設計をした人間のこだわりを感じられますな」


 遅れてやってきたオブライエン様が屋敷の柱を眺めながら、評価を口にした途端アルクトゥス子爵が照準を私から伯爵様に乗り換えて、飛んでいった。


「おおっ、オブライエン伯爵殿。よくお気づきで、実は屋敷の外観や内部は私の指示で建てたんです。前の屋敷は古くなんとロココ様式のゴテゴテした造りだったのを、こっちでは華美にせず均整の取れた屋敷にと設計しまして」

「ほう、アルクトゥス子爵様は建築をされたことが」

「ええ、学生時代建築士に憧れて、独学で設計図を引いておりまして」


 私にはわからない世界がお二人の中で展開されて置いてけぼりにされていく。私の絵画談義も傍から見たらあんな感じなのかな。


「あの人ヴィヴィに似て芸術家のたちなの。前の屋敷の方が豪華絢爛らしくて好きだったんだけど、私たちだけの愛の巣って響きに負けちゃって。ああ、愛の炎の前では理性や嗜好なんて焼き尽くされるだけなのね」


 ほうっと一人恍惚の笑みを浮かべて天井を見上げる姉様。結婚してからも愛だの恋だの言葉に弱いんだ。


「ところで今日、なんか売り物持ってきているの彼」


 不意に、目が覚ましたみたいに姉様がこっちを向くと、私は唇を噛んでしまった。おじい様の絵を姉様の旦那様に売りに来ましたなんて口にしたら「うちの幸せな結婚生活を破綻させに来たの」と折檻される。


「ううん。馬車の中に何もなかったよ」

「嘘。うちの旦那を誑し込んでいるのに、何もないわけないじゃない。婚約者の特徴知らないの? オブライエン伯爵の敏腕の言われ、ああやって相手の褒めそやして普通の会話に入ったと思ったら、商談に入っているというのが彼の営業トークなの。あの人もそれを知っているのに、もう彼の術中に嵌って、高い買い物にならなきゃいいけど」


 うう、姉様そういうところは相変わらず鋭い。

 でもあの建築トークが営業? でもオブライエン様の目的はおじい様の絵を売ることのはず……


「しかし、この屋敷に欠けているものがありますな。それが残念で」

「欠けているものとは? 装飾品はあらかた飾り終えたのですが」

「正面の壁。空白にしておくのはもったいないでしょう。いい絵画があればいいのですが」

「……まさか、オルファンの絵というのではないでしょうね」

「そのまさかです」

「ご冗談を。いくら疎い私でも親族の絵の評判把握しております。新築を建てたばかりの私の予算ではとてもとても」

「買いではなく、リースでは難しいですか」

「リース?」

「一定期間絵画をお貸しするサービスです。王都では資本を持たない職人や事業を起こすためまとまった道具を揃えられない商人に資材を貸し出すサービスがございます。これの芸術品版といったところです。まだ事業展開してないのですが、将来近親者となるアルクトゥス子爵が最初のお客様になっていただければ、新築記念パーティーに」

「…………でお値段は如何ほどで?」

「相場を勘定して、あそこにかける絵なら八号がちょうどいい大きさですから、月額金十枚から十五枚か」

「それだけでいいのか!? あのオルファンの絵を」


 眼が飛び出しそうな勢いで無理もない話だ。プライマリーで八号なら金貨二十枚、セカンダリーになればそれこそ十倍いや百倍の値段がつく。それが一月借りるだけで半額以下で所有できるのだから、お買い得どころか投げ売りと言ってもいいぐらいだ。しかしそのやり方だと最初のリース料だけ払って持ち逃げされる危険性がある。

 うんうん唸って悩んでいるアルクトゥス子爵の後ろを通って、伯爵様に耳打ちして危惧したことを伝えた。


「オブライエン様、そんなにお安くされたら持ち逃げされる危険性がありますよ」

「ご安心を、今回は身内でのプライス価格ですよ。アルクトゥス様なら身内の芸術品を盗むような真似もありません。これが軌道に乗り出したら、レンタルした絵を転売しないよう、デポジットをおつけします。八号の相場なら最低落札価格で金二百以上払わせます。盗品が万が一その価格以下で売れなければ、損することになる」


 より具体的な話を聞くと、うまくいきそうな気がしてきた。オブライエン様がプライマリーとして運営すれば、クリスらほかのプライマリーの信用を落とすこともないし、支払うお金も期間が長くなれば高いけど、短期間なら実質プライマリー以下の値段になる。

 これなら危惧していたことが解消されるかも、これが敏腕伯爵様のやり方。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る