第2話 みちると麻衣子の出会い

 この閉鎖病棟の食堂には42インチのテレビが一台あって、特に予定を決められていない時間は、多くの患者が集っていた。麻衣子は新入りなので少し遠慮して端に座っていた。


 「お姉さん、いつから入ってきたの?私はみちるっていうの」

綺麗な子だけど目つきが鋭く思えた。

「あぁ、今日からかな」と少しはぐらかして答えた。

すると初対面でいきなり身の上話をしてきた。


 「前の彼氏が右翼の幹部でさ、殴った後押さえつけてシャブ打たれたりね、最悪」

「それはお気の毒だね」

と、軽く返した麻衣子。

麻衣子は麻衣子で、すざましい経験をしていたからだ。

ヤクザに右翼に会社経営者、夫や彼氏からの暴力などでほとほと疲れていた。

「みちるちゃんって苗字は何なの?」

と適当に聞くと、

「海潮みちるだよ!」

んー、上手いんだかセンスがないのか冗談か......と思ったがどうやら本名らしかった。潮がみちるんだねぇーと少しは関心した。


 軽く足を組んだ時に足首のタトゥーが見えた。

足首を一周、細かいアルファベットが刻まれていた。

「お昼、一緒に食べようよ!」

とみちるに誘われたが

「まだ慣れてないから、部屋で一人で食べるよ、ごめん。ありがとう」

何か嫌な予感がして、そう答えた。


 閉鎖病棟でも隔離室ではない個室はわりと快適だ。

もし主治医の許可があれば、テレビのリースができてヘッドホン無しで観られるし、好きな音楽も聴けたりする。

夜中に暴れる人の声も聞こえないし、人のいびきも聞こえない。

でもこの日から、みちるが度々やって来るのだ。


 「お姉ちゃん、カップラーメンかパンでもいいし、持ってない?」

9時消灯後の看護師の巡回が終わった頃に、部屋の扉を半分開けて聞いてくる。

初めは売店にも行けなくて本当に持っていなかったので

「今何も持ってないよ」

と言うと

「あっそ」

と諦めて帰って行ったが、私が看護師同伴で売店に行けるようになると、ちゃんとチェックしていて、さらにしつこく病室にやって来る。

もう面倒になって

「今このカップラーメン1個だけね」

とあげてからはもっとしつこくなっていった。心の中では、

「なんかウザい女じゃん」

と思っていた。

麻衣子はおとなしいようでいて、強い女だった。みちるは、みんなバカだ。私はなかなかヤル女よ!とどこかで思っていたから、この先みちると麻衣子がぶつかるのは

想像するのに容易たやすい。


 ただ闇夜に浮かび上がるみちるの顔......あの目がなぜか瞼に焼き付いて、何か胸騒ぎを覚えた。

みちるは一体何者なのだ。

みちるの瞳の奥には普通の精神疾患患者というだけではない、闇深いものが見えた。

それ以上覗き込んではいけないどす黒いものが渦巻いていたように見えて、背中がゾワっとしたのは気のせいだろうか。


 考えていても仕方がない。

就寝前の薬が効いて頭がクラクラして、しばらくして眠りについた。

でも瞼の裏であの闇深い瞳がずっと麻衣子を見て寝付くまで時間がかかった。

一体みちるって何者なんだろう、と気になってきて不安だ。

とにかくあとは明日だ、眠ろう。


 翌朝もいつものように、みちるはバッチリ化粧して、食堂の好きな場所を陣取っている。そこはナースステーションからは見づらく、オーブントースターの近く。

自分の下部を三人座らせている。

いつものように下部からマヨネーズを奪い、食パンにたっぷりかけてトースターで焼いてご満悦だ。食が進まない下部の食糧を

「え~!食べないなら頂戴!」

相手が返事もしていない間に口へ運ぶ。

少しずつ下部達もみちるの図々しさに気付きはじめ、ゆっくりと距離を取るが、入院患者は次から次へと入ってくるので、みちるは凹むことすらない。


 一度は自分の娘でもおかしくないような20歳の女性患者から色々なものを巻き上げていたが、その子が結構強めのママにそれを打ち明けたらしく、そのママが怒って病院に乗り込んで来たことがあった。

マズイ!と思ったみちるは謝罪文を用意してあり、

「何か誤解をさせてしまって、申し訳ありません。でも私は彼女が大切だし、守ってあげたいと思っています。ごめんなさい」

というような手紙をママに渡した。

20歳の女の子は、ほとんど躁状態で知的障害も見られた。

ママはそんな状態の娘を連れて帰ることもできないし、みちるの手紙の内容で手を打ってしまった。


 そのおかげで20歳の女の子はどんどん躁状態が進んでいって、私たちでもどう制御すればいいかも分からないくらい症状が悪化していった。

でもみちるは、そんなことお構いなしで20歳の彼女からその後も吸血鬼のように何もかも吸い上げていった。


 ある日の深夜、暗く長い病棟の廊下で20歳の女の子は、恐ろしいくらい大きく高笑いしながら走っては転び、走っては転び、暗い食堂へ現れた。

まさに正気を失っていた。そんな彼女を麻衣子と友人が支えようとするがハイになっているので、どうしようもできなかった。

大声を出していたので男性看護師3人で押さえつけて、可哀想に隔離室に連れて行かれてしまった。

その間もみちるはぐっすり夢の中だった。


 みちるはどう感じるのだろうと、麻衣子は思った。

翌日20歳の女の子の報告を聞いてもみちるは足首を搔きながら、何の興味もないといった表情を見せた。

「みちるが追い込んだのに......」

と思ったが私も冷たい表情でみちるを見つめた。




 

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