第13話 半裂

 眼が闇に慣れてきた。

 古井戸に模した真田の抜け穴は、最深部で鍵状に曲がっている。

 底から横に洞穴が伸びている。そこから酸味の強い堪らない悪臭が漂ってきている。

 そこに立って初めて、穿たれた空間の広さを感じた。小部隊ならば整列できそうだ。洞穴も騎馬武者ですら兜を脱がずに通過できるような高さがある。無駄な労力だと思う。この高さを掘るために、どれほどの指が血塗れになったことだろう。

 それから、地の底におろおろと慟哭のような嗤い声と、男たちの間伸びした声が蠢いている。



 おなごじゃ

 善い匂いがする

 未痛女か

 そんな歳ではないが、これは佳い

 ちゃんと実ったおなごじゃ

 手篭めにするか

 久方ぶりだの



 屍者どもは嗤いながら話している。襤褸ぼろになった具足が触れ合って、甲高い金属音と布擦れの音がする。どうも真田の武者であるようだ。戯れに霧絹を薄くして裸身を見せつけてやる。迂闊な霊に少しでも喋らせて、情報を取りたい。

 


 ここは暑いし、喉が乾いたな

 このおなごは瑞々しいな

 血が通っていて女陰が温かそうだな

 儂はあの乳にかぶりつきたくて堪らぬ

 貝の具合もいいだろうな

 さて

 順番はどうするか


 囀るだけ囀らせて思惑を語らせるつもりだったが、その言は私の癇に酷く障ったので、呼気でそいつの眼を潰した。乾ききっているので、やはり全身を電解は無理のようだし、美食家の私なので喰うつもりもない。

 この下品な誹りを収めるつもりもない。しかしその軽い反撃で、武者の一団が声を殺して一斉に引き、槍衾で取り囲まれた。

「・・・無駄よ。その方らのひ弱な爪が風花に通用するものか」

「そもじも息災よの。石女・・」

「言うな!」と甲高く叱責する声がしたので、黙ってあげた。

 この魍魎は、私を母と見まがえているようだ。

 記憶にはないが、どうも母は風花と呼ばれていたらしい。

 そして余程、容姿が似ているのだろう。瞼に残る母の器量を思い浮かべ、嬉しい心持ちになった。

「何も知らぬ。そもじは何も知らぬので、そんな綺麗な面で平然とここに居るわ」

 洞穴の奥に祠のようなものがあり、小さな素焼き皿が転がっている。御供物はない。祠の内部にはさらに濃い瘴気が渦を巻いている。その祠の内部に血泥に塗れた骨が積み上げられている。その上に頭蓋骨が置かれている。

 青黒い髑髏が闇からしみしみと浮かび上がって見える。

 しかし丁重に置かれたそれは浄められたらしく、汚れはない。その顎からあの声が届いてくるようだ。

「真田に、いやさ望月になぜ弓を引く。そもじも望月の巫女の端くれであろうに」

「巫女だと・・・」とからからと哄笑する。その顎骨が激しく動く様を見るような嗤い声だった。

「・・花畑に引かれた道を歩いてきたそもじは知らぬよの。儂の歩いた泥道を、儂の這った売女の糞道を。ああ、思い出した。そもそもだ、儂に子種が実らぬように石女にしたのは、そもそも千代女よ」

「何ですって」

「儂はな、この身を捧げて、男どもの玩具と成り果てて、勤めを果たしてきたのよ。やや子でも授かれば、勤めはできぬ。子を持てぬ、恵みなき石女にするのは良い策と思うたのが其奴よ」

 石女尼の霊体なのか、しずりしずりと目前に忍び寄る気配がある。

「いいか、あ奴はな、真っ赤に焼けた火箸を儂の女陰に・・・」

「それで望月に叛意を」

「いや、そもじよ。儂はそもそも、そもじが憎い」

 その気配は、私を抱擁するばかりかの距離感で、目前にある。

「因果応報を知っておるか。そもじはそれも知らずに嬉々として因を結び、果実だけを食らっておったわ。またもその綺麗な顔立ちを歪ませることなく、汚れ仕事をせずに悠々としておったわ。年月を経ても、その面に再びまみえるとは思わなんだ」

 髑髏でありながら、生臭い呼気まで届いてくる。

「最後に教えてやろう。先だって望月を封じたしめ縄を焼いて、兵を解き放ったろう。それで武田兵を討たせたであろう。それを地脈を通じて知ったのよ」

 あの大蛇が原の一戦。そう私は望月兵を祀った祠を焼いて、色葉の救援への助力とした。

 一刻の間。

 一閃して、濁流が襲ってきた。

 水とは圧力そのものだ。この坑内を埋め尽くす程の大量の水が、瞬きひとつで出現した。私は激しい奔流に流され、背を岩肌に打ち付け、臓腑を圧迫された。予想の上を超えていた。ぐぼり、と吐息が吹き出してきた。突然なので肺腑に息を溜めおくことも出来ない。

 迂闊であった。

 印を結べば、報いがあると奴は言った。

 私の雪女としての能力も超寒気の反作用として、熱波に変換して排熱しなくてはならない。それが私の能力の因果だ。

 石女尼も水を分子化して胎内に溜め込んでいた。そしてそれを一気に解き放ったのだ。予測して然るべきだった。

 みりみりと、さらに圧力がかかる。

 私の肌に、雪女の肌に触れたそれは、その刹那に凍結する。

 水は結氷すると体積を一割ほど増す。ぴしりと氷にひびが入り、岩盤を砕き、身体がさらに悲鳴をあげる。

 氷河の重圧がかかってきて、息の全てを毟り取られる。

 指ひとつ、眦ひとつ、唇とて石のごとくに動かせない。

 気道が氷に塞がれ、心臓の鼓動が耳元近くに聞こえる。

 血流が行き場のない狂奔さで、全身を駆け回っている。

 そして。

 視界が、赤い闇に閉ざされていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る