第17話 疑うべきは前提

「目醒めたばかりなんだろ、やめとけ。変なこと口走るぞ」


 そう言いつつも、ロビンは投影機の中から姿を消すことはしなかった。シャニーアが組み立てた壁紙一面にふやけた手のひらを映したまま、いぶかるような声を上げた。


「で、精神場理論か?」


「エドメの件よ。あの現場で私が感じた違和感を、一度整理したいの」


「どんな違和感だ?」


 私は少し躊躇ってから、ジュラには言えなかったことを言った。


「私の殺意は本物だった」


 ロビンは数秒間、目を細めて何か考え込んでいたが、結局水差しを片手に取って無理やり会話を打ち切ろうとした。


「馬鹿らしい。に本物も偽物もあるか。あの場で自発的な殺意が無かったのなら、それは人間性の問題になる。それとも心理学者はみんなそうなのか?」


「人間性ってなにかしら」


「ああ、もういい。話をややこしくするな」


「物理心理学は、自由意思の不在を証明した。私の人間性を現実に証明するのは、真に自由な不意思だけ。でもピカも、カオも、私の不自由な方の意思を疑った。そして、それは私もそうなの。いつからか心の隙間に隠してきた強迫観念が、さっきから頭を支配していて......」


 あの時、エドメの煽り言葉は、私を非合理的な殺意の中に誘った。彼を撃てば真実に近づけるという、僅かな瞬間に生じたそのアイデアと、ペグの作り出した興奮が私に作用して、理性を克服させようとした。だが、純粋な私から生じた殺意はそこには無かったのか。


 思い出すのは、ピカを騙して情報総局に侵入したその瞬間、自分の身体にメスを入れた瞬間だ。他にもあるが、それ以上の記憶は遡らないようにしている。とにかく、行為の正当性を自分に言い聞かせながら、遂に成し遂げたその瞬間、私は強い疑心と安堵を得た。生身の人間が備えているはずの、理性を容易く打ち破ってしまう力を知り、同時に、教科書の文言ではなく主観的経験として、私は私の意思を必然性のせいにした。


 私がこれまで抱いてきた許されざる衝動を、他の何かのせいにしてしまいたいと願うこと。エドメを殺すことは、その願いを実現する究極の手段だった。あのときの殺意の源流が、私が知らずのうちに抱いてきたその願いだとするならば、あの殺意は本物と呼べる。


「そう思い詰めるな。ジュラから聞いたはずだが、安心して良い。博士のご友人の誤解は解いたし、そもそも博士のFWを分析するには因果関係が複雑すぎる。話を次の段階に進めるべきだ」


 いつのまにか真剣に耳を傾けていたロビンが、らしくない言葉を吐く。私は思わずそれに賛同してしまった。立体映像のロビンが視界の外で機器を操作し始めた。


「そういえば、あなたは私を疑ったことは無かったわね」


「人間は普通、自分の意思を信じたいもんだ。人のを疑うと、自分のも信用できなくなるからな」




 ロビンは投影機から身を離して腕を組んだ。背後にリハビリテーション科のストライブ装置の送風装置が見切れている。ニューエニスで私が扱っていたものと同じものだ。彼の傷は思っていたほど深くなかったらしい。


「さて、そろそろ良い時間だ。シャニーアがどこに行ったのかは知らんが、まあ博士なら文句の言いようはないだろう」


「誰か来るの?」


「セレスト第三大学のソト教授と面会の予定を入れていてな。その警戒する目、今すぐやめろよ。彼は5課の民間協力者だ」


「悪いわね、これが私の顔なの」


「博士はもう少し相手が話しやすい空気をだな。まあいい。教授は司法総局の法制審議会メンバーだが、情報総局の上層部に法的な助言をしていた。だからシャニーアの二の舞になることはない。え、ああ、もう繋がっている? これは失礼、まったくこれだから旧式は。お久しぶりです、ソト教授。残念ながらシャニーアはこの場にはいませんが」


「どうもロビン博士。技師のことはお気になさらず。それで、あなたはラフカ博士ですね。お噂はかねがね」


 ノイズ混じりの声と共に、ロビンの顔が一瞬右半分だけになる。すると狭い空間に割り込むようにして、セーターを着てカワウソ型のセラピードローンを膝に乗せた年齢不詳の男が現れた。ロビンの顔の縮尺は元に戻ったが、映像の右半分には相変わらず安楽椅子に腰掛ける教授の全身が映り込んでいる。そのせいか、彼の部屋はある種の不気味さを醸していた。


「話を始める前に、ロビン博士、ここでの会話の記録はどうなるのでしょう。私が政府非公認機関と接触していることが監査部に知られて仕舞えば、お互いかなりまずいことになりますぞ」


「こちら側の通信機器は廃棄予定のものです。系から独立していますから、ご安心ください。適切に処分させていただきます」


 ソト教授はにっこりと笑みを作ってロビンに仕切るよう指示を出した。ロビンは唾を飲み込んで私の方に向き直る。向き直ると言っても、デフォルト設定の機械補正のおかげで、彼の顔は常にこちらを向いたままなのだが。


「さて、博士。ニューエニスで初めて会った時に言ったことを覚えているか?」


「なにかしら、随分と失礼なことだった気がするけれど」


「俺はあの時、ここ2ヶ月のいくつかの暴動について、保安局が意図的に要因を創出した可能性を攻めていた。暴動の犯人を仕立て上げるため、博士と接点のある人間を対象に、文字通り煽動を行ったのではないかとね」


 ロビンの顔が消えて、やや褶曲したセレストの立体地図が現れた。まるでミツバチの巣のように最小自治区毎にポリゴン化され、暴動の発生地点には赤いピンが刺されている。


「その理由は単純で、暴動が次第に文脈を欠いていったことに目をつけたからだ。だが保安局内部を調べても証拠は出てこなかった。保健総局がヘパイストスに加わり、記憶解剖官の潔白が証明された。この説は現実味を失った」


 地図の背後で動くロビンの指に合わせて、暴動地点を結ぶ直線と数式が出てきた。ソト教授は画角の外で紙の本でも読んでいるようだ。軽やかな摩擦音が聞こえてくる。ロビンは彼の方を少し気にして咳払いをする。しかし返事はなかった。ここまでは以前も聞いた話だったため、私は彼に続きを促した。


「あー、連続した12の騒乱事件を見ると、はじめの4件は第一層の旧官庁街とその直通トラベレーターの周辺に分布していることがわかる。文化地区、ホテル、行政裁判所、報道局。抗議行動の対象だから当然だが、どれも同日に政治的な舞台になった場所だ。もっと言えば、この4件は、時期的にも空間的にも、船外開発推進法施行に伴ったアクションに連動していた。この時点で不自然だったのは、その暴徒化のリスクが異様なほど高まったことだけ」


「船外地球化、通称KMT政策ね。確かに反対者はあらゆるところにいた。皆、地球化と聞いて、忌まわしい回帰派の事件のことを思い出したから」


「そうだ。ところが、保安局が暴動の一連性に気づきだした、ここ2ヶ月以内の騒乱をみると不自然なんだ。抗議の対象として、自発的知覚制限者協会、回帰派の集会などが加わってくる。発生地点もだ。二層の工業地帯から最外防護殻まで拡大する。こいつらには、KMT政策との間に相当的因果関係は認められない。街の破壊が一層の犯罪化リスクを多少高めはしたが、見ての通り、実際の密度から計算すると期待値から1.6ポイントも上振れている」


 地図がセレストの半分が映り込むまでズームアウトする。日常生活では目にすることもない、装甲壁とその亀裂に設置された採光窓に覆われた、最外殻第四層の模型が目の前に広がった。


「メーカー社員と政治家に比較的凝集していた更生プログラム該当者の職業属性も、ここ2ヶ月のデータに絞ると完全にランダムになる。これまで明らかだった政治的なメッセージが消えたんだ。秩序立った無秩序が突然、そして一瞬で形成された」


 ロビンは水を口に含んで続けた。


「これまで俺たちが想定していた煽動犯の特性を整理するならば、まず前提として、既に環境に創出された犯罪実行意思を潜在的に有する市民が存在しなければならないわけだ。そのうえで、煽動犯が暴行の衝動実現の幇助をする。そして幇助の痕跡を一切残すことがない点こそが、この事件の難点だった。あっているね?」


 私は小さく頷いた。


「この前提が正しいとしよう。煽動犯が、既に暴徒化傾向のある群衆を選択してFW干渉を行っていたとすると、ランダムというのはかなり不自然な結果だ。煽動犯はデモ隊の犯罪化傾向を予測するはずだが、その結果はある程度の必然性をはらむものだ。であればまず疑うべきはその前提だ。そしてその前提を覆す事実に俺たちは出会った。かつて一度、煽動犯はランダムに暴動が起きるように暴徒化のトリガーを支配した。ミケルを使ってな。ああ、ここでミケルを例に出すのは不味かったな。一回忘れてくれ」


「なんとなくだけどわかった。でも今の話だと私には、騒乱が政権を標的とした内乱に発展しただけのようにも見えるわ」


「その通りだが、最後まで聞け。内乱ではなくカムフラージュならば、暴動に関連して行われた他の犯罪があるはずだ。目を引かなければならないほど、その結果が重大なものが。例えば不条理な殺人。暴徒の鎮圧を名目に、刑事捜査の対象になりにくい警官を使って標的を殺害するとか。そう、こっちでミケルの名を出すべきだった。すまない」


 その意味を理解するのに少しの時間を要した。しばらくして、私が息を呑むと同時に、ミニチュア化されたソト教授が勢いよく立ち上がった。2人同時に声を荒げてロビンを問い詰める。


「ミケル殺害の目的はFW干渉の痕跡を隠すことではなかったってこと?」


「それで、他に暴動に関連して発生した殺人、またはそれに類する事件はあったのかな?」


「残念ながら、殺人はまったく無かった。ですがソト教授、昨日あなたに持ち出すようお願いした例の資料に、もしかするとその答えが載っているかもしれないのです」

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