第11話 第一の重要参考人

「おはようございます、先生」

「ドクター・ルナ。どうしてあなたが?」


 通信機器に挟まれるようにして、少し疲れた様子のルナ元院長が座っていた。歩道を進む輸送車は小刻みに振動しているが、警察病院の制服に包まれたルナの体は簡易的な椅子に固定されたまま微動だにしない。


「私に先生を監視するように命じたのがカオ博士だったんです」

「その、どうしてカオが私を?」

「詳しいことはカオ博士が仰ると思いますが、昨年彼の部下が更生プログラムに。そのとき彼なりに色々と調べたようで」

「カオはただの生物学者よ?」

「はい。彼は先生を心配しているだけだと思います。ラフカ博士を連れて行ったのが情報総局だと伝えたら、カオ博士が一度会って話がしたいと」

「なんとなく想像できたわ。あとそれから、あなたとカオの関係を聞いても?」


 ルナの表情が一瞬強張ったような気がしたが、確かめる間もなく、立体映像の向こうで誰かがルナの背中を叩いた。ルナは一瞬振り返り、なにやらばたばたと荷物をまとめながら席を立った。ルナの下半身が車の床下にめり込む。


「私も詳しいことは知らされていないので、これで。とにかく、カオ博士はラフカ先生に1人で会いたいそうなので、よろしくお願いします」


 ロビンが呼び止めようとしたが、こちらからの操作はいっさい聞かずにルナの身体はピクセルの屑と化した。各地でデモが発生しているとなれば警察病院も色々と忙しいのだろう。幸いなことに、まだ小規模かつ冷静な群衆の報告しか上がってきていない。しかし少なくともトラベレーター封鎖の影響で、群発的に人対ドローンの事故が発生しているらしい。


 ペグは可能な限り人混みを避けていたはずだった。しかし博物館に近づくにつれて、窓に無数の人の手汗でできた波のような模様が作られていった。文化地区へ伸びるデモ隊のホログラムの中を突っ切りながら研究施設の多く集まる第一層円心部へと進んでいく。CMFの説明責任を求める抗議運動が今後暴動に発展することがあれば、表面的には非連携的だった12件の暴動による混乱とは比にならない被害が生じるに違いない。ただそれを防ぐのは私たちの役目ではない。私は窓から目を逸らした。


--そのカオ博士という方はどの様な人物ですか?--


「私の大学の同期よ。生物学を専門にしていたから、はじめて私の体をいじったときにちょっと仲良く」


 ほら、と私は左の袖を捲って見せた。カオが組み立てたのかと訊かれ、そうではないと答えた。倫理教育の行き届いていない自傷的な行為に対して、どこまでFWチップが作動するかが気になって、頭蓋も、義眼も、左脚も全て自分で手術したなんて口が裂けても言えない。なんだかんだ言ってロビンがペグに一言質問すれば、情報総局の資料からすべてバレてしまうのだろうが。


「マディソンの出身者だな......出たぞ。これはこれは、理学部次席、宇宙開発部門の勤務経験、おまけに認定バイオハッカーときたか。ペグ、これなら問題なさそうだ」


  ルナが説明していたときからずっと生返事で情報総局のデータベースを眺めていたロビンが、頷きながらカオの経歴書を共有した。開発部門を2年勤めてすぐに環境部門管轄の復興博物館に転属となっていることが引っかかったが、彼は学生時代に地球生物の遺伝子工学の実験室に入り浸っていた。もっともらしい経歴だ。


--ちなみに、その2人の博士はどこまで仲良くなったのでしょう--


「そうね、ロボットには一生分からない関係まで」


--なるほど。念の為、カオ博士のFWが干渉されていないか検査した方がいいのでは、と提案します--





 復興博物館。グロムスに降り立った鋼鉄都市の使命が新天地の開拓なのであれば、ここはセレスト人のアイデンティティであり、セレストの心臓と言っても過言ではない。セレスト人はこの博物館と同じ時を過ごしてきたのだ。ここには太陽系連邦から離脱したその時から、いずれ人間が機械都市から独立し、船外へ居住部を拡大する時のための、あらゆる生物の種や文化的遺産が保存されている。


「さすがカオね」


 ドアを開けると、アダマススクエアとは比較にもならない巨大構造物が目の前に現れた。まさにセレスト号の中心軸。鋼鉄と、探査機と同じ耐熱板で覆われた桟橋が折り畳まれ、まっすぐ天に突き抜けている。かつて宇宙港としての機能も有していた文化地区は、採光窓まで伸びた吹き抜けの空間の中で拡張されてきた。博物館はというと、ここからは見えず、エントランスを通って装甲甲板を潜った下層にある。


 ガラス張りの円柱沿いに増築されたトラベレーターや商業橋が脳神経のような夜景を描いている。その途切れ目を見つけて、規制線を超えたあたりでまっすぐ頭上を見上げたが、実際どこからが自然の空なのかいまいち分からなかった。そういえば、と私は足を止めた。


 あのとき、レーダー号が有人探査のためにここから飛び立った時も、同じような空だった。耳を閉ざして仕舞えば、エプロンで蠢いているデモ隊の影も、あの日の見送りとよく似ている。


 ドーリア式のエントランスで警備隊となにやら問答を繰り返していたロビンが、2台のコンシェルジュドローンを引き連れて不満げに帰ってきた。彼は2台を私に押し付けるようにして、輸送車ににじり寄ってきていた野次馬を下がらせる。一方のドローンが私の顔をスキャンすると、視界の隅でマップが展開されて「熱帯」棟への案内が始まった。


「俺は連絡部にルナの話を報告しておく。2時間程度で出て来れるか?」

「そうね、遅くとも昼は外で食べるわ」


 ロビンは分かったと手振りして、輸送車に乗り込んだ。GUARDの文字を纏ったそれは、野次馬の視線を集めながら、博物館の敷地を通って階下に姿を消す。途端、野次馬の視線が階段の上にいる私に集まった。ドローンがその間に割って入るまで、私は息が止まったようにそこに立ち尽くしていた。






「失礼。カオ博士はおいでですか?」


 カオの研究室は植物園のバックヤードから細い廊下を進んだところにあった。モノクロの落ち着いた空間で、私は数年ぶりの親友との再会に不安を隠せないでいた。いざ扉一枚隔てたところまで来て、ただじっと待つなどできなかった。突然エアプラントの葉を撫でたり、警備員に微笑みかけたりして僅かな時間が経つのを待った。他の職員がここを通りでもすれば、仕事上の用事で来ているとは思わなかっただろう。


「やあ、入って」


 突然鍵が開く音がして、半開きになった扉からカオの顔だけ現れた。カオの髪は眠たげな目にかかっていて、休憩中だろうか、中からどこか懐かしいコンソメの匂いがする。暗い色のまつ毛のせいで、どこかカオは不機嫌なように見える。そのとき、ふと私は彼に拒絶されるかもしれない不安に駆られた。カオは私が犯罪を犯したことについて、ピカがそうであったよりも深く、裏切られた気分になっているに違いない。


 部屋は想像よりもはるかに広く、シンプルだった。何より目を引いたのは、四方の壁に取り付けられた背の高い本棚だった。電子よりも紙とは言うが、ここまで多くの紙が一か所に集積されている光景は久しぶりに見た。ちなみに紙よりも石板というがさすがに石板は置いていない。そのかわり、本の手前にはなにやら横向きにジャム瓶のようなものが並べられていた。一体何かと近づくと、脚が大量に生えた虫の死骸に乾いたキノコが生えたものだった。説明を求めようと振り返るとカオは奥の部屋に進んでいた。細胞プリンターの乗ったデスクを洗面台の下に収納して、背を向けたまま私に問いかける。


「コーヒーか、紅茶か」

「コーヒーで」

「散らかっていてごめんね。ここはラボというより休憩室みたいなもので。好きに座って」


 車輪付きの椅子には、一冊の本が表紙だけ開いて乗っていた。手に取ってみる。ざらざらとした表紙に色のない女性の肖像が描かれている。湯気があがるマグを2つ持ってきたカオは私の後ろに立ってのぞき込んだ。


「趣味で生物濃縮について研究していてね。ひどいよな、宇宙工学以外の文献は、地球文明時代まで遡らないといけないんだ。読んだことは?」


 私が首を横に振ると、彼は白い歯を見せて柔らかく笑った。


「お勧めするよ、君みたいな人だ」


 とても穏やかな声だった。茶色く潤んだ瞳に、私の緊張はいつの間にか解けていた。ぼうっとしながらマグを受け取って、それが本物の陶器だと気づいたときには遅かった。熱さに驚いて手を離したところを、見越していたと言わんばかりに、カオが声を出して笑いながら受け止める。


「正直、もう会ってくれないかと」

「怒ってないわけじゃない。もっと僕を頼ってくれてよかったんだよ。ただ情報総局に連れていかれたと聞いてびっくりしてね」

「ごめんなさい」

「謝らないで、僕も最初は君を責めていたんだ。でもラフカが逮捕されてから色々調べて思った。もしかしたら、君のFWも干渉されてたんじゃないかって」


 もう一度マグを落としそうになった。慌てて両手で包み込む。落ち着こうと一口啜って、熱さでマグの中身が波立つ。カオは特に声の調子を変えないまま私の向かいのソファに腰を下ろした。


「ねえ、犯行を決断した時、君のところにだれか現れなかったか?」

「だれかって?」

「だれでもいい。知らない人でも。たとえば夢でみたとか、ない?」

「なかったわ。どうしてそんなこと言うの?」


 安堵したように、しかし私を疑うようにゆっくりとため息をついてカオもコーヒーを口に含んだ。目線が合わない。ピカとは違って、距離感を測りかねて揺らいでいるようだった。こんな彼は初めて見た。彼は事件のことについて話をするためだけに私を呼んだらしかった。


「ここの学芸員なんだ。例のニュースの、最初に暴動を起こした被害者は」

「被害者?」

「対サイボーグ拘束銃を至近距離で撃たれて、ミケルはすぐに亡くなった」


 記憶を辿るも、更生プログラムのリストを参考に捜査資料をまとめたせいか、その人物の名前は聞いたことがなかった。私は混乱していた。犯人には当然に証拠を残さないように動機が働くと思っていた、その前提は誤りなのか。痕跡を残さない能力があるという前提は誤りなのか。過去の捜査が甘かっただけで、実際には煽動犯--あるいは宇宙人と呼ぶべきか--は経験に痕跡を残すことがあるのか。


 悲観することはない、とハッと気づく。カオの証言次第では、個別事例から煽動犯の存在が仮定されるのはこれが初めてだ。それにFW干渉の痕跡を干渉された本人が認識していたケースがあったとなれば、捜査の難易度はかなり下がることになる。うまくいけば煽動犯の特定ができるかもしれない。私は無意識に背筋を伸ばしていた。


「その人は激情とか、そういうのとは無縁の人だった。この職場は人格検査が厳しいしね。兆候は何もなかった。その日博物館の前で船外農地労働者の抗議デモがあってね、昼食から戻って来た彼は、彼を指さした男に突然殴りかかった」

「カオもそこにいたのね」

「ショックだったよ。理由も何もわからなかった」

「それで、ミケルさんが誰かを見たっていうのは?」

「たまたま、彼の日記を読んだんだ」


 白衣の胸ポケットに指を入れて手帳を取り出した。誰にも話していない、誰にも聞かれていないからと前置いて、カオは一言告げた。


「彼には想像上の家族がいた」

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