第10話 3つの事件と宇宙人

「裏切った?」


「そう。ラフカが捕まったことを聞いて、腕のいい仲間はみんな引退した。昨夜のCMFの件だって、おかしいと分かっていても誰ひとりやりたがらない。私の依頼者が情報総局に寝返ったからって。ねえ、ラフカ。私は信じてたのに」


 私に責任を押し付けている点では全く的外れな言葉であったが、彼女の観察力と、物事の漠然とした因果関係に対して抱く直感は全く鈍っていないようだ。いつかのように、私が後ろめたさを感じていることに限って的確に、私が声を荒げて否定するだろうという期待をそのまま顔に出して、唐突に言い出す。私は彼女の期待に応えられない状況にあることをもどかしく感じながら、どこか賞賛の念を覚えた。


 私は確信した。私たちの関係が変わったように見えたのは一時的な情動がもたらした見せかけで、彼女の中核はあれから何も変わっていない。


「どうして皆私を疑うのかしら」


「簡単な話。今ラフカが黒シャツを着ているから」


「誰も保安局に売ったりしてないわ。私も保安局は信用していない」


「はあ、なにそれ。じゃあその徽章はどういうことなのか説明してよ」


 ピカは扉にもたれかかり、腕を組んだ。私を睨む目線がさらに細くなる。不愉快そうに口が歪んでいるが、今の会話を遮ることは決してしない。情報屋としての性なのか、私を糾弾せずには帰れないのか、いずれにせよ私にとって幸いなことにピカはすぐに部屋を去る気はない様だ。私は謎の自信に満たされていくのを感じながら、かつての友達に頼み事をする調子で言葉を続けた。


「政府の後ろ盾を得たの。保安局よりももっと上の。だからもう一度私と手を組んで、今度こそレーダー号事件の真相を追ってみないか、てこと」


 途端、ピカの目が大きく見開かれる。


「待って、まって。あいつらがレーダー号の調査を許したの?」


「正確には、別の事件との関係で利害が一致したの。それに連中も一枚岩じゃないのよ」


「なによ、別の事件って?」


「話に乗ってくれるならちゃんと説明するわ。なんなら、ピカも何か思い当たることがあるんじゃない?」

 

 微かな確信と共に思い切って鎌をかける。ピカは再び氷同士が当たる涼しげな音を鳴らしながら水を喉に流し込んだ。コップを置くと、再び不機嫌な顔に戻る。私は今度は依頼人として、彼女に新しい提案を持ちかけた。


「取引をしない? ピカが独自に得た情報の代わりに、私の追っている事件がなにかを教える。ピカが私の情報に興味を持ったら、共同を約束する」


「それだけじゃ対等じゃない。私が依頼を断ったとして、記事にしていいネタなの?」


「それはまだ言えない。でもピカ個人にとっても知る価値はあると思う」


「......へえ。確かに、約10年前の失踪事件だけ持ってたとしても、売り込めて学生サークルくらいかな」


「お願い」


 ピカは何か考える様に目を瞑ってしゃがみ込んだ。私はそれを邪魔しまいと黙ったが、ピカはそれを小馬鹿にするように表情を変えないで淡々と言い放った。


「ラフカとは組まない。その意思はもう変わらない。だからこれはその餞別」


 何にご立腹なのか訊こうとしたとき、廊下で鍵の束が音を立てた。入ってくることはないとわかっていながら、私は耳をそばだてる。ピカは扉から少し離れて、投影機のアナログなつまみを弄って遊びはじめた。誰も聴いていなかった牢獄のシーンが、紙が破れるような音と共に真っ白になり、ピカの指の動きに合わせて無料備え付けのフィルムのタイトルが眩暈のする速さでスクロールされていく。


 三大テック筆頭であるプシケ社の宣伝立体映像が現れると、彼女は満足したように手をとめた。美形ドローンの滑らかな動きに合わせて流れる重たいベースが、布張りの床を心地よく振動させている。


「ねえ、宇宙人って覚えてる?」


 ピカは私の頬に手を当てて踊りはじめるような体勢をとった。燻製樽の匂いが鼻に刺さる。一瞬私の身体は凍りついたが、恐る恐るピカと視線を合わせると、その輝きを取り戻した瞳の表面に紫のピクセルが浮かんでいるのに気づいた。2人の瞬きと共に外部記憶装置に文書データが読み込まれる。私は少し乾いた舌で冷静に聞き返した。


「宇宙人?」


「レーダー号事件の直前、ゾフィーがオカルト紙に投稿した最後のコラムがあったでしょ」


 私の外部記憶装置がその雑誌を読み込み1つの単語に辿り着く。「宇宙人」、宇宙のどこかの惑星に住んでいる未知の生命体と言う意味ではなく、惑星にとらわれず、空間そのものに住む狭義の宇宙人。私の生の記憶を元にさらに正確に言うならば、ゾフィーがかなり若い頃から物理心理学的アプローチによって提唱してきた、他生物の精神場概念を説明するためのただのレトリックで、確か彼女は客観的生命体と呼んでいた。


「見つけた。それがなにか?」


「ラフカが更生プログラムに参加させられた時、私たちの身の回りを一通り調べたの。そのとき、何人かの官僚が変な噂を口にしたことがあった」

 

 ピカは口を私の肩まで持ってくる。そして私たち以外誰もいない部屋で声を顰めた。


「ある保安局支部の情報漏洩騒ぎ。あり得ないけど、量子暗号が解読できる新手のハッカーがいるんじゃないかって委員会が大騒ぎになったことがあるの。結局ソーシャルエンジニアリングってことになったけど、どうも当時保安局はその犯人を捕まえてない。そしてレーダー号乗員の叛乱が疑われたときに、そいつが指示者じゃないかと再び高官の間で噂になった。その時ハッカーについた俗称こそが宇宙人だった」


「ねえ、その漏洩事件って、いつ頃の話?」


「レーダーの事件より1年前かな」


「その噂にはなにか根拠があったのよね?」


「さあ、ただレーダー号探査の企画段階から、省庁間での間者の遣り取りがあったっていうのは有名な話」


 今度は私が驚く番だった。これらの事件についてジュラ・ホーンが敢えて隠していたのか、立場上知らなかったのかは問題ではない。調べなければならない事件が1つ増えたようだ。そしてもうひとつ、情報総局に頼んで他省庁のレーダー号事件の調査報告書を読み込む必要がある。ロビンがもごもごと文句を言う姿が容易に想像できたが、彼には好きなように言わせておけばいい。


「まあいいわ。ところで、なんでそのハッカーには宇宙人なんてコードネームがついたのかしら。なんだかとても紛らわしい名前ね」


「じゃあラフカ、宇宙人は保安局内で保管する記録にどうやってソーシャルエンジニアリングを仕掛けたと思う?」


「レーダーの乗員に保安局員はいない。そして実行ができたってことは政府の雇われの可能性がある......抜き取りの実行犯ではないなら、FW装着者に対してマインドコントロールを?」


「......意外な答えね、普通ならFW免除特権のない支部レベルの騒動で、内規違反は考慮もされないのに」


 ピカの細い指が私の首をつたい、後ろ髪を纏めた後頭部に爪を引っ掛けた。人工皮膚に被われたFWチップの接続口にそれが当たるたび右耳の中でぬるい風が過ぎるような音が響く。


「量子暗号ほど確かじゃないものの、同様に理論的観測不能性を有するFW。でも人間の主観より高位に統一経験を形成するデータ生命体の手にかかれば、FW装着者を無意識下で支配したスパイ活動もありえる。ハッカーの手法はまさにそんな風に説明された」


「そしてその方法では、宇宙人本人の痕跡は一切残らない?」


「......その通り。その辺はラフカの方が詳しいでしょ」


「ええ。ごめんなさい。それで、一応聞いておくけれど、その依頼者は誰?」


「そんなの、私の口からは言えないに決まってるじゃない」

 

 そしてピカは突然黙りこくった。何を言い出すのかと唾を飲み込んでいると、首に絡みついていたピカの腕が解けていった。


「で?」


「......で?」


「次はラフカの番でしょ?」


 ピカに触られたところを片手で確認しながらどこまで話すべきか悩んだ。彼女を5課に引き入れるためには何が必要か。私への不満を隠しもせず口にしたばかりの彼女は、希釈された薔薇の匂いが分かるくらいには遠くない距離で髪をいじりながらじっと待っている。ピカの本音の読み取れない独特の距離感は、私の感情を惑わす。暫く空転して熱の溜まった脳は、敢えてここで結論を出す必要はないのかもしれないと先延ばしの結論を導いた。私の主観がまだ気づいていない、無意識に統一された様々な過去の条件を考慮して。


「そうね......ここで話せる内容には限りがあるけど。ピカは暴動の件数が急増しているこの状況をどう見ているの?」


「......どうも何も、首都警察から詮索するなと通達があったんだけど。記事にするなではなく、詮索するなって。手はつけてないよ。まさか保安局が本腰入れて捜査に乗り出しているなんて」


 ピカはまた水入れを手に取った。しかしその手は一向に傾かない。


「それ本当に話していいの?」


「ピカが思っているような問題はないわ。保安局、もっと言うと内務総局は、その宇宙人が政府関係者とはまったく考えていない。そしておそらく情報漏洩事件も、レーダー号の件も、犯人がいるとすれば自力で理性制御システムをかいくぐった未知の犯人......」


「ラフカみたいにね」


「......あるいは事件間の関連性の薄さから考えると、特定可能な1人のハッカーではないかもしれない」


「つまり宇宙人の正体はFWシステムの綻びかもしれないってこと?」


「かもしれない。保安局はハッカーの存在を仮定しているから」


「ふうん。それより物理心理学首席としての見解をきかせてほしいな」


「だめ、おしまい。ここから先は私が言ったってバレちゃうから」


 上目遣いで引き留めるピカを置いて、私は荷物を手に取り先ほどまでピカがもたれていた扉のノブに指を掛けた。真鍮製のそれはまだ温かった。背後からため息が聞こえる。

 

 ここまで話した以上、ピカの動向は今後も掴んでおかなければならない。けれどその前に、もう一度彼女とどこかで顔を合わせる必要がある。彼女がもう会わないと言えばその拠点を探すのは困難だろうし、たとえ膨大なネットの中から新たなハンドルを見つけたとして、彼女を保安局から匿ってくれるところも多いだろう。ならば私がすべきことは彼女を信頼し、彼女から5課を訪ねるように仕掛けることだ。


「急ぐの?」


「互いに約束は果たした。五万ポンドは明日中に振り込むわ。これ以上長居はいらない」


「......わかった」


 扉を開けると、暖房の消えた廊下から冷気が流れ込んでくる。出窓から見えるオフィスの灯も消えている。通りから不規則な歩幅で進むブーツの底の音が反響しているが、いくら夜のない町とは言え若者たちは各々店の中で一休みしているのだろう。暫く右目を慣らしていると、ピカが私の背中の後ろにぴたりと立った。


「そうだ。ピカ、政府の通達の真意は調査まで妨げるものじゃないわ。私との縁を切るなら、これを機になにかひとつやり遂げなさい」


 返事がないので振り向いてみると、ピカは頬を緩めて俯いた。明るいところでは染みが目立つパーカーの裾を引っ張り、すっと姿勢を伸ばす。


「言われるまでもない。じゃあ私もラフカにアドバイス。昔から思ってたけど、もっと自分の周りに興味を持つこと」


 無言が続く。面白いことに、お互いこれが最後ではないであろうことを理解しているからなのだが。古い香水を吸い込んだ埃がこびりついた建材の香りと、コート越しの肌寒さに乗せられてか、不思議と昔を懐かしんでしまう。向かいのホテルの看板のせいで、ピカの翠の前髪が色濃く濡れたようになっていく。5課の設立目的が保安局の内部調査も兼ねていること、情報総局の協力を得てかつての計画をやり遂げたこと、これらをいっそ言ってしまえば、ピカは頷いてくれるかもしれない。甘い考えが私の中を支配し始めた時、ピカがやにわに口を開いた。


「面白いね。こんな再会は全く予想してなかったけど、それでも2人とも目的は変わってないの。きっとお互い噂は聞こえてくるから。それだけ。再会できてよかった」





 勝手口から石畳の裏路地に出ると、ペグが赤い太文字で通知を送ってきた。


ーー通信網から遮断された所へ行く際は事前に知らせてくださいーー


 マスターの安全が確認できない状況にいちいち過剰に反応するあたりにペグの機能の制限をひしひしと感じる。そんなことを考えながら角を曲がると、目の前には見覚えのある小型輸送車が道を塞いで停まっていた。心配性なのはロボットだけではないようだ。扉が後ろに開き、ロビンの非難がましい顔がぬっと現れた。


「どうしたの?」


「それはこっちのセリフだ。新しい部下はどうした?」


「交渉決裂」


「ははあ、そうだと思ったさ」


「それはいいの。それで、どこに向かうの?」


「復興博物館だ。乗り込め、中で説明する」


「わかったわ」


 私は金属板に足をかけシアターを見上げたが、ホログラム広告の反射するガラスの向こう側は暗く何も見えなかった。


「俺たち以外にも煽動犯を追っている奴がいてな、そいつが協力を申し出たんで見定めに行く。だからスカウト失敗は気にするな」


「それは誰?」


「あー、博士の幼馴染だそうだ。なんて名前だっけか」


「カオ博士です」


 通信機器の背後から聞こえたそれは、ひどく聞き覚えのある声だった。シャニーアか、いや彼女は今日から始まった技能総局の立入検査でてんてこ舞いだろう。


「出してください。私が説明します。ラフカ先生」

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