第1話 ワタナベの誤算

「落ち着いたか」


 入って来たのは保安局3課所属ウバラ。白髪を頬骨の上に垂らして、眉間に深い皺を刻んだ彼の素顔を見たのは初めてだ。だが議会に公表された組織図の上で5課が護衛部門を隠れ蓑にしていた時に、何度か世話になった記憶がある。


 彼もまた、学会やCMF社周辺に5課が私を招聘したという情報を流した保安局員が存在することを認識し、その人物を突き止めるためにジュラ委員が協力関係を結んだ人物だった。そうジュラ・ホーンから聞いていた。しかし私はいま彼に無意味な拘束を受けている。手首から先のなくなった義手は強力な磁石によって机の上に固定され、首を回して見える範囲には黒い防音タイルで覆われた無機質な部屋と鏡の壁だけ。


「いいえ」


「だが口がきけるようになった。聞かせてくれ、なぜ襲撃犯を庇う?」


「庇う意図はない」


「......自力救済を明言している人間ならなおさら、ここから出すわけにはいかない。もしそうなら、FW人格試験と復帰プログラム再登録の手続きが待っている」


 腰を下ろしたときの姿勢のまま身を乗り出して、目を逸らさず話を聞く意思を見せる。その目には外部モジュールが映す光の模様が浮かんでいるが、他のデバイスは骨内に格納されていて見えない。スーツの襟からは、内部犯罪資料局と印字された紙状の持出し許可証が顔をのぞかせている。保守的で秩序的、かといってロビンのように過度に誇大化された正義感は持ち合わせていない、目の前に与えられた指示だけに忠実な男。そのように見えるが、対テロ部門のストレンジもそうだった。行動こそ人の本性だと言えど、そこに一貫性がある必要はない。どのような提案をしてきたところで何も話さないことが賢明だ。


「ここは護衛部門の聴取室?」


「ならば、司法部門の承認がいるな」


「......そうね」


「司法部門に行きたいか」


「......」


 ウバラは内ポケットから人差し指サイズのインジェクターを取り出すと、私の目の前に立てた。それには若干の見覚えがあった。


「ヒルベルトホールの作戦、誰の案か詳細まで分かるか。誰が作戦を立案し、誰がその承認を行い、誰がそれを実行したか。そしてだれがその処理を行うか」


 思い出した。白い樹脂に包まれペン状の外形を持った針のないインジェクター。監査部門でエドメの引渡し交渉の為アダマススクエアにやってきた首都警察庁の幹部に、司法総局への特命調査申請動議が発せられるまでの少しの間眠っていてもらいたくて、シャニーアが打込んだ理性緩和剤だ。


「......ああ、彼女、処分してなかったのね」


「作戦を動かしたのは完全なプロットで動く諜報員ではなく、個の思惑に操られた学者と技師たちだった。それこそが即興作戦の穴で、その穴は仕組みを理解する者たちの手で敢えて残された。諜報部と保安局が互いの保険として利用するために」


「どっちにつくか選べと、そう尋ねているの?」


 ウバラはインジェクターをポケットの中に仕舞うと、あいまいな答えを選んだ。


「先に言っておくが、俺は今、ワタナベ委員の命であなたの保護をしている」


「ワタナベは信用できない」


「ならば何事もなかった顔をしてジュラ・ホーンが与えたを享受するか」


「ワタナベのせいでケベデは死んだ。だから信じられない」


「......その通りだ」


 ウバラはなぜか驚いた顔をして私を凝視すると、椅子を少し引いて少し考え込む仕草を見せた。何かを言おうとしているのか。別に興味はないが、さっさと全て明かしてこの場から解放してくれないだろうか。私は続けてウバラ自身を責める。


「逃がしたでしょ」


「逃がした?」


「煽動犯。装甲区画で、私が手を出せないように」


「故意だと言いたいのか?」


「不自然だったもの」


 予想外にも、ウバラは拳を机に押し付けるようにして身を迫り出してきた。喉を潰すような声が机を伝って骨に響く。しかし決して手を机から離すことはしない。


「ストレンジの記憶映像を情報総局が独占してさえいなければこんなミスは無かった」


「それはしょうがないわ」


「非公式部門だからか?」 


「私の護衛以外は公式の仕事じゃなかったのでしょう?」


 乾いた唇を引き攣らせて、ウバラは頭を垂れる。数秒して手は力無く開かれ、静かにため息を吐いた。目の前の男のことを秩序立った男だと診断した先ほどの自分を鼻で笑う。情緒が怪しいところを半秒間生じた人工理性の力でなんとか耐えているだけではないか。私は少しのけぞっていた姿勢を元に戻した。何が彼をそこまで悩ませている?


「すまない」


 うなされたように言葉を吐く。あまり関わりのなかった人間の見苦しい姿を目の前にして、私の頭を支配していた殺人鬼への憎しみもまた少しずつ客観性を取り戻していく。


「正当に与えられた仕事すらも果たせなかった。あなたの友人を危険に晒したのは俺のせいだ」


「そうね。そうだわ」


「......首都警察病院だ。傷は深いと聞いた」


「あの子は強い。そう作られてるもの」

 

「そうか......」


 色の霞んだ彼の瞳が再び私を凝視した。


「そうね、やっぱり今日寝る前には血色の戻ったピカの顔を見ておきたいのだけれど」


「そうだな、当然だ」


 彼は立ちあがろうとして、少し躊躇ったのちにもう一度腰を下ろす。斜めの姿勢を維持して、インジェクターをもう一度取り出した。


「記憶解剖なら拒否するわ」 


 ウバラは首を横に振った。


「そうじゃない。こちらから元5課長に提供しなければならない情報があったのを思い出した」


 彼の指が小さな注射器の上で遊んでいる。その様子を黙って見守っていると、彼の重たい口がやっと開いた。




「ワタナベはストレンジが裏切り者である可能性を知っていた」


「......そういうこと」


 彼の言葉は、不思議と腑に落ちた。内通を見抜けなかった無能としてのワタナベに対する不信感は、やはりどこか八つ当たり的な面を持ち合わせていたのだ。彼女が何らかの思惑を持って致命的な裏切り者を作戦に混入させたとする方が論理が通っているし、それに私の罪悪感が薄れるような気がする。


 ウバラはまたかと言いたげな顔をして、やっと私の方を向いた。どこか焦りも読み取れる。インジェクターを静かに机の上に置いて、手の動きをぴたりと止めた。


 1つの可能性としてワタナベ委員が煽動犯に通じている事態を想像していたこともあるが、実際そうではないだろう。仮にワタナベとウバラ両者がマスク野郎と通じていたとして、私の身柄を情報総局から引き剥がした今隠していた本性を打ち明けるというシナリオも一見筋は通っているようだが、何せ私は実際に煽動犯本人と会話をした。ルールと噛み合わない。彼らが煽動犯の指示を受けていたとは到底考えられない。


「気づいていたんだな」


「ピカが私に言ったの。私とストレンジは同じだって。泳がされているだけの裏切り者。ストレンジはワタナベに泳がされていたのね」


「待て、あなたが裏切り者だと?」


 口が滑った。


「ウバラ隊長、裏切りを知りながら作戦を続行した女が耳をそば立てているかもしれない部屋なのよ。私は質問には答えないわ」


「いや、この部屋は......」


 ウバラは私の言葉に文字通り頭を抱える。髪を指の隙間に挟んで引っ張ると、ウェーブを描いた白髪が錘を吊るしたように緊張する。見たところ、ワタナベの行動の意図を知る彼であっても事態の全貌は掴めていない。ヒルベルトホテル作戦後の、情報総局と内務総局の関係も推し量れると言うものだ。


「話を戻しましょうか」

 

「すまない」


 乱れた髪を振って元に戻し、ウバラは再び手元を見つめながら話し始めた。


「ストレンジは作戦の直前まで別事件の潜入調査任務についていた。対テロ課の主任務ではなく、武器流通を巡った軽い内部調査だ。彼が率いていた班の調査対象は、文化地区警備隊の機動隊」


「エドメの所属だわ」


「だが潜入期間はかなり遡る。5課長がまだロビン事務官だった頃だ。もちろん、警備隊と暴動の因果関係を認知する前だった。潜入戦略の専門家に内通者問題の解決を期待する判断について合理性を欠いているとは言えない」


「だけど、エドメと接触した時点でワタナベにそのリスクは伝えられていたはず」


「その通りだ。ワタナベはすぐさまジュラ・ホーンにそれを報告する用意があった。だが委員は弱みを握られることを恐れた」


「弱み?」


「俺やダンは、4人の委員の直属として5課のサポートを指示されたが、ストレンジは違う。内通者の正体をジュラ・ホーンよりも先に掴むために、ワタナベの独断で雇われた男だった。加えて......」


 言葉を選ぶように口が開閉する。


「ワタナベ委員は、あなたが煽動犯であるリスクに対応する手段を常に残すようにしていた。俺もそのひとつだ。彼女から直に、あなたの行動を監視するよう伝えられていた。CMF社でのデモ隊騒ぎを覚えているか」


「そういえば、ケベデの護衛を外されたかしら」


「ジュラ委員に3課の介入を進言したのはワタナベだ」


 ジュラ・ホーンと違い、内務総局担当委員は政治的リスクの天秤を羅針盤代わりにして行動していたということがよくわかった。しかしだからこそ気に食わない点がある。


「ヒルベルトホテルの作戦で内通者を炙り出す役目だった誰かさんは、私とストレンジの潜入班の両者を相手にしなければならなかったわけ?」


「その通りだ。ワタナベはジュラホーンよりも早く実行部隊をヒルベルトホールに突入させようとしていた。だが」


「だが、先にジュラのやつが気づいた。ホテル周辺の騒乱の鎮圧にあたっていた保安局所属の部隊が不自然に多いことにな。俺とジュラで問い詰めたが、ワタナベが口を割るよりも早く、後発で潜入予定だった彼女の部隊が会見強行の知らせを持ってきた。そこで博士を支援するために予備待機させていた諜報部の出番になったと言う訳だ」


 突然棘のある声が乱入してきて、ウバラと私は飛び跳ねるようにして防音室の入り口の方を向いた。もっとも、私の両腕は机に固定されているから飛び跳ねることはできなかったが。不愉快なら笑みを浮かべたロビンは、話を終えるとゆっくりと部屋の中心に歩いてきた。その手が私の両腕に翳されると、停止していた機能が戻って視界が煩くなる。


「ロビン」


「ひさしぶりだ、博士。煽動犯を取り逃がすとは、失望したぞ」


「私じゃない」


 同時にウバラが項垂れるのが見えた。


「ああ、これは。どうも、絶対信用できると噂の」


「やめてくれ。身の程は分かっているつもりだ」


 不器用に不機嫌なロビンの口調は、初めて会った時を思い出させる。やはりこの男は不愉快だ。


「何の用事?」


「俺はただ、ジュラ委員に頼まれた通りにまだ利用価値のある学者を保安局から取り戻しに来ただけだが。面白い話をしていたなウバラ」


「聞こえていたか」


「この間まで職場だったんだ。薄い壁の一つくらい知っている」


「なら知ってるだろう。移住船時代のこの建物に薄い壁はない」


 ウバラは鏡の向こうを見て舌打ちをする。


「ジュラ・ホーンの手先は俺だけじゃなかったということか」


「博士、ワタナベのところに行きたければここに残ってもいい。待遇はいいはずだ」


 ウバラはお手上げだと手を挙げて部屋を出ようとした。ロビンがその襟を掴んで引き留める。


「ワタナベは、会見が強行的に開始した後にも関わらず作戦通りにホールに侵入できた博士を疑っている。ストレンジという最悪の弱みをジュラに握られた彼女にとって、ジュラの弱みになり得る博士は最後に残された最強の手札だ。きっと上手く使ってくれるだろう」


 襟を掴まれたままのウバラが少し感情を表に出して反論した。


「ジュラ・ホーンをとるか。あの男はどこかおかしい。考えなしに動いているようで、はずれの扉を選ぶことはない。信用ならんのはあの男そのものだ」


 私は自由になった手の動作を確かめながら、立ち上がってウバラの目を見返した。そして一言、思ったままの言葉をそのまま口に出すことにした。


「思惑があろうとなかろうと、ただ無能よりも有能な方がいい」


「それは使われる側の言葉だ」


「いいえ。有能な方は私の邪魔をしないからよ」


 ロビンの手をとると、汚いものでも触ったかの様に振り払われる。それでいい。引き離されることによって得られる自由がこちらにはある。


「俺たちなら、上手く使われてやる」


 部屋を出る際のウバラの捨て台詞はあまりに滑稽だった。







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